録音してた :約2000文字 :コメディー
とある会社の休憩スペース。白い壁と天井に囲まれ、壁際には大きめの観葉植物が置かれた簡素な空間。自販機の駆動音とコーヒーメーカーが湯を沸かすかすかな音だけが響いている。
二人の同僚が立ち机に肘をつき、向かい合って話をしていた。もっとも、口を動かしているのはほとんど片方だけで、もう一方は気の抜けた相槌を打つばかりであった。
「ね? ひどいよね? 最初にも言ったけどさ、僕が『その店は入ったことないし、注文の仕方もよくわからないから、ちょっと嫌だなあ』って、軽くぼやいただけなんだよ? それなのに、いきなり人格否定の嵐だよ。『はあ? 世界狭っ! いや、信じられないんだけど。ほんと。人生経験乏しすぎでしょ』とか、『無理無理無理無理。情けなさすぎて無理。お母さんのおなかの中に自立心置いてきたの?』とかさ。さすがに言いすぎでしょ」
「はいはい……」
「なんだよ、ちゃんと聞いてよ」
話し込んでいるほう――彼は眉をひそめた。すると聞き手の同僚はわざとらしく大きくため息をついた。
「いや、もういいって、そういうの」
「そういうの?」
「嘘なんだろ」
「え、嘘じゃないよ。本当にひどい女でさ」
「いや、嘘だろ」
「だから嘘じゃないって。逆になんで嘘だと思うんだよ」
「だってさ、普通、相手の言ったことを一言一句覚えてるか? まあ、多少細部が違うにしても、そこまで正確に再現できねえだろ」
同僚は頭を掻きながら、面倒くさそうに言葉を続ける。
「SNSとかでよくあるじゃん。『あいつがこう言ってきたから、こう言い返して黙らせてやった』とか。『その場にいたお姉さんが迷惑客を論破した』みたいなやつ。『拍手喝采』だの『一同感動』だの。やたら細かく書いてあってさ。どんだけ記憶力いいんだよ。録音でもしてたのかって話」
「してたよ」
「だろ? ……え?」
「録音してたよ」
「録音って、その……デートした子との会話を?」
「そうだよ」
「……あっ、ああ。罵倒され始めたあたりから録音したのか。証拠でも残そうって? はは、用意周到だな」
「いや、家を出たときから」
「えっ。いやいやいや……」
「ちなみに、今もしてるよ。ほら、ボイスレコーダー」
「怖っ! え、な、なんで?」
同僚は思わず肩を跳ねさせ、机の上に置かれた小さなボイスレコーダーと、彼の顔とを交互に見た。彼は眉をひそめ、不思議そうに首を傾げた。
「なんで? なんでってなんで?」
「こわ、繰り返すなよ……」
「繰り返すなって、なんで?」
「だからやめろよ! そのレコーダーも切れ!」
「わかったよ。ほら、これでいいでしょ」
彼は小さく息をつき、ボイスレコーダーのスイッチを押した。
「それで……なんでだよ。なんで録音してるんだよ」
同僚は無意識に声を潜めるようにして訊ねた。
「なんでっていうか、別に普通だけど」
「普通じゃねえよ。もしかして、いつも録音してんのか?」
「まあね」
「全然悪びれねえな……。ってことは、おれとの会話も録音したことあんの?」
「あるよ。あ、そうそう君、この前『カピバラは猪の仲間』とか言ってたけど、あれネズミの仲間だからね」
「え? 言ったっけ、そんなこと……」
「言ったよ。先月十七日の午後四時十九分に」
「怖ええよ! お前、それ、覚えてたみたいに言ったけど、聞き直したんだろ?」
「いやあ。ははは」
「なんでそこは濁すんだよ。……はあ、油断も隙もねえな」
「その言い回し、好きだよね」
彼は少し身を乗り出し、笑みを浮かべた。
「え? 別に好きじゃねえけど」
「前にも言ってたよ。二十日前と一週間前にも」
「だから怖ええよ!」
「ああ、あと三か月前にさ、『なあ、知ってるか? ペペロンチーノって暗殺者のパスタって言うんだよ。さっと作れて、さっと食えるからそう呼ばれてるんだってさ』って言ってたけど、あれは間違い。正しくは“絶望者のパスタ”。絶望しているときでもおいしく食べられるって意味と、貧乏で具が少ないって意味らしいよ。暗殺者のパスタは別にあって、スパゲッティ・アッラッサッシーナね。これは――」
「だからやめろって! おれとの会話を聞き直すなよ。普通に記憶力いいのも怖えし……」
「聞き直してないよ。あんなしたり顔で堂々と間違ったうんちく語られたら忘れないよ」
「うるせえな! とにかくお前、二度とおれとの会話を録音するなよ。てか、他にも持ってんじゃねえだろうな。見せろよ、見せ……いや、シャツの下、それ何……?」
彼のシャツを触った同僚は、布越しに妙な硬い膨らみがあることに気づき、反射的に手を引っ込めた。
「これ? 盗聴器。この会話、本部が聞いてるんだ」
「本部……?」
「僕、FBI捜査官なんだよ。この会社には潜入任務で来ているんだ。これまでの会話の分析とさっきの反応を総合して判断した結果、君は完全に白だとわかった。だから協力してほしい。詳しい任務の内容は言えないが、もし断るならこちらとしても相応の対処を検討せざるを得ない。だが協力してくれるなら後に証言してもらうことも含めて証人保護プログラムを適用し、君の今後の生活と安全は保障できるけど、どうする?」
しばしの沈黙のあと、同僚は引きつった笑みを浮かべて言った。
「その保障の話、録音してもいい……?」




