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ラジオの解説者が、「A高校のピッチャーは、初回こそ乱れましたけど、その後は立ち直りましたね」と解説した。
「そうすると、A高校としては初回の失点が悔やまれますね」
バスは豊中インターを過ぎて、少し距離を走った。
試合は、5回にA高校の攻撃となった時、最初のバッターがファーボールで出塁した。バスの中で拍手と歓声が起こった。並走しているトラックの運転手も拍手した。
次打者は、初球をバントした。
「おや、3点差があるのにバントで送って来ましたよ。どういう事ですか?」
「A高校のピッチャーが立ち直って来たので、投手戦になると読み、1点ずつ返していこうという作戦のようですね」
「なるほど。1点ずつ返して、投手戦に持ち込もうという訳ですね」
しかし次のバッターはキャッチャーフライに打ち取られた。
「これでツーアウトになりました。B商業はこのピンチを凌げるでしょうか」
ラジオの実況中継は、電波の指向性のせいか時々聴き取りにくくなった。生徒たちは息さえ止めて耳に神経を集中させた。
アナウンサーが興奮して喋った。
「……まわった、まわった」
美鈴はそこだけが聴き取れた。
「なになに? どうしたの?」
その声を珠江は手で遮った。
「ライトがまわり込んでバックホームした。……、頭から滑り込んだ。セーフだ、セーフ」
バッターがセカンドの頭を越えるライナーを打った。ライトがまわり込んで打球を抑え、振り向きざまに返球し、セカンドがバックホームした。二塁ランナーは迷うことなく、三塁をまわってホームに滑り込んだ。バックホームの球が逸れて、そのあいだに打者は二塁にまで達した。
「A高校、ツーアウトから1点を返しました。なおも二塁に走者が進んでいます。A高校の反撃が始まりましたね」
アナウンサーの声がクリアに聴こえて事情が分かると、バスの中は大歓声となった。
「B商業は外野が前進してきましたね。ヒットを打たれても本塁でアウトにするつもりですね」
「なるほど。外野の守備位置だけが前進していますね」
カーン! 打球音と共にボールがセンターに抜けていった。
「ヒットだ。センターに抜けた。ランナーは走っていた。三塁をまわった、まわった……」
全員が静かになって、ラジオを聴いた。
「……、セーフ、……セーフだ」
「セーフ? 点が入った?」
誰かが聞いていた。
「A高校、また点が入りました。3対2。1点差になりました」
次のバッターは、三振に終わり、チェンジとなった。
「A高校、5回の裏に反撃。2点を入れて、3対2。1点差まで詰め寄りました」
ラジオに夢中になっているあいだに、バスは少しずつ進んでいた。
そのとき、担任の携帯から着信音が流れた。担任は、電話に出て小声で話し込んだ。
「校長。卒業生から電話があって、彼らは自家用車で甲子園に向かっているのですが、尼崎インターで降りたそうです。いま国道43号線を走っているそうですが、ぜんぜん混んでないそうです」
「なんだって? 渋滞してないのか!」
「そうらしいです」
校長は迷った。このまま高速を行くべきか、尼崎インターチェンジで降りるべきか。
「校長、このまま高速を行くべきです。下道を走って、もし間に合わなければ問題になります」
「校長! 尼崎で降りましょう」
担任が強く迫った。
「よし! 尼崎で降りよう。運転手さん、尼崎で降りてくれないか」
「それは出来ません! 観光バスの場合、運行日程から外れた路線は走れません」
「私が責任を取る。尼崎で降りてくれ!」
「分かりました。責任は取って下さいよ」
「各バスに連絡してくれ! 全車尼崎インターで降りるように伝えてくれ」
担任と教頭が各バスに連絡を始めた。清原教頭は、責任は校長にあり、自分はあくまでも反対した事で満足していた。