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没原稿  作者: パーシング
3/10

03


 心の中で毒づいたのがいけなかったか。


 ガチの女子らしく、着替え時間はめっちゃ長かった。

 待った甲斐はあったが。


「お待たせしました……マスター」


 ベランダから続く大階段の裏あたりから遠慮しがちに小さな声がした。


 あっちの方で都合の良い部屋を見つけたのだろう。純白のドレス一式をフル装備したイレーヌがスカートの裾を少しつまみ上げ、しずしずと歩み寄ってくる。

 マネキンモデルに着せて生地の流れを徹底的に確認した筈なんだが、テストの時とは全然印象が違う。なんというか、彼女が着るとドレスがまるで生きているようで、凄く嬉しそうだ。


「めっちゃ似合ってる」

「ありがとうございます。お待たせして済みません、一人で着るのは難しくて」

「ああ。それコルセットだもんな。ウェストニッパーだったら少しは楽だったか」

「内情を全部言わなくていいですから」


 カジュアルとフォーマルに別れた二人、ちぐはぐな装いのまま立ち話もなんなんで、俺が時間を潰していた窓際のテーブルセットに彼女を案内する。しかし、石畳でヒールが慣れないのかさっきから足元が危うい。


 バランスを崩して大きく踏み出すと、深いスリットから脚が見えてしまうし、俺が近くにいながら女の子をこけさせてしまう訳にはいかない。こういうドレスはエスコートを前提とした服だ。椅子に辿り着くまで少しだけ手を貸した。


 シルク素材でデザインした手袋の出来映えを、彼女の方に振り返りながら確認したいところだが、躊躇いがちに握り返された指先の向こうで、大胆に揺れている胸元はもっと危うかった。ロックオン寸前で回避して明後日の方角に照準を逸らす。


 このドレスのテーマは、清楚とエロをぶつけ合ってどこまで行けるか。

 そんなシリーズだから、他の各色と同様に露出度は結構高い部類に入る。


 透ける生地と透けない生地の五重構造で、動くたびに方々のスリットが割れるドキドキ設計。イレギュラーカットのシースルー素材が交差する一瞬でちらりと視線を吊る罠があり、それでも最後は完璧にガードする安全な仕組みになっている。


 作った本人なんだから手の内を全て知っているのに、イレーヌが袖を通した途端、未知の大型爆弾がすぐそばにあるような気分になって、とっても落ち着かない。


 そもそも、これを着こなすスタイルの時点で凄いんだけどな。


 相当なメリハリがなければ無様に生地が浮き、予定外のスリットが開きっぱなしのだらしないドレスになってしまう。着る者をかなり選ぶ――はずだったんだけど。


 着る人が着ると。


 想像以上に綺麗だ。



「まだ飲み物が水くらいしかないんだよ。悪いね」

「いえ。冷たくておいしいです」

「ええっと、どのあたりから話をしようか」

「……私からお話しできることは、あまり多くないんです。マスター」


 パラソルが作る影の下、グラスを両手で抱えるようにしたイレーヌの表情が曇る。

 まあ、AIがROOTを掴んで離さなくなったら普通に大問題だわな。

 どこをどう考えても立派な言い訳が思いつかない。


 正しい手順を踏むなら、俺は即刻ログアウトして外部回線へのコードを引き抜き、彼女の演算オーブを取り外して二度と使わないだろう。

 オーブを初期化したところで同じ不具合が再発しない保証はないし、別のAIを組み込んでもハードウェアに問題がある場合には無意味な対応だ。


 一方で、何が起こっているのか把握しないことにはこのサーバーを安心して使えない。管理AIを使わず、手動で完全にセットアップしても結局はモヤモヤが残る。


 どのみち今の俺には選択肢なんてないんだがな。


「俺はこういう駆け引きが一番苦手でさ。いつも自分の手の内を全部晒しちまう。別にこれが最強のやり方だとか思ってる訳じゃなくて、手札で取れる範囲で十分だっていう、割とつまんない考え方なんだけどね」

「マスター……」


「一つ。君はAIじゃない。どういう仕組みかまだ分からないけど、最初に君が言っていた通り。生まれついての女の子、人間として生きている」


 普通の会話――自然言語を理解して的確に応答出来るAIは存在する。

 さっきのように声しか聞こえない状況のテストでは、人間側が判別できないくらい高度に学習したAI。それでも一定の癖と限界はあって。

 彼女がAIでない根拠は沢山見つけたが、一番簡単なのは――――――名前。


 イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢


 美少女と聞いて、俺が真っ先に思い浮かべるルノワールの絵画だ。

 可愛いイレーヌという二つ名がある有名な絵だから、それを知識としてAIが持っていても全然不思議ではないが、俺が名前の由来も話していないうちから『不相応』と謙遜の言葉が返ってきている。話題の主語が曖昧な場合、必ず質問してしまう現状のAIでは絶対に不可能なことだ。


 人間同士の会話は、AIが簡単に学習できるほど綺麗な文法で投げ合っていない。


 思い込み、すれ違い、あうんの呼吸。


 それこそ言語化が難しい要素ばかりの、危ういコミュニケーション。


 『あれ取ってきてよ』で通じるようになるのは土台無理な話で、漫才を見てAIが爆笑する日はいくら待っても来ないだろう。学習したくても正解がないものだし、人間だって意味を間違うんだから。


「スキャン元の本人がダイブしていない身体構成データが単独で起動することはあり得ない。あり得ないんだけど、君の場合はそうだとしか思えない。実際に人格をもって生きてるんだから。しばらく、このサーバーは起動したまま君に預けて様子を見るよ。とにかく外から電源を落とさないことは絶対約束する。そうじゃないと、安心できないだろ?」

「…………!」


「二つ。暗号化データの先頭五十八バイトだけ解読できた」

「えっ……」


 俺が言葉を投げるたび俯いていった彼女の肩が、その一瞬大きく揺れる。


「君がさっきサーバーをチェックしたときのキャッシュサイズが五十八バイトだったのがヒントだ。その長さで意味を持つ前提で復号化を掛けたら案外簡単に解けた。ヘッダー構造しか分からなくてもファイルの種類が特定できれば十分だ。圧縮率にもよるけど、絶対うちより大規模なサーバーのバックアップファイルだよ。君から復号化手順を教えて貰ったとしても、ここの環境では使い道がない。正直言うと滅茶苦茶邪魔なんだけど、君が持ち込む私物なら……仕方ないかな。俺に中身を見る権利はないし」


「マスター。その、あの……」

「三つ。イレーヌっていう名前を勝手に付けちゃったけど、自分の好きな名前を選んで名乗って欲しい。あと、俺のことはマスター呼びしなくていいよ。知り合い……くらいからで、どう?」


 途中、何かを言いかけた彼女は完全に下を向いてしまい、今は前髪に隠れて表情も分からない。暫くして、俯いた姿勢のまま彼女の返事がぽつぽつと返ってきた。


「マスター。イレーヌっていう名前。私も大好きです」

「そっか。よかった」


「この身体データの持ち主、オリジナルは倉沢真美さんという十六歳の子なんですが、もう過去に亡くなった方です。私はその子をメインにディープラーニングしていた試作AIで、正式な名前は特にありません。オリジナルのオーブを解析していたら急にダイブできるようになりました。AIの記憶とその子の記憶が色々混ざり過ぎて、自分が生き物なのか、ただのアプリデータなのか。それも全然分からない……変な状態なんです、私」

「…………」


「私物データの中身は私が前に居た場所のバックアップ。大正解です。私を作った材料の全部が入っているので、捨てないで貰えると嬉しい……です。マスターに見られたくないのは、他の人の個人情報も沢山入っていて迷惑をかけちゃうから。オリジナルの子も含めて確かに私の材料なんですけど、私だけの物でもないので……」


「俺の知識だって私物だって、他人の個人情報だらけさ。自分の部品だけで出来上がった人なんていないんだし。君しか参照出来ないっていうのは悪くない線引きだと思うよ」


 二つのグラスで同時に氷が溶け、小さな音を立てて崩れた。


 彼女――またイレーヌと呼んでいいのだろうか――が少しだけ顔を上げ、残りの水をストローで飲むと、中身がなくなって吸い込む音だけが最後に聞こえる。

 自分の分も含めて水のお代わりを注ぎつつ、UVRはどこまでもリアルだなあと感心していたら、彼女のお腹から可愛らしい悲鳴が響いた。


 冷水が、文字通り食欲の呼び水になったらしい。


「あ、あの! アバターモデルじゃないから、生身だからこうなっちゃうんです! さっきのフォルダの可愛いアバターから選び直しますね!」

「それはやめておこうよ。イレーヌ。簡単に身体を入れ替えると、自分が何者なんだか余計混乱すると思うよ?」


「でも、生身の身体構成データって維持が大変ですよ? 連続稼働なんかしたら、三食食べてお風呂に入って睡眠まで必要になりますし。女の子は他にも諸経費が色々と……」

「とりあえず食料ならさ。お米と食パンとハム、卵くらいは公式サイトから買ってあるから、十日分くらいはあるよ。出だしはちょっと寂しいけど、順番に買い揃えよう。急ぎの物があればさっきの電子マネーで買ってきてもらって構わないし」


「いいんですか? 私、三食昼寝付きで何の役にも立ちませんけど」

「サーバーのセットアップはなくなったけど、俺が持ち込んだ街のチェック作業があるからさ。それを進めてくれれば全然文句なし」


「あの……マスター?」

「ん?」

「…………いえ……何でもありません。助けて下さってありがとうございます」


 イレーヌの純白ドレス姿は一生見ていられるが、おなかが減ったとなればコルセットで締め付けたままという訳にもいかない。コスプレ系の衣装データばかり作っていて、楽な普段着というのは俺のレパートリーにないんだが、女子高生の制服シリーズなら比較的使えそうという話になり、それに着替えをして貰うことにした。


 彼女が準備している間に、宮殿のメインキッチンをチェックして回り、ハムトーストと目玉焼きだけテストで作ってみる。俺がサーバー内で飲み食いしても、リアル側の体が満腹になる訳でもないし、無駄といえば凄い無駄な行為なんだが、UVRでの飲食生活も経験していきたい。


 どのみち必要になるだろうということで、コーヒー紅茶や調味料を追加で購入した。計画より若干ハイペースで資金が減っているが、こればっかりは仕方ない。


 一人、サーバー専属の住人が増えたんだから。



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