【Cruel】この世にふたりだけの夜
狭いベランダの手すりに触れると、アルミ製のそれは氷のように冷たかった。深い紺色に暮れた空を見上げても、東京の灯りはそこに瞬く幾多の星の存在をすっかり隠している。かろうじて一つふたつ、チカチカと白い光を弱々しく放つ彼らに、悠弥はなんとなく自身を重ねて溜め息をついた。
デビューから十日余りが経った今日は、悠弥の誕生日だった。雑誌の取材と次回のテレビ収録の打ち合わせのあとでダンスレッスンがあったが、そのあと、夜は久しぶりのフリーだ。
自宅に戻って猫のカヲルを抱き上げる。淡いシルバータビーのカヲルとは、三年前に実家近くの駐車場で出会った。生後一ヶ月程度とみられる小さな命を抱き上げ、悠弥は動物病院へ走った。それ以来、カヲルは悠弥の最高のパートナーとなったのだ。
カヲルを毛布にくるんで夜空を一緒に見上げながら、悠弥はこの数ヶ月のことを想って部屋を振り返った。そこには悠弥のギターが墓標のようにいくつも立てられている。レイチェルを抜けることになり、Cruelへ移籍するようにと事務所から話があったときは、足元の地面が消えたような気がした。だが、それも自分が決めたことだ。強制されたわけではない。
「俺、今日で十八歳になったよ」
カヲルの首のうしろに鼻をうずめて、あたたかく愛おしい匂いを吸いこむ。
「カヲル、散歩に行こうか」
カヲルは悠弥との夜の散歩が好きだ。誰もいない深夜の街を歩くとき、この世にふたりだけだという気持ちになるのか、悠弥を守るようにその肩で悠然と瞳を輝かせる。カヲルは嫌がるが、悠弥は万一のことを考えてハーネスを装着する。カヲルの毛並みによく似合う、深い赤の布地だ。
コートを着込んでブーツを履く。もう一度部屋の中を振り返り、去年の同じ日を思い出した。ランとリンディが巨大なケーキを用意してくれ、ライブハウスで明け方までギターを弾いた。
「ねぇカヲル、俺って女々しいかな」
ハーネスの金具を背中で留めながら問うと、カヲルは振り向いて首を伸ばし、悠弥のまぶたをそっと舐めた。
「どうでもいいか……。そうだよな、来年の今日がどうなってるかなんてわかんないし、明日のことだってわかんない」
灯りを消さずに、悠弥は部屋を出た。腕に抱かれていたカヲルは、爪を出すことなくするするとコートを登って肩に乗る。気温は低いが、やわらかく吹く風は気持ち良かった。しばらく歩くと、カヲルが「にゃおん」と肩の上で啼いた。
「そっか、俺の誕生日はにゃんにゃんにゃんの日だったよね。おやつ買っていこうな」
深夜スーパーに入るとき、悠弥はカヲルをコートの中にそっと隠した。淡い紫色の髪をした美しい青年の胸が、異様に突き出ている。すれ違う人たちは、こっそりと悠弥の顔を盗み見ながら気まずそうな顔をしていた。
誰もいない悠弥の部屋は、煌々と灯りがついたままだ。そこに置き去りにされたスマホが着信を告げている。悠弥の誕生日を祝おうとする誰かなのか、しかしそれに悠弥が応えることはない。ペット用品の棚の前に屈み、おやつはどれがいいかとこっそりカヲルに訊ねる悠弥は、満ち足りた表情をしていた。




