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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恋人よ逃げよう、世界はこわれたおもちゃだから!

窓の外では、中年の男性が執拗に倒れた女性を蹴り転がしている



道行く人々がそれを気にせず通り過ぎていく

実際には、巻き添えを恐れて関わる事を避けているのだ


この男性を僕は知っている、近所で子供たちにスポーツを教えている会社員だ

愛妻家としても知られ、地域の活動にも意欲的に参加する


恐らく、蹴り転がされている女性との面識は一切無い



──犯罪係数を測定・管理するネットワークのシステムに不備が生じてから、既に半年近くが経過していた


原因の解らない不具合により、「どんな事をしても犯罪係数が上昇しない」人間が世界中で数多く発生している

その数ある結果の内の一つが、路上で白昼堂々行われるこの暴力行為だ


以前までの社会の道徳で言うならば、これは狂気や犯罪に他ならない

しかし、取り締まれない事が常態化した結果、それらはもう悪徳と見なされなくなり、むしろ新しい秩序となった


例えば、いま僕が観察しているこの男性は、蹴り転がしている女性を最終的に殺害する可能性が極めて高い

しかし、それが逮捕される事はもう現代においてはあり得ないのだ


理由は無数に存在するが、一番大きな理由は「犯罪係数の管理ネットワークが今でも部分的に厳しく機能している」事だ

「犯罪係数がゼロの人間」を拘束したり暴力を加えれば、それを行った人間に罪が発生する

そして、罪の報いは厳罰なのだ


一方でこれらの「犯罪係数から解き放たれた人々」は、社会を完全に壊す程の行いはしない

それにより社会は継続して維持されていたし、「少数の犠牲者だけで済むのなら」という諦めが世界中に蔓延していた



とにかく、僕は日々窓から世間の様子を観察しては帳簿を付けている


「上下スウェット姿」「色はグレー」「スニーカー履き」……


どれも探していた条件とは違う

僕はため息をつくと、冷えてしまったコーヒーを口に運んだ

安物のインスタントコーヒーは、安物と言いながらもそれなりの値段はするのに泥水のような味だった


その時、部屋のドアをノックする音がした

ノックの音は3回

これは、僕の恋人が部屋を訪ねてきた事を意味する


「また君か、鍵は空いてるよ」


僕は一瞬ドアに向けかけた視線を再び窓の外に移すと、引き続き研究の題材をオペラグラスで観察していた


「まだやってるの、それ?」


彼女は部屋に入るなり、僕からカップごとコーヒーを奪って飲み干す

そして今度はあまりの不味さに、それを床に吐き捨てた

「どうしてこんなのが飲めるの?」


僕はそれには答えず、先程の会社員を見続ける

「スポーツ刈り」「眼鏡」「指輪をしている」…

「キャップを被っている」……?

やはり、条件に該当しない

しかし何かが、頭の片隅に予感として存在していた



白状すると、僕は「犯罪係数が上昇しなくなる条件」を日々の統計から探していた


「キャップを被った男性」は初期の頃の有力説の一つで、僕はほぼ「それが条件だ」と断定する直前まで来ていたのだが、別の時に街で「犯罪係数の存在する」キャップの男性を見て以来、その仮説を一旦棄てていた


……と、不意にオペラグラスが横から伸びた手に奪われる

手持ち無沙汰になった彼女の仕業だった


世界がどう変わろうと、人はそれに合わせて生きる他無い

彼女のように路上での暴行をいつしか娯楽の一種と受け取る人間も、この世にはいくらか存在し始めていた


「あの手の奴らって、大体最後は車で去っていくよね」


僕は弾かれたように彼女を見た

「車?」

 

パズルの最後のピースはこれではないか

そんな予感が僕の中にあった


「車種とかは覚えてる?」


僕は向き直ると、今日初めて彼女の顔を真っ直ぐに見た


「青い…セダン?」


総てまでは覚えていないが、過去一ヶ月くらいの観察は僕はおぼろげには記憶していた


確かに車種にバラつきはあるが、過去の「解き放た人々」も全員青いセダンに乗っていた……!


「キャップあったっけ?」

僕は興奮気味に彼女の肩を掴んで、問いかける


彼女はトートバッグからキャップを取り出すと僕に手渡した

「偶然だけど持ってたわ」



────


男は表情無く血塗れの女性を一瞥すると、片足を振り上げた

頭を踏み潰して人を殺すのが最近のお気に入りだ


片足に力を込める

そして振り下ろす─


それが女性を踏み殺す前に、死角になっていた斜め後ろから矢の様な速度で青いセダンが現れ、男を二軒先の家の前まで跳ね飛ばした


続けざまに車は高速でバックすると、倒れていた女性も轢き殺し、少し前進したのち停止した


────


「実験成功!」

車内で瓶ビールを一本ずつ持つと、僕達は乾杯した


「これからどうする?」彼女が言う

僕は「多分、何でも出来るだろ」とビールを勢い良く飲みながら返事をした


とはいえ、こんなに条件が簡単である以上、世界中のあらゆる人が犯罪係数をゼロにする方法に気付くまで、あまり時間は無いのではないだろうか


そもそも、そうなった先の世界はどうなるのだろうか?

考えても仕方の無い事だった


少なくとも、いま僕達二人は脅かされる側でなく生きる事が可能になっている

それだけで十分だ


「出来るうちに、出来る事をして生きよう」

正直な本心だった


社会の変化は、どんな時代であれ生きている間中起こるだろう

動かしがたい物に不満を持って生きていくのは、僕の主義では無かった


「それで良くない?」


僕は再び車のエンジンを点ける、車は何処かに向けて走り始めた

それまででは無い、何処かへ


「何にせよ、世の中がクソなお陰で助かったよ」

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