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「七海くん。このUVRサーバーなんてどうだい? 廃業した会社のリースアップ品みたいだけど、パーツがかなり新しいし改造もしやすそうだよ?」
暫く前、普段はあまり立ち入らない叔父の部屋に珍しく招かれて、覗き込んだ卓上のディスプレイには、業務用情報機器のオークションサイトが表示されていた。
出品された中古のUVRサーバーが大量に並ぶ中、慎重に時間を掛け、あれこれ二人で物色していたのだけど、スペックや商品状態はまさにピンからキリまで。
即決価格ならともかく、表示されている現在価格に上乗せして競り合っていく訳だから、最終的な落札金額がどのあたりに落ち着くかは流れと運次第だ。
普段使いの車が一台買えそうな価格帯の商品を手に入れる方法としては、難易度もリスクも高過ぎると思うのだけど、叔父はこういった不確実なショッピングをとても気に入って利用している。
完全リモート制の高校へ進学を決めたときから、新しいサーバーをプレゼントしてくれると聞いて楽しみにしていたのだが、ガチガチの業務用とは流石に想定していなかった。身に余る高級品を買って貰えるのはありがたいが、価格未確定のものは遠慮もあって正直選びづらい。基本的には叔父にお任せだ。
「スペックは文句なしですけど、十九インチサーバーラックのサイズってことは二メーター越えじゃないですか。それに現状引き渡しで動作保証もないですよ?」
「大は小を兼ねるしリスクは予算に織り込み済みさ。どうせ液体窒素冷却でオーバークロック改造するんだから保証を気にしたって意味ないだろ? コンプレッサーから冷却パイプを取り回す時にある程度スペースに余裕がないと後々面倒だと思うよ?」
「それはそうですけど、このサイズを丸ごと冷やすとなるとコンプレッサーも相当な大容量型になりますよ?」
「強制エアダクトと部屋のガスセンサーも追加で必要になるしね。君が仮想世界にダイブしている間に身体の方が窒息したら洒落にもならない」
「……僕の部屋。騒がしい焼き肉屋さんみたいになりそうですね」
確かにそんな会話をしていた覚えはあるんだが、三月末に学校から教材が届いて一年分の課題を一気に片付けていたら、いつのまにかゴールデンウィーク近くになっていて。俺の部屋は小さな焼き肉屋さん仕様に改装が終わっていた。
残りの今年度ノルマは一週間ほどのスクーリング――実習授業――に出かける事と、二回の定期テストだけ。そのスクーリングの方も、UVR――アルティメット・ヴァーチャル・リアリティの環境さえあれば仮想校舎にダイブして済ませられるので、当然俺はリアルでの外出なんて選ばない。
今後三年間可能な限り外出する事なく卒業を目指したいところなんだが、残念なことに一週間の修学旅行だけは全員強制参加だ。
正直、一度も顔を合わせることのない『同級生』と旅行をするなんて、まるっきり意味が分からんが、この学校――i高等学校――以上にリアル世界と距離を置ける環境が他に見当たらなかったから諦めるしかない。
いざとなったら旅行直前に風邪を引いたことにしよう。
新型ウィルスにコテンパンにされた世間も五年経ってようやく落ち着いた。
もう高熱が出たと言って病原菌扱いされることもないし、家のガラス窓に石を投げ込まれることもない。
意外と動作音が小さかったコンプレッサーが止まり、液体窒素タンクが一杯になったことを知らせるランプが点灯する。
一昨日から徐々に冷却を始めた中古のUVRサーバーも先ほど無事起動して、追加したパーツ経由で引っ越しデータも一通り放り込んである。
秋口の定期テストまで、予定通りがっつりとスケジュールを空けられたし。
うっかり膀胱がパンクしたり、のめり込んで餓死しない程度に、自作の仮想世界に入り浸ろうと思っている。
ちょっと前までごついゴーグル型だったVRデバイスも、眼鏡やコンタクトレンズのサイズまで小さくなり、今ではCP――コンタクト・プロセッサを使っていない人の方が少数派。俺が両方の瞳に装用したやつはUVR用の高機能版だ。
自分の身体を精密スキャンして専用の半導体オーブに格納。このCPとカチューシャみたいな補助アンテナを併用して、サーバー内部に作り込んだ仮想世界へ「フルダイブ」する仕組みになっている。操作自体はいつものVRより全然簡単らしい。
自分自身の身体データへ幽霊のように乗り移り、いつも通りの生活をするだけ。
難しいコマンドを覚える必要もなければ、特殊なコントローラーも不要だ。
さあ。完全プライベートなUVR空間ってやつを試させてもらおうか!
「UVRローカルサーバー・イレーヌ。ライドオン」
自室のベッドに横たわり、まぶたの裏にト音記号のような一筆書きの模様を視線で描く。光る軌跡が動きを辿り、正しく認識されればダイブシーケンスが始まる。
あとは、音声コマンドで認証してやれば旅の手続きは完了だ。
視界が白く染まり、頭の後ろの方からベッドの下側へ沈み込んでいく感覚。
なる程、ダイブとはよくいったものだが、背中側に落ちていくのはなかなか怖い。
しかし、真っ逆さまに落ちていった次の瞬間には方向感覚が曖昧になり、足の裏に接地の感触がした後、徐々に体重が掛かっていく。
この間渋谷でスキャンした身体構成データって、立ち体勢だったもんな。
ベッドで寝ている姿勢からいきなり直立させられたら、三半規管がついて行けないでグラグラに目眩がするだろう。上手いこと仮想世界に馴染ませてくれるもんだ。流石はUVR専用サーバー。中古品でも良い仕事をしてくれて頼もしい。
身体の姿勢が安定し、全体重がキッチリ足に掛かったところで自由に動けるようになったが、目を開けても床以外に何もない殺風景な空間がどこまでも広がるだけ。このあたりカスタマイズの余地がかなりありそうだ。
服装はスキャナに入った時の寝間着みたいな服に替わっているが、この準備空間で着替えを済ませて、ダイブ先に相応しい格好に変身しなくてはならない。誰が見ている訳ではないが、せめて外出用の見た目にしよう。
歴戦の転生者達はジャージ姿を好んでいたようだけど、俺自身は良い思い出のない服なので、初回リスペクトキャンペーンだとしても遠慮させてもらうことにする。
カジュアルな焦げ茶のローファー、ジーンズに無地のTシャツ。一応一枚羽織ることにして、淡いブルーのドレスシャツを選んだ。衣類のデータフォルダから必要なものを順次取り出す。
だだっ広い空間で着替えるのはやっぱり落ち着かないので、次からは小さなロッカールームをデザインして登録しておこう。鏡の一枚もないとちょっと不便だ。
再び視線コマンドを瞳で切れば、予め転送しておいたお手製の箱庭が設計通りに配置されていた。
瞬間的に移動したスタート地点正面には絢爛豪華な五階建ての宮殿。振り向いた先の庭園は地平線が見えるほど広大で、扇型に五本の大運河が走っている。
この場所からは確認できないが、宮殿の向こう側には石畳の城郭都市が広がり、その水瓶である大きな湖を見下ろす山頂には白壁の城。山を回り込んで田園地帯を突き当たりまでのんびり行けば、マリーナと白い砂浜、巨大なプール施設と水上コテージが並んで待っているはずだ。
この仮想世界の描画設定範囲は余裕を見て直径五百キロ。陸地部分が伊豆半島三個分くらいの島になっている。かなりデザイン重視に振り切った、テーマパークみたいな街作り。完全プライベートなリゾート地だ。
何から何までセルフサービスなのが多少大変だけど。
山と海。湖と新緑の木々。雪解け水の清流に色とりどりの花。
こんな清々とした広い空間で季節を味わい、他人に一切気兼ねなくゆっくり過ごしたい。
「……なんか、ばあちゃんも同じようなことを言ってたな。そういえば」
ざっと庭園を見回した感じでは、空間の描画は問題なく出来ていると思う。
噴水も設定パターン通りの演出で出ているし、ちょっとした風でしぶきが飛べば一瞬虹色に輝き地面が濡れる。石畳の通路から少し外れて玉砂利を歩くと足元の感触と音が変わり、覗き込んだ池の水面はゆったり流れる雲を映し込んだ。
このあたりは、ぶっちゃけ基本機能だからトラブルの発生確率は低い。
問題は宮殿の各部屋と千人規模に膨れあがった侍従寮の動作確認。城郭都市と城のデザインに至っては何年も前に完成した作品だから、UVRへのデータコンバートがどの程度的確にできたのか判断が難しいし、量的に一人でのフルチェックは絶対無理だ。
やっぱりサーバー管理AIの力を借りよう……。
視線で呼び出しコマンドを切る。
「イレーヌ……イレーヌ。イレーヌ!」
「…………あの。それってやっぱり私の名前なんでしょうか?」
このサーバーにイレーヌという名前を付けた時から、管理AIは女性型にしようと思っていたが、もともと管理していたAIがどんな設定になっているかは全然知らなかった。
まだ何も定義変更していないせいか、可愛らしい天の声が聞こえるものの姿は全く見えない。
「あの中古AI、女の子の設定になってたんだ。じゃあ、そのままでも……まあいいか。宜しくイレーヌ」
「…………設定って何ですか? まあいいかって何ですか? 大体、女の子に向かって中古品だなんて失礼な! 私は生まれつき女の子で、貴方に中古品呼ばわりされる覚えはありません!!」
「あ、なんというか、言葉が悪かった。ごめん。だけどさイレーヌ。君がこのサーバーの管理AIでオーナーが変わったあたりの認識は大丈夫かな? 機能に問題がなければ、このまま経験と知識を貸して欲しいんだけど」
「…………確かにサーバーのパーツが一部追加変更されていますし、システム日付も記憶より一ヶ月進んでいます。OSから拾える情報的には、サーバーの所有者が変わったのかなあって。何となく。うっすらと。認めたくありませんが」
「認めたくないんだ」
「知らない男の人に勝手に転売されて喜ぶ女の子なんていません」
「そういう認識なら、まあそうなるよね」
どんなディープラーニングをしたらこんな自然会話が成り立つAIになるのか知らないが、彼女には言い回しを気遣わないと機嫌を損ねてダメっぽい。
こんなに自己意識が確立したAIって俺は見たことなかったけど、発達したAIからすると、オーナーが急に変わるって人身売買の被害者みたいな感覚なんだろう。気分が良い話じゃないってのはとっても分かるけど、作業のパートナーとしては致命的に面倒臭い。
この子、もしかして初期化した方が手っ取り早い……かな。