09 : Day -66 : Kami-Igusa
それは最初「悪魔召喚プログラム」としてはじまり、現在「悪魔相関プログラム」と呼ばれる状態へと進化したもの。
初期のバージョンはBASICという言語で記され、その効果は「召喚」に特化し、容量は10MBでしかなかった。
それでも当時としては、けっこうな容量だった。
家庭用の据え置きゲーム機で「大容量カセット2メガショック!」と広告された時代だ。
デジタル時代の草創期。
コンピュータさえあれば、だれでも悪魔を呼び出せるツールとして、計数の天才がつくりあげた物語があった。
なぜ、それほど少ない容量で可能だったのか。
もちろん当時の技術の限界もあるが、作業じたいは、魔法陣の構築をオートプログラムでやってくれるだけであり、それじたいに特別な力があるわけではなかったからだ。
その後、多くの技術者、プログラマが参入し、改良されていったソースコード。
力が足りないのに強力な悪魔を呼び出し、食い散らかされる事故が多かった。
そこで、制御能力がない人間には使えないよう、安全装置がかかるようになった。
わずかな容量・性能では不可能なことが、つぎつぎと可能になっていった。
幸いにも、ムーアの法則が予言したとおり、半導体技術が異常な速度で発展を遂げていた時代。
呼び出された悪魔は、生贄や魂ではなく、エキゾタイトという生体エネルギーの現物支給によって行動するという、一種の貨幣経済の枠組みが成立した。
悪魔たちのスキルを付け替えたり、パラメータを成長させたり、細かな修正も可能になっていった。
劇的な改良が行なわれるようになったのは、21世紀になってから。
オーダーメード処理、遺伝子最適化、ARMSシステムが導入され、必然的にプログラムの長さが膨大になった。
この時期、ようやく「悪魔召喚プログラム」は召喚の域を脱し、みずからを悪魔との連続性のなかに置く「悪魔相関プログラム」の段階へと達した。
悪魔を呼び出すだけでなく、その能力を人間の体内に取り込もう、という試みである。
一方で、処理速度やストレージサイズはあいかわらず爆発的に増加していたが、限界もささやかれるようになっていた。
電子サイズより小さな情報処理は、量子論によって乗り越えられない壁をつきつけられる。量子コンピュータなどのブレイクスルーがないかぎり、悪魔そのものをエミュレートして取り込むような情報処理まで要求されるに及んで、「プログラム」であるにもかかわらず、コンピュータ上で実行することは困難になるだろうと予想された。
そして数年前、新たに出現した天才によって、のちに「最終進化」と呼ばれる、究極の悪魔相関プログラムが完成することになる。
コンピュータの内在化、すなわち「ナノマシン化」だ。
ナノマシンは、文字どおりナノメートルサイズの機械である。
機械と呼ぶからには歯車のようなもので動きそうなニュアンスだが、じっさいはただの「情報の塊」にすぎない。
いわばウイルスのようなものだ。
自然がつくる究極のナノマシンといわれるウイルスのなかに、人為的な手法で悪魔相関プログラムを組み込んだもの。
それをコアとして起動する、高度に統合されたシステム・インテグレート。
DNAは巨大な情報記録装置である、という事実は、よく知られている。
ナノマシンは、それを飲み込んだ人間の持つDNAに干渉して、みずからのもつデータを活用する──。
「エグゼ……」
チューヤのなかに起動する、最先端の悪魔相関プログラム。
最初は違和感、それから急速な「理解」がやってくる。
脳内に感染したナノマシンが、大脳新皮質という、ある種アナログな記憶装置に、情報を書き出していく。
「だ、だいじょうぶ? チューヤ……」
幼馴染を慮る女子高生の体裁だが、彼女自身にも同じものが食いついている事実から、目を背けるわけにはいかない。
「カノジョも言いなよ、魔法の言葉を。あんたはたぶん、チューヤとはタイプがちがうと思うけど、最先端のプログラムは、そういうすべてのタイプを含めて、最適化するように組み立てられている。人間ってすごいよね。これをつくりだした技術だけは認める。もっとも、そこには悪魔の知恵もかなり影響してるだろうってことも、また事実だけど」
サアヤは、唇が渇くのを感じた。
チューヤがさっき口にした一言を、自分も口にしたらどうなるのか。
そもそも、たった一言で、なにかがそれほど劇的に変わるものなのか?
いや、もう考えるのも面倒だ。
「エグゼ……?」
瞬間、走り出す実行ファイル。
脳細胞が新しい仕事と役割を発見し、驚き、焦り、また喜んで、新規の作業域を開拓していく。
登録、発田咲綾。17歳。女。
DNAタイプ、M適性。インプリント。
脳内に組み立てられていく魔術回路を、ピクシーは楽しそうに眺めている。
「さっすが、若いと速いね! 脳細胞がお元気なんだろうけど。だからこそ美味ってわけ。あ、いやいや気にしないで。人間って、これだから楽しいよねー。
さて、チューヤ。そろそろ理解はできたかな? あたしもいま、ちょっとお腹減ってるしね。きょうは機嫌もいいし、ナカマんなってあげる。回路は構築できてるから、あとは乗っかるだけ。さすがあのチューヤの遺伝子、いい家つくるねえ。
それにしてもさ、だいたい石神井の連中、気に食わないんだよねー。あたしも地元、西荻だしさ。地元愛の共有ってことで、これからも仲良くやっていこうよね、チューヤ。……あたしピクシー。今後ともヨロシク」
ふっ、とピクシーの姿がデータの羅列に置き換わる。
チューヤの眼球に、それは「ナカマ」のデータとして浮かび上がっている。
だが、それはただの感覚であって、じっさいのピクシーは目のまえにいる。
現実とデータの境界があいまいになるが、じっさいは解釈する手段の問題だ、と理解する。
これらのイメージはすべて、脳内に直接、ナノマシンによって書き込まれた情報であり、しかもそれは双方向性を帯びている──。
悪魔使い、チューヤ、ストック枠1、ピクシー。
「これが、悪魔相関プログラム……それで、ピクシーが、ナカマ?」
「だねえ。もぐもぐ。おいちー。なんか知んないけど、チューヤいっぱい持ってんねー、エキゾタイト!」
ピクシーはチューヤの手にへばりついて、その爪のあたりから、なにかをもそもそと吸い取っている。
とくに、これといった喪失感はない。
ただ、自分は彼女のエサになるものをたくさん持っているらしい、と理解する。
と、その言葉を聞きとがめたのは、意外にもサアヤ。
「エキゾタイトって? 聞いたことあるよ、それ」
ピクシーは、さして興味もなげに、
「最近、こっち側でも進んでるらしいね。生体エネルギーの研究」
「どこで聞いたんだ、サアヤ?」
「えっと、たしかナミおばさんが……」
「ああ、なんか研究所とかで生き物の研究してる」
チューヤの家とサアヤの家は、かなり親しく、ほぼ親戚づきあいに近い。
「そんなことよりさ、カノジョ、さっさと自分の能力を体感しようよ?」
ピクシーは、ひとしきりエサを吸って満足したらしく、ふわりと空中に舞いもどり、サアヤの正面に陣取った。
見つめ合うふたり。
いや、ひとりと一匹、と表現していいものか、とチューヤが悩みだしたとき、サアヤがハッとしたように、その場で軽く震えた。
「これが、魔法、スキル……」
サアヤを中心に、いわく言い難い非言語的な回路が、チューヤの目にも察せられる。
「そう。カノジョのほうは、悪魔の召喚はできない。M型の傾向が顕著だからね」
ピクシーに言われて、サアヤはどぎまぎしながら、
「え、M? いや、そんなドMじゃないよ、私は、まあどっちかというと、でも、ソフトなMかなあ」
「なんの話よ! もう、あんたのカノジョ、天然!?」
睨むピクシーを、チューヤは乾いた笑いでスルーしつつ、脳内からナノマシンが供給してくるチュートリアルに、ざっと目を通す。
「ARMSシステム、ってことか」
A=アビリティ(アビリシャン)。
R=リフォーム(リフォーマー)。
M=マジック(マジシャン)。
S=サモン(サモナー)。
全人類は、すべてこれらの適性のいずれかを持っている。
AやR、Mタイプの人間には、悪魔召喚はできない。
その代わり、悪魔の力を自らの肉体に習得することができる。
「おりゃああ!」
突如、奇声をあげたピクシーの爪が、チューヤの顔面を引きむしった。
「うぎゃああ!」
絶叫し、顔面を押さえてその場をのたうちまわるチューヤ。
「え、ちょっと、なに?」
慌てて、おろおろするサアヤ。
ピクシーが突然裏切ったのか?
いや、そうではないらしい。
ピクシーは、にこにこ笑ってサアヤのところに舞いもどると、
「ちょっとHP減らしてやったから、自分の能力を確認するといいよ」
ちょいちょいとチューヤのほうを示唆する。
地面にうずくまって、わけがわからないという顔で、うらめしそうにこちらを見るチューヤ。
傷ついたその顔に、サアヤは本能的に「治さなきゃ」という衝動をおぼえる。
「……回復、魔法、執行」
たどたどしい手順ではあったが、脳内のナノマシンの指示するとおり、自分のなかにある精神力を消費して、目のまえで傷ついている肉体の回復をイメージする。
すると、そのざっくりと割れた痛々しい傷口が、すーっと時間を巻きもどすように消えていくではないか。
──これが、回復魔法。
ピクシーは、ぱちぱちと手をたたき、
「よくできましたー。なんかさ、向き不向きってほんとにあるんだね? 最初に使う魔法がこれほどスムーズに執行されたの見たの、あたしはじめてだよー」
ここまで話が進むと、ある程度は理解を示さなければならない。
チューヤは半ばみずからに言い聞かせるように、
「まじか、最近の悪魔召喚プログラムって、こんなんなってんのかよ。いや昔のやつもゲームでしか知らんけど」
「そうだね。もう召喚にはかぎらないよね。悪魔のチカラ身につけプログラムって感じかな」
それが、個人の適性を自動的に判定して、最適化された実行を保証する。
それらを表現するために必要とされている膨大な長さのソースコードは、ナノサイズに圧縮する技術力によって、すべてを内在化させたうえでポテンシャルを引き出すインターフェイスまで進化した。
八割が大脳新皮質に「感染」し、残り二割の全身に広がるナノマシンと連動して、人体上に魔術回路を構築する。
かつて天才かつ熟練の魔導士だけが達することのできた領域に、ただ才能だけで、瞬時に達することができるようになった。
じゅうぶんに発達した科学は、魔術と融合を果たす。
「さて、戦闘準備は完了ってことで、いいのかな?」
ふわふわと舞って、外へ出ていこうとするピクシーを、チューヤはあわてて呼び止める。
「戦闘ってなんだよ。能力を与えてくれたのは感謝すっけど、理由もなく戦いに出かけるつもりはないぞ」
「攻めてきてるやつがいるから、やり返してやる、ってじゅうぶんな理由だと思うけど」
ピクシーは肩をすくめ、ため息交じりにふりかえる。
「そもそも、なんで攻められてるんだよ? 状況がまったくわかんねえ」
具体的な手段を手にしたが、なぜこうなっているのか理由もわからず動けない。
いや、わかったからといって動くともかぎらないが。
「どうもこうも、攻めてるやつらの理屈はとりもどしてるだけよ。すくなくともあいつらは、そう信じてる。
荻窪のみんなも、こういう強引な方法に反対してるだけで、理由そのものには納得も理解もしてる。あたしを含めて何人か、西荻勢も参加してるしね。様子見ってのもあるし、便乗するにはちょうどいいタイミングってのもあった。
流れ自体は揺るがないから。悪魔たちも、人間も、この世界の総意ってやつよ」
ピクシーの表情の裏側に秘められた、世界の広さを伺うすべもない。
「……? なんなんだ? 意味わかんねーよ、ピクシー」
「荻窪のハイピクシーに聞けばわかるよ。あたし、そういうデッカイ話には、あんまり興味ないのよね」
「具体的に、目先、ここで起こっていることは? どういうことなの?」
サアヤの問いに、ピクシーはめんどくさそうに視線を転じながら、
「さっきも言ったけど、〝侵食〟ってやつ。あんたたちの暮らす、この豊かな世界線を、あんたたちのせいで滅び、苦しまされてきた別の世界線に暮らすあたしたち悪魔が、その豊かさごととりもどしてやろう、って話」
「待てよ。俺たちのせいって」
「だからそういう大枠の話は、あたし興味ないの。目先ね、石神井のやつらはいま、そこにある資源を奪おうとしている。まずは侵食しやすい場所から順に、奪回していこうってわけ」
「奪回……」
「人間、技術、そして資源。いまも水面下で増えているはずだし、これからめちゃめちゃ増えていくと思うよ。行方不明者ってやつが。鉄色の血の旗の下、世界中で、はじまるから。東京はその試金石。ほんと、わるいこと考えるよね、あの魔王ども。くひひ」
わるいことと言いながら、どこか楽しそうに、底意地のわるい笑みを浮かべるピクシー。
属性ニュートラルの妖精も、しょせんは悪魔の一味ということか。
そのときピクシーは、やや表情を厳しくして視線を外に向ける。
「こっちから出て行く必要もなさそうね。広場に集まってたエサを片づけた主力部隊が、そろそろ広がって残敵掃討を開始した、ってところか」
つぎの瞬間、激しい衝撃が全身を包み込んだ。
壁越しに、何かが突進してきた感覚。
納屋ごと吹き飛ばされ、チューヤたちは、かろうじてその下敷きになることから逃れる。
新たな敵が現れた!
空間に浮き上がる衝撃波のパーティクル。
三次元上に実装された魔法という名の技術。
「なんだ、これ……っ」
チューヤの視界を覆いつくす、あちら側の世界線に特有のチカラ。
「なにって、衝撃魔法でしょ」
ピクシーの言葉を、そのまま受け入れかけている自分に気づく。
「見りゃわか……わかる? わかるか、こんなの……」
脳内のナノマシンと相談する。が、チューヤの適性は「召喚」なので、「魔法」については最低限の知識しか伝わらない。
結局、状況判断は自分の目で見て、体験し、考えながら進めていく必要がある。
VRの一種として対応しようか、と試みる。
これは一連のシミュレーションであり、ここは計算された立体空間なのだと。
自分たちはプレイヤーとして、素直に没入すればいい。
そういう設定の物語は、枚挙にいとまがない。
典型的な実装。慣れればいいだけの話、なのか。
「エサども、とっとと死ねや!」
あきらかに化け物顔の骸骨のような悪魔が、叫びながら魔力を放っている。
これが攻撃系の魔法らしい。
追い散らされてきた人間が、直撃を受けて四散する。
弾け飛ぶ肉片。血。触感。空気の流れ。鼻を衝く刺激臭。
なんたるリアル。
これをどう理解すればいい?
「エミッター制御、ってやつかな。最近の三次元描画はすごいな」
依然として動かない鈍重な主人公を、妖精はいらいらしたように叱咤する。
「おい、たわけ野郎! さっさと戦うのよ、あんたも!」
地面に転がっていた金属バット。
さっさと拾えとばかり、それを蹴り転がしてくる妖精のリアリティ。
いったい、どういう動作パラメータが組まれているのだろう?
「グォアァアッ!」
ふりまわされる爪の一撃で、肩口に走る鋭い痛み。空中に舞う一条の鮮血。
これがバーチャル……いや、リアルだ、この痛みは。
「カノジョ、回復は任せるから! ……言っとくけどMPは無限じゃないからね、さっさと戦う!」
現実主義のサアヤはうなずき、自分のなかからデータと魔力を引き出していく。
「うん、わかった。……回復、丙級、単式、回路形成、直流にて……執行!」
ピクシーとサアヤの声が交錯するのを、チューヤはどこか他人事のように聞く。
幻想にリアルが割り込み、再び幻想のプロトコルと入れ替わる。
痛みが急激に引いていく。こんなリアルはありえない。
いや、さっき体験したばかりだったか。
痛み止めの麻薬をぶちこめば、あるいはこんなふうに痛みが引くのかもしれないな、と埒もないことを考える。
ふりかえると、サアヤが意外なほどしっかりした表情でチューヤを見つめ、うなずいている。
壊れた納屋の破片の木っ端を拾い上げ、自分の身くらいは守れるよ、という意思表示。
「女の子って強いね。……さて、それじゃ男の子として、やることやるっきゃねえか」
わかった、認めよう。
最近よく見るわるい夢のつづきを見てるんだ、ってな。
「エサが逆らうんじゃねえよ!」
襲いくる悪魔の表情に容赦はない。
まさに悪魔と認め、立ち向かう以外に選択肢がないことを、網膜に拡散するナノマシンがデータとして提示する。
「話にならないタイプってわけかい。わかりましたよ、やりゃいいんでしょ!」
ふりまわした金属バットの先から響いてくる鈍い衝撃は、前回よりもリアルな手ごたえを伴って、チューヤの意識をリアルに染めていく。
電撃魔法を唱えるピクシー、金属バットをふりまわすチューヤ、背後から回復役に徹するサアヤ。
いまはこれが、彼らのリアル。