第6話 マナー違反
「第1章 永遠と須臾の煌めき」
の中の「第1幕 転生諸変」
の中の「第6話 マナー違反」です
欧州風の家に土間と竈とかいう、あまりにも衝撃的な事実からは一時的に目を逸らし、そこで火にかけられている料理に着目してみる。
うっすらと白い湯気が立ち上る鍋の中には、色とりどりの野菜がとろみのある白いスープに煮込まれていた。シチューだ。
「ちょっと待っててな。」
母上殿は俺を座面がかさ増しされた椅子に座らせると、底の浅い皿にシチューを盛り付けに行った。
「さっき部屋を出るときに“私が作る”なんて言ったけど、実はこれ昨夜クロックが作ってくれたものの残りなんだ…あ、いや、別に私が料理下手なわけじゃないぞ?クロックに任せた方が楽だからそうしているだけだ。そもそもクロックの料理のレシピは私が書き込んでいるんだしな。」
別にそんなことは考えてすらいないのだが、母上殿はこちらが反応する前に言葉を重ねた。
「…しょーいえば、ぉえぁあぃしゅであしゃんのこてょぁんてぉんでぇぁいーの?」
「別に、好きに呼んで構わんぞ?お母さんでもお袋でも母上でも名前でも、呼びやすいのがあればそれでいいさ。」
彼女はさっきと同様に、こちらを見ることなく答えた。
「んぅ…じゃー、おかーさん。」
「そうかい。」
言葉少なな返答とは裏腹に、わずかに見えるお母さんの顔はニヤついている。
先ほど俺が娘になった時と同じ、全身から喜びのオーラが湧き出ている。そしてやはりこちらも嬉しい気持ちにさせられる。
「さぁ、できたぞ。自分で食べるか?それとも私が食べさせようか?」
「ぢぶんで、ぁってみゆ。」
口角が降りきらないうちに配膳されたのは、お母さんと同じシチューと黒いパン、それと薄くスライスされた何枚かの干し肉だ。
薄く湯気が立ち上るシチューからは実にいい香りがする。
入っているのはニンジン、イモ、タマネギ、ブロッコリー、それと鶏肉のようだ。
まずはスープ。とろりとしたそれを、スプーンにすくって口に運ぶ……旨い。
鶏のうま味と野菜の風味を感じ、後からシチュー特有の甘みがやってくる。
前世でもシチューは好物だったが、俺はより素材の味を感じられるこちらのシチューの方が好きかもしれない。
次鋒はニンジン。その鮮やかさに目を引かれての選出だ。
こちらは塊が大きいので、スプーンで上手く赤ちゃん一口サイズにしてからGO。
しっかりと煮込まれているのか、貧弱な赤ちゃんの舌の力だけでも潰すことができる。
「んぅ…」
「どうした?」
「んぅん。」
潰すこと自体はできたのだが、結構なエグみを感じた。
予想外なことに驚いたが、考えてみれば若返った影響で味蕾が復活していて、味覚が敏感になっているのかもしれない。
食べられないわけではないので、そのまま飲みこむ―――
「!?けほっ、けほっけほっ…けほっ…」
「おいおい、ホントにどうしたんだ…」
―――ことができず、飛び散るニンジンだったもの。
嚥下の際、無意識に任せていたせいで飲み損ねてしまった。貧弱な自覚はあったが、まさか咽るなんて…
小さくなったことからくる影響についてはハイハイの時に痛感したので、この先他にも色々不便な思いをするだろうとは思っていたが、こうも食事にダイレクトに来るとは思わなんだ。
「んぜだ…けほっ…」
「…もう苦しくないか?」
「ん…ごめん、ぁざ、けほっ」
「構わん、仕方のないことだ。」
食べ物を無駄にし、噛み砕いたものをぶちまけて相手に不快な思いをさせたことに意気消沈する俺。
食事のマナーに関しては前世で厳しく教えられていたので、たとえお母さんが許そうが自分が許せない。今後同じようなことは二度としないよう、肝に銘じる。
対してお母さんは俺がぶちまけた瞬間も慌てるようなことはなく、席を立った後は俺の背中を撫でながら粛々と後片付けをしていた。さすがである。
「…まだ食べられるか?」
「ぅん、もうむしぇない。」
俺が意気込むと、お母さんは笑って答えた。
「気をつけてな。」
「ん。」
再び口に運ばれるニンジン。今度の嚥下は、無事成功した。
「ん、ちゃんとできたな。」
「ぅん。」
こんなに小さなことで褒められるのは恥ずかしいというか、こそばゆいというか…だが褒められるのが嬉しいのは事実だ。
それから嚥下の度に気を張っていたのもあったのか、食べ終わるころには抗えがたい眠気がやってきたので、食卓に突っ伏してそのまま眠ってしまった。
***
Side アリステラ・フロライン
ベビーベッドで寝息を立てる赤ん坊。本日晴れて娘となったミオだ。
この家のすぐそばの森の中に捨てられていたのを私が拾ったのだが、この子は白髪の狐族であるだけでなく迷い人でもあるらしい。
一歳前後の体に10代の精神が宿っているような状態だという。
しかし腹が膨れ、暖かい日差しの中で寝る姿は肉体年齢相応のようだ。
かわいらしいその寝顔を見ながら、優しく頭をなでた。
「…ふふっ」
『僕も子供は好きだけど、相変わらず君も大概だね。』
そこに、少年のような声が頭に響いた。
毎度思うが、私に魔力の励起すら感じさせずに念話を使うなんて規格外にもほどがあると思う。
(起きてたのか…まぁ、そうだな。子供は好きだ。)
昔からだ。それこそまだこいつにも出会う前、まだ普通の町娘だった頃から。
『あそうそう、アレさぁ、君もわかってるとは思うけど多分あんまりもたないよ?それなのにいいの?この子を育てるとか言っちゃって。』
彼の懸念は最もだ。アレのせいで、魔女である私にとっての血液ともいえる魔力は凝り固まる一方。
奈落に続く穴は、私を飲み込もうと確かに広がり続けている。
(分かっている。だが少なくともこの子が成人できるまではもつだろうし、心配はいらん。)
『それだってギリギリだろう。そもそも成人したての娘が母親の―――』
(母の意地をなめるな。この子がこの世で生きていけるようになるまでは、絶対にもたせてみせる。)
『…ふーん、そうかい。っで、僕が一番聞きたいのは―――』
彼の声音が興味なさげなものに変わったと思えば、再び身を乗り出すように切り出した。
しかしこれは今までに幾度となく交わされた会話だ。当然、続きも分かる。
(継がせるかどうかか?まだそれを判断する段階じゃない。まぁ、可能性はゼロではないと言っておこう。)
『僕の話を、遮るな!一度ならず二度までも!僕は寛容だから一度目は見逃したが、二度目はそうはいかないぞ!』
本気で怒っているわけではないのだろう。プンスカ、と効果音が出ていそうだ。
(すまんすまん、だが返答はさっき言った通りだ。)
『…ったく。ま、僕にしてみれば15年なんて君にとっての一週間と大差ないからね。気長に待たせてもらうよ。』
(そうしてくれ。)
『それじゃあ僕はまたしばらく寝るから。ばいばーい。』
(はいはい。)
…どうやら、この子の将来を楽しみに思っているのは、私だけではないらしい。昼前の暖かさの中、いつか大人になるミオの将来に思いを馳せる。
あとがき
本筋の方は日常パートでしたが、Sideでまたまた情報が解禁されましたね!
魔女様と親しげに話すこの声の正体は?“アレ”とは一体何か?これらについて語られるのはもう少し先の話になりそうです。
次回、魔女様の過去がちょびっと明らかに…!