表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

 夏休みだというのに、渡会美鈴は朝八時に登校した。

 校舎には「県岐阜商工 甲子園出場おめでとう」という手書きで不格好な垂幕が垂れ下がっていた。甲子園出場が決まってから、美術部員が急遽、拵えたものだった。

 グランドでは、すでに野球部員たちが練習をしていた。その様子を、ネット裏の地元の人たちが見学していた。こんな光景は今までにない事だった。

 教室で、生徒たち全員が登校すると、担任が口を開いた。

「これから募金活動と、卒業生への寄付金の手紙を書く者とに別れて活動してもらう」

 担任は、教卓に分厚い卒業生名簿をドサッと置いた。

 渡会美鈴は、ちまちました宛名書きよりも、募金活動に手をあげた。そのほうがアクティブで楽しそうに思えたからだった。

 だがそれは甘い考えだった。炎天下の中、一軒ずつ寄付金を募る作業だった。

 美鈴は、クラスメイトの鷲見珠江と、任された地区を一軒ずつ訪問した。強烈な陽射しと、灼けたアスファルトからの照り返しで、歩くたびに汗が噴き出した。

 青々とした田んぼの県道を歩くと、熱い風が渡って来た。空にはトンビが輪を描いて飛んでいる。

 美鈴と鷲見珠江に宛がわれた区域は三十軒くらいのものだったが、田舎の事なので一軒ごとの距離が長かった。三、四軒、訪問するたびに、涼を求めて木陰に入った。少しは涼しくなったが、木々のあちこちから鬱陶しいほどの蝉いきれが降り注いだ。

「暑い! これだったら教室で宛名書きしていたほうが良かった」

「選択を失敗したね」

「留守も多いね」

「みんな農作業に出てるのかなぁ」

 やっと在宅の農家に出会ったと思ったら、

「校長先生がJAに来て寄付してくれ、と言ったからそっちで寄付したよ」

 と、その老人は答えた。

 その農家を出ると、珠美はため息をついた。

「こんなんやっていても、誰も寄付なんかしてくれないよ。まわった事にしてどこかで時間を過ごさない?」

 確かにJAで校長の手がまわっているとなると、農家からの寄付は期待できない。美鈴たちの努力は虚しいものになる。

「でも、まわるだけまわってみようよ」

 美鈴は、朝から練習をしていた野球部員たちの事を思った。

 やっとノルマの半分をまわって、美鈴は父親の本家筋の家の近くに来た。彼女の祖父母や兄にあたる伯父の家族たちが住んでいた。美鈴は、尻尾を激しく振って歓迎する柴犬に挨拶したあと、ためらう事なく築二百年になろうとする屋敷に入った。古民家の中はひんやりとして、二人は太陽の直射から逃れられたし、汗がひいてゆくのが感じ取れた。

「こんにちは!」

 美鈴は玄関の土間から叫んだ。

 何回か叫んだとき、土間の奥のほうから、祖母があるいてきた。

「おやおや、誰かと思ったら美鈴ちゃんじゃないか。どうしたんだい」

「高校の野球部が甲子園に出る事になって、寄付を集めに訪問してるの。お祖母ちゃん、寄付してくれない?」

「甲子園に行くんだってね。この町で初めてだって?」

「そうなんよ。甲子園なんて誰も予想してなかった。A町の奇跡だって言ってる。お祖母ちゃん、寄付してよ。まだ一軒も出来てないんだ」

「まあまあ、とにかくキッチンに来て、冷たいものでも、お上がり」

 キッチンは、エアコンが効いて涼しかった。美鈴と珠江は、祖母が入れてくれた麦茶を一気に飲み干した。

「ああ、生き返ったわ」

「もう一杯飲むかい?」

「いただきます」

 珠江は空のグラスを祖母に差し出した。祖母は、そのグラスに麦茶を注ぐと、奥の部屋に消えた。しばらくして戻って来ると、一万円を美鈴に渡した。

「これはお祖母さんのヘソクリだ。じいさんには内緒だぞ」

「こんなにもらっていいの? 大金だよ」

「孫が甲子園に行くんだ。これくらいは寄付しないと、ね。それにあの世にお金を持って行けん」

「お祖母ちゃん、ありがとう。お土産買って来るね」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ