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裁縫師アメリアの幸せ探し  作者: 黒江零
旅立ちの章
3/28

03 ショーウィンドウの前で朝食を

 ぴかぴかのショーウィンドウの向こうに、水色と白の縞模様が爽やかなワンピースを着たマネキンが立っている。黒いリボンでキュッとウエストを絞ったシルエットは、うっとりするほど美しかった。裾のレース飾りも繊細で、私なんか足下にも及ばないような職人技だとすぐに理解する。


 都会には素晴らしい職人がいるのね。


 朝食のベーグルを頬張りながら、私はじぃっと店の中を見つめていた。クリームチーズとクルミのあまじょっぱい味わいも、今や遙か彼方。この店には惚れ惚れするような服ばかりが並んでいた。


 上質な綿を用いたであろうサマージャケット。

 細やかで芸術品のような刺繍をちりばめたブラウス。

 妖精の羽のようなチュール生地に華やかな赤い生地を重ねたあのスカートは、大胆で素敵だ。


 型どおりに庶民的な服を作り続けてきた私には、目が覚めるような刺激に満ちた品物ばかり。相当な資金がなければ作ることができない逸品。

 私はそっと後ろへ下がり、店の看板を眺めた。


Barnes(バーンズ)


 おそらくオーナーの姓だろう。気取った単語ではなく名前で勝負するところに、腕一本でやってやろうという意志を感じる。


「あのぉ」

「ひゃいっ!?」


 不意に声をかけられ、思わず飛び上がってしまった。奇声を発してしまって恥ずかしい。振り返ると、世にも珍しいアッシュブロンドと丸い眼鏡が特徴的な女性が佇んでいる。ふんわりと愛らしい雰囲気で、おとぎ話のお姫様みたいだ、とつい見惚れそうになった。


「うちの店に、何かご用ですか?」

「えっ」


 一拍の後、顔から火が出そうになる。


「ご、ごめんなさい。素敵な服があると思って、つい足を止めてしまって」

「あらあら」


 ウフフ、と女性が嬉しそうに笑って――「まぁ」と、何かに驚いた様子で目を丸くした。じぃぃっと私を見つめ、ふむふむ、と何かに納得したのか頷いている。

 ちょっと変な人かも、都会ってこうなのかしら、と思いかけた時。


「ねぇ、あなた旅の人? もしかして引っ越してくる予定とか?」


 どうして、と思ったが、大きなトランクを提げているから「見れば分かる」というもの。

 私は素直に「はい」と頷いた。


「田舎から出てきたんです。実家が服飾店だったので、同じ仕事ができればいいな、と思って求人がないか探しているんですけど……」


 それを聞いた瞬間、彼女が「じゃあうちにいらっしゃい!」と私の肩を掴んだ。らんらんと輝くブルーの瞳の圧に、ひぇっと仰け反りそうになる。


「あなたみたいな人、ずっと探してたの。きっと兄さんも喜ぶわ!」

「あ、あの」

「兄さんはもう来ているはずよ。さ、入って」


 あまりの急展開。呆然としている私を置き去りにして、彼女が店の扉を開けた。そして振り返り、にこっと笑う。


「私はマリー・カーティス。結婚して名前が変わったけど、ここのオーナーの妹なのよ」


 オーナーではなく、その身内だったとは。私もすぐに自己紹介をする。


「アメリア・テイラーです。どうぞよろしく」


 一礼して店内にそっと踏み込むと、芸術品のような衣服が次々と目に飛び込んできた。きっと高級店に違いない、と思っていた私はふと目に留まった値札を見て息を呑む。


「う、うちの二倍……!?」


 つい声に出してしまってはっと口を押さえた。先を行くマリーが振り返ってきょとんと目を丸くしている。そして、ふふっと得意そうに笑った。


「ここは兄さんが個人で経営している店だけど、私と夫に任されている庶民向けの店舗はもっと安いのよ。兄さんの腕ならもっと高く売れるだろうけど、それはポリシーに反するからってやらないみたい」


 それを聞いた私はさらに驚く。


 実家では手に入りやすい安価な布や素材で商品を作っており、流行を取り入れつつも無難なデザインを扱うようにしていた。つまり「気安く買ってダメになったら捨てる」ような品物である。

 それに対して、この店では洗練されたデザインと優れた縫製技術を両立し、扱う素材も質が良い。絹で織るチュール生地を扱っているところを見れば、貴族向けの店ではないかと思うくらいだ。

 だというのに、二倍の価格で済んでいる。庶民なら年に一度か二度、背伸びをすれば買える……まさに絶妙な価格帯だ。正直言ってありえない。


 一体どんな手段を使って実現しているのだろう。私は残りのベーグルをぎゅむっと口の中に押し込み、案内してくれるマリーに従った。


 広々とした店内の奥にある扉を抜けて、商品を保管しているのであろう倉庫へ入ると、二階へ続く階段を上る。すると、ミシンのペダルを踏む音が聞こえてきた。二階に到着すると、大きな作業台やサイズの異なる様々なトルソー、糸やボタンを収納している背の高い棚などが視界に入る。が、光の入る窓辺でミシンを扱っているその人を見た瞬間、私は目が離せなくなってしまった。


 マリーと揃いのアッシュブロンドを緩く後ろへ流した短髪。鼻筋の通った横顔はとても綺麗で、ブルーの瞳がきらきらと光っている。妹と同じように儚げな雰囲気だけど、彼は座っていても分かるくらいに大きな体躯で、けれどスマートでエレガントだった。

 そう思うのは、彼が着ている真っ白なドレスシャツとネイビーのウエストコートのせいだろうか。長い足を包むブラックのスラックスと革靴も上等な品だ。


 すると、彼が手を止めて顔をこちらに向けた。


「おはよう兄さん。今、大丈夫?」

「問題ないぞ。ところでそちらは?」


 男性的な低い声。けれどその響きは少し甘くて美しい。

 緊張しながらも、私は前へ踏み出した。


「はじめまして。アメリア・テイラーと申します」

「外で店のことを眺めてたんだけど、この子凄いのよ。才能があるわ」


 才能? 作品を見せた覚えはないけれど。

 すると彼が立ち上がって、私の前にやってきた。彼は見上げるほどに背が高くて、緊張感が高まる。


「お前の目で見たのか」

「そうよ。こんな人、初めてだわ」


 ふむ、と彼が考え始めて、はっと我に返った様子で目を見開いた。


「すまない、自己紹介が遅れたな。俺はルイス・バーンズ。ここの店主で、マリーの兄だ」

「わかりました、バーンズさん」

「ルイスでいい」


 品のある外見とは異なり、ルイスは気さくで親しみやすい人物のようだった。


「才能があるのは喜ばしいことだが、本人はここで働くことを了承しているのか?」


 兄の問いかけに、マリーがうっと詰まった。


「そ、そこまでは確認してなかったわ。仕事を探しているとは聞いているのだけど」

「おい」


 えへ、と笑って誤魔化そうとするマリーが可愛らしくて、噴き出しそうになるのをぐっと堪える。仲のよい兄妹なのだろう。本音で接する姿が羨ましかった。


「アメリア、君は裁縫の経験があるのか? 趣味ではなく仕事として、だ」


 問いかけられて我に返った私は、少し考えて答える。


「実家が服飾店で、十六の頃からずっと職人として働いていました」

「今はいくつだ? なぜここに?」

「二十です。家庭の事情があり、ひとりで暮らすことに決めました。ここは商人も職人も多い街ですから、仕事も見つけやすいと思ったんです」


 するとルイスの表情が険しくなり、彼は顎を撫でた。


「家庭の事情とは何だ? 疑いたくはないのだが、技術や職員の引き抜きは困るんでね」


 誤魔化したいが、さすがに厳しいか。私は悩み、悩み、精一杯の答えを返す。


「無理矢理、結婚させられそうになったんです。それで家出を……」

「まぁ、そんなひどい話が」

「マリーは黙っていてくれ」


 兄に制されても、彼女は気遣うような眼差しを向けてくる。優しい人なのね、と思うと、傷ついた心が少しだけ癒やされた。


「証拠は?」


 穏やかに凪いだのもつかの間、ルイスの質問が続く。オーナーなだけあって、しっかりした人だ。知識と経験に基づく頼もしさが今は怖い。


「本来であれば今日、結婚をする予定でした。じきに噂が流れることでしょう。教会の司祭様に連絡をしていただいても構いません」


 真っ直ぐルイスの目を見つめて言い切った。氷のような瞳がじっと私を観察して、しばらくにらみ合った後、ふっと柔らかく緩んだ。


「教会に連絡をしたい。教えてもらっても?」

「ええ、もちろんです」


 ルイスに故郷の教会と司祭の名を伝えると、彼がそれを書き留める。そうして書き終えたメモをマリーに渡すと「悪いが、ジーンに頼んでもらえないか」と言った。マリーは快く頷いてぱたぱたと階段を駆け下りていく。来たばかりなのに申し訳ない、と思っていると、ルイスがため息をついた。


「それにしても、事実であれば随分と厄介な状況だな。本当に大丈夫なのか?」


 言われて、私の頭が冷えてくる。

 確かに彼の言うとおりだ。今まで堅実に生きてきた自分にしては、かなり無茶なことをしている。女一人、身元の保証もなく、腕一本でどうにかしようなど、愚かなことだったかもしれない。

 けれど、あの家には帰りたくなかった。あのまま結婚するくらいなら家出してやろうと、そう思うくらい傷ついた。

 彼の言葉に答えられずにいると、またため息がひとつ。


「まぁ、君自身がそうしたいと思うだけのことはあったんだろう。女一人でよく出てきたな。意外とやるじゃないか」


 驚いてルイスを見上げると、ふっと微笑まれる。

 こんな風に尊重してもらえたのは、いつぶりだろう。エドモンドも、シャーロットも、父やノックス夫妻も、私自身の声を聞いてはくれなかった。

 そう気付いた瞬間、ぽたっと涙が転がり落ちてしまって。とめどなく溢れる涙を止めようとしたが、拭っても拭ってもこぼれてきてしまう。


「お、おい」

「ごめ、なさっ、わたしっ」


 本当はずっと、裏切られた時からずっと、泣きたかった。

 子供みたいに泣きじゃくっていると、ルイスがそっと肩に手を添えてくれる。


「こんなところで泣くな。ほら、そこのソファに座れ」


 促されるままソファに座らせてもらうと、彼も隣に座る。

 ひとり分の隙間。遠慮がちで、紳士的にも見える振る舞いに、私は安らぎを感じた。

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