01 私、家出します
「お話が、あります」
私、アメリア・テイラーの発言を受けて、食卓に集う人たちの視線が集まる。
私の父と妹、そして婚約者とそのご両親。
夏の豊穣祭ということで、夫になるはずだった彼の邸宅で夕食を共にしている最中だった。職人の子として育った私には、不釣り合いなほど豪勢な食事と広々とした空間で、怖気づきそうな気持ちを奮い立たせる。
「彼との……エドモンドとの婚約を、解消させてください」
一瞬の沈黙。そして。
「あなた、一体何を言っているの?」
困惑した様子でつぶやくノックス夫人。それはアメリア自身を案ずるものではなく、庶民の娘が得意先の商人に対して何を言っているのか、という意味であることは明白だった。
私は婚約者だと思っていた彼、エドモンド・ノックスをそっと見る。
シャンデリアの光を受けてきらめくブロンドヘア。知的な印象の瞳は澄んだ空色。色白で端正な顔立ちをした彼は、一切私の方を見ようとしない。
焦り、不安、戸惑い……様々な感情が入り交じっているであろうエドモンドを見ていると、全てを正直に明かそうという気持ちが揺らいだ。つくづく馬鹿な女だと思う。
「……私なんかじゃ釣りあいがとれません。ずっと怖かったんです、不似合いな結婚が」
「アメリア、今更何を言っているんだ! もうすぐ挙式なんだぞ!」
父の怒鳴り声が心に刺さる。私だって本当はこんなことしたくなかった。エドモンドと結婚して、二人一緒に父の服飾店を継ぎ、事業を拡大していくはずだった。
けれどもう無理だ。何一つ信じられない。
私は妹のシャーロットを見た。私と揃いの栗色の髪は美しく波打ち、長いまつ毛で縁どられた緑の瞳はほの暗い光を帯びている。
わがままで奔放だけど、華やかで可愛らしい私の妹。そう思っていた。けど今は、家族とすら思えない女である。
すると、義父となるはずだった人、ギルバート・ノックスが言った。
「婚約は続行だ。お前の意見など聞いていない。それはお前の父親がよく知っていることだろう」
父とギルバートが目を合わせ、押し黙る。
そう、これは利益を生むための婚姻。恋愛結婚ではない。それでも、エドモンドと少しずつ愛を育みたかった。そんな夢さえも打ち砕かれて。
私は意を決して告げた。
「私の妹とエドモンドは、男女の関係にあります。こんな裏切りを知ってなお、素知らぬ顔をして今まで通りに振舞うなんて出来ません」
エドモンドがひきつった顔をして俯き、シャーロットは腕を組んでそっぽを向いた。
ここまで言ったなら、もう婚約破棄になる。と、思っていた。
少しの沈黙の後、ギルバートが笑う。ノックス夫人も唇を歪めて微笑んでいた。
「商会を継ぐ男たるもの、女をはべらせる力がなくてはな」
「愛妾がいるなんてよく聞く話だけど、体を売って稼ぐような女じゃないだけマシよ。身内ならふたりきりで会っていても怪しまれないし、子供が出来ても大丈夫ね」
二人の口から飛び出した発言に、頭が真っ白になる。何を言っているのかちっとも理解が出来なかった。すると父までその流れに続いた。
「そ、そうですよ。姉妹揃って可愛がってもらえるとは、本当にありがたいことです」
ガン、と頭を殴られたような衝撃。全身から血の気が失せて、がたがたと震えが止まらない。
――ああ、そうだったんだ。
私は静かに悟り、膝の上に置いた手を強く、強く握りしめる。
父にとって私は道具。よく働き尽くす道具。それはノックス夫妻にとっても、だ。
他人にどう思われようが、私は私だと払いのけられる。けれど肉親に道具として扱われるのだけは、どうしようもなくつらかった。母を早くに亡くし、たった三人の家族だと、心から慈しんできた。だというのに。
私は再度、エドモンドを見た。
先程までのの苦々しい表情は一転して、ほっと安堵した様子で綻んでいる。シャーロットの「あぁ、認めていただけてよかったわ」という言葉と笑顔が、私の心を踏みつけにしていく。
くっと唇を噛んだ後、不意にひとつの願いが浮かんだ。
――出て行こう。
こんな場所にいたら強引に結婚させられて、屈辱に耐える日々が始まる。そうなるくらいなら、自分で自分の幸せを手に入れよう。幸い、働く女性は近年増えてきている。父の服飾店を手伝っていたので、縫製の技術はしっかりと身についていた。きっとよそでも通用する。働きながら少しずつ貯えていた金があれば、ひと月はなんとかなるはずだ。
そうと決まれば話は早い。私は迷わず家出を決意した。