26 : Day -60 : Hikarigaoka
西荻窪から、いつもの川の手線・右回りに乗り込む。
乗りなれた地下鉄の、あまり乗らない時間帯。
大深度を突き進む列車に揺られながら、一同はようやく、もっと早く話し合うべき事柄について話を進める。
「まあ、きのうまでにあったことは、だいたいサアヤから聞いたが」
マフユの言葉に、チューヤは努めて冷たく言い放つ。
「だったら俺たちが疲れていることも知ってるだろ。あんまりめんどうな話をもってくるんじゃないよ」
「あ? リョージや、あのクソチビには付き合えて、あたしの話には付き合えないってのか? おう?」
その表情は完全に本職のそれだな、と「威嚇」されたわけでもないのに背筋が凍える、小人物チューヤ。
「ヤクザみたいな脅しやめて……」
「まあ、あたしにこのナノマシンってやつくれたのも、ヤクザみたいなもんだからな」
皮肉な笑みを浮かべるマフユ。
その表情には一抹の寂寥がある。
「そう、それだよ。ガーディアンの由来はわかったけど、おまえ、ナノマシンなんかどこで拾い食いしたんだ?」
「拾うか! これでも3秒以上落ちてたものは、なるべく食わんようにしてるんだ。……兄貴分に当たるんだけど、ロキってひとにもらったんだよ」
チューヤは深くため息をつく。
またしてもリンクしてきた……。
「ロキって……赤羽か……?」
「へえ、よく知ってんな。店にも行ったのか?」
「いや、店とかやってることも知らん。ただ赤羽=ロキ、という図式が、なぜか脳裏に刻み込まれているのでな」
「チューヤはゲーム脳なんだよねー」
言われた側は、たぶんわるいほうの意味だろう、と察したので聞き流すことにした。
「よくわからんが、ともかく今回はロキ兄には関係ない。あたしの個人的な話だ。すこし気持ちわるい話だが、覚悟してくれ。わるいな、サアヤ」
「いいよー、フユっち友達じゃん」
「俺に使う気は」
「黙っとけ」
「はい……」
マフユは一息ついて、ゆっくりと切り出した。
「これから病院に行く」
「病院の怪談とか、怖すぎ」
「臆病なツレだな、サアヤ」
「んもうフユっち、チューヤはべつに彼氏じゃないしぃ」
「だよなー」
なぜかうれしそうに同意するマフユ。
女の話はちっとも先に進まんな、と思いながら、
「で、なにがあるんだよ。その病院に」
「ああ。あたしさ、昔ちょっとヤンチャしてたんだよな」
「いまもだろ」
言うチューヤの顔面をへこませてから、
「でさ、一年のとき、退学になりそうなところ助けてくれたひとが、いま、産休にはいってるセンセなんだ」
一年のときから部活の顧問として担当してくれていた女教師・成田が、マフユのかかわった何らかの事件で精力的に動き、彼女を退学の危機から救ったらしいという話は聞いたことがある。
「……いい先生だよな」
チューヤとしても、鍋部に快く迎えてくれた女教師のイメージは、けっしてわるくない。
恩義ある先生絡みだとすれば、そう、これは「お礼参り」だ──ちがう、と自重した。
「そうだよ。代理のクソ教師なんか目じゃない。成田センセは、あたしを色眼鏡で見なかった」
「フユっちが唯一、尊敬してる先生なんだよねー」
マフユはゆっくりとうなずき、
「だから、あのひとの望みをかなえたかった。かなえてやりたかった。それだけなんだよ。良かれと思ってやった。あのひとのためだった」
「どうしたんだ、落ち着けよマフユ。なにがあった?」
「……それを確かめに行くんだ。ちゃんと働けよ、デビルサマナー」
言うマフユの身体が、めずらしくふるえている。
表情が厳しく引き締まり、その背景の深さが思いやられる。
──成田は、夏休み明けから産休にはいっている。
顧問は代理教師の矢川がつづけているが、基本的に教師はあまり部活のことにかかわらないので、なんら支障はない。
最近、妊娠中毒症で入院した、というような話は小耳にはさんでいたが、見舞いに行こうという話がうっすらと出て、なぜかそれなりになっていた。
その意味では、いま彼女を訪ねるのは、生徒としてまちがった行動でもないように思われる。
「あのさ、なにをどう確かめるって話だよ。わかるように説明してくれ」
当然の疑問を提起するチューヤ。
サアヤの視線にもうながされ、マフユは電車の揺れに合わせてゆっくりと語った。
「だから、あたしはセンセに助けてもらったから、恩返しをしたかっただけなんだよ」
「それは聞いたよ。おかげで鍋部に合流って話なら、たしか、まえにも部活の井戸端会議のときに聞いた気がする」
それは、とりとめのない話し方で、マフユの心情の揺れが如実に表れている。
マフユはドロップアウトする予定(?)で高校に入学した。だけどあなたは腐ったミカンじゃないわ、と導いてくれる熱血教師が存在する学校も世の中にはあるらしい。
「そんな与太話といっしょにするな。……あれ以来、あたし、センセにいろいろ悩み聞いてもらっててさ、そのお返しってわけでもないけど、あたしもセンセの悩みを聞いてたんだ。で、あたしにもできることがあって、個人的に役に立てることだったから。センセのやってた妊活? ってやつについて、ちょっと手伝ったことあって」
「よかったよな。無事、妊娠できてさ。……手伝った? おまえ男だったのか……痛恨!」
サアヤをまんなかに一列シートに座っている関係上、チューヤの脳天をどつくのはサアヤの仕事だった。
わるいな、とサアヤをねぎらいながら、マフユは言を継ぐ。
「で、キナくさい話はここから。というか、生ぐさい。ほんと、吐き気する話かもしんないから、覚悟して聞いてくれ」
「なんだよおい、勘弁してくれ」
シートに這いもどったチューヤは、サアヤの鉄拳制裁を警戒しつつ言った。
マフユは一層声のトーンを落とし、
「人工授精とか、体外受精とか、聞いたことあるだろ」
「妊活の最後の手段みたいなところあるよね」
「それで、先生は好きな人の子どもがどうしてもほしいけど、女の夢はなかなかかなわないのよね、って」
サアヤが意味深な表情をつくって、ため息交じりにつぶやく。
女には当然に選択権があるが、残念ながらそれは男にもあって、とくに一部の男については、きわめて高いハードルが女たちの野望を阻害することになっている。
「そうねえ、わかるわあ」
「人生は妥協が肝心だぞ」
ハードルの低い男が言った。
サアヤはひらひらと手を振りながら、
「だって身近には、こんなのしかいないんだものねー」
「そうよねー」
マフユがめずらしく女の子を強調しているのは、サアヤのためだろう。
チューヤは憮然として、
「いいから話を進めろ、女子」
「……で、ロキ兄の話、さっきもしたっけ。芸能界にもけっこう通じててさ、芸能プロモーターに何人も知り合いいて、それで……つまり、先生のほしがっている男との子どもを、なんて言うかな……」
いつもは言わなくてもいいことまで平然と言い放つマフユが、奥歯にものの挟まったような物言いをしている。
レアケースにもほどがある。
「おい、マフユが言いづらそうにしているぞ」
「かなりヤバめの話なんだね。フユっち、がんばって」
「つまり……売買なんだよ、かなり、ヤバめの、ええと、精子の」
栗の花のキナくささに包まれて、電車はつぎの乗換駅へ──。