54 淑女の筋力
ドリーティアも自国バーリドア王国の学園に通う下位貴族令嬢にも難しいことはわかっている。ドリーティアたちの同級生でドレスの罰のきっかけになった男爵令嬢リナーテはカーテシーでよろけるし椅子は深座りで、特級淑女とはとてもとても言い難いし、本人も下位貴族令嬢であるためできないことを把握していて卑屈になっていない。
だからこそ、女子生徒に爵位を聞いたのだ。
「ドリー様はお優しいのですね」
バラティナが手を前で合わせてからかいに一役買う。
「そうだわ!」
ドリーティアが扇を下ろして明るく笑顔を作った。
「私が皆様にレッスンをしてさしあげますわ。
私、低いヒールでしたらウォーキングにもダンスにも自信がございますの。
皆様がお履きになっている革靴の高さでしたら充分にお教えできますわ」
『充分に』とは『簡単だ』という嫌味が含まれている。
ドリーティアは母親である王妃陛下の指導と命令の元、嫌というほどウォーキングのレッスンをした。足にマメができ靴擦れが痛み足が腫れ踵が付けなくなるほど練習させられたことは苦い記憶だ。そしてそれを当然のように熟す淑女たちに驚きとその根性に称賛の意を覚えた。
「それに立ち座りのレッスンも必要ですわね。お教室や食堂や図書室で着座でもおよろけになる方が多数おられましたもの」
文字を書いている邪魔をされたり水を零されたり本の山を崩されたりしてきたことも日々苛立ただしく感じていた。
「確かに立ち座りには足腰と腹筋に背筋が必要でなかなかに難しいものですものね。
ドリーティア様をお手本になされば淑女に近づくことができますわ」
バラティナは母親公爵夫人に合格をもらえるまでやった結果、執事に支えられないと部屋に戻れぬまで疲れてしまったことがある。
女子生徒たちがワナワナと震える。ドリーティアは更に笑みを深めた。
「ご心配なさらないで。三年六組に所属する私たちにできるのですから、三組に所属する皆様でしたら『かぁんたんっ!』ですよ」
ドリーティアとバラティナとシアゼはかつてリナーテに言われた一言を思い出す。
『淑女D科の私にできるって思うなら、紳士A科のお三方なら『かぁんたんっ!』ですよ』
地獄へ誘う一言だった。
「わたくしは二組所属ですわっ!」
「まあ! では尚更『かぁんたんっ!』ですわね。私は淑女教育を受けてまだ一年ほどですが、皆さんのお手本になってさしあげますわね」
周りがざわめく。ドリーティアとバラティナの仕草はそこここに穴はあるものの気品は一流さを感じていたので教育を受けているご落胤だと考えられていたのだ。
『確かに淑女教育は一年に満たないですね。王族教育や高位貴族令息教育で培ったものは持っていますけど』
バラティナとシアゼは笑いを堪える。
「わあはっはっはっ!!」
ヨンバルディが腹を抱えて笑いだした。
「これまで令嬢社会にいなかったドリーに指摘されるとはなんと稚拙なものだ」
「まあ! 私の講師様方はちょぉぉぉぉ一流ですのよっ」
それもそのはず。バーリドア王国王妃陛下と侍女長レライが中心なのだから。
ドリーティアは唇を尖らせた。
「ぷっ! ドリーは可愛らしいな」
ドリーティアは目を見開いて扇を大きく開き顔を隠してからヨンバルディを睨みつける。
「すまんすまん」
ヨンバルディは笑いを抑えて一つ呼吸を整える。
「ドリーティアの指摘通り、どうやらこの学園の淑女レッスンには穴があるようだ。学園長と相談したいと思う。それに特級淑女を目指さなくとも生きていくうえで最低限の筋力と体力は必要であろう」
ヨンバルディはこれまでバラティナにぶつかってきていた女子生徒たちも赦すつもりはないようだ。騒ぎの中心でないところから小さな悲鳴が漏れた。
「さあ、二時限目の授業が始まる。皆はそろそろ教室へ戻ってくれ」
生徒たちは不安な顔のままに頭を下げてから動き出した。
「ドリー。教室まで送ろう」
ドリーティアは素直にヨンバルディの手を取った。テラゾンもバラティナの手を取りシアゼは後ろを注意しながらついていく。
「かっこよかった。流石だな」
「バーリドア王国で三ヶ月もレッスンしたからな。実感は篭っている。これでもまだリアフィアの足元にも及ばない」
「つくづく淑女の世界は深いな」
「ルディもやってみるか?」
「いや、シアゼの様子を見ると恐れ多くて踏み出せないな。ふははは」
「ヒールはいつでも貸してやるから遠慮はいらないぞ」
「わかった。そのうちな」
ドリーティアは呆れを含めた微笑をヨンバルディに投げた。
翌日、廊下には休日補習授業に強制参加の生徒の名が張り出され、小さな悲鳴や座りこんで泣き出す女子生徒やよろけて男子生徒に支えられる女子生徒や顔を赤くしてワナワナと震える女子生徒がいた。




