14 : Day -63
世界が月曜日だったとしても、引きこもりには、なんの関係もない。
曜日感覚がなくなって、はじめて一人前なんだぜ。
チューヤは自分がどれだけ甘えているか、気づかないふりをして、ベッドで過ごす3日目を満喫する。
満喫、という言葉が当たるほど有意義な時間ではない。
ただ、時間だけが解決してくれるものもある。
そう信じて、チューヤは逃亡生活をつづける。
コンコン。
窓からノックが聞こえる。
ありえない。ここは4階だ。
羽の生えた妖精でもなければ、ノックできるはずがない。
コンコンコン。
ピクシーなんてこの世に存在しない。ゲームのなかの話だ。
現実とゲームの区別がつかなくなったら危険、だろ?
地上10メートルの出窓から聞こえるノック?
風だ、風。そろそろ冬がくるな。
コンコンコンコンコン。
台風でもきてるのかな。まあ東京は災害に対して強靭化されたはずだからな。
洪水にも強いし、地震対策もかなり進んでると聞いた。
それでも自然災害は怖いからな。たしか冷蔵庫の横に避難用のハザードマップあったな。
ココココココココココンコンコココンコン!
「うるせーな! 開いてるから勝手にはいれ!」
16連打ノックが始まるに及んで、ついにチューヤも現実を認めた。
こういうノックをする人間に、心当たりがある。
もちろんピクシーではない。
数年来、この方法で迎えたことはなかったが。
「こんばんはー、チューヤ元気?」
ひょい、と出窓を外側から開けてはいってきたのは、あたりまえのようにサアヤ。
隣に住む幼馴染のデフォルト設定、窓からの出入り。
彼女が引っ越して以来は長らく封印されていたが、久々に活用されることになったわけだ。
「病気だ。移ると困るからな、早く帰れ」
「もう、えっちぃことしてるかと思って、遠慮してたんだよ」
「遠慮してるやつが何十回もノックするか!」
「またまた、うれしいくせにぃ。はい、これお見舞い」
差し出されたタッパー。
中身はわからないが、大方の予測はつく。
「そのへん置いとけ」
「温めてこようか?」
「いらん。リョージの料理は冷めてもうまい」
「そうだけど、やっぱり温かいほうがおいしいよぉ」
返事を待たず、サアヤは勝手知ったる中谷家のキッチンへ向かう。
遠くからレンジの音。
チューヤはふりかえりもせず、PC画面に流れる『デビル豪』のプレイ動画を眺めている。
「おばさん、まだ帰ってなかったね」
「あの人もワーカホリックだからな。うちのオヤジといい勝負だ。家賃がもったいない」
背中を向けたまま廊下を隔てたやり取り。
年ふりた夫婦のようだ、と思っても言わない。
介護でしょ、と返されるのがオチだ。
発田家が一戸建てに引っ越して去った後、空き家になるはずだった隣家には、当初、サアヤの叔母が彼氏とふたりで引っ越してきた。
結婚を前提に付き合っていたが、一年ほどまえ、その彼氏が突然、病気で死んだ。
この家は呪われている、と一部の関係者の間で一時、騒ぎになった。
彼氏の死ぬ数年まえ、サアヤの弟が交通事故で死んでいたからだ。
住む人間が、つぎつぎと死んでいく家。
気持ち悪ければ引っ越していいのよ、いいえ、引っ越しなさい。
発田家の人々は、申し訳なさそうに、すこし強めの口調で叔母さんを説得したのだという。
だが。
──わたしは科学者よ。彼が死んだのは病気。
病気を治せなかったのは科学の敗北。
勝利するために、わたしは研究をつづけなきゃならない。
以来、おばさんはほとんど家に帰ってこなくなった。
職場である研究所にいる時間のほうが、はるかに長くなった。
きょうもきょうとて、泊りがけの研究所生活をつづけているようだ。
「親戚とはいえ、勝手にはいったらまずいだろ」
「べつにいいって、おばさん言ってくれたよ。ついでに掃除しとく条件で」
「体のいいハウスキーパーだな。……いただきます」
冷めてもうまいリョージ鍋は、温めなおしたらさらにうまかった。
がっつくチューヤを眺めながら、サアヤはゆっくりと問いかける。
「……でさ、なにがあったの?」
一瞬だけ動きを止めるチューヤ。
「おぼえてないなら、そのほうがいい」
そのまま食事をつづける。
──サアヤは「死」に対して、ひどく敏感で、脆いところがある。
弟が死んだとき、もう五年もまえのことだが、あのときのサアヤは本当にひどかった。
おばさんの彼氏が死んだときも、弟ほどではなかったものの、悲しみの深さはよく伝わってきた。
とにかく「死」というものから、彼女は引き離しておかなければならない、とチューヤは思っている。
今回、親戚でもなんでもない、無関係の人々とはいえ、目のまえで数人が、そしておそらくは何十人規模で行方不明になっているこの事件。
このことを彼女がどう考えているのか、それについて問うことじたいが恐ろしく、できればスルーして済ませてしまいたい。
この世にはアンタッチャブルな物事が、いくらでもあるものなのだから。
……するとサアヤは、そんなチューヤの気持ちを忖度したかのように、問わず語りにゆっくりと語りだす。
「ほんのちょっとね、記憶はあるんだよ」
咆哮するワニの衝撃波に包まれて、吹っ飛ばされた。
剛腕がなにかをつかみ、なにかをむしり、なにかを嚙み砕いた、そんな印象が記憶のどこかに残っている。
赤いものが飛び散って、悲鳴が交錯していた。
すべて、金曜の夜から土曜の未明にかけて起こったこと。
目のまえで幼児が嚙み殺されたところを、はっきりと見ていたわけではない。
その記憶もあいまいだ。
命の恩人のおじさんが殺されたことも、よくわかっている。
その場面に出くわして、自分はそこから逃げたのだと思っている。
だけど、それじゃいけないと気づいた。
自分には力がある。すくなくとも、死にそうな人を助けてあげられるかもしれない力を、手にすることができた。
この力で、なにかできることかあるのではないか?
「だけど、私の考えを押しつけるつもりはないんだ。チューヤはチューヤで考えて、結論を出せばいいと思うよ。……じゃ明日、学校でね」
「…………」
「おやすみ、チューヤ」
空っぽのタッパーを手に、部屋から去る幼馴染のことを、チューヤはそれから長いこと考えつづけていた。
明日までに答えは、出そうにないが。