東京大が初めて女子に門戸を開いた日
東京大が初めて女子に門戸を開いたのは終戦翌年の1946年だった。
全入学者898人 そのうち女子は19人でその中に、相川町出身の久保田きぬ子さんがいた。
後に憲法学者となり、
後に立教大学法学部教授、成蹊大学法学部教授、東北学院大学法学部教授。 比較憲法とプライバシーの権威として知られるほか、1961年(昭和36年)から3回にわたり国連総会の日本政府代表代理を務め 国連の日本政府代表を務めたことでも知られている
既に日本女子大を卒業した、この時33歳。彼女が入学式に和装で出掛けると。安田講堂(安田財閥の創始者である実業家・安田善次郎にこう言われた「父兄は2階へ」。
本人は「ショックだった」と語っている。33:歳という年齢のことを考えても
いかに最高学府で学ぶ女性が珍しいものだったといえる
それから75:年たった
2025年度の東京大学一般選抜の女子合格者割合は20.0%(598人)で、2年ぶりに2割を回復。また、学校推薦型選抜では女性が43人と過去最多の割合(約49.4%)を記録した
文部科学省の調査によると医学部合格率は女子が男子をわずかに上回った。データのある13年度以降、初めて女子が逆転した。文科省は「女子への差別的な扱いがなくなったことが大きく影響したのでは」と
差別的な措置が解消されるというのはもう当たり前の話、
あとは妊娠や育児で現場を離れることが問題ともいえる
わざわざ女性であることを強調する{女医〕や{看護婦}という呼び分けは今の時代抵抗を受ける




