俺が怪盗を辞めた日
本小説には主人公が万引きを犯す描写がございますが、犯罪を助長するものではありません。万引きダメ、ゼッタイ。
読んで下さる方、ありがとうございます。上記を踏まえた上での閲覧を、よろしくお願い致します。
俺は万引きのプロだ。
どんな小さなコンビニだろうがどんなでっかなスーパーだろうが。店員Gメン隠しカメラに私服警官、如何なる眼もサラリと躱(かわ)し死角に潜る、神出鬼没の大怪盗。
そんな俺が今、窮地に立たされている。
普段通りにさり気なく忍ぶコンビニ。店内を物色しながらゆったりと、鼻歌交じりに獲物へ近づく俺はさながら陽気なハンター。虎やライオンにチーター、名のある世界の猛獣たちはその気配を殺し獲物を捕らえると言うが、俺たちの業界では勝手が違う。自身の存在感を十二分に発揮することで、心底に秘めた敵意を殺す。そして獲物を手中に収め、万引き(ハント)があった痕跡すらも残さない。
その鉄の神技は今日も成功した、かのように思えた。懐にお気に入りの風船ガムを忍ばせ、優雅な足取りで向かうは出口。
――その瞬間(とき)。
チクリと心臓に突き刺さる“何か”に、俺はびくりと足を止めた(勿論動揺を表に出すようなヘマはしない)。少し下げた視線をぐいっと上げて、正面の出口を直視する、と。
っ……!ドアの外に仁王の如く悠然と立ちはだかり、コンビニ内に入ることなく此方を睨む男。そいつの毒針の眼が俺の心臓を確かに貫いていたのだ。
俺の長年の経験が、研ぎ澄まされた感覚が、警鐘を鳴らす。
こいつ、やばい。
漆黒の詰襟に身を包んだ小柄な男は一見ただの中学生。経験の浅い万引き魔や素人なら、まんまと騙されていたに違いない。だが。俺は違う。分かるんだ。こいつは――万引きGメン。しかも今までとは桁違いの強者。並みの者じゃ無い。冷房の効いた店内で、俺のこめかみにじっとりと嫌な汗が滲む。
おれは、ほういされている。
心臓から体内に流れた麻酔薬が全身に広がり、俺の身体はぴくりとも動かない。対する制服姿のGメンは両手をポケットに突っ込み、行動に出る色は無い……どうする。あのドアの他に脱出手段は無に等しい。レジ奥の裏口は把握済みだが、怪しまれずに通る術は無いのだから。
万事休すだ。
店のドアを挟んだ俺たちの間に緊張が走る。次の一手が俺の行く末を分かつ。自身の鼓動が騒ぎ立て、俺の判断を鈍らせると共に負の感情を加速させる。くそぅ……最悪の結末が脳裏にちらつく。だめだ、諦めるな!負けて、たまるか!
そんな時、やつが動いた。
店前でゴミを纏める店員に歩みを向けたのだ。
タイマンも張れないのか根性ねぇ、なんて強がる余裕は無く。不意に舞い込んだ好機を見逃すわけには行くまいと、俺は誰の眼も気にせず走りだしたのだ。
ドアまでの僅か数メートルを何百メートルと駆け、「自動」と書かれたボタンを押して、開ききってもいないうちにガラス扉に身体をねじ込む。
俺の突然の疾走には、流石のGメンも不意打ちだったらしい。大きく眼を見開いたやつの身体が一瞬強ばったのを見た、気がした。それでも俺は足を止めない。
後ろからやつの声がして、スピードを落とすことなくチラリと振り向く。やつは手を振りながら追いかけて来ていた。その手には俺のお気に入りの風船ガム。俺のパーカーのポケットはいつの間にか空っぽだった。なるほど……やはり相当なやり手だったようだ。
俺は一層スピードを上げた。やつの声はどんどん小さくなっていき、やがて全く聞こえなくなった。
振り返れば、そこは繁華街のど真ん中で。コンビニもGメンも、それから俺も、総てが人混みに埋もれてしまっていた。
だから、俺は知る由もない。
「すいません。自動ドアが自動で開かないのですが」
「“自動”って書いてあるそれ。そう、それを押して下さい」
「お、開いた。あ、それとこれ。さっきの人が落として行きましたよ」
俺の消えたコンビニの前で繰り広げられた会話なんて。
無意識に吐いた安堵の溜め息もまた、雑踏の中に沈んでゆく。俺以外の全てにとってたわいの無い今日は、俺にとって忘れられない戒めの記念日となった。
閲覧ありがとうございました。繰り返しになりますが、万引きは犯罪です。ガム1つでも犯罪に変わりありません。主人公が反面教師となることを祈ります。




