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『女子高生の方が聖女として優秀ですが、23歳社畜も前向きに頑張ります。』〜低スペックなので魔力操作を最適化したら、いつの間にか王様に溺愛されていました〜

作者: くるり
掲載日:2026/02/04

「……嘘でしょ。定時まで、あと5分だったのに」


まぶしい光が消えたあと、私が最初に口にしたのは祈りでも悲鳴でもなかった。

仕事の納期に対する、心の底からの絶望だった。


足元は冷たい大理石の床。

見上げると、きらきら光るシャンデリアと高い天井。

そして――私たちを取り囲む、豪華な衣装の人たち。


王様。騎士。魔術師。

どう見ても、現代日本じゃない。


「……え? ここ、どこ……?」


私の隣で、制服姿の女の子が震えた声を出す。

短いスカート、華奢な体。どう見ても普通の女子高生だ。


「大丈夫、大丈夫。落ち着こう。ゆっくり息して」


私は自然と彼女の背中をさすった。

23歳、IT企業勤務。

炎上案件と理不尽な仕様変更に鍛えられた私は、こういうパニック対応だけは得意だ。


「二人とも、よくぞ参られた」


玉座に座る王様が、重々しく口を開く。


「我らは儀式によって、この国を救う『聖女』を召喚したのだ」


話を聞くと、この世界は『穢れ』という魔力汚染に苦しんでいて、

それを浄化できるのは異世界から来た聖女だけらしい。


そして――私たちの力を測る時が来た。


陽菜ヒナ:レベル99】

「おお……! なんという神聖な魔力だ!」


美波ミナト:レベル1】

「……えーと。が、頑張りましょう」


周囲の反応が、露骨すぎる。


陽菜ちゃんは伝説級の天才聖女。

私は……レベル1。完全におまけ枠。


普通なら、ここで泣くかキレるかするんだろうけど。


「あの、すみません」


私は手を挙げた。


「一点だけ確認させてください。この召喚、終わったら元の世界に帰れますか?」


王様と魔術師たちは、気まずそうに目をそらした。


「……帰還の魔法は、すでに失われておる。ただし、世界を完全に浄化できれば、奇跡が起こるという伝承はある」


――つまり、保証なし。


(あー、これ完全に“善処します”案件だ)


でも意味は分かった。

この世界を救わない限り、帰れない。


「了解しました」


私は拳を握る。


「陽菜ちゃん。世界をきれいにしたら、帰れるかもしれないって。私レベル1だけど、役に立てるように頑張るから。とりあえずやれるだけやってみよ?」


「……はい! 私、頑張ります!」


彼女の目に、少しだけ光が戻った。


「ほう……」


王様――レオナルド陛下が、初めて私をちゃんと見た。


「レベルは低いが、覚悟は十分のようだな」


(その目、進捗確認する上司と同じですよ、陛下)


こうして私は、

レベル1のまま、異世界のトラブルを片っ端から解決する日々へと踏み出したのだった。





それから数日。陽菜ちゃんは、国宝級の聖女として城の奥義を授かるエリートコースへ。一方の私は、訓練場の隅っこで、新入社員研修(初歩の魔力操作)からスタートしていた。


「ミナト殿、いいですか。魔力は『祈り』です。心に清らかな泉をイメージして……」


教育係の騎士様が真面目に教えてくれるけれど、これがまた、驚くほどしっくりこない。


(……イメージ? 泉? 仕様がふわふわしすぎなのよ。もっとこう、論理的な手順フローチャートはないわけ?)


私が必死に指先から光を出そうと唸っていると、訓練場の隅の木陰から、誰かの視線を感じた。 見れば、マントを翻した陛下――レオナルド様が、こちらを黙って観察しているではないか。


(げっ、進捗確認(進捗)に来たわね。レベル1がサボってると思われたら大変だわ!)


私は慌てて、自分なりの「効率化」を試すことにした。 もともと魔力の出力スペックが低いのだ。祈るだけで出るわけがない。 私は目を閉じ、魔力の流れを「コード」のようにイメージしてみる。


(体内の魔力溜まりをサーバーとして、指先をエンドポイントに設定。祈りじゃなくて、最短ルートをコマンドで叩く!)


「――実行エンター!」


パシュッ。


私の指先から、小さな、けれど驚くほど純度の高い光の弾が飛び出した。


「なっ……!? ミナト殿、今の魔力操作は……?」


騎士様が絶句する。通常、初心者の魔力は拡散して消えるものだが、私のは無駄が一切削ぎ落とされた「最適化」された魔力だった。


「ふふん。魔力量が少ないなら、圧縮してパケット送信すればいいんです」


得意げに鼻を鳴らした私の前に、スッと影が落ちた。


「面白いことをするな。パケット、とは何だ?」


「へ、陛下!?」


いつの間にか近づいていたレオナルド陛下が、私の手元を興味深そうに覗き込んでいた。その瞳は、陽菜ちゃんを見る時の「崇拝」とは違う、もっと泥臭い、未知のものへの「好奇心」に満ちている。


「いえ、その……祈るよりも『経路を整理する』方が、私には合っているようで」


「経路か。他の聖女は皆、神への愛を叫びながら魔力を垂れ流す。だが君は……まるで見えない糸を一本ずつ丁寧に解くように、魔力を扱っているな」


陛下はそう言うと、土まみれの私の手を取り、しげしげと眺めた。 社畜生活でささくれ立った私の指先。でも、今は訓練のタコができ始めている。


「……陽菜嬢の輝きは確かに眩しい。だが、ミナト。君のその、一滴の魔力も無駄にしまいとする『ひたむきな合理性』。それは、誰にでもできることではない。私は、嫌いではないぞ」


(……え。今、さりげなく褒められた?)


褒められ慣れていない社畜の心臓が、少しだけ納期前とは違うリズムで跳ねた。


「あ、ありがとうございます! よし、やるモチベーション上がりました! 陛下、私、もっと効率的な浄化コードを開発してみせます!」


「ははは、コードか。よく分からぬが、期待しているぞ」


陛下が愉快そうに笑って去っていく。 その後ろ姿を見送りながら、私は思う。


(レベル1だけど、このプロジェクト、意外とやりがい(ホワイト)かもしれないわ!)





「ミナトさぁん……うぅ……っ」


一日の訓練が終わる頃、

豪華な聖女専用の待機室から、陽菜ちゃんが泣きながら飛び込んできた。


レベル99。

今やこの国の希望そのもの。

でも――中身は、まだ17歳の女の子だ。


連日の儀式、休みのないスケジュール。

そして、周囲から浴びせられる「期待」という名の重圧。

彼女の心は、限界ぎりぎりだった。


「どうしたの、陽菜ちゃん」


私はタオルを首にかけたまま、彼女をソファに座らせる。


「あの……神官様たちが……『もっと光を!』『清らかな心で!』って……」


声を震わせながら、陽菜ちゃんは続けた。


「私、必死にやってるのに……自分が人間じゃなくて、ただの浄化装置みたいに思えてきて……」


涙が、ぽろぽろ落ちる。


(あー……これはある。現場の状態を見ずに「もっと頑張れ」しか言わないやつ。完全に炎上案件だわ)


「陽菜ちゃん、聞いて」


私は彼女の目線に合わせて、ゆっくり言った。


「神官様たちの言葉はね、『仕様書に書いてない追加要望』みたいなもの。全部真に受けてたら、心が壊れちゃうよ」


「……仕様書?」


「要するにね、80点取れてたら十分。残りの20点は、私が埋めるから」


私は笑って、彼女の頭を撫でた。


「レベル1でも、バグ取りくらいはできるんだから」


陽菜ちゃんは、少し驚いた顔で私を見てから、小さく息を吸った。


「……ミナトさんは、怖くないんですか?

私、失敗したらこの国の人たちが……って思うと、眠れなくて……」


「怖いよ」


私は即答した。


「でもね、一人で全部背負うのは設計ミス。陽菜ちゃんが倒れたら私が支える。私たちが無理なら、陛下がなんとかする」


私は肩をすくめる。


「チームプレイでしょ?」


「……はい」


陽菜ちゃんが、やっと笑った。


「良い考えだ。責任の分散、というやつか」


「うわっ!? 陛下!?」


いつの間にか、レオナルド陛下がそこに立っていた。この人、本当に足音がしない。


「ミナト。君は力だけでなく、心も守っているのだな」


陛下は、陽菜ちゃんを見てから、私に視線を向ける。


「レベル1が、レベル99を支える。

……君を『おまけ』などと言った者たちは、見る目がなかった」


陛下の手には、甘い焼き菓子の皿があった。


「陽菜嬢、少し休むといい」


そして、私には別の杯を差し出す。


「これは君の故郷の“こーひー”に似た茶だ」


一口飲むと、徹夜明けに飲んだブラックコーヒーみたいで、でもずっと優しい味がした。


「……苦いけど、温かいです。最高です」


「そうか」


陛下は、静かに微笑む。


「君が陽菜嬢を守るなら、私は君を守ろう。どんな問題も、私が盾になる」


(ちょ、待って。23歳社畜の心臓に、そのセリフは負荷高すぎ……!)


顔が一気に熱くなる。


隣では、焼き菓子を頬張った陽菜ちゃんが、ニヤニヤこちらを見ていた。


レベルは低い。

でも、この世界での私の居場所は――

確実に、少しずつ広がっていた。





「ミナトさん、あの……最近、訓練の時に視線を感じるというか……」


お茶の時間のあと、陽菜ちゃんが、もじもじしながら切り出した。

苺みたいに赤くなった頬を見て、私は内心で身構える。


(おっと? これは……新しい案件、発生かしら)


話を聞くと、彼女の護衛を務める若き近衛騎士・カイル様が、訓練中にとても優しいらしい。


躓けばすぐに手を差し伸べ、「大丈夫ですか、聖女様」と、まるで大切な姫君を扱うように声をかけてくれるのだという。


「私が失敗しても、怒らないんです。『聖女様も一人の少女です。無理をなさらないでください』って……」


――はい、完全に好感度カンスト案件。


「それ、すごく素敵な人じゃない!」

私は思わず拳を握った。

「陽菜ちゃん、その気持ち、大事にしていいと思うよ」


「は、恥ずかしいです……!」


顔を覆う陽菜ちゃん。

でも、その指の隙間から見える笑顔は、どう見ても嬉しそうだった。


(そうよね。聖女でいる前に、一人の女の子なんだもの)


「よし。恋の進捗管理は私に任せて」

私は胸を張る。

「陽菜ちゃんは、聖女のお仕事と恋に集中して。バックアップは万全にするから」


「ミナトさん……! 本当に、頼りになります!」


キラキラした目で見つめられて、私は内心で照れる。


(23歳。恋の経験値は低めだけど、根回しと環境調整だけは無駄に得意なのよ)


――と、その時。


「……ミナト。君は他人の幸福には、本当に目ざといな」


聞き覚えのある声に振り向くと、

少し離れた場所に、レオナルド陛下が立っていた。


(また出現してる……この王様、私の周囲に常駐してない?)


「へ、陛下! これは、その……

陽菜ちゃんの福利厚生、というか、メンタルケアでして……」


「ほう」


陛下は私の隣に腰を下ろし、

泥だらけの靴と、走り回って乱れた私の髪に目を向ける。


「自分の訓練を切り上げて、飲み物を用意し、彼女が安心するまで影で見守る。それを君は『福利厚生』と呼ぶのか」


呆れたようで、でも楽しそうな声だった。


「だって陛下。あんなに頑張ってる子、応援しないわけないじゃないですか」


私は肩をすくめる。


「前の職場でも、後輩の有給を通すために、上司と何度も戦いましたし」


「……くくっ」


陛下が、堪えきれずに笑った。

その声は、王のものというより、年相応の青年のものだった。


「失礼。君がここまで私利私欲と無縁なのが、可笑しくてね」


そして、少しだけ真剣な声になる。


「ミナト。君が陽菜嬢を守るなら、私は君が倒れないよう、そばで見ていよう」


ぽん、と頭に置かれる大きな手。

その温もりに、心臓が小さく跳ねる。


「……陛下。

私、レベル1ですし、まだまだ役不足ですけど……」


「ああ。君のペースでいい」


陛下は穏やかに微笑んだ。


「誰かを応援して笑っている君を見ていると、私は救われる気がするのだ」


(……陛下、その優しさ全振りの笑顔は、23歳社畜の心臓に負荷が高すぎます……!あ、陛下って何歳なんだろう、……そのうち聞いてみよう)


陽菜ちゃんを全力で応援する私。

そして、そんな私を温かく見守る陛下。


恋の矢印が静かに交差する中、

私は頬の熱を「夕焼けのせい」にして、

再び陽菜ちゃんの恋の進捗チェックに戻るのだった。





「いい、陽菜ちゃん。今日のカイル様との街歩きは、本番みたいなものよ。

緊張して固まったら、私のこの合図――赤いハンカチを振るから、深呼吸して。いい?」


「は、はいっ! ミナトさん、失敗しないように頑張ります!」


陽菜ちゃんは気合十分で、カイル様の待つ城門へと向かっていった。

今日の私は、街娘風の地味な服に着替え、気配を薄くする魔道具まで身につけている。


(よし、ここから様子を見守ろう)


私はカフェのテラス席の影に身を潜め、二人の後ろ姿を追った。

並んで歩くだけで絵になる二人に、思わず頷く。


(……うん、相性は文句なし)


陽菜ちゃんが照れて俯くたび、

(そこ、顔を上げて……!)

と、心の中で必死にエールを送る。


「……君は、聖女として働いている時より、ずっと真剣な顔をしているのだな」


「わっ!? 陛下!?」


耳元で低く甘い声がして、私は思わず飛び上がった。

振り返ると、マントを深く被ったレオナルド陛下が立っている。


「陛下……どうしてここに?」


「君が何やら面白いことをしていそうだったからね。

……そんなに前のめりだと、二人に気づかれるぞ」


「あ……!」


二人がふと振り返りそうになり、私は慌てて身を引こうとして――

足元の石につまずいた。


(あ、転ぶ……!)


そう思った瞬間、強い腕に引き寄せられ、

気づけば私は陛下の胸にすっぽり収まっていた。


「……危ない」


低く落ち着いた声。

陛下の腕が、私の腰をしっかりと支えている。


「あ、あの……陛下。近いです……!」


「今動けば、確実に見つかる」


そう囁かれ、私は抵抗できず、陛下の肩に顔を埋める形になった。

耳のすぐ近くで、規則正しい鼓動が伝わってくる。


「……ミナト。

君は人のことはよく見ているのに、自分のこととなると随分と無防備だな」


「……う、努力します」


それが精一杯の返事だった。


視線の先では、陽菜ちゃんとカイル様が笑い合い、

自然に手を繋いで人混みに消えていく。


(陽菜ちゃん、おめでとう……)


その瞬間、陛下の腕が、まだ離れないことに気づいた。


「せっかくだ。

このまま少し、街を歩こうか」


逃げ場のない距離でそう言われ、

私の心臓は、さっきから落ち着く気配を見せなかった。


どうやら今日一番振り回されたのは、

私自身だったらしい。





結局、腰に回された陛下の腕は解かれることなく、

私たちはそのまま賑やかな通りを歩くことになった。


「あの、陛下。もう二人の姿も見えませんし……この、ええと……そろそろ離していただいてもよろしいでしょうか」


「断る。人混みではぐれたら、私の視察が台無しだからな」


(……この王様、意外と強引だわ)


陛下は平然と言い放ち、私の手を引いて路地裏の小さな店へと入った。

焼きたてのパンの香りが漂う、地元の人に愛されていそうな店だ。


「ほら、これなどは君が好きそうだろう。

故郷の味に似ていると言っていた、少し苦味のある木の実が入ったパンだ」


差し出されたパンを頬張ると、香ばしい風味が口いっぱいに広がる。


「……おいしい。陛下、よく私の好みをご存じですね」


「君の話は、つい覚えてしまうだけだ。……ミナト、他にも何か気になることはあるか?」


その優しすぎる眼差しに、私はつい、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問を口にしてしまった。


「……あの、一つだけ。陛下のご年齢を伺ってもいいですか?

ほら、その……今後のことを考える上で、というか……」


「私の年齢か?」


陛下は意外そうに目を丸くし、それから小さく笑った。


「二十七だ。君から見れば、ずいぶん年上に思えるか?」


(二十七……!

二十三の私から見て、ちょうどよすぎる大人……!)


「いえ、その……落ち着いていらっしゃるので、三十代かと」


「ははは。王という立場上、背伸びをする癖がついただけさ。

……だが、君の前では、ただのレオナルドでいたいと思っている」


そう言って、陛下は私の指先についたパン屑を、ためらいもなく拭った。


「……っ!」


「ミナト。二十七の男が、ここまで一人の女性を気にかけている。

……その意味を、君なりに考えてみてはくれないか?」


(考えたくない! 考えたら心臓がもたない!)


「そ、それは……陛下がお兄ちゃんみたいな存在で、突然召喚された私たちを気遣ってくださっているというか……」


(だめだめ、これは甘い空気じゃない。

相手は陛下。そういうの、考えちゃだめ)


「……やれやれ」


陛下は困ったように笑いながら、それでも私の髪を優しく撫でた。


「その鈍感さは、我が国の城壁より堅牢だな。

だが、今はそれでいい」


夕暮れに染まる街を見つめながら、陛下は続ける。


「この視察が終わる頃には、もう少し違う答えを聞けることを期待しているよ」


夕焼けの中の横顔が、あまりにも格好良くて。

私はパンを喉に詰まらせそうになりながら、必死に高鳴る鼓動を落ち着かせるのだった。





「……ミナトさん、聞こえますか!? 見てください、あの空!」


幸せいっぱいの街歩きのはずだった陽菜ちゃんの悲鳴が、王都の喧騒を切り裂いた。

見上げた空に、青を引き裂くような黒い筋が走り――次の瞬間、巨大な鳥型の魔物

《穢れのシャドウ・ウィング》が、防壁を越えて侵入してくるのが見えた。


「くっ、迎撃が間に合わなかったか……!カイル、陽菜嬢を連れて避難を!」


「陛下、しかし――」


「いいから行け! 騎士としての職務を全うしろ!」


変装をかなぐり捨て、王の顔に戻った陛下が叫ぶ。

私たちは陽菜ちゃんのもとへ走り、広場で足を止めた。


「だ、ダメです……!あの魔物、街の人たちを狙ってる……。私が……私が浄化しなきゃ……!」


けれど恐怖のせいで、陽菜ちゃんの魔力は安定していない。

光は暴れ、火花のように散るばかりで、このままでは暴走してしまう。


「陽菜ちゃん、落ち着いて!」


私は陛下の制止を振り切り、彼女の前に立った。


「ミナト!? 下がれ、君は――」


「陛下、今だけは聞いてください!」


私は叫び、陽菜ちゃんの両手をぎゅっと握る。

泥だらけの手。でも、不思議と震えてはいなかった。


「陽菜ちゃん、私の目を見て。……今から、あなたの大きな力を私が『ルート』になって支えるわ。あなたはただ、私を信じて、その力を全部私に預けて!」


レベル1の私には、魔物を吹き飛ばすような強い力はないけれど。

でも、バラバラに溢れ出そうとする力を一本の束にまとめ、正しい場所へ導く事なら、この数日間の訓練で叩き込んだからいけるはず。


(陽菜ちゃんの力を私が受け止めて、一点に絞り込む……! 逃がさない、絶対に!)


私は陽菜ちゃんの震える手を、壊れないように、けれど力強く握りしめた。


「力の出口を一つに絞るよ。……陽菜ちゃん、今! 放して!!」


「――ああああああっ!!」


解き放たれた光が、私を通って一本に束ねられ、

鋭い閃光となって空を貫いた。


迷っていたはずの膨大な魔力が、無駄なく一直線に走り、

魔物の核を正確に撃ち抜く。


ギャアアアッ――!


耳を裂く叫びとともに、黒い翼は塵となって消え去った。


「な……なんだ、今の……

儀式より、はるかに正確だ……」


呆然と呟くカイル様。

その隣で剣を構えていた陛下が、信じられないものを見るような目で私を見つめていた。


「ミナト……。

君は本当に、数字だけでは測れない奇跡を起こすな」


「はぁ……はぁ……。

……なんとか、間に合いました……」


膝が崩れそうになった瞬間、

陛下の腕が、今までよりもずっと強く私を抱きとめた。


「見事だ。

だが、ここから先は――私の役目だ」


陛下が剣を抜いた瞬間、空気が震えた。

王としての威圧と力が、街全体を覆う。


残った魔物は、一閃。

まるで最初から脅威などなかったかのように、消え去った。


その背中を見つめながら、私は思う。


(……だめだ。

本気の王様、格好良すぎて直視できない……)


陽菜ちゃんはカイル様に支えられ、

二人で手を取り合いながら、ほっとしたように微笑んでいる。


レベル1の社畜。

でも、大切な人たちと一緒なら――

この理不尽だらけの異世界も、案外悪くないのかもしれない。





王都に侵入した魔物はすべて消え去り、街には静寂が戻った。

けれど私は、広場の高い時計塔に登り、城壁の向こうを見て――思わず声を漏らした。


「……うわぁ……」


城壁のすぐ外、暗い森の奥。

そこには、赤く光る無数の目が、こちらをじっと見つめていた。


(……これ、王都だけ守っても意味がないやつだ)


一度倒しても、また湧いてくる。

そんな気配が、ひしひしと伝わってくる。


「ミナト、顔色が悪いぞ」


隣に立ったレオナルド陛下が、私の肩をそっと支えた。


「無理もない。あれだけの無茶をしたのだ。今は休め」


けれど、私は首を振る。


「違います、陛下。

あれ……また来ます。森の奥に、もっと大きな“元”があるはずです」


陛下は、ゆっくりと息を吐いた。


「……気づいたか。

ああ、その通りだ。王都を囲むあの森は、すでに穢れの巣と化している。

騎士団を出してはいるが、数が多すぎて、追いつかないのが現状だ」


苦い声音。

どれほど強い王でも、四方から溢れる脅威を一人で止め続けることはできない。


(……よし)


私は、ぎゅっと拳を握った。


「陛下、提案があります。

陽菜ちゃんと一緒に、森の浄化作戦を立てましょう。

私は……その“流れ”を考えます。どうすれば、無理なく、確実に終わらせられるか」


「ミナト」


陛下が、私の名を呼ぶ。


「君はまだ戦うつもりなのか?

聖女としてではなく、ただの異邦人として、静かに暮らしてもよいのだぞ」


陛下の指先が、私の泥のついた頬に触れた。

その温かさに、胸の奥がじん、とする。


「……陛下」


私は、視線を逸らさずに答えた。


「元の世界で私は、“誰にでもできる仕事”を淡々とこなすだけでした。

でも、ここでは……陽菜ちゃんに頼られて、陛下に見守られて」


言葉を選びながら、続ける。


「自分が誰かの役に立ってるって、初めて思えたんです」


そして、少しだけ笑う。


「だから、この国がちゃんと綺麗になるまで、私は帰りません。

……この仕事、最後までやらせてください」


一瞬、陛下は目を見開いた。

それから、堪えきれないように喉を鳴らして笑い、私の額に自分の額を軽く当てた。


「……まったく。

レベル1のくせに、これほど頼もしい相棒を得るとはな」


「えへへ。期待に応えられるよう、頑張ります」


「ああ、期待している。

――ただし、無茶は許さん。夜通し働くなど論外だ」


陛下はきっぱりと言う。


「君の体調管理は、私が引き受ける」


その腕に抱かれながら、私はもう一度、森の奥を見据えた。





「……陛下。森に入って一匹ずつ倒すのは、あまりにも非効率です」


遠征を前に、私は机いっぱいに地図を広げ、深呼吸してから言った。


「もっと確実で、犠牲の少ない方法があります。森そのものを、丸ごと浄化しましょう」


「……丸ごと、だと?」


騎士たちがざわめく。当然だ。前例のない話なのだから。


「はい。陽菜ちゃんの聖力を“核”にして、森全体に薄く、でも切れ目なく魔力を巡らせます。

魔物を追うんじゃない。――居場所そのものを、なくすんです」


私は指で、地図の要所をなぞった。


「この地点、この地点、そしてここ。騎士団に立ってもらい、魔力を中継する役を担ってもらいます。

魔物がどこから現れても、必ず浄化の流れに触れるように」


「待て」


重い声で、陛下が制した。


「それは、陽菜嬢に過剰な負担を強いる作戦だ。森全体に力を流し続けるなど、彼女の身がもたん」


その言葉に、私は一瞬だけ口を閉じた。――それは、私自身が一番分かっている。


「……だからこそ、私が必要なんです」


私は、ゆっくりと陛下を見た。


「陽菜ちゃんの力を、無駄なく、暴れさせずに使う。“強さ”じゃなく、“流し方”で勝つ作戦です」


騎士たちの視線が、私に集まる。レベル1の、頼りない異世界人。


「正直に言います。私が前に出て魔物と戦うことはできません。でも――」


私は、胸に手を当てた。


「誰かが“倒れる前提”の戦い方は、もうやめたいんです。陽菜ちゃんを、英雄として消耗させたくない。

騎士の皆さんを、使い捨てみたいに前に出したくない」


静まり返る部屋。


「だから、仕組みで守ります。森に入る人間が、できるだけ傷つかないように。失敗しても、立て直せるように」


少しだけ、声が震えた。


「……それが、私にできる戦い方です」


私は一度、地図から手を離した。それから、陽菜ちゃんの前に立つ。


「……陽菜ちゃん」


名前を呼んだだけで、胸が少し苦しくなる。


「この作戦、正直に言うね。あなたに、一番負担をかける」


陽菜ちゃんが、驚いたように目を瞬かせた。


「長時間、聖力を出し続けることになるし、もし集中が切れたら、全部が止まる。……怖いと思う」


私は、深く頭を下げた。


「ごめん。あなたを“動力”みたいに扱う作戦を考えて」


室内が、しんと静まる。


「ミナトさん……」


陽菜ちゃんは、慌てて立ち上がり、私の前に来た。


「顔、上げてください」


私はゆっくりと顔を上げる。


「私、確かに怖いです。失敗したらどうしようって、今でも思います」


そう言って、彼女は小さく息を吸った。


「でも」


彼女は、私の手をぎゅっと握った。


「ミナトさんが一緒に考えてくれた作戦なら、“一人で全部背負え”って言われてない気がするんです」


私は、言葉を失った。


「今までは、『聖女なんだからできるでしょ』って言われるばっかりで……でも今回は、『無理だったら止めよう』『支える人がいる』って、ちゃんと分かる」


陽菜ちゃんは、少しだけ照れたように笑う。


「だから、大丈夫です。私、ミナトさんを信じてます」


胸の奥が、じんわり熱くなる。


「……ありがとう」


私は、握られた手を、そっと握り返した。


「絶対に、無理はさせない。

あなたが『やめたい』って言ったら、どんな途中でも止める」


その様子を、黙って見ていた陛下が、静かに口を開いた。


「それを、王として約束しよう。

陽菜嬢の身に危険が及ぶ前に、私が判断する」


陽菜ちゃんは、少し驚いたあと、深く頷いた。


「……はい。よろしくお願いします、陛下」


三人の視線が、自然と重なる。


この作戦は、

誰かを犠牲にするものじゃない。

支え合って成り立たせるものだ。


私は、改めて地図を見下ろした。


(……大丈夫。このチームなら、きっと)





作戦の要となる装置を開発するため、陛下は王宮直属の魔道具工房に、国中からプロフェッショナルを集めた。

作業場に顔をそろえたのは、ひと癖もふた癖もありそうな面々だ。


「聖女一人に、あれほどの魔力を流させ続けるなど、理論的に無謀です」


眉をひそめたのは、理論至上主義の老魔術師・ガストン。


「へっ。いくら聖具を打とうが、そんな出力に耐えられる素材なんざねぇよ」


腕を組み、鼻を鳴らすのは、頑固一徹なドワーフ職人のバルドだ。


その傍らで、若い研究員が控えめに口を開く。


「で、でも……回路を分けて重ねられれば……」


議論は、早くも平行線だった。


「――そこまでだ」


張りつめた空気を切り裂いたのは、陛下の凛とした声だった。


「この計画は、聖女一人の奇跡に頼るものではない。我が国の技術を総動員して成し遂げる、国家プロジェクトだ」


そう言って、陛下は私の背にそっと手を添えた。


「そして、設計の責任者は――ミナト。彼女の指示に従え」


一斉に向けられる、疑念の視線。

私はごくりと唾を飲み込んだ。レベル1の私が、この道のプロたちをまとめる役目だ。


「……まず、問題を整理させてください」


私は、なるべく落ち着いた声で話し始める。


「ガストン様は“理論的に負荷が大きすぎる”ことを心配していて、バルド様は“道具が耐えきれない”とおっしゃってますよね?」


二人は短く、「……そうだ」とうなずいた。


「じゃあ、発想を変えましょう。全部を完璧に、壊れないように作るのはやめませんか?」


「何だと!?」


「壊れやすい複雑な部分は、最初から交換前提にするんです。

本体はとにかく単純に。完璧を目指すより、壊れてもすぐ直せる形を重視しましょう」


老魔術師は腕を組み、考え込む。

ドワーフ職人は、口の端をつり上げた。


「……ほう。修理前提ってわけか。悪くねぇ」


若手研究員も、ぱっと顔を上げる。


「それなら、予備の回路を用意できます!」


工房の空気が、一気に前へ進み始めた。


そして私は、最後に一つだけ、強く念を押した。


「もう一つ、絶対に入れてほしい仕組みがあります。

陽菜ちゃんの魔力に少しでも異変があったら、即座に全部止まる安全装置です」


ガストンが渋い顔をする。


「だが、それでは浄化の効率が落ちる。途中で止まれば、隙を生むぞ」


「それでもです」


私は、迷わず答えた。


「人が壊れないことが最優先です。

彼女に無理をさせて成し遂げても、それは成功じゃありません。

“全員が生きて帰る”。それが、この作戦の条件です」


工房に、静かな沈黙が落ちた。


その沈黙を破ったのは、陛下の低く、力強い声だった。


「異論は却下だ。これは命を守るための道具だ。

ミナトの考えこそが、我が国の進むべき道である」


王の言葉に、職人たちは一斉に頭を下げた。


「御意!」


数日後。

完成した魔道具は、鈍い銀色の光をたたえた、無駄のない姿をしていた。


「名付け親は、設計責任者だな。ミナト、何と呼ぶ?」


促され、私は少し考え、そっと装置に触れる。


「……《聖環導器・ルミナス》。

みんなの力を繋いで、光を導く……そんな意味です」


「いい名だ」


陛下は静かにうなずいた。


「この名は、この国を救った希望として、長く語り継がれるだろう」


レベル1の私が、この世界に刻んだ確かな“名前”。

それは、聖女の奇跡よりもずっと泥臭くて、温かい――

みんなで作り上げた、努力の結晶だった。





作戦当日。

王都の北に広がる「穢れの森」を前に、張りつめた空気が漂っていた。


「配置、完了しました」


私の合図とともに、森の各所に散った騎士たちが、次々と合図の煙を上げる。

彼らの役目は、剣を振るうことではない。

陽菜ちゃんの聖力を受け取り、森の隅々まで行き渡らせるための“支点”になることだった。


「……ミナトさん、始めます」


陽菜ちゃんが、私の隣で静かに目を閉じる。

私はそっと、彼女の背に手を添えた。


「大丈夫。私がずっと隣で、流れを見てるから」


その言葉に、彼女は小さくうなずく。


次の瞬間、陽菜ちゃんの体から、澄んだ白い光があふれ出した。

それは、これまでのような激しい閃光ではない。

静かで、深く、大地に染み込んでいくような光だった。


(……来た。ここからが、私の役目)


私は意識を集中させ、陽菜ちゃんの魔力の流れに寄り添う。

強すぎるところはなだめ、滞るところはそっと押し流す。


目には見えないけれど、私の中には森の全景が浮かび上がっていた。

一本一本の木、転がる岩、湿った土の感触まで。

それらが、光の糸で少しずつ結ばれていく。


「……陽菜ちゃん、右側を少しだけ抑えて。

そう、カイル様のいる方へ……ゆっくりでいい」


私の声に導かれ、光は森全体をやさしく包み込んでいった。


すると――

森の奥から響いていた魔物の不気味な咆哮が、光に触れた途端、かすれた吐息のような音に変わる。

そして、静かに、跡形もなく消えていった。


剣を抜く騎士は、一人もいない。

ただ立っているだけで、森は少しずつ、かつての緑を取り戻していく。


「……信じられんな」


隣で見守っていた陛下が、思わず息を漏らした。


「呪われた森が……洗われていくようだ」


陽菜ちゃんの額に、うっすらと汗が浮かぶ。

私は彼女の負担を減らすため、さらに意識を研ぎ澄ませた。


(あと少し……森の最深部まで、もうすぐ……)


その時だった。


森の奥、ひときわ濃い闇がうごめき、

空気を引き裂くような咆哮が響いた。


「グオオオオオオッ!!」


すべての穢れの源。

森の主――巨大な影が、ついに姿を現したのだ。


「陽菜ちゃん、そのまま!

今は攻めないで、流れを保って!」


焦って力を集中させれば、ここまで築いた仕組みが崩れる。

私は、叫ぶように指示を飛ばした。


レオナルド陛下は、私の横を静かに通り過ぎた。


その歩みに迷いはなく、剣を握る手にも力みはない。

けれど、一歩踏み出すごとに、空気そのものが変わっていくのが分かった。


「……下がっていろ、ミナト」


それだけ言って、陛下は森へ向かう。


光に満ち始めた森の中で、陛下の姿だけがはっきりと際立って見えた。

白い聖光が道を作るように左右へ分かれ、まるで森そのものが王を通そうとしているかのようだった。


巨大な影が、奥でうねる。

穢れの主が、侵入者を睨みつけるように咆哮を上げた。


それでも陛下は、歩みを止めない。


黄金の剣を肩に担ぎ、王冠も外套もない、ただ一人の戦士として。

だが、その背中には、王都すべての命を背負った重みがあった。


次の瞬間、剣が振り下ろされる。

一閃。


轟音とともに、地面を覆っていた闇が押し返され、

王の前に、一直線の道が切り拓かれた。


陛下は、その道を迷いなく進んでいく。

騎士も、聖女も、誰一人として並び立つことはない。


王が、王として最前線に立つ――

ただそれだけで、戦場の中心が定まった。


私はその背中を、息を詰めて見送った。


(……行った)


森の奥へ消えていく黄金の光を見ながら、

私は改めて理解する。


あの人は、「守る者」ではなく、「すべてを背負って、最も危険な場所へ行く者」なのだと。



巨大な影が、王の接近を拒むように黒い触手を無数に伸ばした。

地面を這い、空を裂き、まるで森そのものが生き物のように蠢く。


けれど――


陛下の剣が閃くたび、闇は抵抗する間もなく切り裂かれた。

黒は霧となり、霧は光に溶ける。

それは戦いというより、「否定」だった。

この場所に、お前の居場所はない、と告げるような一太刀。


「陽菜ちゃん、出力を今の三割増しに!陛下が踏み込むための“道”を、光で固めて!」


声が少しだけ震えた。怖いのは魔物じゃない。この光の向こうで、陛下が傷つく未来だ。


「はいっ!!」


陽菜ちゃんの声は、迷いがなかった。

彼女の聖光が広がり、腐った沼は白く洗われていく。

陛下はその上を駆けた。重力も、恐怖も、躊躇も置き去りにして。


――最深部。


森が息を止めた。


「これで、終幕だ」


静かな声。

けれど、その一言に、王都の歴史と責任と覚悟がすべて詰まっていた。


陛下が剣を正眼に構えた瞬間、《ルミナス》が震えた。


私の設計。

陽菜ちゃんの光。

騎士たちの配置。

職人たちの技術。


全部が、王の剣へと流れ込む。


「……お願い。届いて」


祈るように呟いた、その瞬間。


――ドォォォォォォン!!


世界が、光で裏返った。


衝撃波に吹き飛ばされそうになりながら、

私はただ、目を閉じて耐えることしかできなかった。


そして。


静寂。


恐る恐る目を開くと、そこには終わった後の世界があった。


濁っていた空気は澄み、

森は、ただの森に戻っている。

小さな花が、足元で揺れていた。


「……終わった?」


陽菜ちゃんが、その場に座り込む。

私も、足の力が抜けて、膝が笑った。


森の奥から、足音。


一人の男が、ゆっくりと歩いてくる。剣を納め、息を整え、それでも微塵も揺るがない背筋。


レオナルド陛下。


「陛下……!」


呼んだ瞬間、視界が滲んだ。安堵と、緊張と、全部が一気に溢れた。


次の瞬間、抱き寄せられる。


鎧の冷たさと、体温。

強い腕。

逃がさない、でも壊さない力。


「……お疲れ様、ミナト。

君の計画は、完璧だった」


その一言で、

私の中で何かが切れた。


「……怖かったんですよ……」


小さな声が、勝手に零れる。


「もし失敗したら、とか誰か死んだら、とか陛下が……戻ってこなかったら、とか……」


陛下の腕が、少しだけ強くなる。


「……すまない。だが、君がいなければ、私はここへ辿り着けなかった」


心臓の音が、耳元で重なる。生きている音。


遠くで、陽菜ちゃんが手を振っている。「大成功ですよー!」と。


(……ああ)


「公私混同では?」

そう返した私の声は、自分でも驚くほど震えていた。


陛下は私を抱きしめたまま、その腕にほんの少し力を込める。

鎧越しに伝わる体温が、ついさっきまで戦場だったはずの森の静けさを、ひどく甘い空気に変えていく。


「公私混同、大いに結構だ」


低く、迷いのない声。


「私は王として、君の『知恵』を欲する。そして、一人の男として、君の『心』を求めている。……これ以上に効率的で、合理的な契約があるか?」


「……契約って。陛下、そういう言い方は、ちょっと」


「嫌いか?」


陛下はゆっくりと体を離すと、今度は私の泥だらけの両手を、逃がさないように包み込んだ。

その瞳に宿っているのは、王都を統べる冷徹な王の眼差しではない。

ただ一人の返事を待つ、年相応の青年の、不安と期待が混じった光だった。


「ミナト。君は言ったな。『誰かを犠牲にする設計は嫌だ』と」


私の胸が、きゅっと締めつけられる。


「ならば、君が元の世界へ帰ることで、私という一人の男に、一生癒えぬ穴を残すことも……君の設計思想に反するのではないか?」


「……っ。そんなの、詭弁です」


「詭弁でも構わない」


陛下は、はっきりと言い切った。


「私は、君のいない未来を『承認』するつもりはない」


そう言って、陛下は私の指先にそっと唇を落とす。

訓練でできたタコ。

ささくれ立った指。

現代日本でキーボードを叩き、この世界で泥にまみれた――私の戦いの痕跡を、慈しむように。


「……ずるいですよ。そんなの、想定外です」


私は俯き、陛下の胸に額を預けた。

頭の中で、元の世界の「定時」や「納期」、冷え切ったコンビニ弁当の味が、霧の向こうへ溶けていく。


あちらへ戻れば、私はまた「代替可能な存在」に戻るだろう。

でも、ここでは。


「……わかりました。受けます」


「……本当か?」


「はい。ただし、条件があります」


私は顔を上げ、陛下を真っ直ぐに見つめた。


「まず、今回の作戦の完了報告書を、きちんと作ること。それから、王妃の公務に有給休暇を導入すること。あと……」


「あと?」


少しだけ、息を吸う。


「陛下のその、全人類を惑わせるような笑顔。

私以外には、見せちゃだめですよ。……独占禁止法には、意外と詳しいので」


一瞬、陛下はきょとんと目を瞬かせた。

それから、今日一番――いや、これまでで一番、晴れやかな声で笑った。


「承知した。その条件、すべて一言一句違わず、私の生涯をかけて守り抜くと誓おう」


再び重なった唇は、森を抜ける風よりも温かく、

私の新しい「履歴書」の最初の一行を書き換えていく。


レベル1の社畜。

最大で、最後で、そして永遠に続く大型案件。


――納期のない愛の日々が、今、ここから始まった。



≪エピローグ≫


王宮の庭園。

やわらかな陽光が降り注ぐガゼボで、私は陽菜ちゃんと向き合っていました。


「……ミナトさん、見てください!カイル様から、これをいただいたんです!」


嬉しそうに差し出されたのは、彼女の瞳と同じ色をした魔石のペンダント。

かつて、周囲の顔色をうかがって泣いていた少女の面影は、もうありません。


レベル99の力に振り回されるのではなく、自分の足でこの世界に立つ――

そんな強さを宿した、凛とした笑顔でした。


「まあ、素敵ね。……でも陽菜ちゃん、これって、ただの贈り物じゃないわよ?

意匠が“婚約の守護”を意味する、伝統的な形だもの」


「えっ!?そ、そうなんですか!? てっきり“お疲れさまギフト”だと……!」


真っ赤になって慌てる陽菜ちゃん。

その背後から、苦笑いを浮かべたカイル様が現れました。


「ミナト殿、お手柔らかに。

……その意味を伝えるのは、もう少し彼女が大人になってからにするつもりだったのですが」


そう言って彼は、陽菜ちゃんの隣に腰を下ろし、ごく自然に肩へ手を置きます。

かつての「聖女と護衛騎士」という距離感は、もうどこにもありません。


「陽菜。君を元の世界へ帰してあげられなかったことは、

一生かかっても償いきれないと思っている。……だが」


彼は、まっすぐ前を見据えて続けました。


「君がこの国にいてくれるなら、私は命に代えても、君の“日常”を守る」


「カイル様……」


見つめ合う二人。

(……はい、ごちそうさまです。これは確かに、砂糖過多)


私は冷えた紅茶を一口啜り、あえて軽く問いかけました。


「ところでカイル様。陽菜ちゃん、レベル99ですよ? もし夫婦喧嘩でもしたら、お城が半分くらい吹き飛びそうですけど……対策は?」


一瞬だけ言葉に詰まり、しかし彼はすぐに微笑みます。


「問題ありません。彼女が怒る理由を、私が作らなければいいだけのことです」


そして、静かに続けました。


「それでも魔力が溢れた時は――

ミナト殿が設計したあの回路で、私の想いとして受け止める覚悟です」


「……騎士様の愛情、出力上限に達してません?」


「ミナトさんっ! 変なこと言わないでください!」


ぽかぽかと胸を叩く陽菜ちゃん。

カイル様は、嬉しそうにそれを受け止めていました。


ふと視線を上げると、ガゼボの入口に陛下が立っています。


「カイル、陽菜嬢。……あまり私の婚約者を困らせないでくれ。彼女は今、披露宴の最終確認で忙しいのだ」


「あ、陛下。見守り体制、万全ですね」


私は陛下の手を取り、立ち上がりました。


「陽菜ちゃん、カイル様。私たち、ここに来てすぐ“大きな役目”を背負わされたけど……

これからは、自分たちの幸せを一番にしていいんだよ」


「……はい、ミナトさん!」


力強く頷く陽菜ちゃん。


私たちはもう、召喚されたおまけでも、兵器でもない。

この世界で愛し、愛され、生きていく――その当事者なのです。


「さて、ミナト。工程表の確認が終わったら、少し休もうか。君の言っていたハネムーンの行き先も決めないと」


陛下の腕に導かれながら、私は青く澄んだ空を見上げました。


レベル1の社畜が、異世界で手に入れた最高のライフワークバランス。


この物語に「完了」の文字は必要ありません。

だって私たちの未来は――

今まさに、静かに更新され始めたばかりなのですから。

いい人しかいない物語を書きたくなりました。

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