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魔術師の事情

 頭のてっぺんから爪先までを2往復。それから男の視線は右へ逸れ、左に動いた。

 じっくりじっくり、何かを見定めるような視線だった。特に、足下は念入りに観察された。あまりに男が熱心だから、つられて菊の視線も床に、


「いけない」


 落とそうとしたところで、制止された。


 渋い顔をした男が、もっと渋い顔で菊を見ていた。眉、鼻、口。顔の内、動かせるパーツが全て真ん中に寄ってアスタリスクマークを作っていた。苦虫を粉々に噛み砕いてもこんな顔にはならないだろう。


「刺激すると一層騒ぎが大きくなる」


 言って、男はこめかみを押さえた。


「魔方陣を注視してはいけない。説明を。直ぐにも説明の場を設けるゆえ、少し……」


 そしてうずくまる。 

 咄嗟に菊は駆け寄りかけたが、男がチッ! と舌打ちしたので思い止まる。

 男はブツブツと小さな声で悪態を吐いていた。「いい加減にしろ」「貴様等が騒いだところでどうなる」「黙れ黙れ黙れ」。菊に向けて言っているわけではない……よう……なので……菊はそっと視線を逸らした。

 これで、老人と男の二人が座り込んだことになる。ぽつんと1人取り残されたような気持ちになり、菊の心に不安が生まれた。それは先程まであった不安とは異なっており、


(大丈夫なのかな)


 という、なりゆきの情けなさに対する不安だった。


「あの」


 このままではらちが開かない。

 そう感じた菊は、老人に話しかけた。


 悪い癖だ。


 進行の遅いイベント、まごついている人間を見ると、つい手を出してしまう。弟妹達の面倒を見ているうちについた癖。弟妹達がやるより、菊がやった方が早い。だから菊がやる。……悪い子育ての見本である。大人が相手ならば世話焼きと呼ばれ、やり過ぎればでしゃばりと呼ばれる。時に要らない面倒を抱えることになり、失敗すれば「口だけだ」と言われるようになる。


 菊のあだ名が「委員長」なのは、ケースバイケースであることを早々に学んだからだった。

 が、この場は悪い癖を押さえられなかった。早く帰らなければ、という気持が先立った。


「何か訳があって私を呼んだんですよね? 理由を教えて貰えませんか。私にもこの後、予定があるので長居は出来ません」


 男は老人を「師」と呼んでいたから、老人の方がきっと、立場が上だ。


「なんと」


 顔を上げた老人が目を瞠る。


「これ、イフ。イフや、今のお言葉を聞いたか」


 うずくまった男が呻き声を上げながら顔を上げる。相変わらずの渋面だ。


「……師よ。一刻も早く場所を替えねばなりません。ここはもう限界です。頭が割れそうだ……」


 最後の言葉は独り言に近かった。

 イフの言葉に、老人の表情はみるみる、


「ほう! 因果律を乱す禁呪のわりに容易いと思っていたが、反動の方に問題があったのじゃな」


 明るくなり、パッと立ち上がった。

 スイッチで仕様を切り替えたかのような機敏さで辺りを見回す老人に、菊は「え」となる。


「なるほどなるほど、世界の方に負担がかかるわけじゃな。禁呪の反動ともなれば、さぞ珍しい影響が出ているに違いないのう。……調べたいのう」

「師よ」

「調べたい」


 男の周囲を取り巻く空気が、ズン、と重くなったような気が、


「わしゃこの部屋に残る」


 した。



■□■□



 男はイフ・ヘイルウッドと名乗った。


 老人の名前はユーリー・ノーリス。双方とも魔術師で、ユーリー老人はイフの師だ。そして菊の召喚における責任者であり、国事に携わる重臣でもあるという。


 あれで? 


 と、思いはしても口にしなかった。


 ユーリー老人は「全権を譲る」とイフに宣言したあと、喜々として魔方陣の検証に入った。

 多分、ユーリー老人は重臣である前に研究者なのだろう。菊の高校にも彼のような教師がいた。よれよれの白衣を着た化学の教師で、授業はしょっちゅう脱線した。キラキラした目で分子について語る姿に、「子供のまま外見だけ大人になったんだな」なんて思ったものである。しわ寄せが来たのは勿論、生徒だ。


「師に代わって謝罪しよう。貴方への説明は速やかになされるべきだった」


 ユーリー老人のしわ寄せがいっているのはこの男だろう。

 うずくまり、独り言――悪態――を言っていた姿を思い出す。凄まじいストレスを抱えているのは容易に知れた。ユーリー老人の哀れな部下を相手に「許せない!」とは言えない。


 部屋を移って、彼について分かったことがいくつかある。魔方陣のある部屋を出るまでは終始顰めっ面で気付かなかったが、イフは非常に整った容貌をしていた。細面に、西洋人形みたく上品な顔立ち。青という髪の色もあり、明るいところで見た最初の一瞬は「つくりものみたいだ」と思った。

 本当に、一瞬だけ。彼は、つくりものにしては凄みがあり過ぎたのだ。

 どれだけ上司に苦労させられているのか、イフの目の下には濃い隈があり、頬は痩け、顎は細かった。しかし弱々しさは感じない。か細さを鋭さと思わせる硬質さが、彼の眼光にあった。


 イフは部屋の扉へ厳重に鍵をかけ、さらに、扉へ奇妙な模様を描き込んだ。模様の意味は分からないが、部屋の中がしんと静まり返った――いや、外の音が遠ざかったのは分かった。


「これから話を聞けるんですよね?」

「師は全権を私に任せると言ったが、この決定は師の一存では出来ない。ゆえに、決定を下せる方の判断を仰いでいる。しかし、事態の説明は師の許可があれば私の口からなされても問題はない。師の許可は下りたものと考えて良かろう。貴方に異存がなければ、私から説明する」


(この人の性格であのおじいさんに付き合うのは、大変だろうなぁ)


 ユーリー老人に付き合った結果、こんな性格になったのかもしれないが。

 イフに心底同情しながら、菊は「お願いします」と説明を求めた。


「少々長い話になるが、時系列を追って説明した方が理解しやすいだろう。……地図も必要か」


 イフは部屋にあった机から紙を取り出すと、そこに図形を書き出した。さっきの部屋、深紅の床に描かれていたものや、扉に描いたものとは違う。


(これ、地図だ)


 うわぁ、と思わず声が漏れた。

 連続した入り江、半島、三角州。イフの描いた地図は、手書きとは思えない緻密さだった。

 だからとてもよく分かる。

 もう間違いないな、とは思っていたが、改めて。


 

 異世界である。 


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