91 : Old Days : Den-en-chōfu
デンミツは超エリート女子校だ。
お金だけでも、家柄だけでも入学することはできない。
その名門校に8年近くも通って、ヒナノは気づいたことがある。
ここには、なにか、深く、忌まわしい──いや、輝きのあまりに暗くすら見える、謎の核心がある。
それも、ふつうの生徒や教師にはあずかり知らぬ、奥まった部分に。
「考えすぎは、よろしくありませんよ」
当時から、ガブリエルはヒナノの傅育係として、日常の万般にかかわりをもっていた。
「あなたにはわからないのです。……いいえ、どうか教えて。神学機構とは?」
ガブリエルは優艶に笑い、そっとヒナノの頬に手を当てる。
「いずれ、自然に理解できますよ。それより、いまは学校生活を充実させることをお考えない」
「学校生活……」
灰色の風景が思い浮かぶ。
けっして無為ではない。むしろ有意義で、成長の実感を与えてくれる、考え抜かれたカリキュラム。
だが、この時期に特有のアンニュイの発作は、いわく言い難い棘先でヒナノの情緒の部分をかきむしる。
「ああ、くだらない。日々とは、なんて無意味なのでしょう」
だれしも通過する反抗期、少女たちにもたらされた苛立ちの結果、ある少女は悲しい目に遭うし、ある少女は大きく成長することもある。
だが、たいていの少女はつまらぬ日常の些事で無聊を慰め、それじたいによって輪をかけた倦怠に陥る。
ゆえにこそ、これほどのエリート校であっても、イジメは存在するのだ──。
「あの、わたくしも、ごいっしょして」
少女は、食堂の一隅で、声を詰まらせている。
エリート校だけに、殴る蹴る、燃やす壊すといった派手ないじめは、ほとんどない。
だが悪口や無視といった程度の迫害は、日常茶飯事だ。
その矛先になる少女のタイプも、たいてい決まっている。
「まいりましょう」
お嬢さまたちは連れ立って立ち上がり、食堂をあとにする。
残された少女は、うつむき、口を閉ざす。
それらの顛末から遠く離れたところに、ヒナノはいる。
彼女はそれじたい、巨大な派閥を形成しうる名門だ。
しかし、そのような力の行使を好まず、また嫌悪するエリートも、それなりにいる。
そんな「駘蕩たる傍流」とでも呼ぶべき名家の位置に佇む個人、ヒナノ。
あとからふりかえれば、この孤独が、彼女の選択肢を広げたともいえる。
友だちがいないわけではない、むしろ、だれもが彼女に媚を売る。
彼女ももちろん、高度な社交辞令によって応じるが、必要以上にかかわろうとはしない。
だから、群れることの大好きな少女たちの最大勢力は、別のところで捌け口を見つける。集団にはいることを希求しながら、許されない孤独な弱者を、たわむれにもてあそぶのは、彼女らにとっての必然といえた。
そんな「犠牲者」を助けられる立場に、じっさいヒナノはいた。
哀れな弱者──妙子は、ヒナノの遠い親戚でもあった。
「仲間に入れて差し上げて」
ヒナノが一言、そう言えばよかった。
名士である南小路家の推輓を受ければ、妙子はもっと楽に学校生活を送ることができたかもしれない。
──だが、ヒナノはそれをしなかった。
なぜなら、関係ないからだ。
親戚といっても金銭ずくの外戚であり、血がつながった母親も積極的にかかわろうとはしなかった。
チェーン店のドラッグストアで小金を持ち、娘を名門に入れることに成功した。
そんな成金の小娘は、何世代もまえからこの学校に通うような名門の子女にとって、うざい存在だった。
それに、あまりにもひどいイジメならヒナノも介入しただろうが、彼女の目から見ても、それはたいしたイジメではなかった。
ヒナノは100の力をもっているので、10の攻撃を受けたところで跳ね返せばいい、それをしないのは自分がわるい、と判断する。
だが、5の力しかもたない者にとっては、10の力で攻められたら壊れてしまう。当時のヒナノには、その点への配慮が欠けていた。
──ヒナノにも言い分はある。
妙子のことをお願いしますね、と親戚筋のどこか遠くから言われてからは、いやいやながら適宜守ってはいたのだ。
自分が傷つかない範囲で、お静かに、という程度の注意ではあったが。
それも結局は、無意味になった。
あるときヒナノは、真綿で絞めるようにうっすらとイジメられている妙子を、うんざりした表情で眺めていた。
いいかげんに自分でなんとかしてくれないか。そんな程度の軽いイジメ、たいしたことではないでしょう。
イジメは、いじめる側に多くの問題があることはまちがいないが、いじめられる側が問答無用で無問題というわけでもない。
ありのままでいい、なんてバカな教育が、甘ったれた誤解にまみれた異常世界を築き上げた。
そろそろ治ってくれないか。
いいかげんに強くなってくれないか。
自分の力で、生きてくれないか。
そう思いながら眺めている視線のさきで、彼女は──階段から落ちた。
だれかが押したらしい、というのは察せられたが、芸人が「押すなよ」と言っているに近いレベルの誘惑が、たしかにその場にはあった。
彼女は大けがをして、松葉杖なくしては歩けなくなった。
リハビリ生活になり、加害者とされる生徒たちから多額の賠償金をせしめた。
問題は、そこからだ。
時期を同じくして、彼女の両親が巨額の債務を負った。
賠償金など、焼け石に水の規模。
ドラッグストア「どらっぐ・ぱずす」を経営していた大株主の創業一家は、そのすべての株を売る羽目になった。
経営的には順調だったが、個人的な事情で家計は火の車だったらしい。
間接的な責任を感じた南小路家が、どらっぐ・ぱずすの株式の多くを取得し、一族が趣味で蒐集していた考古学的遺物も多数、取得した。
これは、見方によれば、南小路家は親戚の不幸に乗じて焼け太った、という結果とも見える。
もちろん多額の慰謝料が無意味だったわけではなく、その後、妙子はリハビリ施設を完備する養護施設的な学校へと転校した。
言い換えれば、ミツバの伝統と格式からは、永久に排除された。
かの学校にとっても、イジメで大けがをした生徒、などというワードそのものが不愉快であり、存在じたいを抹消したいという動機は、着実に作用していた。
──そんなある日、彼女は自殺した。
わたしは賠償金なんかが欲しかったわけじゃない、仲間に入れてほしかっただけなのに。
そういう意味の抗議を込めた自殺だった、という。
こうして何人かの同級生が「呪われた」らしいが、その顛末をヒナノはくわしく知らない。
国津石神井高校に進学したヒナノに、ミツバの事情はもう、関係がなかったから。
本来ヒナノは加害者側ではなく、むしろ被害者を守る立場だった。
だが、彼女は「見捨てた」のだと、多くの人々が噂した。
ヒナノ自身は超然として否定も肯定もしない立場を貫いたが、問題は彼女の内面に、そういう気持ちがなかったわけではないことだった。
その後の転校が、噂から逃げるため、と見られてもやむを得ない。
ヒナノはそう言って、静かに吐息した──。




