闇の力
アレックスはマリアンヌが目覚める前に町に出て、自分の格好と釣り合いが取れ、あまり目立たない様な貴族の婦人のドレスと靴と帽子を買って来た。
何せ、寝室に居るところを攫ってきたのだ。
ネグリジェだし、裸足のままでは、寒い上、かえって目立ってしまう。
マリアンヌが目覚めると、それを着せてラグナに乗せ、後ろから抱きかかえて、マントで隠すように包み、小屋を出た。
「イリイはどうするのですか。」
「イリイはそろそろ卵を産む。卵がかえるまで動けない。ヒナがかえったらまた来る。」
「人間が側に居てやらなくて良いのですか。」
「逆に誰も居ない方がいいんだ。」
「そうなのですか…。あんなに人の話が分かっても、やはり神聖な生き物なのですね。」
町に降りると、マリアンヌはアレックスのマントから覗く様にして、外の様子を目を輝かせて見ていた。
「エキゾチックな国とは聞いていましたけれど、皆さん不思議な装束を着ておいでですね。」
「あれは着物というんだ。帯で留めるらしい。」
「ボタンは無いのですか?」
「うん。」
「どうやって着るのでしょう…。あ、あのお屋根はなんですの?薄い石が沢山載ってるわ。」
「あれは、瓦という。石ではなく、焼き物なんだ。」
「焼き物…。ティーカップと同じ物ですか?」
「ううーん、詳しくは知らないが、大雑把に言えばそうかな。」
マリアンヌは、見る物全てに興味を持ち、楽しそうにしている。
心臓が悪いから、獅子国でも、ペガサスでも、王宮から出た事も無いのだろう。
そう思ったアレックスは、マリアンヌの質問には、ありったけの知識を駆使して答えた。
若干疲れたが、楽しそうに聞くマリアンヌを見ていると、アレックスも楽しかった。
目的の雑貨商の店に着く。
この雑貨商は、賞金稼ぎの取次所もしている。
マリアンヌは、入った途端、美しい絵柄の古伊万里の様な壺や、白磁の壺、金銀の絵柄の付いた漆塗りの手箱などが置かれている店内を、興味津々で見ている。
雑貨商のオヤジは、アレックスの顔を見ると、ニヤリと笑った。
彼も着物を着て、髪を上の方で一つに束ねている。
この国の人間は、男も女も大体そんな感じだが、貿易国の為、ありとあらゆる国の人間が住んでいるので、アレックスの様な、見るからに竜国人が居ても目立たない。
「仕事なら、旦那好みのが幾つかありますよ。」
「いや。今日は仕事探しじゃない。」
アレックスは、賞金稼ぎといっても、基本的に人助けになるような仕事しかしない。
仕事に入り、調査を進めていく内に、それが悪巧みと知ると、逆に依頼者をコテンパンにやっつけてしまう様な、変な賞金稼ぎである。
だから、下調べは、かなり念入りに行う。
「彦三郎が、ボルケーノに、石を持った人間を連れて行ったろ?戻って来たか。」
「いや。まだ戻って来てねえな。ボルケーノは遠いし、行き帰りも物騒だから、手間取ってんじゃねえか。」
「でも、ここで見つけて連れて行ったのは、もう10日も前だろう?未だに、腕利きの彦三郎が帰って来てないなんて、おかしくないか。」
「そうだよねえ…。彦さんだもんな…。俺も心配になってきちまったな…。」
彦三郎という賞金稼ぎは、アレックスも顔馴染みだ。
賞金稼ぎのくせに、どこかお侍で、礼節を重んじる男だった。
同様に騎士道を貫いているアレックスとは気が合ったし、腕も立つ男だ。
そんな人物だから、石を取って貰った素人をそのまま危険地帯のボルケーノに置いて来る事はまずしないだろうし、彦三郎は、いつも律儀に、仕事の完了をこのオヤジに報告に来ていた。
どうも嫌な予感がした。
「うん…。俺も向こうに行ったら探すよ。ところで、ボルケーノ王の情報は?」
「なーんも。相変わらず王宮の奥の方に引っ込んで、政もほったらかしだが、竜国なんかが攻め入ろうとすると、火山噴火させて追い払う。何も変わっちゃいねえな。」
「そうか…。」
「それより旦那。その可愛らしいお嬢さんはなんだい。遂に嫁さんでも貰う気になったのかい。」
アレックスは、オヤジをギロリと大きな目で睨んだ。
「聞くな。」
右手は大剣を掴んでいる。
オヤジは悲しそうに目を伏せた。
「ーへいへい…。全くもう。相変わらず気が短けえんだから…。あ、そうだ、旦那。みんな嫌がってやってくれねえ仕事があんだよ。旦那なら半日で済む。助けてくんねえかい。」
アレックスは、不安そうに、マリアンヌを見た。
視線に気付くと、マリアンヌは微笑んだ。
「いい子でお留守番してますわ。どなたかお困りなのでしょう?」
アレックスより先にオヤジが答えた。
「そうなんだよ、お嬢ちゃん。あそこの森から、最近妙な怪物が出てきちゃあ町の奴らを襲うんだ。町の衆から集めた銭が報酬だから、危険な割に少ねえってんで、誰も引き受けちゃくれねえ。」
「まあ、それは大変ですわ。是非行ってらっしゃいませ。」
アレックスは仕方なさそうにため息をつくと、オヤジを睨んだ。
「この人に何かあったら、その出っ張った腹、真っ二つじゃ済まねえからな…。」
「へいへい。きちんとお預かりしてますよ。」
ラグナとマリアンヌをオヤジに預け、アレックスは1人で森へ向かった。
怪物が出て来るのは夜だというから、まだ森の外には出て来ていない様だ。
森の中に入ったアレックスは、異様な雰囲気に、思わず大剣に手をかけた。
人間では無いものの気配が煩いほどに蠢き、息をしている。
突然、背後からその人間ではない物が、呻き声を上げながら、襲い掛かって来た。
三体だったが、大剣を素早く抜き、一息に三体一辺に横真っ二つにすると、激しい異臭がした。
凄まじい臭気に、黒の丈の長い上着の銀糸の装飾の付いた袖で鼻を覆ったが、間髪入れずに、また三体、今度は五体と、次から次へと襲い掛かって来た。
何回かそれを繰り返し、20体程斬って始末した所で、小さな薄汚い小屋の前に着いた。
アレックスは始末した、その人間の形をしていながら、人間ではない物を見つめた。
腐って、グズグズになったその体は、人に襲い掛かって何をしたかったのか。
本能だけになってしまうと、人間はそうなってしまうのか。
なんだか悲しかった。
それらが身につけていた物から推察される職業は様々だった。
町人風も居れば、麒麟国の侍も居るし、他国の戦士だった者、主婦も居た。
普通に生きている時は、家族を愛し、人に感謝し、人間として生きていたはずなのに。
そう思うと、こんな事をした人間が許せなくなる。
恐らくこれは、外道と呼ばれる、黒魔道士の仕業に違いない。
この小屋の中に居ると見たアレックスは、用心深く剣を構えながら、小屋の引き戸を開けた。
中には、アレックスの予想通り、小汚い中年の黒魔道士が居た。
黒魔道士は、ヘラヘラと笑って、両手を挙げた。
「勘弁してくださいよ、旦那。」
「人の死体をこんな風にして、一体どういうつもりだ。」
アレックスが剣を構えたまま低い声で言うと、黒魔道士は、卑屈に笑ったまま答えた。
「あたしゃヘボの黒魔道士です。惚れ薬だの、そんなのしか作れなかった。それが最近、死者を甦らすもんが出来たんですよ。でも、すぐ腐っちまう。まだまだですがね。」
「死んだ者は触れずにそっとしておけ。あれではかえって不憫だ。」
「それは旦那が大事な人間を亡くしてねえからじゃないんですかい。」
アレックスとて、母は亡くしている。
悲しくなかったわけでは無いが、母の死は幼いながらも受け入れられた。
「俺も一応母は亡くしている。」
「親ってえのは、先に死ぬもんでしょう。あたしが言ってんのは、惚れた女の事ですよ。」
アレックスの脳裏にふいにマリアンヌが浮かんだ。
何を見ても興味津々で、楽しそうにしている無邪気なマリアンヌ…。
「バカを言うな。」
黒魔道士に向かって言うのと同時に、自分にも言っていた。
マリアンヌは、賞金を稼ぐ糧であり、救ってやるつもりだけではないかと。
黒魔道士は、見透かした様に、怪しい紫色の薬の入った小さな瓶を出した。
「その時の為にお持ちになりますか。」
「要らん。それよりお前が下手に生き返らせたせいで、町の住人を襲っているそうだ。命が惜しくば、その不道徳な実験は止めろ。」
「おお、怖い怖い。でもね、旦那。あんた方普通の人間には分からんだろうが、この所、闇の力が増して行ってるんですよ。」
「闇の力?」
「そう。冥界の力とでもいいますか。あの世とこの世が近付いているんです。だからこんな薬も出来た。」
「生き返らせても、人の心も持たず、腐っていくのでは話にならん。誰も喜ばないような事はもう止めろ。」
「へえ、分かりました。ここも出て行きましょう。」
「出てどこへ行く。」
「ボルケーノの方へ。あそこは闇の力が強いんですよ。」
アレックスは、再び妙な胸騒ぎと引っ掛かりを覚えた。
ボルケーノ王の依頼書に書いてあったのは、心の臓に石を持つ者は、心臓の具合が悪く、体も弱い。
その石が悪さをしているかららしい。
ボルケーノ王は、その石が欲しい。
だから、石を持つ者を連れて来れば、無傷で石を取り出し、元気にしてやれると言っていた。
それ自体はいい事のはずなのに、行った者は帰って来ていない様だし、闇の力が強まり、あの世とこの世が近付いているという。
その状況だけ見たら、無傷で取り出すのは嘘という気がするし、闇の力が強まっているという事は、悪事を働いていると考えるのが妥当な気がした。
ー石を持つ者や、彦三郎が、ボルケーノに行ってどうなったのか調べがつかない事には、マリアンヌは連れて行けないな…。
アレックスは、黒魔道士が旅支度をし、森を出て行ったのを見届け、雑貨商へ戻った。
店の外にまで、肉の焼ける香ばしい香りや、野菜スープのいい匂いがしていた。
オヤジが作ったにしては、やけにいい匂いだなと思いながら入ると、オヤジがニタニタと笑いながら出て来た。
「旦那、あの子はいい嫁さんになるぜ。見ろ、この料理。」
テーブルに所狭しと並べられた料理を呆気にとられて見ていると、台所からマリアンヌが出て来た。
「お帰りなさい。お疲れ様でした。」
「これを全部貴女が…?」
「はい。お料理だけは得意なんですのよ。さあ、召し上がれ。」
アレックスがテーブルに着くと、オヤジが言った。
「市場見たいって言うから、連れてったんだよ。」
「ー大丈夫だったんだろうな!?人に見られたりとかは…!」
「あんたが隠すように連れて来たから、その辺は心得てるよ。ベール被せてましたよ。」
「よし。」
「でね、あれやこれやと買って、見た事も無え材料だったらしいが、こんなに美味そうなもん作っちまった。凄いね。」
「そうだな…。」
竜国の定番料理のローストビーフもあった。
わざわざアレックスの為に作ってくれたのだろう。
食べ始めると、オヤジが小声で言った。
「この子、ペガサス王妃じゃねえのかい。」
「ー何故そう思う?」
「ここは貿易国だ。そこら中の国の奴らが住んでるし、行き来してる。そん中にユニコーン国の奴が居て、ペガサス王妃を探しに、竜国と獅子国の精鋭部隊が来たって話してたぜ。朝露に濡れた淡いピンクのバラの様に可愛らしい姫だっていうじゃねえかよ。そのまんまじゃねえか。」
「ー言うなよ?」
オヤジは、右手の平を差し出した。
アレックスは、オヤジを一睨みすると、金貨を一枚握らせた。
「ま、旦那には世話んなってるし、無理も聞いてもらってるからな。誰にも言いやしねえが、気をつけなよ?」
「ああ。分かってる。」
王妃捜索が竜国もとなると、兄がアレックスからマリアンヌを奪い、獅子王に差し出し、代わりにペガサスを寄越せと言う気だと考えたほうが良さそうだ。
となると、兄ーアデルは本気の精鋭部隊を送って、アレックスを探させているはずだ。
ーという事は…、ダリルとアンソニーの隊だな…。結構な難敵だ…。
アレックスが苦笑していると、マリアンヌが心配そうに、顔を覗き込んだ。
「何かお困りなのですか?」
アレックスは、少し驚いた様子でマリアンヌを見た。
「何故分かる。」
「なんとなくですけれど…。あの、私の事でしたら…。」
「貴女は何も心配しなくていい。」
アレックスは気分を変えるかのように、快活に言った。
「このローストビーフは今まで食った中で1番美味い。」
勿論、それは、お世辞ではなく、本当の事だったが。
それが分かった様に、マリアンヌも嬉しそうに微笑んだ。
「まあ、良かった。」