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42 : Day -59 : Nerima-kasugacho


「チューヤ、これ持ってるよね」


 サアヤは、すぐに生爪をポケットにもどすと、代わりに別のものを取り出した。

 それは、どこでもよく見かける、赤いお守り袋。

 ただ、書いてある文字がちょっとちがう。


「ああ、()()()()な。生医工の会社グッズだろ? ちょっとまえ、おばさんにマンションの廊下で会ったとき、もらったよ」


 腰から古めかしい懐中時計を取り出すチューヤ。

 その紐のさきには、パスケースとお守り袋がつながっている。

 時計、定期入れ、お守り。

 この古めかしい3点セットを、21世紀の若者も常用している。


「そういえばチューヤ、腕時計つけないよね」


 スマホでじゅうぶん、という昨今の情勢はあるが、ことに古い「鉄」を愛好するチューヤの性癖が、懐中時計への愛着を増している。

 日本人が時間に正確な民族になったのは近代のことであり、なんとなれば「鉄道時計」のおかげであった、というアノマリーは一定程度、真実だ。


「つねに前方を注視する義務がある運転士(ウテシ)に必要なのは、()()()時計があることなんだよ。腕時計なんて見ていられるか、べらんめえ」


 日常生活で「よし!」と指さし喚呼をする、テッちゃん高校生は言った。

 そのウザい性癖を思い出し、ややげんなりするサアヤ。


「おまえ運転士じゃないだろ。じゃあなんでアナログなのよ。一分一秒を争うならデジタルのほうが見やすいでしょ」


「現在時刻はわかっても、あと何分何秒、って把握が直感的にできないとダメなんだよ」


「スマホ置いといたらいいじゃん」


 時代考証を無視するサアヤに、鉄道の歴史から物語ろうとしたチューヤは自重し、噛んで含めるように言い聞かせる方針に徹する。


「貧弱な電源に頼っているような機械に、正確無比たるべき時間の管理を任せられると思うかね? あらゆる電源が止まっても、時計じたいの機能が止まることは許されない。そう、機械式こそが最強なのだよアケチくん!」


「だれがアケチくんだ。あらゆる電源が止まったら電車なんか動かないだろ。それにそんなボロ時計、落としたら壊れそうじゃん?」


 チューヤは誇らしげに、機械式の50年選手を印籠のように掲げる。

 かなり年季のはいったそれは、おじいさんの古時計のように、あと50年は動きつづけるだろうと彼は信じている。


「電車が動かなくても、気動車は動くの! 壊れないから使えてるの、ボロでも! この種の懐中時計というのは、耐震性、耐磁性、耐衝撃性、耐水性、耐油性、破損時の安全性、すべてを備えて、はじめて運転士ウテシの手に握ることを許されるの。たとえ俺が死んでも、この時計は生きつづけるからね」


 自分があと50年も生きるとは、チューヤにはとうてい思えない。

 一方、サアヤは熱弁する幼馴染を鼻白んで見つめ、


「見るやつが死んだら時計の意味ねーでしょーが……」


「そうでもない。じいちゃん死んでも、俺が死ぬまで使うから」


 一瞬、寂しそうな横顔を見せ、チューヤはぽつりと言った。

 自分が死んでも、だれかが受け継いでくれれば──。

 国鉄からJRを経て廃線となった路線の最終運行までを取り仕切った、たたき上げの鉄道員の手に、最後まで握られていたその懐中時計は、形見として彼の孫へと受け継がれ、熱く濃いテツの血はいまも力強く脈打っている。


 1929年に発売されて以来、サイズや厚みなどがほとんど変わっていない「鉄道時計」。

 縦50mm、横50mm、厚さ13mm。

 世界一正確な日本の鉄道を支えたモデルであり、何十万人という鉄道員が、何百億回と見つめた文字盤。


 もちろん正確さでいえば、あきらかに電波時計には劣る。

 耐久性も、最新の技術と素材を採用した時計にはかなわないだろう。

 が、世界が止まっても、この時計だけは動きつづけるという()()()は、いかんせん他に代えがたいものがある。


「小さなおんぼろ古時計、おじいチューヤの時計~♪」


「おじいチューヤってなんだよ!」


 じっさい、その時計は、かなりの年齢である。

 通称、19セイコー。

 使われている懐中時計用の91型ムーブメントの大きさが、19リーニュ(ムーブメントの大きさの単位)であったことから、そう呼ばれる。

 裏面に刻まれるのは、貸与年、通し番号、所属。


 高性能で非常に高価であった懐中時計は、まず昭和38年に国鉄から運転士に貸与されたことが、鉄道管理局の記録にきちんと残っている。

 完全なアンティークでありながら、持ち主のために稼働しつづける実用の道具。日に焼けて変色した文字盤は、しまいこまれていたのではなく、役割を果たしてきた証拠だ。

 3~5年に一度、丹念にオーバーホールされるかぎり、永久に働きつづけることを約束された、スモールセコンドの逸品。


 ──機械式は宿命的に、毎日それなりのずれが生じる。

 一日で5~15秒が合格範囲だったとされている。


「だけどこの時計は、なぜかずれないんだよ。ゼンマイさえ巻いてやれば」


 まるで悪魔にでも取り憑かれたかのように、正確な機械式時計。

 あるいは本当に、なんらかの霊に憑かれているのかもしれない。


 チューヤがその時計を、なにより大切にしていることは、もちろんサアヤも知っている。

 その時計につながるパスケースに、たいせつな思い出のカードがはいっていることも知っている。

 そこに、ナミおばさんからもらったお守りをつけている、という事実に、気遣い以上のなにかをさえ感じる、と彼女は認めた。


「お気に入りなの?」


「いや、なんとなく……」


 チューヤ自身、なぜそうしているのかうまく説明できない。

 いま重要なのは、この「お守り」らしい──。




「なんでおマグりか知ってる?」


 つん、とお守りの袋を指で突きながら、ぽつりと言うサアヤ。

 お守りの「守」という字が微妙に変形し、マグと読める仕掛けだ。


「さあ。企画会議ではマグカップをつくるはずだったんだが、伝言ゲームの結果、できあがったものを見て担当者もびっくり、みたいな?」


「どこまでトンチキな会社よ。まあ、私も理由はよくわかんないけど、おばさんの研究に関係して、社内で内輪向けにつくったものみたい」


「会社でつくったなら、なおさら理由くらいちゃんとあるだろ」


「そんなことよりさ、そのなか、見たことある?」


 サアヤが取り出したおマグりの袋は、口ひもの部分が緩められている。

 チューヤは、まさかと思いながら、


「お守りのなかって、見ちゃいけないんじゃないの?」


「そうだけどさ、なんとなく禁忌に手を染めたくなるとき、あるじゃん?」


「あぶないこと言うなよ。……見たのか?」


「もしかしたら、私だけなのかな。これ……」


 サアヤはもう一度、さっきポケットにしまった生爪を、包んでいる厚紙を開いて取り出した。

 ──あきらかに()()()()()である、赤黒い、生爪。

 それは、地の厚紙にはめ込まれるようにして、中心を占めている。


 もう片方の手で、取りだした「おマグり」袋を開く。

 空っぽのそのなかに、厚紙を差し込むと──ぴったり、チューヤが受け取ったのとまったく同じ質感、見た目、雰囲気のものができあがる。

 思わずゾッとして、表情が固まる。


「なんなんだよ、それ。ほんとに、そんなんはいってたのか?」


「めんどくさいから、そのレベルの疑問、飛び越えてもらっていいかな? なんだったら自分の袋、開けてみれば?」


 まっぴらごめんのチューヤは、疑問の方向を変える。


「そ、その爪、ほんとに人間のか?」


「わかんないけど。人間ぽいよ」


 その方向から推し進めることは許容範囲らしいと認め、質問を継ぐ。


「じゃあ、だれのだよ。まさか」


「そう思いたくないけど、おばさん一時、変だったじゃん。大事なひとに死なれて」


 ──半年まえだ、おばさんの恋人が死んだのは。

 今年中に結婚する予定だったという。

 彼の病気が治ったら。そう言っていた。


 区内で引っ越したサアヤの家を、そのまま引き継いだのは、自分たちも彼らの家のような明るい家庭を、ここから始めたいからだと言っていた。

 そうして暮らしはじめて一年以内に、彼の病気が発覚した。進行は著しかった。


 病気は、さいわいにも、それほど長く彼を苦しめることはなかった。

 速やかに、あの世へと連れ去られたから。

 ナミおばさんの慟哭は、すさまじいものだった──。


「裏切られた、って言ってたよな。ずっといっしょだって誓ったのに。さきに死ぬなんて約束がちがうって。……だけど、しかたないよな。病気じゃさ」


「命ってなんだろうって。ずっと研究室に閉じこもって、出てきたとき、これくれたよね」


 そうして見ると、おマグりは神聖なもののように見えるのだが……。

 まさか特級の呪具だったとは……。


「たいせつなひとを失わないようにって。生命の力がこめられてるんだって」


「だな。そういえば……」


 それをわたしてくれたときの彼女は、ずっと手袋をしていた。

 不自然なくらい、なにをするときも。ちょっとケガしちゃってね、あはは。

 そう笑っていた彼女は、もちろんいまは手袋を外し、きれいな手で仕事をしている。


「家事もしないから、手荒れもなかったよ。先週のおばさんは。あいかわらず仕事ばっかりみたいだけど」


「あんまり帰ってこないのは、彼の思い出がある部屋にいたくないからなんじゃないか」


「引っ越せばいいって、お父さんたちは言ってるけど。どうせあんまり帰らないから、関係ないって。おばさんはきょうも、この会社のなかにいる……」


 話しながら、チューヤはストラップの先端を見つめる。

 心は拒絶していたが、冷静な脳が理性で確認を強いてきた。

 彼はふるえる指で、お守りの紐を解く。

 中身は……同じだった。


「うわ……っ」


「やっぱり、チューヤも。……おかしいよね。おばさん、どうしちゃったのかな? おかしいよね?」


 サアヤは心から心配げなようすで、会社のほうを見つめる。

 チューヤもそれに倣う。


 自分の生爪を入れたお守りを、親戚やその友人に配る心理状態とは、いったいどのようなものなのだろう?

 これは、いわゆる呪いのグッズなのだろうか?

 これのせいで、自分の周囲に恐ろしいことが起こりはじめたのだ、とまで言うつもりはないが、それにしても気味のわるい符合だという点に議論の余地はない。


「電話、つながらないのか」


「うん。電波、届かない。既読つかない。おばさん、どうしたんだろ」


「会社は、動いてるよな」


「研究所じたいは、24時間まわってる。医療系だから、動物や患者さんに休日はないし」


「いや……製造ラインまで動いてるみたいだぜ」


 チューヤは鋭い視線で、会社の4階あたりをじっと見つめる。

 生医工研究所は、その名のとおり研究をする研究棟の他に、製造工場としての機能ももっている。

 自前の販売網はもたないが、大手製薬会社に納品流通する医薬品を製造。

 ドルミナンBと呼ばれる睡眠薬で、処方薬ではあるが、謎の価格優位性から一定のシェアを保っていた。


 そのラインがいま現在、稼働している。

 ここは正門から裏門にまわった場所。

 従業員用の通用口付近から建物を見上げるチューヤ。


「……エグゼ」


 ナノマシンを起動し、工場棟に視線を集中する。

 ──空間が、揺らいでいる。

 地下から斜めに、なんらかのエネルギーの流れが見えた。


「チューヤ?」


「助けないとな、おばさん」


「どうするの?」


「助けに……行くんだよ」


 所内に侵入する決意。

 自分で煽っておいて、サアヤはすこし躊躇する。


「でも、まだ外からできること、ないかな」


「おばさんは、まだ社内にいる」


「うん、そう思うけど……なんでわかるの?」


「駐輪場……あれ、おばさんのバイクだろ」


 裏門からは駐輪場のようすがわずかに見えた。


「あ、そうか。川の手線できて便利になったのに、いまでも原付で出勤してるんだね、おばさん」


「あれ原付なの? たまに環八かっ飛ばしてるナミさん見るけど」


 思わずナミのバイクを二度見するチューヤ。

 どう見てもレーサータイプのパッケージだ。


「レプリカってやつみたい。排気量は50ccだから、一応原付だって」


 6速の伸びがまったくないのよね、さすがにボアアップしないと排気量的に限界かな、などとボヤいていた隣人の姿を思い出すチューヤ。


「なるほど。それ以前に、時速100キロ超える原付は、たぶん違法なんじゃないかな、ナミさん……」


 そのバイクが、寂しげに駐輪場に立っている。

 起動したナノマシンは、地中から伸びてきた黒い腕のような霧が、バイクをむしり取っていくような動きを一瞬、見せつける。

 ──もう、議論の必要はない。


 目に見えたものの意味を、彼自身、理解はできていない。

 だが、()()()()()ことはまちがいない。

 物陰に隠れるようにして、会社の敷地をぐるりと一周してから、侵入できそうな場所を見つけるに及んで、決意は固まった。


 不法侵入。

 そのまま発見できればよし、ふつうに考えれば捕まるだろうが、それはそれでおばさんへの接点になる。


 周囲を見まわし、人目のないことを確認する。

 どこかに監視カメラくらいはあるかもしれないが、捕まる前提であればかまってはいられない。


 身長の1.5倍ほどもある壁を、チューヤはサアヤの肩を使ってよじ登り、乗り越える。

 上からサアヤに手を伸ばし、引っ張り上げる。

 行くぞ、と敷地内に第一歩を踏み出した瞬間、


「キャンヒャン、ヒョウン!」


 奇声とともに横合いからの打撃を受け、ぶざまに地面に転がるチューヤ。


「うわぁああ! ゲームオーバー早すぎ!」


 突っ込みながら、身体を起こすチューヤの視線のさきにいるのは──だれでもない、ただの犬だった。


「あらケルベロス! 元気だったのね」


 上から、うれしそうなサアヤの声。

 チューヤもあらためてその犬を見つめる。


「って、なんだケルか。なにやってんだ、おまえこんなところで」


 ひさしぶりに見た、鍋部の居候的マスコット犬、ケルベロスがハッハッと短い息をついている。

 サアヤは、おーよしよしとその野性的ポメラニアンを撫でながら、


「ケルベロスは自由なケダモノだからね。行けるところには、どこでも行くよね」


 もちろんケルベロスが高い塀をジャンプして越えてきたとは思えない。

 このサイズであれば、鉄柵の下や隙間でもくぐってこれそうだ。

 チューヤはパンパンとジャケットの埃を払いながら、


「あのなあ。俺たちはこれから、清潔で合理的な科学の研究所に行くんだぞ。獣なんか連れて歩けるか」


「いや、獣を連れているからこそ不自然じゃないかもしれないよ。動物実験部門とか、あるらしいし」


 動物実験という言葉にするのもいやなフレーズに、自分で言っておきながらサアヤの表情が曇る。

 チューヤは視線をポメラニアンに移し、


「なるほど。ケルを動物実験に」


「なんか言った?」


「いえ、なにも。……じゃ、おばさんのところにケルベロスを診察してもらいに行く、という理由をとってつけようか?」


 意味があるとは思えないが、理由がないよりはいい。

 ミッションははじまったばかりだ。



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