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バスは、少し動いたかと思うと、すぐに停まった。
「試合開始まで、すこし時間がありますよね」
教頭は、不安を取り除いて欲しくて、誰に言うでもなく言った。
「グランド整備に時間を取ると思います。それでも30分くらいです」
「どっちにしろ、このままでは試合開始に間に合わないな」
有田校長は観念したように言った。
吹田で渋滞してから、小一時間が経過した。時刻は13時17分だった。
校長は、田淵に
「高校野球連盟の電話番号は調べられるか?」
と問いただしてみた。
「簡単です。ちょっと待ってください」
田淵は、高野連の電話番号を校長に教えた。それを校長は自分の携帯で掛けた。
校長が電話を掛け終えると、清原教頭が身体を乗り出して様子を伺った。
「如何でしたか?」
「熱中症対策のため、試合は予定通り14時30分に開始されるそうだ」
それを聞いた清原教頭は深くため息をついて、座席の背もたれに身体を預けた。
バスがゆっくりだが、動き始め、生徒たち全員が拍手をし、歓声をあげた。
「その調子だ! 走れ! 走れ!」
しかしそれもつかの間、またバスは停まってしまった。生徒たちの落胆が声になってバスの内部に充満した。
14時になって、甲子園ではノックが始まった。サイレンが鳴り、先攻のB商業高校がノックを始めた。ものの十分でノックは終わり、今度はA高校がサイレンと共にノックを始めた。両校のノックが終ると、またグランド整備が行われた。
ラジオの実況が、間もなく試合が始まる事を伝え、解説者を紹介した。
「第三試合は春夏通じて初めての甲子園出場のA高校と、今年で20回出場のB商業との対戦です。今回の試合の見どころはどこでしょう?」
「そうですね。実力ではB商業に軍配は上がりますが、A高校は奇跡のような勝ち方をして甲子園にやって来ました。その運の強さが甲子園でも生かされるかどうかでしょうね」
「岐阜県大会では、ミラクルA高校と呼ばれましたね」
「そうです。奇跡の逆転をしたり、相手チームがエラーをしたり、それで勝ち上がって来ました。もちろん実力もありますよ。いくら運がよくても、ある程度、実力がないと甲子園までは来られません」
「さあ、間もなく14時30分です。両校の選手たちがベンチの前で一列になって待ち構えています」
審判団が出て来て、両校の選手たちが掛け声と共に飛び出して来た。ホームベースの前で一礼すると、A高校のナインがグランドに散らばった。
ピッチャーが規定投球練習を終えると、B商業のトップバッターが打席に入った。
「A高校のピッチャーが振りかぶりました。第一球を投げました」
アナウンサーの実況と、遠くでサイレンの音が流れた。
「とうとう始まっちゃったね」
珠江は残念そうに言った。
バスは、まだ豊中インターチェンジを越えていなかった。
高層ビルがバスを威圧するように見下ろしていた。美鈴は、都会の匂いを感じ取っていた。バスはゆっくりと確実に進んでいた。だがその速度では、甲子園に間に合わなかった。
「トップバッターはファーボールで一塁に歩きました」
「初めての甲子園でピッチャーは緊張しているようですね。コントロールが定まっていません。B商業としてはここで一気に得点したいところです」
ピッチャーは、2番バッターもファーボールを出してしまい、強打者の3番バッターに初球を右中間に大きな二塁打を打たれた。走者二人がホームインして、B商業は2点を先制した。
ラジオの実況が聴き取りにくかったこともあって、美鈴は状況が呑み込めなかった。
珠江を見ると、鼻先で両手の指を固くからませて目を閉じていた。
「どうなったの?」
「2点取られた」
珠江は、目を開けて素っ気なく言った。
B商業の4番バッターがまたファーボールで一塁に歩いた。5番バッターは焦ったのか、セカンドゴロでダブルプレイになった。
「やったー!」
珠江が握り拳を天井に揚げて叫んだ。
「えっ、どうなったの?」
「ダブルプレイでツーアウトになった」
美鈴は、よく分からなかったが、A高校が有利になったと思って、手を叩いた。だがピッチャーが暴投して、三塁ランナーがホームインした。次の打者はポップフライを打ち上げて、やっとB商業の攻撃は終わった。
「応援に間に合わなかったから、3点取られたんだ!」
珠江は自分を責めるように言った。