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あなた達と私の理由

 少年の後ろでは扉が割れている。

 イフが描いた模様を真ん中から割るようにして、厚みのある扉が、真っ二つに。

 ガラスの割れるような音だった。

 あの澄んだ音は、木製の扉が割れる音だったのだ。


 呆気に取られる菊の体をイフが押す。

 部屋に踏み行った少年から距離を取るように、ぐいぐい部屋の奥へ押される。菊は彼に従った。目元を隠した少年の登場は、どう見ても普通じゃなかった。


「あれぇ」

 

 少年の足が止まる。

 白々とした手を持ち上げ、宙を叩く。すると、カツン、と音がした。……硬質な何かを叩いたような、そう、ガラス窓を叩いたような音だった。


 多分、イフは扉に描いた模様によって、部屋に細工を施したのだと思う。

 音が漏れないようにするとか、他人が入って来られないようにするとかいったものを。

 少年は、それを破って押し入ってきた。

 

 そしてまた、足止めを壊そうとしている。

 見えない壁に触れる指へ、力を込めたのが分かった。ピシリ、とヒビの入る音がする。


 得体の知れないものを前にして、体が竦んだ。

 彼は一体何者なのだろう。

 怖いと感じ始めているのに、何故か目が逸らせな――。


「っ」


 グラリとイフの体が傾ぐ。

 目の端にそれをとらえて、菊は反射的に手を伸ばした。額に脂汗が滲み、顔色が青白く、意識が……ない。

 力なく寄りかかった体を、菊は両手で支えた。

 ……源家の家事を取り仕切る菊は腕力に自信があった。カゴいっぱいの濡れた洗濯物と、病的に細いイフとでは、前者の方が重い気がした。

 訂正。

 洗濯物よりもずっとずっと重量があった。

 針金のように細いくせに、イフの体はとても重い。


「イ、イフ、さん!」


 意識のないイフを、菊では支え切れない。

 ばしばしばし、と容赦なく背中を叩く。

 体が身動ぎ、イフが正気付いたのが分かった。


「黙れ黙れ黙れ失せろ失せろ失せろ」


 ……正気かどうかは分からないが意識は戻ったようだ。


「イフさ」

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません、殿下」


 菊の言葉を遮って言う。

 そして体勢を整え、指を1本、口の前に持ってきた。強い視線で菊を見る。


「静かに」


 と、いう意味だと、思う。菊は頷く。

 彼は菊に向かって「殿下」と言った。けれどそのことに、今は触れるべきじゃない。……触れるべきじゃない?


 委員長、班長、パートリーダー。役割分担の際には必ずと言っていいくらい、取り纏め役をやってきた菊だ。察しは悪くない。


 菊の召喚にはグレナ皇女、エステルが関わっている。

 菊を「エステル」と呼ぶ人間がいる。

 イフは菊に向かって「殿下」と言った。

 殿下とは、王族や皇族に使う敬称だ。例えば、皇女とか。


(私がこの世界に喚ばれた理由って)


 予想通りならば困ったことになる。

 直ぐに済む用件だとは到底思えない。

 エステル皇女を知る人間がいることを利用して、直ぐさま自身を用済みにすることも出来る。菊を庇うようにして立つイフの背中を見ると心苦しいが、家族に心配をかける訳には……そう、心配をかけるわけにはいかない。

 

「バフィト卿、ここがどこかお忘れか」

「あれぇ、もしかして、イフ? 誰かと思った。魂が掠れてて分からなかったよ。どうしたの、それ。そのまま放っておくと死ぬよ」

「執務で3日寝ていませんので。それよりバフィト卿、私の質問に答えて頂けますか。ここがどこか、お忘れのように見える」

「もう忘れないよ、イフがうるさいもの。グレナ皇国の皇宮でしょ」

「そう。では、皇宮には自由に出入り出来ない場所がある、ということは? ここは人の世で、人の理がある。人を欲しがるならば人の理を守らねばならない。これは神の定めた法だ」

「イフうるさい」

「ルールを守って頂ければ私が卿のすることに口出しをすることはありません」

「だってエステルに会いたかったんだ。僕がどれだけ、エステルに会うのを我慢させられたと思ってるの」

「近く、機会を作ることになっていた筈ですが」

「それってどれくらい? 約束した次の瞬間も、今も、一年後も「近く」だ」

「少なくとも今ではない」

「残念。もう会った」


 あはははは、と朗らかに笑い、バフィトはイフの体を押し退けた。……押し退けたのだ! 菊の胸にも届かない小柄な少年が、大人の男を軽々と。


 イフとバフィトの会話から、彼が危険な人物ではないことが知れる。けれど、注意の必要な相手ではあるようだ。得体が知れない、という気持ちは拭えない。


「エステル、会いたかった」


 気になること。

 この少年は、どうして、目隠しをしているのに菊とエステルを間違うことが出来るのか?

 似ているのは声なのだろうか。

 いいや、彼が部屋に入って「エステル」と呼んだ時、菊は声を出してはいなかった。

 他にも不思議なことはある。姿が見えていないのに、彼は菊の居場所をきちんと把握しているのだ。


「バフィト卿!」


 押し退けられたイフが、鋭い声で少年を呼ぶ。

 バフィトに「人違いですよ」と教えることは容易い。そうすれば、多分、菊はお役御免になる。上手くすれば家に帰れる。


(上手くすればって、具体的にはどうするの?)


 駄目だ。菊は首を横に振る。家には帰りたいが、危ない橋を思い付きで渡る訳にはいかなかった。橋が落ちれば、帰るのが遅くなるくらいじゃ済まない。取り返しの付かないことになる。

 

 彼らは訳があって菊を喚んだ。理由を……まず、話を最後まで聞こう。どんな話し合いでも共通することがある。相手の話を聞かなければ、自分の話も聞いて貰えない、と言うこと。


 と、なれば、まずはバフィトに退出して貰う必要がある。彼がいる内は、話をすることが出来ない。


「イフ」


 さん、とは呼ばない。

 エステルはいるのだと、ここにいるのは皇女だと勘違いしたまま、退出して貰うのだ。


「これはどういうこと? 聞いて、いないわ」


 演劇に携わったことはないが、人の前で話すことには慣れている。当たり障りのない言葉選びもお手の物だ。

 だから大丈夫――と自分に言い聞かせ、菊は、緊張する体に「動け」と命令した。

 身を引き、バフィトから離れ、イフの背後に回る。


 菊がエステルについて知っていることは、婚約者を戦争で失ったということだけ。エステルの振りをするには情報が足りない。

 彼女はどんな状況だったのか、

 バフィトとはどんな関係にあったのか。


「イフ、答えて」

「……申し訳ありません、殿下。療養から戻ったばかりの殿下には、まだ、お聞かせするべきではないと師が判断したのです」

「話して」


 イフの眉間に皺が寄る。

 彼が再び口を開くまでには、少し時間がかかった。


「殿下は覚えていらっしゃるでしょうか。9年前、殿下に1人、求婚を求めた……魔族がいたことを。殿下には既に婚約者がいたため、陛下はこの求婚を断り、殿下に魔族の名前を教えることもなかった」

「はいはーい、僕だよ」


 横から回り込み、片手を挙げてバフィトが言う。

 幼い声、幼い姿だ。12、3にしか見えない。けれどイフは9年前と言っていたから、魔族は外見と精神年齢にズレがあるのだろう。

 いよいよファンタジーだ。

 最近呼んだ児童文学が頭を過ぎる。杖に箒、妖精と使い魔、賢者の石やら……。


 はた、と菊の中で時間が止まる。



(賢者の石……不老不死!)



 バフィトへの畏れも、演技への緊張も、体の中から全て綺麗に消え去った。


 ファンタジーでお決まりのアイテムだ。

 魔術があって、魔族がいる世界ならば、ひょっとしたら実在しているかもしれない。

 

(賢者の石なんて、大層なものでなくても良い)


 体のつくりや体力を無視して、どこからともなく生気を与えてくれるような、不思議な薬であれば良い。


(聞きたい、今すぐに。そんな薬があるのかどうか……!)


 胸の中で心臓が飛び跳ねる。

 この世界に召喚された直後よりもずっと、今の方が興奮していた。


 聞きたい。

 聞きたい、聞きたい、聞きたい。


「僕ねぇ、ずっと待ってたんだ。エステルの婚約者がいなくなるのを。これでもう、エステルが約束してる人間はいなくなったんだよね。僕ね……」

「バフィト卿。私の話がまだ終わっていません」

「イフの話は長いよ。僕はエステルと話したい。エステルと遊びたい。エステルと一緒にいたいんだ」


 聞きたい!


 菊はイフの前に進み出た。

 つまり、バフィトの眼前へ。

 高揚して体は軽く、意識せずとも口の端が持ち上がった。


「バフィトさま」


 名前を呼ぶと、柔らかい金髪に縁取られた白い顔に喜色が浮かぶ。

 イフの話を聞く限り、エステルと彼の間に交流があったようには思えない。親しかったなら、イフは説明の間にそれとなく教えてくれた筈だ。交流はない。でもバフィトは、エステル皇女のことが好き。

 だったら、イフの説得よりもずっと、菊のお願いを聞いてくれる可能性の方が高い。


「私がいない間に、皇宮では何か大事があった様子。私はイフから話を聞かなければいけません。バフィト様とお話するよりも先に」

「エステルも僕に待てって言うの? 近く? 直ぐに? 明日? 明後日?」

「いいえ」


 彼の年齢は見た目よりも上。けれど言動の方は見た目と合致していた。意識してやっているのか、無意識のことなのか分からないが、子供みたいであることは間違いない。

 ならば、ゲーム性を持たせてやれば、意に沿わぬ提案でも乗り気になるに違いない。

 子供は遊ぶことが好き。「先に終わった方が勝ち」とさえ言えば、雑巾がけでも窓ふきでも、弟たちは先を争ってやってくれた。


「私がこれからなぞなぞを出します。答えが分かるまでは、待っていて下さい。答えが分かったら、お茶をご一緒します」

「直ぐに答えが分かったら、直ぐにお茶にするの?」

「えぇ、そうです」


 イフが「殿下」と焦った声を出す。

 込み入った事情を話すのに、「直ぐ」では困ると思ったのかも知れない。彼らが菊を召喚した理由が菊の考える通りなら、色々と準備も必要だ。

 申し訳ないが、菊は自分の気持ちを優先した。

 今すぐ聞きたいことがある。

 それはちょっとの時間で十分だった。


「……面白そう」

「私の提案に乗って下さいますか? バフィト様」

「うん、良いよ。なぞなぞを出して、エステル」

「では」


 病院のベッドで暇を持て余していた妹へしたように、指を1本、菊とバフィトの間に持ってくる。


「この広い世界のあらゆるものの中で、いちばん長くていちばん短いもの。

いちばんはやくていちばん遅いもの。

いくつにでも細かく分けられて、どんなにも大きくひきのばせる。

いちばん無視されていちばん悔やまれて、それなしには何もできぬもの、なーんだ?」

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