第2話 あるゥ日♪森の中♪
「第1章 永遠と須臾の煌めき」
の中の「第1幕 転生諸変」
の中の「第2話 あるゥ日♪森の中♪」です
2025/06/15
細部各所の表現を変更
「フシュウゥ、フシュウゥ……グルルルル…」
往々にして悪い予感とはよく当たるものだが、今回もその例に漏れず的中してしまったようだ。
足音の正体は小山の如き熊だったのだ。
しかも毛皮の一部は赤黒く濡れているように見える。それに気付いたと同時に、むせ返るような鉄の匂いが鼻腔を突いた。
「ひっ」
今まで嗅いだことがないほど濃密な血の臭い。あまりにも痛烈な臭いと恐怖にめまいがし、吐き気がこみ上げ、目には涙が滲む。
思わず漏らした悲鳴が聞こえてしまったのか、新しい生傷に左目を潰された熊の顔が俺を見る。
(し、死ぬっ…嫌、嫌だッ!死にたくないッ!!)
実際のところ、死ぬこと自体にはそこまでの忌避感は無い。
ただ俺の意識が消滅するだけのことだ。別に心残りというほどのこともないのだから、恐れる理由もない。
だが苦しむのは別だ。
痛いのも、苦しいのも嫌だ。死ぬのならば苦痛なく死にたい。
想像してみてほしい。獣が獲物を狩るときの、狩られる側の苦痛を。牙、爪、角、毒、打撃、圧力…苦痛をもたらす方法は多岐に渡るが、大抵の場合は意識が途絶える瞬間まで地獄のような苦しみを味わうことになるだろう。
だからこそ俺は尋常じゃないほど怯えていた。
極度の緊張で呼吸は浅くなり、視野は暗く狭まる。
完全にこちらに気付いた熊はのっしのっしと足を引きずりながら寄って来ている。
恐怖の高まりは際限を知らない。
「はっ、はぁッ…ハッ、はっ、はぁッ」
「グルルルル…」
正に蛇に睨まれた蛙。
立ち上がれば5mは固い熊に至近距離でのぞき込まれ、全身の筋肉は硬直し呼吸すらまともにできない。食いつかれるまではもう秒読みだ。
(せめてっ、せめて食うのならっ出来るだけ早く仕留めてからにしてくれッ!)
人生最後にして最大の祈りに目を閉じようとした、その瞬間。
ドカアアァンッ!!!!
突如熊の右脇腹から爆炎の花が咲き、その爆風で熊は左側に、俺は真後ろに向かって吹き飛ばされた。
おもちゃのように飛んだので受け身をとることなど当然出来なかったが、運良く落ち葉が溜まった場所に突っ込み事なきを得た。
酷い耳鳴りがする中、衝撃で反射的に固く閉じていた瞼を薄く開くとこちらに駆け寄る人影を認める。
何か言っているような気がするが判然とせず、そのまま俺の意識は暗闇へと落ちてしまった。
***
チチチチ……チチチ…
やけに近く感じる鳥の囀りで意識が浮かび、顔に当たる光で自然と目が覚める。
(早く支度を…って―――)
「―――んぇ?」
目線の先にあったのは見慣れた白い壁紙ではなく、綺麗な木目であった。
しかし記憶を掘り返してみてもこんな天井に見覚えはない。
「ん、目が覚めたか。」
混乱に思考がフリーズしたところに掛けられた声は、こちらも全く聞き覚えのない女性のものだ。
反射的にそちらを見ると…
「…らぇ?」
「え?」
そこに座っていたのは長身の女性だった。
絹のような細さと艶のある長い紺の髪、夜に輝く明星を思わせる金の瞳。
厚めの白いシャツに、紺のオープンバストコルセットと海〇社長のコートが合体したようなものを重ね、白のパンツに身を包んでいる。
手には直前まで読んでいたらしいハードカバーの分厚い本が口を開けていた。
しばらくお互いに呆けていると、女性の方が素早く再起動したらしく口を開いた。
「あー、えっと…とりあえず目が覚めて良かった。その……もしかして、君は言葉が話せるのか?」
「らんぇ?…あぇ?あんらぉえ?」
(何でこんな赤ちゃんみたいな―――えっ、しかも体まで…って―――)
「―――ぁあ!!」
「うぉ!?何だ!?」
(そうだ!俺森の中で赤ちゃんに、ってか死にかけて…そうだッ!)
「るま!ぅまはっ…!?」
記憶のパズルが組みあがり、瞬間的に全てを思い出した俺は半ばパニックになって周囲を見渡す。
体は恐怖に震え、動悸がし、呼吸が浅くなっていく。
だがここは屋内だ。
窓から入った陽光がレースカーテンで拡散し、部屋全体が柔らかい光に照らされている。
俺は肌触りが良くていい香りのするシーツの上に居て、外からは鳥のさえずりが聞こえた。
あの時の血生臭い悪臭もしないし、耳にこびりつくような低いうなり声もしない。もちろんあの恐ろしい熊なんてもってのほかだ。
「馬?馬なんてウチには…あぁ熊か!アレは私が駆除した。ここは私の家だ。強力な結界を張ってあるから、怯えることはない。」
「ぅじょ?…ぉんろぃ?」
「ああ、間違いない。だから安心していいぞ。あ…いや、えーっと、駆除はした。それに間違いはないんだが、実は謝らなければならないことがあるんだ。」
しゃがみこんだ彼女は俺と目線を合わせ、言い聞かせるように頷いた。かと思えば視線をそらし、困ったように頬を掻く。
「すまない。覚えているかは分からんが、あの時の爆破魔法は私が撃ったんだ。そのせいで君は吹っ飛んで…そのまま気絶してしまった。あの場所に留まる訳にもいかないから、家まで運んで看病していたんだ。本当に、申し訳ない。」
膝に手をつき頭を下げる女性。
俺はその様子を見てようやく危機が去ったことを認識した。どっと安堵が押し寄せ、思考がまともに回り始める。
「いぃ。むぃろ、らぅえれうぇれ、あぃがと。」
「…あぁ、どういたしまして。」
彼女は納得したようで、困り笑いを浮かべている。
うむ、あそこで彼女が割って入っていなければ俺に為す術はなかったからな。感謝こそすれ非難などもってのほかだ。
(……ん?あれ?さっきこの人“爆破魔法”とか“結界”とかって言わなかった?)
あとがき
もりのくまさんが現れた!
くまさんは興奮している!
くまさんは爆発して死んだ!
すぐに死んじゃった熊さんですが、実は主人公と会う前にこの女性に遭遇して戦闘になってるんですよね。足を引きずってるとか、目を潰した生傷なんかの理由はそれです。
だから正しくは―――
くまさんは女の人を見つけた!
くまさんは女の人に返り討ちにされた!
くまさんは逃げた先で恰好の獲物を見つけた!
くまさんは爆発して死んだ!
―――ということになるんです。
さて、死んじゃった熊さんは置いておいて、主要人物その1が出てきましたよ!
次回、女性のお名前が…!