良い規制、悪い規制。規制の本質とは何か?ふりがなさん語る。
皆さんこんにちは、ふりがなです。
今回は規制について、面白い記事を見つけたので書いていこうと思います。
読者の皆さんは、規制について、良い物だと思っていますか?
それとも、悪い物だと思っていますか?
今回は皆さんのその疑問を、一気に解決してしまいましょう。
規制の疑問が無くなったと思ったら、評価をお願いします。
さて私がGoogleで偶々調べたワードはそのまま 『良い規制 悪い規制』です。
調べて貰うと解るかと思いますが、東京財団政策研究所の「規制とイノベーションの新しい関係:障害物から推進力へ」という記事が出てきます。
本記事は、その東京財団政策研究所の記事を参考に書いた物です。
さて、読者の皆さんは「規制影響分析/評価(RIA)」について、ご存知でしょうか?
RIAは、政策としての規制の評価指標です。
予め、政策が市場にどのような影響を与えるかを試算し、政策に正当性を与えるRIAは、日本では、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中では最も遅れて2007年に制度化されました。
本記事で、RIAを初めて知った方も多いのでは無いでしょうか?
皆さんの認知度の通り、実はRIAは日本ではあまり活用されていません。
しかし、近年RIAを積極的に活用している国から、興味深い結果が出てきました。
規制は、市場の障害となるケースばかりではなく、むしろ市場の推進力になるケースがある。
規制はイノベーションに不可欠だ。
特にデジタル化、ドローン、原子力、人工知能という、大きなリスクの付きまとう新興技術の発展において、市場では当局の規制が必要不可欠になって来ています。
これらの新しく必要になった規制の評価を定量的に行う試みがRIAです。
自由市場が尊ばれる思想の蔓延る我が国日本では、規制のせいで、発展が遅れていると常々言われますが、むしろ柔軟な規制、有効な規制の面で諸国に遅れを取っている現実が見えて来たのです。
規制が全て悪い物であるという前時代的な思想は、今、思想ではなく、新しい技術によって世界から駆逐されつつあります。
ここから、規制にはわかり易い軸があるという事がわかりました。
市場の障害になるか否か。
即ち、市場の推進力になるか否か。
民間が自力で行うリスクの程度。
これら2つの軸が複雑に絡み合う物のが、規制の正体だと判明してきたのです。
一方で日本当局の規制でのリスクの取り方は、0か100かのケースが多いように感じます。
より柔軟に、より有効に、そしてより迅速に。
立法化、行政府が市場に求められる能力は、新興技術の複雑困難性の増加により、相対的に増して、そして新興技術の市場の発展により加速しています。
立法化、行政府が市場の足を引っ張るケースとは、もはや規制そのものではなく、当局者に必要とされる認知能力の有無と変わっていっているのです。
ここで思い出される典型例はアメリカの自動運転です。
自動運転で事故の責任は誰になるのか?
アメリカの立法当局、即ち議会は、この困難な問題に訳もわからないままに立ち向かいました。
新興技術の立法化は、非常な困難性を伴います。
アメリカ議会にとって自動運転の立法化は苦痛以外の何物でもなかったでしょう。
しかし、アメリカは、何とか自動運転の事故責任の立法化にこぎ着けます。
対して日本はどうでしょうか?
これから何年、何十年様子見を続けるでしょうか?
市場は、当局がまともな規制を作れずに様子見を続ける間、一歩も動けずに見守るしかありません。
これを仮に障害以外だとしたら、何と呼ぶのでしょうか?
日本では、とにかく規制が悪いんだ、といった声を未だに聞きます。
しかし、世界では、良し悪しは、規制を作る当局者の能力に変わりつつあるのです。
日本が規制を推進力に変えるには、そして、世界のスタンダードである当局者の能力主義へと思想を変えるには、今の立法府の在り方、もしくは行政府の在り方を変えるしかないのかもしれません。
恐らく、規制の是非云々の原理は、過去から現代まで一切変わっていないのでしょう。
しかし、国際競争の激化により、本質が浮かび上がって色々な事が解ったケースなのだと推察します。
評価の方、ありがとうございます。