04 採用試験
「落ち着いたか?」
「はい。取り乱してしまってごめんなさい」
ルイスから手渡されたカップを受け取ると、紅茶のよい香りが漂った。泣きはらした目に湯気がしみたが、温かい紅茶は緊張を緩めてくれる。
私が泣いている間、ルイスは黙ってそばにいてくれた。仕事もあるだろうに、突き放さず距離を保って見守る姿勢はとても好ましい。
なにか会話を、と考えたが、聞きたいことはすぐに思いついた。
「あの、このお店の服はルイスさんが全て制作なさったんですか?」
「そうだな。デザイン、素材選び、全て自分でやっている」
「全てを……」
私の頭に、ショーウィンドウや店内に置かれている衣装が浮かぶ。
あの洗練された品々は、たったひとりのアイディアと技術によって作り出されたもの。そう思うと、目の前にいるこの人の才能に圧倒されてしまう。
私も職人ではあるけれど、既に誰かが考えて広めたものと大差ない、ごく一般的な型紙やデザインを用いてきた。オリジナル性はない。自分の好みや顧客の傾向から、ほんの少し手を加えた程度だ。
故郷では「丈夫で綺麗な服」「着心地がいい」と褒められて、それが自慢ではあったけれど、ルイスの才能を前にすると儚く散ってしまいそうな自慢だ。今まで見ていた世界の狭さを実感してしまう。
「君はどうなんだ?」
「えっ」
「実家で働いていたんだろう。縫製だけか? それとも俺のように、ある程度任されていたのか?」
「父親が用いていた型紙を、流行に合わせて変えていたくらいで……私自身が考えて作ったとは言えないものばかりです」
「なにを言ってる、工夫して流行に合わせるなんて凄いじゃないか」
ルイスの言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなる。けど、うぬぼれるなと暗い自分の声が囁いた。
「そんなことないです。あなたみたいに、こんな綺麗な服……思いつきもしなかった」
女としては私の方が上――シャーロットの言い放った台詞がまだ、心の中に残っている。
そう、私は女らしさに欠けている。仕事や家のことばかりで、どうすれば女性らしく素敵になれるのか、ちっとも分からなくなってしまっていた。化粧の仕方だって分かっていない。
可愛くて美人のシャーロット。彼女は薔薇のように華やかで可憐だった。その美貌を作る手段と努力をよく理解していた。
だから、私という正式な婚約者がいても、エドモンドの心を絡め取れたのだろう。
うつむいた時、ルイスが言った。
「それは君が経験不足だからだ。これから学び、知っていけばいい」
とん、と背中を押してくれるような言葉。思いがけず顔が上向いた、が。
「あやしい女かと思ったら、本当に真面目な田舎娘だったんだな」
「ええっ」
明るく笑うルイスをじぃぃっと見つめたが、肩をすくめるだけで悪びれる様子もなく。けれど、彼は別に意地悪をしているわけじゃない。それはきちんと分かっていた。
だからこそ、なぜか知りたくなってしまう。この才能溢れる人のことを。
そんなことを思っていると、ルイスが言った。
「調べさせても君が言ったとおりの話しか出てこないだろうし。マリーが推薦するくらいだ、それだけで信用できる」
ひとつ頷いて、ルイスが立ち上がった。
「では実技テストといこうじゃないか。こっちへ来てくれ」
「はい」
カップをテーブルに置いて、ルイスのあとを追いかける。作業台までやってくると、彼は端切れを入れている箱をたぐり寄せた。
「手縫いで雑巾を作ってくれ。一枚でいい」
そう言って、彼が山盛りの端切れを渡してくる。
「どの布でもいいんですか?」
「ああ。道具は持っているか?」
「もちろんです」
母の形見でもある、大事な商売道具だ。トランクの中から裁縫道具を取り出すと、近くにあるスツールを引っ張って腰かける。箱の中にある端切れは、どれもいい生地ばかり。あれこれと確認してみた私は、リネンだと思われる水色の生地を見つけた。布に穴や傷もなく、大きさも申し分ない。
さっそく裁断して形を整えると、折り重ねてまち針を刺した。太い糸を二本取りにして、丈夫になるよう細かく縫っていく。
最後に玉留めをして仕上がりを確認しようとした時、ルイスの手が伸びて「俺が見る」と雑巾を取ってしまった。
難しいものではないし、きちんと正確に縫えた自信はある。が、基礎ができているか見られているという状況は、さすがに緊張した。ルイスのような素晴らしい職人に、私の技術はどんな風に見えるのだろう。
すると、彼が笑った。
「この生地を選んだ理由は?」
「おそらくリネンだと思ったからです」
ルイスが私を見る。そして、頷いた。
「君はいい職人だな」
彼の褒め言葉が胸に響くようだった。言葉はさらに続く。
「君さえよければ、俺の弟子にならないか。最初はアシスタントでいい。この店で一緒に働きながら、少しずつ教えようと思っているんだが」
「えっ、弟子、ですか?」
雇ってもらうだけのつもりが、思わぬ方向に話が進み始めている。
「そんな大層なものじゃないぞ。地味で面倒な仕事だからな」
地味……?
私は店に飾られている商品の数々を思い出し、気が遠くなりそうになる。実家の仕事の方がよほど地味だ。
するとルイスが言った。
「俺の元で仕事を覚えれば、いつか自分の店を持つことも夢じゃない。それを望むなら支援は惜しまないぞ。マリーの夫は商会の主だ。真面目に努力をすれば、君を評価し、商売相手として握手を求めるようになるだろう。それは他の商人にも言えることだ」
自分の店、という響きはとても素敵だが、前に出て何かをしたいという気持ちはなかった。誰かに喜ばれる服を作りたい、それだけで充分なのだ。
悩んでいると、察した様子のルイスが苦笑いを浮かべる。
「仕事だけしていたいなら、俺のアシスタントのままでもいい。安心して作業を任せられるような人材が欲しかったんだ」
「私でいいのでしょうか」
「もちろんだ。それは実技テストで証明されている」
あまり自信はなかったが、ルイスに認められ、アシスタントにと求められるのは嬉しかった。勇気を持って一歩、踏み出すチャンスかもしれない。
「では……ここで働かせてください。まずはあなたのアシスタントとして」
「歓迎するよ」
ルイスに握手を求められ、おずおずと手を差し出す。彼の手は大きくて滑らかだった。長い指は少し骨張っていて、男性であることを意識してしまう。
すると彼が言った。
「働き者の手だな」
見上げると、気遣うような眼差しとぶつかる。
「指が切れたような跡がいくつもある。爪も短くて、油分が少ないな。仕事だけではなく、家のこともしていたのか?」
「幼い頃に母を亡くしたので、それ以来ずっと、家事は私がしていました」
「そうだったのか」
短く息を吐いた後、ルイスがそっと手を離した。
「俺が愛用している軟膏がある。君にもあげよう」
「い、いえそんな! そこまでしていただくわけには」
「指が切れて血が出たら困るだろう。それに、自分のことをもっと労るべきだ。無理して我慢する必要はどこにもない」
ああ、まただ。
ルイスの言葉がじんわりと胸にぬくもりを与えてくれる。そんな風に労ってくれた人が、どれだけいただろう。父に褒められることはあっても、労ってもらったことはなかったのではないか。そう思うとまた、寂しさがこみ上げてくる。
――いつまでも引きずってはいけないわ。
私はそう思い直すと微笑んだ。
「ありがとうございます」
これからは前向きに、自分を大事にしていこう。と、思っているとルイスが先程の雑巾を返してきた。
「じゃあ、これからはその雑巾を掃除道具にしてくれ。仕事道具と現場の清掃は基本だからな」
「分かりました」
なるほど、そのつもりで雑巾を縫わせるテストをしたのか。自分で使ってもいいような、そんな雑巾を作れ、と。ついでに掃除道具も用意できて都合がいい。ルイスの性格が少し分かったようで面白かった。
すると、階段を駆けあがってくる足音が聞こえてくる。
「連絡してきたわよ。それで、話はまとまった?」
言いながらマリーがこちらへやってきた。私の手に雑巾があるのを見て、ぱっと嬉しそうな顔をする。
「兄さんのテスト、大丈夫だったみたいね。それじゃあ採用?」
「ああ」
「よかった! あ、でも決めなきゃいけないこと、沢山あるわよね」
ん? と考えたのもつかの間。
「住む場所は決まっているの? お金は大丈夫?」
「あっ」
仕事が決まっても、住む場所はこれからだ。私の反応を見て、マリーがすぐに言った。
「じゃあ兄さんのうちへ住まわせてもらいましょ!」
「は!?」
今度はルイスが素っ頓狂な声を出す。
「いや待て、どうしてそうなる。お前の家の方が広くて部屋もあるだろう。俺は男の一人暮らしだぞ」
「あらダメよ。ケヴィンもいるし、落ち着いて暮らせないわ」
「男の家に転がり込む方がマズいだろ! 未婚の女性だぞ!」
「同じ職場で師弟としてやっていくのなら、苦楽を共にすべきよ」
「お前何か企んでるだろ。彼女に迷惑をかけるな」
「迷惑だなんて失礼ね、私のカンに間違いはないのよ」
「……あのぅ」
私のか細い声で言い合いが中断される。
「ご迷惑でしょうから、自分で探してきます。それぞれの生活がありますから、気になさらないでください」
するとルイスが苦々しい表情を浮かべ、眉間に深い皺を刻んだ後、呻きながらため息をついた。
「分かった、俺のところへ来い」
「でも」
「わけありなんだろう。この先何があるか分からない。近隣に迷惑をかけるくらいなら、俺が間に入る」
「さすが兄さん」
「こうなると分かって話をしただろう」
マリーが肩をすくめて誤魔化す。彼女の思惑通りになってしまった感はあるが、ルイスがいてくれるなら新天地での生活も安心だ。知り合ったばかりなのにおかしな感覚だとは思うのだが、彼のことは信用できる。それは小一時間のやり取りで分かっていた。
「では、お世話になります」
「こちらこそよろしく」
話がまとまった後、ふとマリーを見ると、浮かれた様子でニチャァと微笑んでいた。