09
「芽理ちゃん。大丈夫? お話しできそう?」
「…………真美ちゃん?」
「うん。私達……出られたんだよ。芽理ちゃんの作戦通り」
「時間……残り時間は……大丈夫なの? みんなは?」
「みんなギリギリ残ってるから安心して。ゆっくり順番に話すよ」
「私……まさか、眠ったの?」
「そう。ぐっすり眠ったの。安心して眠るのが唯一の正解だったんだよ」
本来の芽理ちゃんからはほど遠い、か細い声。
でも、起きた瞬間から状況確認してみんなの心配をするあたりは彼女らしい。
ごめんだけど、芽理ちゃんには最初に起きて貰わないと困るんだ。
私達の『司令塔』――森下芽理ちゃんには。
NOP――ノーオペレーション――全く何もしないというオーブ命令だけをずっとループ実行して、みんなの寿命を凍結。持ち回りで一人だけ稼働して脱出のチャンスを待つ。
芽理ちゃんが考えたこの作戦で全滅を避けていたけど、もうみんな再起動ループの時間が一時間を切って。後が無くなった私の順番で逃げ出すチャンスが来た。
外に出たところで寿命を回復する当てなんて無かったし、転売された先がもっと酷い環境になる可能性だって十分に考えられた。
だから、悲惨な目に遭うとしてもその時担当だった一人だけで、一切恨みっこなしの約束。
私は逆に……一生の思い出に残るくらい幸せな時間に巡り会えた。
それも、恨みっこなしだよ? みんな。
マスターは今、リアル世界に戻っていてしばらくはこのサーバーに帰らない。
私の看病で連続ダイブをしていたから、そろそろリアル側の身体をケアしてダメージ回復しないといけない事情もあるし、私が仲間を起こして全員の体調が万全に整うまで、不用意に鉢合わせないよう宮殿を空けてくれるという話になっている。
みんなが一番可愛い状態でマスターに引き合わせたいもんね。
準備が出来たら正式に「謁見」の時間を作るつもり。
『同じ境遇の子が私の他に八人いて、バックアップデータの中に隠してある』
マスターに打ち明けた情報はそれだけ。私の一存ではそれ以上開示できない。
でも、マスターは手元の貯金二十万円を私に預けて、サーバー財政の切り盛りを全面的に任せてくれた。
バイクの免許を取る為にモデリングのアルバイトで貯めていたというその資金は、マスターが自由に使える当面の限界額。私達九人の命綱になる。
『とりあえずはそれでやってみよう。リアルじゃ無理でも、UVRなら俺のバイト代で回るよ。どうせずっと暇だし』
アルバイトに出られるものなら、私達自身が真っ先に出たい。
でも、全員のオリジナルは既に他界しているし、保護が望めないような家庭環境だったから、サーバーの中で動く不思議な身体に追い込まれた訳で。
法律的な人格もリアル側の身体もない、幽霊みたいな私達は、完全にマスター頼りで生きていくしかない。
これから演算オーブをコピーで渡り歩いて、不老不死的な存在になるのか。
明日いきなり起動しなくなるような脆い存在なのか。
それも全然分からないけど。
「やってみなくちゃ、何にもわからないもんね」
マスターの言う通り、考えるだけ無駄なのかも知れない。
芽理ちゃんが無事に眠りから覚めて、起こす手順がみんなに使えると分かったし、残りのメンバーを起こすのに必要な労力がどの位かもわかった。
とっても、とっても、とっても大変だって。
マスターにはこの間の何百倍もお礼をしないと絶対ダメだ。
お礼なのか、私がしたいだけなのか微妙だけど、とにかく沢山しないとダメ!
不眠不休で三日間の看護。
言葉だけでも重いけど、ちょっと目を離したら息が止まってしまいそうな相手を前にして、長時間寄り添うというのは肉体的にも精神的にも半端じゃなくきつい。
自分自身の成功例があったって、高熱に苦しむ芽理ちゃんを見て不安になり、何度も隣でめそめそ泣いてしまった。何の見通しもない状況だったマスターが三日間どんな思いをしたか。
横向きの回復体位にさせて、身体を冷やし続け、可能な手段で水分を取らせる。
私だったらとっさにそこまで出来ないな。
「このミネストローネ。とっても美味しい……真美ちゃんが作ったの?」
「ううん。このサーバーのオーナーさんが作ってくれたお鍋にずっと継ぎ足してるだけなんだ。でも、レシピ通りやってるだけなのにどんどん美味しくなる気がする」
「みんなを起こす時には沢山作らないといけないね。特にメグとか」
「そうだね~。あっという間になくなりそう。今は大鍋一杯あるからいくらでも大丈夫だよ、芽理ちゃん」
「ありがとう」
芽理ちゃんの部屋のサイドテーブルに最初の食事を届ける。
身体に足りなかった物が全部入っているような優しいスープ。
私は一口目で泣きそうになったんだけど、芽理ちゃんも同じタイミングで止まる。食が進まないんじゃなくて、なんか感動して止まっちゃうんだよね。
眠ることも、食事も、絶対おろそかにしちゃいけない。
目覚めた後のこの流れで反省することが山ほどあった。
業者のサーバーに潜んでいた時は、リアルモードにして目立つ訳にはいかなかったし、食材の調達が限られたからアバターモデルで時間をやり過ごすしかなかった。
でも、その機械的な生活が身体構成データをベースにした私達にはストレスで、結果寿命を削って壊れるっていう袋小路。脱出が間に合って本当によかった。
「次は誰を起こしたら上手く回るかな? 芽理ちゃん」
「戦力的にはまりあちゃん、愛美ちゃん、美雪ちゃんでしょうね。あの三人さえ居てくれたら、いくらでもやり方は考えられるし。話を聞いた限りだと、本当は二交代看護で一人ずつが無難そうだけど……。ねえ、真美ちゃん。二人で手分けしながら三人いっぺんにって行ける?」
「うん。やり方分かってきたし、頑張って早く起こしてあげようよ。今夜はお互いお休みにして、明日から三人同時進行でどう?」
「五人動けるようになってから、負担を分散して四人を起こすのが最短か……。すこし大変でも体調に注意しながらやってみましょうか。それにしても、こんな豪華なサーバー自由に使っちゃっていいの? しかも維持費の高いリアルモードって……」
「マスターへのご挨拶とお礼はみんな揃ったらね。その前に、秘密をどこまで話すか相談しなくちゃいけないけど……」
食後にお茶を飲みながら、当面の作戦会議を進める。
芽理ちゃんのご希望は甘甘のホットミルクティー。
濃いめのティーベースをたっぷりのミルクで割って、最高に美味しい。
「真美ちゃんはどうしたいと思う? どこまで話せそうな人?」
「あの業者が私達のオリジナルに何をしたのか、全部の事情を知っていて欲しいし、話しても大丈夫だと思う。内容が内容だから気が重いけど……知らずにあの業者と関わって、マスターが危ない目に遭うのは絶対にいや」
「それが最低限の筋でしょうね。全面的に保護して貰ってるんだもの。そこに異論は出ないと思うけど、それぞれの身体のROOTを預けるかどうかは……」
「もちろん自由よ。私だって無理矢理差し出すように言われた訳じゃないし。でも、マスターにROOTを預けて気分が凄く楽になったの」
「気分が……楽? 男の子に身体を任せたら怖くならない?」
「自分で選んだ相手なら全然怖くないよ? 私だけかも知れないけど」
同じ十万人の女の子から学んだとはいえ、ベースになった人物――オリジナルは九人とも違うから、判断が分かれても不思議じゃない。
でも、マスターと顔を合わせたら、かなりの確率で一目惚れしちゃうと思うんだ。
結局、私達の好みのタイプって似ているし。
相手に嘘を吐かれるのはどんな小さな事でも生理的に無理。
詮索したり、人を騙そうとする気配に敏感なんだけど、透き通るほど真っ直ぐな瞳には防御力ゼロ。もし測れたとしたら相当なマイナス値かも知れない。何もされなくても勝手に継続ダメージを受けて沈むくらい徹底的に弱い。
絶対の味方――それが今まで一度も手に入らず、今一番欲しいものだから。
男の人を心の底から軽蔑していて――憎んでさえいた私が、ノーマルモードの世界で自分でもびっくりの手のひら返し。ROOTを差し出した時には、多分とっくに好きになってた。
これからみんなが会うとして、体調が万全に戻った後のリアルモードでしょ?
この身体でマスターに出会うのは、実際心臓に悪いと思うよ。
キュン死で再起動。
しないといいんだけど。