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「卒業制作に関するアイラ・クリフフォード事件」の真相とその後

作者: 高杉なつる

 本日割り当てられていた仕事を終えて会社に戻り、事務所で報告書を作成していると事務員のお姉さまから「社長が呼んでるよ」と声をかけられた。


 こういう呼び出しのときは、緊急性の高い仕事か、問題を抱えた仕事と相場が決まっている。


 そして案の定、社長から言われた言葉に、私は「……え?」と素っ頓狂な声をあげていた。


「悪いな、おまえに事情があるのはわかってるから、ここへの仕事は回すつもりはなかったんだ。……だ、が、どうしても他に適任がみつからなくてな」


 申し訳なさそうな顔をしながらも、社長は私に一枚の紙を差し出す。その紙には、『バドフォード州立魔道学校』の名前と、学校で使用されている魔道具の設置個所が書かれている。


「今週末からの三日間で、魔道学校にある魔道具の保守点検作業を行う」


 週末は連休だ。魔道学校がお休みになる土曜日曜、国王陛下のお誕生日であり祝日になっている月曜の三連休。この連休を使って、一年に一度の魔道具の保守点検と魔力の充てんが十分かどうかの確認の仕事が行われる予定だという。


「知っての通り魔道学校は中等部高等部で六年、大学部二年で成り立っていてそれぞれの本校舎と付属の事務や食堂が入った別校舎とがある。要するにやたら広くて、魔道具も数多くある。魔力の充てんは学生が勉強を兼ねて行っているが、点検は行えないから一年に一度行っている」


 魔道具がたくさんあるということは、魔道具技師としての知識と魔力が多い人間でなくてはならない。学校や宿泊施設、役場などは魔力量の多いベテラン魔道具技師が担当することが多いのだ。


「この学校の担当者は三人いるのだが、一人は昨日自転車で転んで足の骨を折って入院。もう一人は出産予定が大幅に早まってしまって緊急入院してしまった」


「……そ、それは大変なことに……」


「というわけで、人員が足らない。一人じゃ、とても期限内に終わらせられないからな。悪いんだが……週末の仕事に入ってくれないか」


「待ってください、人が足らないのはわかります。でも、私では点検ができない魔道具があると思います。もっと経験のある方にお願いするべきです」


 私が魔道具技術者の資格を取ってまだ四年しか経っていない。技師の資格を取り、魔道学校高等部を卒業したと同時に社会に出て、そこから四年間現場で頑張ってきた。けれど、経験豊富とはまだいえない。


 生活に密着している魔道具(洗濯機、食器洗い機、湯沸かし機、室温調節機、照明器具、掃除機、料理器具系など)は数が多くて触る機会も多いから点検もできる。けれど、魔道学校に設置されている魔道具は専門的なものが多く、私の手に負えるとは思えない。


「ああ、そこは大丈夫だ。専門性の高い魔道具に関しては、別の者が……セオが行う。サシャ、おまえには教室内にある照明と室温調節機の点検を頼みたい。数が多いが、一般的な魔道具だから大丈夫だ」


「セオ部長が!? それは頼もしいですけれど、でも……」


 セオ部長は社長の息子さんで、私が所属するハンディ魔道具店技師部の部長だ。私より五つ年上で、上級魔道具技師の資格を一回でパスした凄い人。学校の先輩でもあり、憧れの魔道具師・魔道具技師。私のような平の技師が一緒の現場で仕事ができるなんて、凄いことだ。


 それに、その……男の人として、ちょっとカッコイイとこっそり思ってる。仕事のできる年上男性の余裕? 魅力? 貫禄? なんかもう、憧れる。


 でも、仕事をする場所が、私を怯ませる。


「頼む、サシャ! 思うところはあるだろうが、三日間だけだ。学校は基本的に休みだから、誰かと顔を合わせることもないだろう。特別手当も出すから」


 社長は両手を合わせて、私を拝むように何度も「頼む、頼むよ!」と繰り返す。


 高等学校を出たばかりで経験ゼロ、家族も後ろ盾も住むところもない私を魔道具技師として拾ってくれ(会社に就職させて貰い、住まいの保証人になってくれた)家族のように接して何かにつけて面倒をみてもらった恩が社長にはある。


「私の担当する魔道具は、一般的な魔道具……照明と室温調節機だけ、ですね!?」


「ああ、そうだ。特殊魔道具はセオが担当するから、気にしないでいい」


「ほとんど人、いないんですよね!?」


「ああ、担当警備員と事務員がいるだけだと聞いてる」


 学校はお休みで生徒はいないし、教師もほぼいない。うっかり昔の知り合いに会う可能性は低い。期間は週末の三日間のみ、特別手当も出る……セオ部長と一緒の現場に入ることができる……


「……わかりました。照明と室温調整機の保守点検を引き受けます」


「おお、ありがとうサシャ! 助かるよ!」


 そう言って社長は私を神様かのように拝んだ。


 私の中にあるモヤモヤした気持ちと、社長に対する恩プラス特別手当、セオ部長への憧れを天秤に乗せて傾いた結果だ。


 **


 バドフォード州立魔道学校。この学校には、魔法使い・魔法薬師・魔道具師・魔道具技師といった魔法に関係する職業を目指す者が入学してくる。


 四年前まで、私もこの学校に通っていた。私はここの卒業生なのだ。


 良い思い出もあるけれど、最後の最後で特大の嫌な思い出のできた母校。思い出すと、胸がギュッと締め付けられる感じがして、息が苦しい。できたら生涯関わり合いたくなかった。


 無理やり深呼吸をしているとセオ部長から「行くぞ、サシャ」と声をかけられて、私は部長の背中を追いかけて学校の敷地内へと足を踏み入れた。


 白くて大きな建物は学生が使う校舎だ、中等科と高等科と東西にわけて配置されている。更に、上位の伯爵家以上の貴族の通う校舎と、下位伯爵家以下の貴族と平民の通う校舎と分けられている。


 正面玄関を通って真正面にあるレンガ色の建物は事務棟で、学校の事務を担う職員と教師たちが使う職員室などが入っている。


「ハンディ魔道具店から参りました。本日より三日間、魔道具の保守点検を行う予定です」


 事務棟に入ってすぐにある受付でセオ部長が言う。学校側は予定を承知しているので、すぐに入館証を渡してくれた。


 灰色のパンツに黒のワークブーツ、白いシャツの上には紺色のベストという服装が制服だ。ベストの胸元には『ハンディ魔道具店』と刺繍が入っていて、その下に社員証をクリップで留める。刺繍と社員証が、私の立場を証明してくれるのだ。


 学校の入館証は首から下げるタイプで、入管許可証という文字と三日間の日付が入っている。これを首から下げていれば、教師にも学校警備員にも咎められない。


「さて、本日の作業をはじめよう。俺は学生たちが授業で使う特殊な魔道具の点検を主に行うが、照明と温度調節の方は頼む。特殊なやつが終われば、俺もそちらに回る」


「わかりました。では、私は中等科の校舎から確認していきます」


「そうか、じゃあ、俺も中等科にある魔道具からやろう。そちらの方が特別な魔道具の数は少ないだろうからな」


 事務室に中等科校舎から仕事を始めることを伝えて、私たちは敷地西側にある中等部校舎へと向かった。

 中等科第一棟の校舎正門前には、大きな立ち木が四本植えられている。左右に二本ずつ並んで黄色く紅葉した葉をつけた枝が張り出してまるでゲートのよう。立ち木から通路に葉が落ちて、黄色の絨毯になっているのは、晩秋の景色として校内で有名だ。


「……特別教室や実習室は一階か。サシャ、俺はそちらに行くからあとは頼む」


「はい。私は四階に上がって、教室にある魔道具の確認をしながら降りていきます」


「わかった。なにかあったら連絡を」


 セオ部長は道具の入った鞄を持ち直すと、『魔石室』というプレートが掲げられている教室へと入って行った。その背中を見送ってから、私は建物中央部にある階段を上る。


 中等科第一棟は上位貴族の生徒たちが使う校舎で、四階建て。一階には特別教室、実習室があり、二階から四階か各教室になっている。一年生が二階で、学年が上がと階が上になるのだ。


 四階に上がり、一番手前にあったAクラスの教室へと入った。


 大きな黒板が正面の壁に設置されていて、教卓がある。教卓を向かい合うように生徒用の机と椅子が等間隔で並んでいる、よくある学校教室の姿だ。


 室温調節機は教室に一台、照明は天井に八個付いている。照明は教室前方にある出入口の脇にスイッチと制御装置が纏めてあるためそこを確認し、室温調節機が教室後方にあるので直接確認していく。


 Aクラスの照明と室温調節機を点検し、問題が無いことを確認。そして隣のBクラス、Cクラスと点検確認を順番に行っていく。


 三年生の教室が終われば、一つ階を下げて三階にある二年生の教室へ。


 この作業を中等科第一棟、第二棟、高等科第一棟、第二棟と四校舎行い、事務棟や食堂なども行っていく。とにかく数が多いし、魔道具に不具合があった場合はその様子を記録して可能ならば修理も行う。


 三日間で全ての作業を行うことは、短期決戦になる。急がなくてはいけないが、ミスは許されない。ミスなく急いでの仕事は大変だ……あっという間に時間が過ぎて、中等科第一棟にある教室を全て確認し終えたときには二時半を越えていた。


「……疲れた」


 そう呟きながら、学校事務所に預けておいた私物とお弁当の入った鞄を取りに行き、それを持って中等校舎第一棟と第二棟の間にある通称〝噴水広場〟にやって来た。


 途中でセオ部長を探したけれど中等校舎第一棟にその姿はなかった、第二棟の方に移動したのかもしれない。探すことも考えたけれど、仕事の邪魔になるかと止めた。


 広場の中央には小さな噴水があり、空きスペースにガーデンテーブルと椅子が置いてある。中等部の学生時代にはよく友人たちとここでお昼ご飯を食べ、放課後にも集まって持ち寄ったお菓子を食べながら他愛もないお喋りに花を咲かせていた。


 一番隅っこにあるテーブルに座り、自作したサンドイッチを口に運ぶ。


 朝ごはんの残りであるオムレツを挟んだサンドイッチは、時間が経ちすぎて野菜から出て来た水分で大分くったりしていたけれど、不味くはない。私はそのサンドイッチを頬張り、水筒のお茶で一気に流し込む。


 お腹が満ちれば、疲弊した体も回復するし気持ちも切り替わる。鞄の中に入れている、ミント風味のキャンディーを口に放り込めば、残りの時間も頑張れそうだ。


「よしっ」


 気合を入れて椅子から立ち上がる。そして私物の鞄を再び学校事務局に預かって貰うと、一階にある特別室や実習室にある魔道具の点検を始めるため、校舎の中へと戻ろうと昇降口に入った。


「ちょっと待って! 待ってよ、アイラだよね!?」


 大きな声が響き、背後から突然右腕を掴まれた。驚いて、私は咄嗟に手を振り払いながら後ろにいる人物を確認する。そこに立っていた人物にまた驚き、私は声を失った。


「ああ、やっぱりアイラだ! 良かった、見つけられた」


 中肉中背、淡い茶色の髪に濃い栗色の瞳、誰の目にも美男というような容姿ではないけれど、優しそうな顔立ちと雰囲気の青年。私の記憶にある彼の姿とは大きく変化はないけれど、大人になったとは感じた。


「……アイラ? どうしたの? もしかして僕のことがわからないとか、そんなことはないよね? 僕たちずっと一緒にいたんだから!」


 一瞬、「どちら様でしょうか?」という言葉が飛び出そうになった。だって、もう私と彼は無関係だ。でも、それを言ったところで彼が引き下がらないだろうことがわかる。彼の栗色の瞳は真剣そのものだったから。


「アイラ?」


「ご無沙汰しております、アンガス子爵令息様」


 姿勢を正してから大きく頭を下げると、私の頭の上で息を飲む音が聞こえる。


「なっ、なんでそんな風に呼ぶの!? 今までとおりにジョージって呼んでよ、アイラ。僕たちは……!」


「申し訳ございません。私はサシャと申します、平民ですので姓はございません。子爵家のご令息様をお名前で呼ぶなど致しかねます」


「……ご、ごめんよ、アイラ。怒ってるんだよね? あのときのことが許せないんだよね? ごめん、こんなことになるなんて、誰も思ってなかったんだ。だから……許してほしい」


 そうだった、彼は子どものころからこうだった。


 優しくて穏やかな人だけれど、同時に気弱で他人に強く言われると逆らえなくなる。彼の優しくて穏やかな性格は長所であったけれど、同時に短所でもあった。


「あの日からずっと探してたんだよ? キミのご両親も兄君も、四年間ずっとだ。アイラが怒っていることは当然だと思うけど、四年も前の話なんだよ。一度家に帰ってちゃんと話し合おう? そうしたら、全て解決できるから。ね?」


 優しく微笑み、スッと手を差し出してくれる。こんなところも変わっていない。


 兄と喧嘩をして家を飛び出した私を探して、迎えに来てくれたことは何度もあった。その度に「一緒に帰ろう?」と微笑んで手を差し出してくれたのだから。


 そんな彼が、私は好きだった。


 頼りない部分もあった、他人の意見に左右される部分もあった、それでも、私は彼が好きだった……あの瞬間までは。


「お断り致します」


「!? な、なんで! アイラ、皆がキミを心配してる。キミが戻って来てくれることを望んでるよ! でなければ、四年間も探したりしない。キミが帰って来ることを望まれてるんだ! もちろん、僕だってキミに帰ってきてもらいたい。そして、もう一度……」


「……お断り致します」


「アイラ!」


 ジョージ・アンガス子爵令息の手が私の手首を掴んで、引っ張る。彼は細身な方だけれど、やはり男性だ、力が強い。


「帰るよ、アイラ! 我儘を言ってこれ以上皆を困らせないで!」


「ちょっと、勝手なことを……!」


 強く引っ張られて体勢が崩れる。転ばないように踏ん張ると、手首を掴むが強くなって「帰るんだって言ってるんだよ! キミのためだっ」とアンガス子爵令息が叫んだ。手が痛い。


「いやっ……」


 彼の手を振り払おうと腕を動かすと、また体勢が崩れる。今度は踏ん張り切れずに倒れそうになった瞬間、大きな手が私を支えながら子爵令息の手を振り払ってくれた。


「なにをしているんだ?」


「せ、セオ部長……」


 私は解放され、背中に庇われる。部長の大きな背中がとても頼もしくて、ホッと息を吐くことができた。


「なんなんだ、あなたは!? いっ痛たたた!」


 間に入ったセオ部長は、いつの間にかアンガス子爵令息の手を引練り上げている。


「サシャ、今日分の仕事は終わったのか?」


「いえ、まだです。すみません。一階の特別教室がまだ済んでいません」


「……で、この騒ぎは?」


「突然こちらの方に絡まれ、連れ去られそうになりました」


 私がそのまま答えると、アンガス子爵令息は顔を真っ青にして「なんてことを言うんだい!」と大慌てになった。


「連れ去り? 穏やかじゃないな。それで、あなたは何者で、うちの従業員になにをしようとしたのです? 事と次第によっては、公式な場に出ていただくことになりますが」


「なっ……ぼ、僕はただアイラを連れて帰ろうとしただけだよ! 彼女が本来いるべき場所に帰してあげる、それだけであって連れ去りなんてとんでもないっ! あなたこそ、誰でなんの権利があって僕とアイラを引き裂こうとするんだっ」


「俺はハンディ魔道具店の技師部長をしているセオといいます。サシャは俺の部下で、自分の管理下にいます。……それで、あなたは、どこのどなたなのか?」


 セオ部長の声がワントーン低くなり、アンガス子爵令息は更に顔を青くして俯いた。突き飛ばされるように腕を離して貰った令息は、痛そうに腕を擦っている。


「ぼ、僕はジョージ・アンガス。アンガス子爵家の者で……アイラの婚約者です。今はここバドフォード州立魔道学校、中等科の魔石加工術と魔石史の教師をしています」


 彼はこの学校の教師になっているという。まさか、の職業選択だった。確か彼は、王国魔道軍専属の魔石加工技師として就職が決まっていたはずだ。


「アイラ? ここに居るのは、ハンディ魔道具店の技術者であるサシャという者です。そもそも、平民と貴族は結婚ができない。人違いをしているのでは?」


「僕が長年の婚約者を見間違うわけないじゃないか! 髪が短くなろうが、髪色が変わろうが、化粧っけが無くなろうが、平民の男が着るような服を着ていようが、間違わない。彼女はアイラ・クリフフォード子爵令嬢で、サシャなんて名前じゃないっ」


 アンガス子爵令息はそう言い切った。


 貴族の令嬢だったころの私と今の私は見てくれも雰囲気も違う。髪型も化粧も服装も当時とは全く違うし、髪の色だって日に焼けて変わったし、食べるものが変わったせいか体付きだって変わったのだ。


 今の私を見て〝アイラ・クリフフォード子爵令嬢〟と結びつける人間なんていない、そう思っていたのに……彼は見事結び付けて見せた。そこは素直に凄いな、と感心する。


「……申し訳ないが、彼女は平民のサシャ以外の何者でもないのです」


「そんなわけ……」


「過去がどうであったにしろ、法的に現在の彼女が持つ身分は平民で、名前はサシャ。クリフフォード子爵令嬢はいない存在となったはずです。違いますか?」


 セオ部長の言葉にアンガス子爵令息は目を見開き、口をパクパクと動かした。なにか言いたいのだろうけれど、言葉にならないのだろうか。


「除籍を許可したのは、クリフォード家のご当主であるはずです。クリフフォード子爵は娘をいらぬ者として切り捨てた。彼女自身も戻るつもりはないようですし、戻る必要はありませんね?」


「さ、探してるんだ! クリフフォード子爵家も、アンガス子爵家でもアイラを探してるんだ、ずっと……」


 セオ部長と私は目を見合わせた。


 意味がわからない。


 だって、セオ部長の言う通りだったから。


「……なにやら事情がありそうなことはわかりました。だが、彼女は仕事中です。この週末は大変忙しいのです。アンガス子爵令息の話を聞いているわけにも、職場放棄してどこかへ行くわけにもいかないのです。また後日、改めて話し合の場を設けることをおすすめします」


「セオ部長、話し合いの場など必要ありません。彼らと私は無関係です」


 私は抗議の意味を込めて言った。


 今更、元家族だった人たちとも、元婚約者だった人とその家族とも会いたくもないし、話し合うことなんてない。関わり合いたくない。


 無理やり関わろうっていうのなら、私がまた消えればいい。消えてやる。


 アンガス子爵令息は悪い顔色のまま頷き「わかった。週末が明けたら、連絡するから」と言って退散していった。もちろんセオ部長が「会社を通して連絡するように」とひと言添えて名刺を渡してくれたおかげで、今私が住んでいる場所を知られずに済んだ。そこは、助かった。


「サシャ、おまえがうちの会社に来て四年だ。なにやら訳があることは、俺も社員たちも社長もわかってる」


「セオ部長……」


「おまえは四年間努力して信頼を築き、今の居場所を作り出したんだ。それを簡単に捨てるなよ」


「……」


「無関係だっていうんなら、尚更だろ。無関係の奴らのために、おまえの積み上げたものを捨てることなんてない」


「……あ」


「会社も社員たちも皆おまえの味方だ。作り出した居場所を捨てる前に、やれることがあることを忘れるな。……だが、まずは仕事だ。明後日までに全てを終わらせなくちゃいけないからな」


「はい。あの、部長……助けてくださってありがとうございました」


 セオ部長は私の肩を優しく撫でると「いいってことよ。じゃあ俺は食堂の大型冷蔵・冷凍機の点検をしてくる。何かあったら連絡して」と言って食堂に向かって歩いて行ってしまった。


「……」


 突然再会した元婚約者、元家族が探しているという事実、セオ部長への憧れとか別の感情、掘り起こされた昔の感情……私の胸の内は様々な感情が入り乱れてぐるぐるだ。


 気持ちを切り替えて、仕事をこなさなければ。


 私は、ぐるぐるしたもの抱えながら中等部第一棟一階にある〝魔石室〟へと入り、深呼吸を数回おこなってから照明の点検を始めたのだった。



 四年前の初春、私はクリフフォード子爵家から除籍され、平民になった。それを認めたのは当主である父であった人で「おまえのような者は、我が家には必要ない。ロニーとも相談し、おまえを除籍することにした。荷物を纏めてすぐに出て行くがいい」そう言って、私を追い出した。


 そして、私が家族には必要ないと放逐される、その原因を作ったのが……彼、婚約者であったジョージ・アンガス子爵令息その人だったのだから。


 それなのに、今更……私を探し出して、どうしたいというのだろう?



    * ◇ *



 四年前、私はバドフォード州立魔道学校の高等科の卒業を間近に控えていた。


 高等科を卒業した後は、バドフォード州立大学の魔法部魔道具科に入学も決まっていて、二年の大学生活を終えると同時に婚約者であるジョージ・アンガス子爵令息と結婚する。


 魔力を持った貴族令嬢の進路としては、魔法を使う側か魔道具を扱う技術側の二つが主流であったから、私は技術側に寄った教育を受けていた令嬢だった。


 それは、私の生家クリフフォード子爵家が代々魔道具師であったこと、婚約者であるアンガス家が魔道具に組み込まれる魔石を扱っていたから、魔道具や魔石を扱うための技術を学んでおいたほうがいいという理由があったから。


 魔道具に関係する勉強は嫌いじゃなかったけれど、いかんせん私は手先がやや不器用気味だった。他の人のように短時間での作業ができないし、意識すれば指先が震えてまた作業ができない。それでも、反復練習あるべし、と私は努力した。繰り返し作業を行い、なんとか人並みくらいにはできるようになるまで頑張ったのだ。


 それもこれも、婚約者であるジョージと共にあるため、彼の役に立つため。


 私は、十六歳で婚約した彼に恋をしていたから。


 けれど、その恋心は卒業直前になって粉々に砕け散った。


 砕いたのは婚約者、ジョージその人だ。



 高等科の卒業には、卒業制作と呼ばれる作品を提出することになっていた。最終学年に進級してから一年がかりで準備するもので、技術系の選択をしている生徒にとっては中等科から学んだ六年間の集大成だ。


 卒業制作は一人でやっても良いし、数名でグループを作って作成してもいいことになっている。少しずつ選択している専門が違う生徒同士が集まって、大きな作品を作ることも多い。


 私は婚約者であるジョージと組んで、空気清浄と脱臭を行う装置を卒業制作として作る事に決めた。二人で打ち合わせを重ね、図面を描きあげ、部材を選別して幾つも試作品を作り、卒業制作作品の提出期限ギリギリになってやっと完成し、提出した。


 魔石加工師の卵であるジョージと魔道具師の卵である私が作り上げた力作で、自信作だ。評価も高くつけて貰えて、本当に嬉しかった。


 それなのに、卒業制作の評価発表があったあとすぐに『あの卒業制作作品は、ほとんどジョージ一人が考えて作り上げたものだ』という噂が流れ始めたのだ。根も葉もない噂だったけれど、あっというまにそれは『みんな知っているけれど、知らないことにして黙っていたこと』として学校中に広がった。


 私がいくら「ジョージと二人で作り上げたものだ」と訴え、証拠になるだろう下書きの図面やアイディアノート、失敗した魔道具を見せてもダメだった。


「ああ、それもジョージが一人で頑張って描いたものなんだろ」


「アンガス子爵令息が何度も失敗を重ねていた証拠ですね」


 などと受け取られ、私は名前だけの参加だとか、提出レポートを清書しただけだとか、出来あがった魔道具を綺麗に拭いただけだとか言われた。


 学校の誰も、私の話を信じてはくれなかった。そして、ジョージもその話を否定してはくれなかったのだ。


 ジョージは「え、いやぁ……そんな……」と曖昧な言葉を述べ、困ったように笑うだけ。その態度がより一層、噂が真実であると皆が思う一因となった。


 ――アイラ・クリフフォード子爵令嬢は、婚約者であるジョージ・アンガス子爵令息の名ばかりの共同研究者として卒業制作作品に参加しただけである。これにより、高等科に入学してからの噛道具実習成績もアンガス子爵令息の協力があったと思われる。


 最終的には学校側までそう判断することになった……ただ、ジョージが私の婚約者であり、後々結婚することを踏まえ(ジョージが私を非難していないこともあり)不問とし、卒業も認めることにするとも言われた。


 どうして、こんなことになったのか?

 どうして、誰も私の話を信じてくれないのか?

 どうして、ジョージは本当のことを話してくれないのか?


 噂が流れ、学校が判断をするまでたった二週間のことだった。


 学校側が私の下した正式な判断は、当然私の保護者である父の元に伝えられることとなる。父はその内容に激怒し、私を執務室に呼ぶと本当のことを話せと言った。


 私は話した。卒業制作はジョージと二人で行ったことで、噂など根も葉もない嘘であるとして、証拠の品も父と兄に見せた。同級生たちも先生たちも誰一人私の言うことを信じてはくれなかった、けれど、父と兄は信じてくれると……そう思って、真実を話したのだ。


「……なぜ、己の不正を認められないんだ? おまえはジョージの功績を奪ったんだぞ? 酷いことをしていると、わからないのか?」


 兄はそう言って私が描いた図面をビリビリに破った。


「せめて私たちの前では自分から真実を話してくれると、そうおまえを信じていたのだがな。いつの間に、そんな卑怯者になってしまったのか」


 父はそう言って大きく息を吐き、私をその目に写さなかった。


 私は、家族にも信じて貰えなかった。


「もういい、おまえはどうあっても自分のしたことを認めないのだろう。いつの間にこんな娘になってしまったんだか。……幸い、アンガス子爵家からは気にしないで嫁いで来てほしいと言われている。ただ、こんな恥をさらす卑怯者を大学にはやれない。大学への進学は取りやめにする」


「……」


「おまえは荷物を纏めなさい。正式な結婚式は予定通り二年後に行うが、二週間後アンガス子爵家へ行き、アンガス夫人から指導を受けるように。いいな、アイラ」


 そう言うと、父と兄はアンガス子爵家へと払う迷惑料の話を始め、「おまえが卑怯なことをするから、クリフフォード家の名に傷がいたし、アンガス家に支払う金が余計にかかるんだぞ!」と兄は苛立たしそうに叫んだ。


「……私は、嘘など言ってはおりません」


「なに?」


 父と兄は私の言葉を聞いて、更なる怒りを顔に表した。


「ですから、私は嘘など言っておりません。卒業制作は、ジョージと二人で考えて、二人で失敗を繰り返し、作り上げたものです」


「では、なぜあのような噂が流れる? なぜジョージはその噂を否定しない?」


「それは……」


 そこについては、私自身が一番知りたい部分だ。誰があの噂の元となる話をし始めたのか、ジョージは何故否定してくれないのか。


「……それは、噂が真実だからではないのか? 学校側も真実だから、正式な判断を下したのではないのか?」


「なぜ、私のことを信じてはくださらないのですか? せめて、その噂が真実なのかどうか、改めて調べては……」


「くどい! アイラ、いい加減に自分のしたことを認めろ! おまえのような卑怯な奴でも、ジョージは構わないといってくれている。子爵夫妻もだ。さっさと荷物を纏めて、アンガス子爵家へ行け。二度とこんな恥をさらすようなことをするなよ? 次にやったら、縁を切るからな。このクリフフォードの恥さらしが」


 兄の言葉に父も大きく頷くばかり。因みに母は私の噂話を聞いた瞬間、「わたくしの娘がそのような狡いことを……!」とショックを受けて倒れて寝込んでいるらしい。


 家族の誰も、私のことを信じてはくれない。

 婚約者であるジョージは、私を守ってはくれない。


 はっきりそうわかった瞬間、私の中でなにかがブツンッと弾けて切れた。


 学校から連絡があった日から毎日話し合いという名の尋問が続き……私はもう疲れ果て、家族に対する「信じてほしい」という気持ちもなくなってきていた。なにを言っても、信じてはくれないのだ。


 両親も兄も、私が噂にあがったようなことをする人間だと、ずるくて卑怯な人間なのだと思っていた。それを思い知ってしまったから。


「では、そうなさってください」


「は?」


「クリフフォード家と私の縁を切ってください」


 父と兄は再び怒りを露わにし、私を再び罵倒した。けれど、罵倒の言葉を浴びせられるたびに私の心は静かに凪いでいく。


 もう、どうでもいい。家族も婚約も。


「今すぐ、私を除籍して縁を切ってください。お願いします」


 なんと罵られようが、罵倒されようが、私は「今すぐ、私を除籍して縁を切ってください。お願いします」だけを繰り返した。十五分ほど不毛なやり取りが続いた末、私は兄から頬を張られて床に叩きつけられた。


「ロニー、止めないか! 手を出すなど!」


「ですが、父上っ……アイラがふざけたことを言うのですから……!」


「……今すぐ、私を除籍して縁を切ってください。お願いします」


 立ち上がり、父に向かって深く頭を下げる。すると、父が動く気配がした。執務机の引き出しから何やら紙を取り出し、ペンで文字を書き込んでいく。


「……己の行ったことを認め謝罪すらできない、おまえのような恥さらしな娘は必要ない。二度と貴族には戻れないし、家族とは思わない。卒業式にも卒業パーティーにも出席できず、ジョージとの婚約も当然なくなるが、それをわかっているのか?」


 顔をあげることもなく、そう言うので「勿論です」と返した。


 本当に、もう、どうでもいい。


 渋い顔で差し出された紙は〝除籍届〟で、除籍の理由と父のサインが描き込まれている。ここに私のサインを入れて、役場に提出すればそれで終わる。


「出て行け」


「今まで、ありがとうございました」


 除籍届を持つと、私はそのまま父の執務室を出た。「アイラ!」叫ぶ兄の声が聞こえたけれど、無視。もう彼らと関わるつもりなんて微塵もなかったから。


 私は自分の部屋に戻り、ドレスを脱ぎ捨ててブラウスにスカートという動きやすい恰好に着替えた。旅行用の鞄に肌着類と数枚の着替え、最低限の化粧品と今まで貯めいておいたお金を持って裏口から家を出る。


 ずっと兄の声が聞こえていたように思うけれど、気持ちの問題だったのだろうか……声はしていたけれど言葉としては聞き取ることができずにいた。


 兄がなにを言おうが、どうでもいい。


 私を信じてくれない家族も婚約者も、いらない。


 私はその足で役場に向かうと、除籍届を提出し受理された。新しく平民としての戸籍を用意して貰い、名前も変えた。アイラという名前を名乗るつもりは、もうない。


 除籍が完了したことをクリフフォード家に知らせてほしいことだけを頼むと……私は平民の魔道具技師、サシャとしての人生を歩み出したのだ。


  **


 週末の三日間で行われた、バドフォード州立魔道学校のメンテナンスは無事に終わらせることができた。途中、予想外の人物に絡まれたりしたけれど、概ね予定通りに仕事をこなして期限内に終わらせることができ、セオ部長も社長も私もホッとしたのは社内だけの秘密だ。


 魔道学校での仕事を終えて、私は火曜水曜と二日間の休暇。


 休暇明けの木曜日、私は始業時刻の三十分前にいつも通り出社した。本日の仕事内容が入った箱から『サシャ』と書かれたファイルを取り出し、魔道具の魔力充てんとメンテナンスに向かう先を確認しようとしたとき……ファイルから何かが滑り出て床に落ちる。


「?」


 それは真っ白くなんの飾りもない封筒で、差出人には『ジョージ・アンガス』とあった。


 さらに、封筒にはメモがくっ付いていて『中身を確認したら、社長室へ』と書かれている。


「……」


 そういえば、改めて話し合いの場を……とセオ部長が提案して、アンガス子爵令息が「連絡する」と言っていた。


 個人的には元婚約者とも、元家族だった人たちとも話すことなどない。どうでもいい、そう思って切り捨てた相手だから。


 彼らのした話し合いの場をという提案も、無視するつもりだ。


 学校で元婚約者と再会したとき、ハンディ魔道具店の技術者という身分も暮らしていた家も全てを捨てて、違う街へ行こう、そう考えた……でもセオ部長が「そんなことで、自分の居場所を捨てるな」と言ってくれたから……その考えを捨てた。


 確かに、もう関係を絶った相手に対して、私が四年間頑張って手に入れた物を(お客様からの信頼とか技術とか、少しずつ買い集めた家具や食器なども含めて)捨てる必要はないんだって気付かされたから。

 でも、元婚約者と元家族は……私を放っておいてはくれないらしい。


「ああ、もうっ!」


 私は封筒の端っこを勢いよく破り、中身を取り出した。それと同時に社長室の扉が開き、社長が顔を出す。


「サシャ、ちょっと来てくれ!」


 もう一度「ああ、もうっ!」という言葉が口から出そうになるのを堪えて、私は「はい」と社長室へと足を向けた。まだ、手紙の中身を確認していなかったけれど。



   * ◇ *



 平民が多く利用する文具店は書店も併設されていて、夕方という時間もあって学校終わりの学生でごった返していた。


 可愛らしい制服を着た女の子たちの隙間を縫うように、シンプルなレターセットを二種類選ぶ。


 平民階級だけれど裕福な女の子たちが好むような可愛いレターセットと、ただ色が付いているだけのシンプルレターセットを同じ棚に置いて販売するのは止めてほしい。十代の女の子たちが集団になっているだけで、圧が凄い……レターセットを買うだけなのにとても疲れた。


 仕事の疲労にプラスしての買い物疲労に、私はもうぼろぼろだ。


 転がるように文房具兼書店から出ると、階段の滑り止めに躓いて前のめりに体が浮いた。「あっ」たった三段の階段だけれど、顔から地面に着地しそう……近付く地面に目を閉じれば、温かくて硬いものに抱き留められた。そして「なんでそんなに疲れてるんだ?」という言葉が降ってくる。


「え?」


 私を抱き留めているのは、仕事帰りらしいセオ部長だった。


「……まあいい、おまえに話があったんだ。メシ、食いに行こう」


 抱き留められたまま、要するに足が地面から浮いたままの体勢で私はセオ部長に連れ去られるように移動した。そして、文房具兼書店から脇道を抜けた先にある、カウンター席しかないラーメン店にやって来たのだった。「疲れたときはコッテリギトギトタップリのメシしかない」とのこと。


 お店のおすすめはチャーシュー麺で、お好みで背油をたっぷりかけてくれるという。けれど、私はその手の動物性油を沢山食べると腹痛を起こすので、チャーシュー麺のメンマ増し増しを注文した。セオ部長はチャーシュー麺のチャーシュー増し増し、背油トッピングだ。


 私の目の前に置かれたどんぶりには、チャーシューと山のような野菜炒めの乗ったラーメンが届く。

 

 え? 量、多くない? 


「親父から話は聞いたよな。これから、どうするつもりだ?」


 今朝、私は社長から話を聞いた。


 卒業間近のバドフォード州立魔道学校で流された『卒業制作に関するアイラ・クリフフォード事件』のその後、私が卒業式を前にして貴族籍を抜けて平民になったあとの話だ。


  **


 例の噂を流したのは、元婚約者が仲良くしていたグループにいた生徒たちだった。


 言い出しっぺである人物は、チェルシー・モアという名の男爵令嬢。彼女はモア男爵家の庶子で、卒業後は平民籍になり魔石加工技術者として働く予定だった人物、だそう。


 事の起こりは元婚約者がちょっとした悩みを、友人たちに打ち明けたから。


 ――婚約者の方が自分よりも成績がよくて、自分は男なのになんだか恥ずかしいような、情けないような、居た堪れないような、そんな気持ちになっちゃうときがある。こんなんで婚約者を守っていけるのか、不安で仕方がない。


 元婚約者が高等科の二年あたりから抱えるようになった悩みだ。私だって、お茶会や放課後のデートで何度かその悩みを本人から聞かされたから知っている。


 手先が器用で集中力のある元婚約者は、実技系の成績はとても良かったけれど教科書を使った暗記系の成績は中の下から中辺りだった。実技と暗記、双方の成績を合わせると、彼は私よりも二十から三十位ほど下の成績になっていたのだ。


 そのことを「カッコ悪い」「情けない」と言っていた。けれど、私はそんなこと気にしていなかったのだ。だって、暗記系教科の成績など卒業してしまえば関係がない、知りたければ参考資料を見ればいいだけ。それに、私たちは学校を卒業した後も結婚して一緒に仕事も生活もしていくのだから、苦手な部分があれば補えばいい。そう思っていたから。


 貴族社会は未だに男尊女卑の傾向が強くて、貴族出身の技術者の中でもその傾向がある。だから、私は婚約者で将来は夫になるジョージが表に立ち、彼に護られる立場になる予定だった。


 恋している相手から「キミは僕が護るよ」と言って貰えたら、嬉しいに決まってる。


 本人は私を守る力が不十分だと思っていたようだけれど、私にとっては充分だった……「護るんだ」という気持ちが嬉しかったから。


「えー、婚約者さん、気を利かせてくれたらいいのにね? ジョージは悩んでいるんだし。それに、世の中まだまだ男性社会でしょう。婚約者さんよりもジョージの成績が良い方がいろいろ有利になるでしょう。自分が一歩下がるくらいしてくれてもいいと思うの」


 モア男爵令嬢はそう言ったとか。


「卒業制作、婚約者さんとジョージが二人でやっているの? じゃあさ、その主導はジョージがやって婚約者さんはその補助程度だって、そういうことにしたらいいんじゃない? だって、そうすればジョージの成績あがるでしょ。どうせ結婚するんだし、婚約者さんも納得してくれるって。だって、婚約者が優秀な成績で卒業してくれた方が嬉しいもん」


 モア男爵令嬢は、続けてそう言ったとか。


 彼女の意見に、元婚約者の友人たちは同意した。そして、例の噂を校内に流して「ジョージはいつも一人で卒業制作を頑張ってた」「婚約者は見てるだけ」「ちょっとは手伝ってたんじゃないか?」「ジョージは婚約者の為頑張っていた」と目撃情報として話して回る。


 卒業制作の真実を知っていた同級生たちも「成績上位者がコケてくれるのなら、自分の成績が繰り上がるから歓迎」とその噂話に乗ったようだ。


 その結果、噂は本当のこととして少しずつ変化し、尾ひれから背びれまで付けながら短い時間で学校内を駆け巡っていく。その勢いはすさまじく、もう誰にも止められなかっただろう。


 二人で取り組んでいる卒業制作の魔道具は、婚約者であるアイラ・クリフフォードはなにもやっていない。ジョージが一人で考えて制作しており、婚約者のアイラはなにもしていない。ジョージに全てやらせている、という話になっていった。


 噂に関して先生の調査が入ったときにはもう、「二人で分担して卒業制作の魔道具を作りました」とは、誰も言い出せない状況になる。


 それでも、元婚約者と私は結婚するのだから問題ない、彼らはそう思っていたらしい。


 最終的に私は大学進学を辞退、更に貴族籍を抜いて平民になって行方不明。元婚約者との婚約は当然破棄されることになった。


 元婚約者は私との婚約が無くなり、私が貴族でもなくなって行方もわからないという現実に半狂乱。


 友人たちや同級生たちも流石に「マズい」と思ったらしく、学校長に事の顛末を白状したことで事の真相が判明するに至った。


 それと同時に、私の生家であるクリフフォード子爵家にも連絡が入り、私がずっと嘘などつかず真実を話をしていたことを知った父と兄は愕然とし、母は再びショックを受けて倒れたとか。


 それから先日まで、二つの子爵家では私をずっと探していた……と。


 平民になったことはわかっていた(元父は私が本当に除籍届を提出するとは思っていなかったらしい、すぐに泣きついてくると考えていたとか)けれど、まさか名前まで変えていたとは思わず、「アイラという名の元貴族の娘。シルバーアッシュの長い髪に、菫色の瞳をしている少女」と人相書きを出して探していた。でも、探しても探しても見つからずにいた……名前違うし、貴族令嬢らしい容姿がなくなった私に辿り着けなかったことは、仕方がないと思う。


 元婚約者の友人たちや同級生たちは領地で謹慎になったり、就職が取り消されたり、進学がダメになったり結婚がダメになったりとそれぞれに罰を受けたらしい。


 言い出しっぺであるモア男爵令嬢は貴族籍を抜かれて平民となり、両子爵家への慰謝料を支払うために働いているらしい。彼女が払うべき慰謝料の支払いが完了するのは、五十年後だとか。


 元婚約者自身は、卒業制作として提出された魔道具の魔石と魔石回路を作成し組み込んだことは認められたものの、魔道具本体の設計と制作を行ったとは認められず(私の設計製作だと認められたのだ)、軍属の魔石技師としての就職は取り消されて母校に教師として就職したとのことだ。


  **


「とりあえず、話し合いの場というのはお断りすることにしました。会って話がしたいとは思わないので、今更なんだって感じですよ。でも、断る代わりに手紙を書くように社長に言われてます」


「まあ、そんなところだろうな」


 セオ部長はそう言って、背油を纏ってテカテカした麺を啜った。


「五年、十年後には顔見てもいいかって思うかもしれないって社長は言うんですけど……そんな日は来ないので、無駄なことをって思っているところです」


 キャベツともやしをスープに浸しながら食べれば、口の中でシャキシャキッと音をたてて美味しい味が口の中に広がる。えー、なにこれ、想像の十倍は美味しい。


「まあ、そう言うな。親父も実家の伯爵家を追い出されてからずっとひとりで働いて、会社起こして、会社が軌道に乗って大きくなって、貴族家にも出入りするようになって、……そうしたら向こうから連絡があったらしい。伯父貴に代も変わったことだし、事業が上手く行ってるから交流を持った方がいいって下心が、スッケスケだよな」


「えっ」


 社長、貴族の生まれだった……? 確かに整った顔をしているし、所作も洗練されてるし、貴族社会にも詳しいと思っていたけど。そのまま伯爵令息だったんだ。


「連絡が入ったのは、親父が家を出てから十二年後、でも実際に親父が実家の面々と顔を会わせたのは二十年経ってからだ。それまでは月一回、手紙のやり取りをしてたらしい。同じような立場にいるサシャのことは、他人事じゃないんだろ。貴族相手にするのは大変だし、そう簡単に諦めてもくれないからな」


「えええ……」


「手紙くらい書いてやれ、会社経由なら自宅はバレない。返事は五通に一通くらいでいいから。無視していると、強引な手段に出て来る可能性があるから適度に相手をするのがコツ……だそうだ」


 分厚いチャーシューを口に運び、私は会社の庇護下にあり、会社を利用している沢山の貴族家の手前もあるから、適度に相手をしている分には強引なことはしてこない、そうセオ部長は言う。


 そんなことを言われたら「はい」と返事をするしかないじゃない。


「顔を合わせて話をするより、手紙の方が落ち着いて対応ができることだってある。思ったこと、言いたかったことを書き連ねて送ってやれよ。言いたいことをぶつけてやれ、多少はすっきりする、かもだ」


 私はメンマと麺を一緒に口に運び、レンゲでスープを掬う。普通盛りだったはずなのに、どんぶりの中身が減った感じはしない。


「そう、でしょうか」


「心配するな、俺たちがついている。サシャの希望しないことから、護ってやれる。だから安心しているといい」


「……ありがとう、ございます。でも……」


 そこまで会社や社長にして貰って、甘えてもいいんだろうか? 私はあくまでハンディ魔道具店の技師なのであって、護って貰うような立場にない……気がする。


「……なに、気にしてるのか? ただの社員なのに、とか?」


 大きな口を開けて、大量の麺をズルルッと啜り込むセオ部長に私は頷いた。


「じゃ、別の、はっきりした方法を取るか?」


「え?」


「俺と結婚する? 店の跡取りである俺の婚約者ってなれば、堂々と守れる」


「……え!?」


「未来の社長夫人を守るため、それなら親父や俺が動いても問題ないよな」


「は、はいぃ!?」


 箸で掴んでいたチャーシューともやしが、ラーメンスープの中にボチャッと落ちた。


 ななななな、なにを突然……!?


「よし、じゃあまずは結婚を前提としたお付き合いから始めよう。俺は段取りを無視するようなやり方はしたくないんだ」


「なっ……え、あのっ……」


「なんだ、今〝はい〟と返事をしただろ? それに、おまえは〝ちょっといいな〟とか〝素敵かも〟とか、そのくらいには俺のこと想ってるだろ」


「は……」


 体中の血が顔に集まって来たかのように、顔が熱い。私は恥ずかしくなって箸を置いて俯く。


 確かにね、かっこいいなと思ってたし、仕事もできるし、最短で上級魔道具技師の資格をとった努力家でもある。同業の先輩として、社会人と憧れていたのは認めるし……先日、元婚約者から庇って貰ったときにときめいたことも認める。自分の中で新しい恋に発展しそうな気持が生まれたことも、認める。


 でも、それがバレてるって……滅茶苦茶恥ずかしい!


「やっぱ、六歳も年上のオジさんじゃあ嫌か? それとも、元婚約者の顔見たら、貴族に戻ってよりを戻したくなったか?」


「どっちも、ないです、絶対に……!」


 私は首を左右に振った。セオ部長のことをオジさんなんて思ったことはないし、元婚約者とよりを戻すなんて絶対にあり得ない。


 元婚約者への恋心はあの噂云々から庇っても貰えなかったときに、砕けて消えたのだから。


「その、ご存知のとおり、私は……部長のこと、好ましく思ってます。でも、部長はどうなんですか……会社に所属する技師を守るために結婚とか、そんなことして……いいんですか?」


「バカだなぁ」


 私の頭に大きな手が乗り、髪を乱すように撫でる。


「俺もおまえのことは好ましく想ってるよ。好ましく想ってるから守ってやりたいんだろ。意地っ張りだが、前向きで頑張り屋なところがいい。それに、可愛いしな」


「……」


「お互いにまだ好意を持ってるって感情で、恋の半歩手前くらいっていうはわかってる。だからさ、気持ちを育てながらのんびりやっていこうや」


 さらに強く、頭を撫でられる。髪がぐしゃぐしゃになっていくけれど、セオ部長の手の大きさと温かさを感じていたくて、顔のほてりが消えるまで俯いていた。でも「ラーメン食べろ、麵が伸びるぞ」そう言われて、私は顔をあげて箸を手にした。


「ありがとうございます。頼りにしています、セオ部長」


「ああ、なんでも頼ってくれ。ああ、それと……プライベートでは名前で呼んでほしい。はっきり区別をつけたいんだ」


 チャーシュー麺を食べ終えてから、最近始まったのだというチョコレートパフェをデザートに食べる。チョコレートが濃くて、ラーメン屋さんのスイーツとは思えないほどの高クオリティ。しかも「カップル成立記念だよ!」と店主からの、チョコレートとアイスクリーム増し増しのサービス付き。ちょっと恥ずかしかったけど、嬉しいサービスだ。


 西方ラーメン〝マシモリコッテリ亭〟で、仕事帰りにチャーシュー麺を食べる。これが、セオさんと私の初デート。


 ロマンチックの欠片もないけれど、飾る必要がなく一緒に居られることは悪くない。ラーメンもチョコレートパフェもとても美味しい。


 これから先もきっと私たちは気取らない関係を続けていく、のかな。たぶん、きっとそう。


 気軽に入店できるお店で美味しいものを食べて、劇場で演劇を楽しんだり、動物園や植物園を散策したり、お祭りを楽しんだりといった……誰もが一度はしただろうデートを重ねて。


 きっと私の中にある気持ちはすぐに恋へと育ってしまう、そんな気がする。


「あの、早速……お願いがあるのですが」


「なんだ?」


「社長に言われて、生家と元婚約者の家に手紙を書かなくてはいけないんですけど、その内容について……」


「……よし、よく考えて返事をしよう。特に元婚約者の家に送るものについては念入りにな」


 でも、それでいい。だって、私は……頭の中でセオさんとの未来をちゃんと描けているから。未来を描けているということは、その未来を私が望んでいるということ。


 チョコレートとアイスが増し増しになったパフェを二人で食べながら、私たちは手紙の内容について打ち合わせを始めた。


 閉店時間になっても、手紙の内容は纏まらなくて……店主さんに「続きはどっちかの家でやりな!」と店を追い出され、私はセオさんの暮らす家へと連行されたのだった。


 誰よ、段取りを無視するようなやり方はしたくない、とか言っていた人は……?



 * ◇ *



 バドフォード州立魔道学校の卒業直前に起きた『卒業制作に関するアイラ・クリフフォード事件』のせいで、私の人生は大きく変わる。

 悲しくて、悔しくて、諦めて、投げやりにもなって……全てを捨てようと決心するほど、私の中では大きな事件だった。


 そして、私は全てを捨ててやり直した。


 やり直しをした今、私は魔道具技師として、妻として、母として、幸せだと言い切ることができる。だから、そろそろ、元家族と顔を合わせて話をしてみようかと思う。 

 小さくても元気いっぱいな子どもたちと、子どもたちに揉みくちゃにされて笑顔の夫を見ていたら……そう思えたのだ。


 十年もしたら元家族と顔を合わせてもいいって思うかも、という義父の言葉は正しかった。

 私がアイラからサシャになって、丁度十年という時間が流れていたのだから。

お読み下さりありがとうございます。

いろいろと未熟な部分も多いのですが、少しでも楽しんでいただけたのなら嬉しいです。


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