09 心を開いて
豆がたっぷり入った瑞々しいサラダ、窯焼きの大きなパイ、フルーツパンチ。
大きな食卓に並んだごちそうに、ケヴィンがきらきらと目を輝かせていた。父親のジーンにせがんで真っ先にフルーツパンチをよそってもらい、嬉しそうにしている。
私も白ワインをいただきながら、白身魚のマリネに舌鼓を打っていた。全てマリーの手作りらしく、料理人顔負けの腕前に驚かされる。
「本当に美味しい。あの、作り方を教わっても?」
「ええ、もちろんよ。あなたも興味があるのね」
褒められてか、それともワインのせいか。対面に座っているマリーが頬を薔薇色に染めながら微笑んだ。
「兄さんも料理好きでね、よく二人で腕比べしてたのよ。いろんなお店に行っては、味付けについて議論したりね」
そんな趣味があったのね。隣に座っているルイスを見ると、懐かしむように笑っていた。
「金が稼げるようになるまでは、安くて旨い飯を作るために考えてたっけな」
「そうそう。安売りしてる店を探し歩いたりね」
「今では立派な裁縫師と商会を支える立派な妻。努力家の嫁と義兄がいて鼻が高いよ」
「お前だって商会を継いだばかりなのに上手くやってるじゃないか」
ルイスに褒められて、ジーンが誇らしげに微笑む。
「商会を継いだ、ってことは会長をお務めに?」
「まだまだ未熟だけどね。マリーとケヴィンを守っていくためにも、現張ってるよ」
そう言ってジーンが夫婦の間に座っているケヴィンの頭を撫でた。母と父の愛情をたっぷりと受け取っているのが見て分かる。そんな彼が少しだけ羨ましかった。
「ルイスがマリーと二人で店を切り盛りしていた頃、ちょうど僕も跡を継ぐ話が出ていてね。気持ちを引き締めるためにスーツを仕立ててもらうことにしたんだ。初めてルイスの作った服を見た時は感動したね。センスがあって縫い目も美しい、それでいて丈夫、接客してくれるお嬢さんは姫君のように麗しいときた」
「下心で決めるな」
「だってしょうがないでしょう、こんなに可愛いんだから」
「もう、やめてよ」
昔話を楽しく語らう三人は、子供の頃からの友人同士なのでは、と思うくらいに親密だった。家族というより、仲間のような関係性は見ていて微笑ましい。
「本当は婚約の話もあったんだけど、断ってマリーにプロポーズしたんだ。色々大変だったけど、この道を選んでよかったって、心から思ってる」
「私もよ。最初は兄さんのために承諾するつもりだったけど、こんなに素敵な人は他にいなかったから。彼がいいって、そう決心したの」
揺らぎのない自信が言葉と態度から伝わってくる。本心からそう思っているのが分かった。
私もいつか、そんな風に思える結婚をするのだろうか。もしかすると、一生独身かもしれない。けれど、どんな道を選んでも悔いのないようにしたいと思う。
「そういえば、アメリアには兄弟や姉妹はいるの? どんな場所に住んでいたのかしら」
「えっ」
何気ない質問に動揺してしまう。あの日のことが浮かんで、眉間に皺が寄った。
「……西の平野にある、時計塔の街から来ました。妹がひとりいます」
「ああ、知ってるよ。今じゃ貴重な骨董品になってる、あの時計職人の晩年の作品だね。一度見てみたいなぁ」
ジーンは商人なだけあって、そうした品にも詳しいようだ。
「確か、アメリアの家も服飾店なんだってね。ルイスのところでも上手くやれてる?」
話しやすい会話に流れて、私はほっと安堵した。
「ええ、もちろん。ルイスさんのデザインは本当に素晴らしくて、毎日楽しいです。効率よく綺麗に縫う手法や、今まで作ったことがない型の衣服もあって、勉強になります」
すると、マリーとジーンの表情がぱっと明るくなる。
「よかった! アメリアを推薦したこと、やっぱり間違いじゃなかったでしょう兄さん」
「まぁ、そうだな」
妙に歯切れが悪い、と思って隣席のルイスを見上げると、少しだけ頬が赤くなっていた。照れているのだろう、と察したが、興奮気味に褒めた自分の振るまいに気付いて、私まで恥ずかしくなってくる。
すると、彼が言った。
「アメリアは勤勉で頼りになる。分からないことやミスを放置しないし、ちゃんと聞きに来るからな。一緒に仕事をするのが楽しい。こんな風に思える職人は、今のところアメリアだけだ」
思いがけない評価に、つい目元が潤んだ。誤魔化すように白ワインを飲むと、切り分けたミートパイを頬張る。ほろほろと柔らかい肉と、ぴりっとしたスパイスが食欲を刺激した。
「そのまま公私ともにパートナーになってくれたら、私達とっても嬉しいんだけどな」
マリーの発言にうっかり喉を詰まらせそうになった。けれど。
「結婚をする理由はあるのか? 子供を産むとなると大変だろう。それはマリーが一番分かっているんじゃないのか」
彼の少し棘のある物言いに、膨らみかけた何かがしおれていくのを感じる。私は、何を期待していたのだろう。
「それは、そうなんだけど」
「アメリア、君もはっきり言ってやれ。強引に結婚させられそうになって、それで故郷から出てきたんだろう。なのに次は俺だなんて、何のために出てきたのか分からなくなる」
その発言に、はっと目が覚めるような気持ちになった。
ルイスはアメリアの話をきちんと覚えていて、人生を選べるように配慮してくれていたのではないか。いざとなれば、自分の力でなんとか出来るように技術と知恵も継承して。
もしそうなら、ふわふわと舞い上がっていた私はなんて浅はかだったんだろう。
ますますいたたまれなくなったが、彼への熱い気持ちはより一層、強くなったような気がした。
「……ごめんなさい。でも、ありがとう」
素直に感謝を伝えると、ルイスが「気にするな」と言ってくれる。
「私達も、おせっかいが過ぎたわね。ごめんなさい」
「事情も知らず、申し訳ない」
「いえ、大丈夫です。お伝えしていなかったことですから」
今なら、正直に過去を伝えられるだろうか。けれど、思い出すだけでもつらい記憶を引っ張り出して、それを他人に告白するのは勇気がいる。見られたくないものを見せるのと同じだ。
考えていると、ルイスが言う。
「言いたくないことは黙っていればいい。詮索するつもりはないからな。ただ、マリー達はもう少しだけアメリアのことを知りたいと、そう思っているだけだ」
「ええ、そうよ」
兄妹の優しい言葉に触れ、また目元が潤む。ひと呼吸して落ち着くと、私は微笑んで口を開いた。
「それじゃあ、少しだけ。私がどうしてここへやってきたのか、お話しします」
優しさをくれた人たちへ、私も優しさを返したい。その一歩として、私は正直にこれまでのいきさつを語った。
「――と、いう理由でこの街へやってきたら、運良く雇ってもらえたというわけです」
酒も入っていて、上手く話せたかどうか自信がない。なるべく客観的に事実だけを伝えるようにしたけれど、ちゃんと伝わっただろうか。
そっと皆の顔を眺めると、それぞれが異なる表情を浮かべていた。
マリーは眉を寄せて怒ったような顔を。
ジーンは神妙な顔で顎を撫でていた。
ルイスだけは真顔、といった風情だけど、食事の手を止めて腕を組んでしまった。
子供のケヴィンだけが、無邪気にミートパイを頬張っている。
「ごめんなさい。やっぱりこんな話、ここですべきじゃなかったですね」
「そんなことないわ。話してくれてありがとう」
マリーがそう言って、短く息を吐き出す。
「なんて酷い人なの。婚約者に対する侮辱だわ。ご家族の対応もあんまりよ」
「商人としては、ぜひ名前を聞いておきたいところではあるね」
「同感だ」
三人の気持ちを知って、ほっと力が抜けてしまった。私だけがおかしいのではないか、とずっと考えていたのだ。理解してもらえたことが嬉しくて、つい泣いてしまいそうになる。
「さらし者にしたいわけではないので、そこまでは」
「何を言ってるんだ。信用に関わる話だろう」
「そうだよ、アメリア。身内を裏切ったり、不当な扱いをするような人は他人にも同じことをする。従業員にもね。そんな人と知らず、取引をしていたら恐ろしいよ」
「でも」
復讐をしたいとは思わない。ただ、二度と関わりたくないだけ。
そんな私にルイスが言った。
「何かあったとき、手がかりのひとつもなければ助けてやることさえ出来ない。身を守るためと思って教えてくれないか」
確かにそうだ。私自身はともかく、世話になっている人たちに何かあるかもしれない。気は進まなかったが、ここまで話してしまったのだ。黙っておく必要はないのかもしれない。
「……元婚約者の名前は、エドモンド・ノックス。ノックス商会の次期会長です」
「えっ」
ジーンが声をあげた。次いで「そりゃあ確かにそうだ」と何か知っている風に喋り始める。
「下品にあれこれ手を出して、客を選ぶって評判のところじゃないか。知識がなさそうな客からは金を巻き上げて、博識な客は丁寧に抱え込む。最近じゃ、縫製工場にも手を出したみたいだけど、質が悪いって話だよ」
「縫製工場……」
もしかして、と今までの出来事がひとつに繋がっていく。それはルイスも同じようだった。
「アメリアと結婚して店を取り込み、その知識と経験で工場を立て直そうとした、ということか」
「なんなら、事業が失敗した時の保険かもしれないね。自分ではなく、アメリアの采配ミスとかなんとか言って」
「酷すぎるわ!」
と、そこでケヴィンがびくっと震える。いけない。
「どうか、これ以上は大人だけの場所で」
私の指摘で理性を取り戻したのか、三人がばつの悪そうな顔をする。ちゃんとタイミングを考えなかったばかりに、せっかくのパーティーが台無しだ。
至らなさに落ち込んだけれど、めそめそしたって何も変わらない。
「この話はまた後にしましょう。それより、ルイスさんとマリーさんについて、もっと知りたいです」
「ええっ?」
いきなり話題を振られて戸惑ったようだが、兄妹は顔を見合わせて微笑んだ。
「長くなるわよ」
「ごちそうはまだいっぱいありますから、大丈夫です」
大人たちが笑うことで、ケヴィンの表情がほっと和らぐ。
よかった、と胸をなで下ろすと、私はマリーとルイスの賑やかな会話を楽しむことにした。