07 まるでお嬢様のような
「伸ばしっぱなしの髪だ、彼女に似合うものを提案してくれ」
今まで自分でざっくり切っていた髪を他人が切り、綺麗に整えた後、丁寧に編み込まれる。上半分だけを編み込んでまとめた髪に、蝶の形をした金の髪飾りを挿すと次の店へ。
「彼女にぴったりの化粧をお願いしたい。それから、似合う色の提案も」
素肌をパフが撫でるごとに、真珠のような美肌へ生まれ変わっていく。唇にはピンクのリップを塗り、チークものせた。そうして鏡を見れば、別人のように大人びた自分の顔が映っている。
「凄い」
「やはり女性は磨くほどに美しくなるな」
ルイスがそう言って、感心した様子で笑っている。彼は今の私を、美しいと思ってくれているのだろうか。
沢山の化粧品を買ってもらった後は、女性向けの服飾店に連れていかれる。と、ルイスは次々と服を手に取っては私に合わせ、真剣に選び始めてしまった。
「あの」
「ん?」
「こんな、何から何までしてもらうのは、ちょっと」
「俺がそうしたいからしているだけだが」
「どうしてそこまで……」
私の問いかけに、ルイスがふふっと小さく笑った。それだけで何も言ってくれない。
すると、彼がワンピースと靴を選び、店員を呼んだ。
「試着させてもらえないだろうか」
「ええ、こちらへどうぞ」
店員に案内されて、私は試着をすることになった。フィッティングルームで渡された衣服に着替えると、最後に靴を履いてカーテンを開ける。
「あの、どうでしょうか」
待っていたルイスに話しかけると、彼がこちらを向いて目を丸くした。
「見違えたな。自分ではどう思う?」
「どう、と聞かれましても」
あまり自信がなくて、鏡を直視できなかった。けれどルイスの言葉を聞いて、改めて鏡と向きあってみる。
フィッティングルームに備え付けられた姿見に、ひとりの女性が佇んでいた。
肩に掛かる長さの栗毛を上半分だけ結い、サイドを少し編み込んでいる。化粧をした顔はいつもと違って大人びていた。身にまとった濃緑のワンピースは襟が立っていて、ウエストの黒いリボンがエレガントだ。リボンと揃いの黒いパンプスは装飾のないシンプルなものだが、その潔さが洗練された空気を生み出す。
「夏らしさに欠けるが、君にはそれくらい上品なものがよく似合うな」
ルイスの言葉がふんわりと心を包み込むよう。私は鏡に映る自分をしばし見つめて、ほうっと息を漏らした。
「なんだか、どこかのお嬢様みたい」
そう呟くと、ルイスが優しく微笑みかけてくれる。
「君はずっとそんな感じだったぞ。黙っていたら、どこぞの金持ちのお嬢さんみたいだ」
「大げさですよ」
「大げさなもんか。世間知らずのお嬢様が家を飛び出してきたんじゃないかと思っていたぞ」
世間知らず、というのは事実かもしれない。マリーとルイスに出会わなければ、今頃どうなっていただろう。他の街を選んでいたら、衣食住に困っていたかもしれない。そう思うと、今の自分はとても幸運なのだと実感できた。
「他にも何着か買おう。持ってこれた衣服も多くはないだろう?」
「そこまでお世話になるのはちょっと」
「投資だ。君はきっと、今日支払った金額よりも価値のある職人になる」
利益を望むような言い方だが、本意ではない、と思う。ただの想像にすぎないけれど、私が後ろめたさを感じないように、気を遣ってくれている……そんな風に思えた。
「ありがとうございます。ちゃんと働いて、いただいた分以上に返せるよう、頑張りますね」
私の言葉を聞いたルイスが、穏やかに微笑んだ。
買い物を済ませた後、私達は一度家に戻って荷物を置き、再び街へ出かけた。
「気に入ってる店がある。君にも食べてほしい」
そう言ってルイスが連れていってくれたのは、アパートからそう遠くない街角のカフェだった。かき入れ時から少し経ったのか、それほど人は多くない。空いている席に着くと、ウェイターがさっと注文をとりにきた。
「やあ、ルイスさん。妹さん以外に女性を連れてるなんて珍しいじゃないですか」
「彼女は弟子だ。勘違いするなよ」
「ふぅん」
常連なのだろうか。ウェイターはルイスのことをよく知っているようだった。
すると、ウェイターがじっと私を見つめる。品定めされているようで居心地が悪かったけれど、彼は口笛を鳴らしただけですぐに「注文は?」とメニュー表を差し出しながら尋ねてくる。慌てて決めようとすると、ルイスが言った。
「おすすめはバーガーとチップスだ。たまに食う程度ならいいなと思えるくらい旨いぞ」
「毎日食ってもいいのに」
「太ったら仕事にならん」
するとウェイターは「ルイスさんが太って喜ぶ男は多いだろうけどね」と言って笑った。
確かに、と密かに納得しながら私は「じゃあ、バーガーとチップス、あとお茶をお願いします」と注文をした。ルイスも「同じものを」と頼み、書き留めたウェイターが厨房へ向かう。
「気を悪くしないでくれ、あいつはああいうやつなんだ」
「いえ、気にしていないので大丈夫です」
「そうか」
会話が途切れて、少しだけ沈黙が訪れる。今なら、と思い立った私はルイスに話しかけた。
「あの、今後についてお話したいのですが」
彼が視線を向けてくる。緊張したけど、思っていたことを素直に告げた。
「私、あなたの弟子として頑張りたいです。自分に何が出来るのか、本当に適性があるのか分からないけれど。私は、お客さんに喜ばれる仕事がしたいんです」
「いいじゃないか」
彼がふっと微笑んで、優しく目元を緩めた。
「その気持ちがあれば大丈夫だ。後は腕を磨いて流行を学ぶだけだな」
ルイスに認められることが嬉しい。父に褒められた時とは違う喜びを感じる。
今まで「やって当たり前」だと思っていた仕事を、こんなにも前向きに頑張りたいと願うなんて。自分で選んだ道とは、こういうものなのか。
すると、ルイスが深く息を吸って吐き出す。
「いやぁ……本当に助かるよ。マリーやジーンと協力して経営しているが、やはり作り手がいないと成り立たないからな。小さい工場を持ってはいるが、そちらで俺の店の商品を作るわけにはいかないし」
「もしかして、今までお一人で?」
「ああ」
それはまた重労働だ、とゾッとする。
「別店舗は名義こそ俺だが、マリーとジーンに任せている店でな。庶民でも手の届く低価格の衣類を販売している」
「商売としての店、ってことでしょうか」
「そうだ。丁寧な仕事だけで食っていけるほど甘くはないからな」
ルイスの言葉に私は同意する。きちんとした品物を作ることは当たり前、けれど手が遅くては金にならない。故郷で働いていた時から痛感していた現実だ。
「そうだ、ジーンにも会ってもらわないとな。今度食事をしよう」
「ジーンさん、というのは」
「マリーの夫だ。六年ほど前に結婚して、三歳の息子が一人いる」
「まぁ」
私とそれほど年齢が離れていなさそうなマリーも、立派な母親というわけだ。責任ある職に就きながら子育てもしているなんて、可憐な外見からは想像も出来ない努力家だ。
「ジーンとは独立して働き始めた頃に知り合ったんだ。俺の作ったスーツを気に入って、ぜひ売り込みたいと申し出てくれてな。今でも依頼してくれるんだ」
「お得意様なんですね」
ルイスが嬉しそうに微笑む。すると、店員が大皿をふたつ持って現れた。
「はい、バーガーとチップスね」
目の前に置かれたのは、まさに言われた通りにバーガーとチップスだけ。バンズにハンバーグと炒めた玉ねぎを挟んだだけの、ごくシンプルなものだった。ばらっと添えられたチップスの乱雑さが真新しく思えるのは、故郷にこんな料理を出す店がなかったからだろうか。
「お茶は後でね」
そう言って店員がまた奥へ引っ込む。その姿をじっと見送った私とは違って、ルイスはすぐにハンバーガーにかぶりついていた。今日も品のあるシャツにサマージャケットを羽織っているのに、遠慮なく頬張っている。彼は品があって貴族のような雰囲気だけど、こうして見ると彼も庶民なのだと感じた。
「冷める前に食え」
「はい」
私もハンバーガーを両手で掴むと、がぶっと一口。じゅわっと溢れてくる肉汁と、玉ねぎの甘辛い味、濃いめのソースも相まって、とても美味しい。挟まれているピクルスの酸味がいいアクセントになっていた。あまりにも美味しくてつい、黙って食べていると、不意にルイスが笑った。
「なんでふか?」
「いや、別に」
なんて言いつつ、まるで妹を見るような目をしているのは気のせいではないはず。
もう少しレディらしくならなきゃ、と思うけれど、美味しいバーガーをつい、もりもり頬張ってしまうのだった。