第33話 母
第1章 永遠と須臾の煌めき
第2幕 千載三遇
第33話 母
2025/09/13
細部各所の表現を変更
頭を握りつぶされ、胴は所々で引きちぎられ。その命を今度こそ完全に絶やした大蛇の骸は、立ちつくすドラゴンの体からぼとぼとと剥がれ落ちていく。
『はぁ…はぁ…はぁ…』
対して勝者となったドラゴンは、先ほどまで噴出していた橙の魔力が鳴りを潜め、首と肩の深刻な噛み傷、そこから広がる致死性の神経毒、全身に空いた穴と失血に、その立ち姿はもはや倒れる寸前である。
『はぁ…はぁ……そこに、居るのだろう…人間。』
凛とした女性の声が頭に響き、背筋が凍る。
(バレていた!?あれだけの戦闘の最中で、ただ見ていただけの私に気付いたって!?何の冗談だよ!?)
『害意は、無い。悔しいが、もはやこの身に、其方を害するほどの力は、残されていない…時間も、同様だ。最後に、其方へと託したい、モノが、ある……はぁ…はぁ…』
その声音には、言葉通り敵意や殺意は感じられない。それに、高潔なドラゴンが死に際の腹いせに、私をだまして殺そうなどという器の小さなことをするとは思えない。
(最大限警戒はしておこう…)
1km。ちょっと本気で身体強化を使えばこの程度、1分もかからない距離だ。
私は倒れる水臨樹の残骸を飛び越えながら、龍の眼前へとやってきた。
『我は、紅龍ヴァルグリス。白髪の、狐族の…娘。名を、聞きたい。』
「ミオ・フロライン…です。」
近くで見上げたドラゴンは、圧巻の一言である。
20m近い巨体は言わずもがな、クリムゾンレッドに輝くまだ無事な鱗、太く鋭い牙、大蛇に穿たれた傷、そこから流れ出す大量の血液。こちらを見据える黄金の瞳。
どう見ても虫の息で、死の瀬戸際にあるはずなのに、その身から発せられる雰囲気は夏空のように清いままだ。
『ミオ。其方に、託すのは…我の、最初にして最後の、子である。』
「子供?もしかして、近くに?」
子連れを狙われて森の中に子供を隠したのだろうか?しかし戦いが終わっても傷だらけの母親に駆け寄って来ないとは、いったいどういう…
『否。まだ、我が子袋の、中よ。』
「えぇ!?」
お腹の中ということは、卵!?龍の卵と言えば、どの分野でも喉から手が出るほど欲しがられる正真正銘のお宝では!?
『我はもう、もたぬ。我が骸から、子を、取り出し…代わりに、母と、なってもらいたい。』
唖然とする私に、龍は続ける。
『その、代価に…我が骸を、差し出す。鱗を、剥ごうが、牙を、抜こうが…はぁ……好きに、するがいい。』
私の驚きは加速する。
ドラゴンは誇り高き種族だ。ゆえに己を利用されることを最も嫌う。それは死後の体も例外ではなく、同族の装備を身に着けた人間を見て襲いかかるドラゴンも居るほど。それが自ら対価に差しだすなんて、前代未聞もいい所だろう。
「そんな、いいのですか…?」
『ただし、我が子を、育てるという誓いを…破れば、我が怨念を以って呪う。そうなれば、死ぬまで…我が、同族に…狙われ、続けることに、なるだろう。』
「いっ、いやいやいや!龍の子を育児放棄なんて、そんなことしませんよ!」
『…まぁ、よい……我は、そろそろの、ようだ………後は、頼むぞ…狐族の、娘よ…』
言い終えると龍は膝をつき、そのままうつぶせに倒れ込む。大きな音と土埃を立てて伸びたその体に、もう生気は感じられなかった。
卵と報酬の貴重性に気を取られつい引き受けてしまったが、本当に私に育てられるのだろうか…?
…いや、もうその段階にはないんだ。覚悟を決めて、育て上げなきゃならないところまで来ている。
「……任せてください。その覚悟を受け継ぎ、この命に代えても遺志を全うすると誓います。」
子を守るため壮絶な戦いに身を投じ、その命の灯火を以って守り抜いた一頭の母親の亡骸を前にして、私は胸に手を当て、心の底から追悼の意をささげた。
いつの間にか晴れていた空は陰り、遠雷が鳴り響く。私が祈りを終えるころには、ぽつぽつと雨が降り始めていた。それはまるでこの顛末を見届けた神が、彼女のために涙を流しているかのようでもあった。
***
Side アリステラ・フロライン
ミオを戦場へと送り出してから数時間。窓の外はすっかり大荒れで、屋根を叩く雨音が室内にも響いていた。
この雨はなにか不吉な予兆なのではないか、そんな考えが頭をよぎる。しかし私が浮足立ったところで意味は無いと考え直し、再び本へと視線を戻した時だった。
ドアが開く音が耳に入り、目線がそちらを向く。
「おぉ、お帰り。遅か、った…ってお前、それ…!?」
目立ったケガもなさそうで、無事なミオの姿に安心したのもつかの間。その後ろについてきた”液化魔力”の中身に驚かされる。
白い殻に赤いまだら模様。火属性の液化魔力をぐんぐん吸い取りながら、波打つ鼓動のように淡くオレンジに発光するその特徴は、いつか見た紅龍の卵そのものであった。
龍の卵。それはいくら金があっても、欲したからと言って手に入るものではない。
錬金術師には伝説の秘薬の素材として、魔獣使いには最強の相棒として、王侯貴族には権威の象徴として、そして商人には無類の価値を持つ商品として。ありとあらゆる者たちが、喉から手が出るほど欲しがる品だ。
「…ただいま。」
「何か収穫があるだろうとは、思っていたが…まさか龍の卵を拾うとは…!もしや、死に際のドラゴンに託されたのか?」
「うん。この子を守るために、戦った母親から……ねぇ、お母さん。私、絶対にこの子を育てたい。ヴァルグリスさんの遺志を継ぐって、約束したんだ。どうしたら、いいかな…」
ドラゴンの育成。しかもまだ卵としても完成していない段階のものとなると、私にも経験が無いほどの珍事だ。
しかしこの子の期待を裏切ることなど出来ない私は、持てる知識を総動員して彼女に助言を与えることにした。
「ドラゴンは卵を温める時、常に大量の魔力を与える。そして孵化したとき、己に宿る魔力と同じもの…つまり自分に魔力を与えた者を親として認識する習性があるという。すぐに液化魔力の中に入れたのは良い判断だっただろう。このまま魔力を切らさないようにしていればいいと思うが……すまない、私も初めての状況でこれが正しい判断だとは断言できない。あとは天に祈ることしか出来ないというのが正直なところだ…」
「…ううん。分かった。あとは、私が頑張るよ。」
どうやら少なくとも、ミオを落ち着かせることはできたらしい。その表情からは焦りが消え、覚悟に満ちた顔になっていた。
だが例え孵化できたとして、ミオにその先も育てることができるのだろうか?母としての責任の重みに耐えられるのだろうか?
…いや、それは私が思慮するところではない。それは彼女が結果として出すべきものだ。
「…その卵がどれだけ魔力を食うか分からないが、しばらく魔力欠乏症になる可能性があるから安静に。食事はクロックに運ばせるから部屋で食べなさい。私の魔力回復薬も持って行かせよう。」
「ありがと」
「無事に孵化できることを、祈っているぞ。」
「うん」
ここから先、知識の無い状態で下手に手を出せばどうなるか分からない。今は、祈ることしか…
(どうか、彼女の覚悟と努力が、報われますように…)
Side END
あとがき
母であったヴァルグリスさん、新たに母となる主人公、娘を見守る魔女様。三人の母と二つの卵が織りなす一話でした。
最近はなんだか異様に筆が進むので、書きたいことだけ書いて読者の皆様が置いてけぼりになっていないか少し心配です。何かご不満があれば、遠慮なくおっしゃって下さい。
次回、託された卵の命運や如何に!
~蛇足~
卵を託された主人公はまず卵を摘出。どうするか困ったため、ドラゴンは魔力を糧にするという話を信じて液化魔力で包み込みました。
そのあと彼女の骸を解体し、
龍兜:
硬質、巨大化した一枚鱗。顔面上部全てを覆い、生え変わらない。非常に固い。
龍角:
全部位中最も硬くほとんど加工不可能なため、一般に形はそのままに持ち手を付け、騎士槍として用いられる。
龍牙:
固く、強く、折れない、割れない、曲がらない。その上で比較的加工が容易な万能素材。大きなものは剣や短剣に。小さなものはアクセサリーなどに加工される。
翼膜:
特殊な技術を用いずとも加工可能で極めて耐久性が高いため、冒険者などのよく旅をする者たちの外套として重宝される。
龍爪:
極めて鋭く、魔力を通せば大抵のものをいともたやすく切り裂く。牙と同じく武器となることが多い。
龍鱗:
ある程度の魔力を遮断する特性を持ち、摩耗、衝撃、斬撃に強い。その上高い靭性と軽量さも併せ持つ最高の素材。
龍血:
万病に効くと言われるが、そんな効能は一切ない。ただし錬金術の素材としては最高のものであり、最上位の秘薬の調合には必要とされる場合が多い。
龍肉:
一口食べれば十年寿命が延びると言われるがそんなことは一切なく、肉質は非常に固い。しかし適切な処理を施せば極上の食肉を化す。舌の上でとろける龍肉はうま味を爆発させ、一度食べたら忘れられないという。
龍骨:
全部位中最も魔力の伝導率が高く、魔力が通っているかどうかで強度が変わる。周囲の魔力を整える効果があり、小さなカケラを肌身離さず持つだけで”魔力硬化症(徐々に魔力が凝り固まり、いずれ死に至る不治の病)”の予防、悪化防止に効果がある。
龍玉:
龍の魔石。全ての力の源。圧倒的な魔力容量を持ち、それは同ランク帯の魔物のものを寄せ付けないほど。魔道具の動力源としてこれほど優れるものは他になく、あらゆる国が戦略物資として狙っている。
この”十龍宝”と呼ばれるの素材のうち、龍肉を除いた九つを”虚界門”の中に入れ、大蛇とともに魔法で灰も残さず火葬しました。
~蛇足 おわり~




