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12 : Day -65 : Nishi-Ogikubo


 パソコンのまえに座り込み、チューヤはネットのゲーム実況動画を垂れ流している。


 お気に入り動画にあるのは、バラエティ、鉄道、ゲーム、といった趣味のカテゴリーが多い。

 ファッションや音楽といったリア充系の流行には、敏感なほうではない、と自覚している。


 更新のたびに欠かさず見ているのは、プロレスラー兼政治家兼ゲーマーという三足のわらじで人気のマスクマンが配信する、ダイコク動画。

 パソコンから流れてくる都議会議員とは思えぬ悲痛な叫び声は、視聴者の同感と笑いを誘って、多数のお気に入り登録を受けている。


「うわああ、もおぉお、くっそおぉお!」


 難関ゲームに挑んで絶叫しながらも、困難を少しずつクリアしていくダイコク先生は、きょうも健在だ。

 画面のむこう側に没入して、こちら側のことは忘れてしまえ。

 昨夜来、チューヤが選んだ「生き方」の指針。


 全部夢だった。

 そう思い込むことにした。


 それは簡単なことだ。だって、あんなこと、現実に起こるはずもない。

 ありえないことを、起こらなかったのだと考えるのは、簡単なことだ。

 簡単な……。


 セベクは強かった。

 当然だ。古代エジプトで神とされ、現在も聖獣としての地位を保つ悪魔。

 弱いわけがない。こんな序盤に出現させるなんておかしいだろ、とゲーマー気質のチューヤは小一時間、だれかを説教してやりたいところだ。


 それでも、戦った。

 こいつを倒さなければ、ここから抜け出せない。

 だから必死で戦った。


 ケットシーの戦いっぷりは最高だった。

 斬り引っ掻き、稲妻突き、加速魔法、強化魔法、疾風魔法。

 妖精魔獣にふさわしい力で、セベクの体力を削ることに貢献した。


 ピクシーもよく戦った。

 魔力尽きるまで電撃を浴びせ、時々は引っ搔いた。


 サアヤは回復役に徹した。

 ケットシーたちが全力で戦いつづけられたのも、サアヤがとにかく「いのち大事に」作戦を展開してくれたおかげだ。


 チューヤは……役に立ったのか。

 ピクシーたちの召喚を維持しているのがチューヤだ、という立場から見れば役には立っていたのかもしれない。


 だが戦力としてはどうか。

 役に立たなかったわけではない、はずだ。にしても「微妙」と言われれば、まさにそれ以外の表現は見当たらないほど、微妙な役にしか立っていなかった。

 なぜならチューヤは、召喚師としての能力以外、一般ピープルなのだから。


 だから、どうしようもなかった。

 セベクの攻撃が、サアヤをとらえて弾き飛ばすのを、どうすることもできなかった。

 彼女が守ろうとしていた子どもを狙いすまして、セベクのあぎとが交錯するのを、止めようがなかった。

 彼を助けることは、できなかった──。


 否。

 冷静な自分自身が否定する。

 あのとき、子どもを助けることはできたかもしれない。

 すくなくとも、自分の腕を噛み切られてでも助けようとする、強靭な意志の力さえあれば、子どもの命を守ることはできた可能性がある。


 だが、チューヤはそれをしなかった。

 怖かったから。腕が惜しかったから。死にたくなかったから。


 つぎの瞬間、怒り狂ったケットシーの切っ先が、大きく開かれたセベクの口の奥に突き刺さる姿を見た。

 そのままセベクに飲み込まれながら、ケットシーは全魔力と生命力を開放して、敵の腹、奥深くまで掻っ捌く覚悟を示した。


 気がついたときには、彼らは夜の石神井公園にいた。

 すでに日付は変わり、明け方が近かった──。




「夢だよ。あんなこと、あるわけない」


 どうやって自宅に帰ったかは、よく覚えていない。

 ただ朦朧とした意識のなか、身体が覚えた動きに従って、サアヤに肩を貸し、始発電車に乗って西荻窪まで帰ってきた。


 つぎの駅までサアヤを送って行こうかとも思ったが、すでに途中から、サアヤのほうがしっかりして、チューヤを慰める役割になっていたから、家まで送ろうか? と言う彼女を止めるだけで、やるべき仕事は終わりだった。


 切り裂かれたシャツも、薄汚れたズボンも本物。

 だが記憶だけが、ひどくあいまいで、頼りない。

 まるで、そのほうが自分にとって都合がいいから、であるかのように。


 なにもなかったんだ。そう言い聞かせた。

 事実、だれの死体も見つかっていない。

 水面下でざわめく、なにかおぞましいものが、静かに周辺地域の人々の心を騒がせてはいたが、死体が発見されたときに見られるようなセンセーショナルな騒動は一切ない。


 だから、なにもなかったと言い張ることができる。

 ただ、行方不明者だけが増える──。


 ばかばかしい。

 チューヤはパーカーのフードをかぶり、頭を抱える。


 ありえない。全部夢だ。

 じっさい、なにも感じない。

 俺の脳内には、なにもいない。


 意識をパソコン画面にもどす。

 そこには電車が走っている。

 鉄道の前面展望。

 現実から逃避するのに最高の動画として、昔から愛用してきた。


 静かに流れる動画を見つめると、心から雑念が振り払われていく。

 定まったレールのうえを、決められた型式の電車が、予定された時間のとおりに、すべるように流れる動画。

 チューヤの意識には、もう鉄道しかない。


 ──これは定番の山手線だね。まだ高輪ゲートウェイが建設中の、懐かしい動画だ。

 慣れればどうってことない名前も、当時は反対運動まで巻き起こったらしいよ。


 かたん、ととん……。

 心に響くレールの継ぎ目の音も、最近はロングレールの採用で少なくなってきたよね。

 プロだと、目を閉じていても、どこのレールの音かわかるらしいよ。


 アップ者の名が出ている。

 よく見かけるヨウツーバー、コバヤシさんだ。


「ありがとうコバヤシさん」


 声に出して、全国各地の小林さんに流れる「鉄の血」に感謝する。

 西の小林、東の五島、という言葉がある。

 西は、主に戦前、鉄道関連事業で活躍した名士で、阪急電鉄の小林一三。宝塚歌劇をはじめるなど、たいへんな先見の明を示した人であった。

 一方、東の五島と言われる五島慶太は、官僚出身で鉄道に転じ、大東急時代を築き上げた大人物だ。長野出身の彼の旧姓は小林である。


 というわけで、小林さんは鉄道の申し子なのだ。

 いや、私見ですけど……。


「やっぱり鉄道はいいね」

「酒が進む」

「日本人は鉄道が大好きだからね」


 いつものように、コメント欄でも「鉄」たちのトークが盛り上がっている。

 けっこう豆知識も多く含まれていて、読んでいて楽しい。


 世界の乗降客数の駅別ランキングでは、1位から23位までを日本の駅が独占している、という。

 ちなみに24位がフランスのパリ、25位が台北だ。


「世界に冠たる鉄道大国。大量輸送してるうえに正確だ」

「平均50秒も遅れてすいませんって、東海が謝ってたな」

「15秒前に出発してすいませんて、TXも謝ってた」

「秒単位の運行は、会社側のシステム上の都合に過ぎないけどな。ちなみにイギリスは10分、フランスは13分、イタリアは15分まで、定刻運行の範囲内らしい。それでも定刻運行率90%だってさ」

「おおざっぱそうだもんね、向こうの人。50秒遅れてすいませんとか、意味わかんないだろうね」

「昭和42年に天皇陛下を乗せたお召し列車は、名古屋・京都・新大阪プラスマイナス5秒、停車位置プラスマイナス1センチが許容範囲だったぞ」


 そういう基盤のうえに社会がつくられてしまった国、日本。

 日本社会と電車は、切っても切れない関係にある。

 欧米で生み出されたものの多くが、極東で究極化されてきた。

 カメラも、ビデオも、コンピュータも、たとえば悪魔のプログラムも……。


 考えはじめて、チューヤはあわてて首を振った。

 意識を画面にもどし、コメント欄に一言だけ書き込んだ。


「引きこもりだけど、鉄道が好きです」


 ある種の病理が出会った瞬間。

 チューヤの現実は、いま、ここだけにある──。



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