ある冒涜者の妄言
【観測点(57,6720): Ring Nebula】
それを妄言と呼ぶのなら、この世界にあるあらゆる愛は偽りなのだろう。それでも、彼女の魔法は本物だ。
この座標にたどり着いたきみは、彼女に何を願う?
この座標にたどり着いたきみは、彼女に何を差し出す?
私を冒涜者と呼ぶのなら、神が与え給うた光をみだりに貪るキミ達は何者なのだろうか。
やあ、見知らぬ星の子ちゃん。私を観測するなんて、キミはとても物好きなのだね。それとも、偶然私を見つけたのかい?それは何て運の悪い……おっと、運命の良し悪しは私が決めることではないよね。失敬、失敬……。
そうだ、キミが今生きてきた中で、良かったと思えることはどれくらいあるのかな。沢山あると言うならば、きっとキミは神に愛されていないのだろうね。代わりに、沢山の人に愛された。良かったことの数だけ愛されたのだろう。……とても素敵なことだね。少なかったと思うならば、まだキミは箱を開ける前なのだよ。キミはこれから沢山の箱を開けることになるだろう。開けてみないことには、何が入っているか分からない。その中身の良し悪しはキミが自由に決めていい。箱を開けるというのは、とても心躍る瞬間だ。違うかい?
もしも悪いことしかなかったと言うならば、それはとても素晴らしいことだ。キミは神に愛されている。良かったね。
……なんだい、普通逆だろうって?冗談言うなよ。そんな虫の良い話があるか。神様が誰かを無償で幸せになんてするわけがないだろう?良いことというのは勝ち取るものだ。試練に打ち勝って、ようやく得られるものだ。人に譲られたり、あるいは蹴落としたりして、奪い取るものなのだよ。もしかしてキミ、チャンスを与えられながら、何も得られなかったのかい?
ま、何はともあれ、キミの残りの人生に幸あれ、とでも願っておこうか。私がそんなことを言っても、あまり効果はないかもしれないけれど、一応ね。
ところでお前は何者か、だって?ふふ……そうかい。知らないのかい。いや、気にすることはないよ。私とて世界の外側に出てしまえば、取るに足らないものの一つに成り下がるのだからね。無知たる非礼を許してあげよう。うん、許してあげるとも。
私の名はアントワーヌ・ダルキエ・ド・ペルポワ。あの解放論の提唱者にして、あらゆる魔法術の生みの親だ。ああ、あと医者もやっていたっけ……。とにかく色々なことを成したつもりさ。
星の子らは私を冒涜者と呼ぶけれど、この呼び方は少々無粋というか、納得出来ないのだがね。私以上に神を愛している存在は他にいないと思うのだけれど。まあ、キミには関係のないことだね。私のことは気軽にアンヌちゃん、と呼んでくれたまえ。先生、でも構わないよ。でもアンヌちゃんと呼んでくれたほうが嬉しいかな。この名前、結構気に入っているからさ。
解放論とは何か、って?ふふ、よくぞ聞いてくれた。いや、聞かれなくても言うつもりだったのだけどね。
さて、私がこれより語るのは、キミ達が世界機構とよぶものの真実だ。よく聞いておくといい。そして、それを知ったキミ達がその後何を紡ぎ、何を語るのか、いつか必ず教えておくれよ。ふふ……。
……見えざる手が耕地に種を蒔いた。それが始まり。
この星は球体だ、ということを人々が知ったのは、光がもたらされてから幾千年かたった頃だった。ずっと先を見つめながら歩いていると、地平線から山や建物が生えてくるように見えるのだ。そうしてやっと人々はこの地が球体であることを認知した。
それで、その球状の星を包む天幕も、球状であると考えたわけだ。我々は球の内側にいる、と。そしてそれを包む空間も球なのではないか、と考えるようになった。学者たちはその天幕の向こうの空間に天球と名付けた。見たこともないくせに、球だと勝手に思い込んで名前まで付けてしまった。そのなんと愚かなことか……。
天球、すなわち光の空間は文字通り光で満ちている。星の力は元々そこからやって来たのだ。鳥が天幕に穴を開け、そこから光が降り注いだ。そうして我々は地上に落ちた光の破片をそっと拾い上げ、見事星の力を手に入れた。そうして各々が拾った星の力を血で縛りあげ、天球へ帰れなくしたのさ。
アストロロジカは神の耕地だ。星の子らは種。話の種だ。芽吹き、花を咲かせ、実を結び、やがて収穫されてゆく。そうしてまた種が蒔かれる。それの繰り返し。けれども拾い上げられた星の力、ようするに魂はその輪の中で唯一不変で、変わってゆくのはそれを包む外見だけなのさ。使い古し、と言うにはあまりに贅沢だね。
肉体という檻に魂を飼い殺す。檻から檻へ、その魂は幾千の時の中を流れて行く。魂が行く緩やかな川を、キミ達は歴史と呼び、物語と呼ぶ。魂は流転するというけれど、その大半はそうして縛られているから、ある程度決まった法則で器から器へ流れていくのさ。もちろん、そうでない魂もあるけれど。中には自分の意志で器を選び、自ら地上に居続ける魂もいるよ。彼らなりにまだ希望を見出しているからなのか、もう既に地上に堕ちて穢れてしまったからのか……。
まあ何にせよ、魂を繋ぎ止めるには、檻を維持する必要がある。そのために様々な欲望を常に満たし続けなければならない。それがキミ達の言葉で言う「生きる」という行為だ。
いいかい、どんなに幸せであろうとも、どんなに満ち足りていようとも、人は願わずにはいられない。求めずにはいられないのだよ。だから人は信仰をやめない。奪わずにはいられないのだ。
そんなに欲張りじゃないって?おいおい、ここへ来て、そんなつまらないようなことを言うなよ。あれが食べたい、これが食べたい。疲れたから眠りたい。あれをやりたい、これをやりたい。誰かに愛されたい。誰かを愛したい。こんな夢を叶えたい。苦しいから息をしたい。……ほうら、欲望まみれじゃないか。それなのに、キミは欲張りじゃないって言うのかい?思い上がるなよ。キミはずっと食べずにいられるのかい。キミはずっと呼吸を止めていられるのかい。ほらね、無理だろう?心で鎮められるものじゃないのだよ、欲望というのは。……身の程を知れよ、醜い獣の皮のくせに。
そんなちっぽけな分際で、ただの器の分際で、永遠を願ってみたり、もう一度あの人に会いたいなどとのさばってみたり……。そうして神の光たる魂を穢し、神の力たる魔力を貪り続けようとする。私は神の名を知るものとして、この事態に深く悲しみ、落胆した。この世界に、彼が愛した楽園と子ども達はもういないのだと。
せめて、世界の亡骸を、彼に返さなければ。私はそう思った。彼の名を知る最後の一人として。……なに、何故最後の一人だと言い切れるのかって?はは、面白いことを言うね。いいよ、キミには特別に教えてあげよう。
神の名を知った人は、皆消えてしまうのだよ。
……嘘だと思ったな?ふふ、本当はね、皆知っていたのだよ。でも私以外の皆は、流転の最中で彼のことを忘れてしまった。私は彼に一番親しい存在だったから覚えているけれど、凡百の星の子らは違う。彼の名を呼んだり、彼の姿を象ったりすることはずっと昔から禁止されているからね。人は皆神の名を抱いたまま生まれ、そして次第に忘れていくのさ。その内なる存在を確実に認識したまま……。いつしか皆、禁止されているから名を語らないのではなく、知らないから語れなくなるのだよ。そうして彼らが再び神の名と相見えた時、すなわち神の姿を再び認知した時、世界から消されてしまうのだよ。
……呪われているのか、だって?はは、キミは私より冒涜するのが上手だな。違うよ。その名には強い力があるのだ。世界のルールを変えてしまうほどの強い力がね。だから口に出すことを固く禁じているのさ。悪用されないようにね。キミも3本足の烏には精々気をつけなよ。奴ら、いつどこで何を見ているか分からないからね。……まあ、枠の外にいる私には関係のないことなのだけれど。
何はともあれ、拾ったものは持ち主に返さなければならないよね。私が言いたいのはつまりそういうことだ。思想などという崇高なものではなく、ただ単純に当たり前のことを言っているだけなのだけど。人々はそれを大袈裟にも『解放論』と呼んだ。それは、ある程度の人々が、無意識のうちに神に対して罪悪感を抱いていることの証明に他ならない。彼らの内なる光が、かの手に帰還することを望んでいる、と。少なくとも私はそう解釈した。本当は返したいのに、肉体という檻に阻まれる。欲望という根が絡まって取れない。
だから私が手を貸してやろうと言うのだ。私は肉体から魂を引き剥がす魔術を研究した。……その術式には、神の名を用いてね。そうして私は主の名前を穢した冒涜者として名を馳せたわけだ。
どうして私以外誰も知らないのに、神の名を使っていると分かるか、だって?それはね、それほどまでに強い言霊が必要になる魔法は限られるからさ。
さっき私は、神の名には世界のルールを変えてしまうほどの強い力があると言ったね。そう、術式次第で本当に世界を自由自在に変えられるのだよ。ただし、その代償を払えるものは、この世界のどこにも居やしないけどね。このちっぽけな器に縛られた魔力じゃあ、何千億人分かき集めたって足りないのさ。でも、ルールのほんの一部ならどうかな。どうしても子どもが欲しいだとか、どうしても星の力を奪って自分のものにしたいだとか……そういう願いって、案外ありふれているものなのだよ。もしもキミが運命を変えたいのならば、禁忌魔法術のスペシャリストであるこの私、アントワーヌ・ダルキエ・ド・ペルポワにご相談あれ。キミの望みを叶える魔法を作ってあげよう。うん、作ってあげるとも。
私は実に沢山の魔法を考案した。今アストロロジカで用いられている術式の大半は私が考案したものだ。まあ、全ては副産物なのだけどね。私が望む効果を呈する魔法は今だ完成してはいない。肉体が魂を引き寄せる力が強すぎるのだ。どれだけ強い力で引っ張っても、なかなか上手く行かないのだよ。
それでも私は魔法術の研究を続ける。彼の名を知る者として、彼を愛するものとして、この内なる光をかの手に返さなければならないからね。この星に蔓延る全ての盗人共を駆逐し、赦し、原初の世界を取り戻さなければ。白い子どもたちの楽園を、彼が愛した頃の星を、必ず取り戻さなければいけないのだ。革新という名の歴史の蹂躙を、必ず、この手で止めてみせるよ。
さて、私の話はこれで終わり。この世界に永遠の闇が訪れ、子どもたちが原初の産声を思い出すまで、私はこの世界に留まるつもりでいる。また会うことがあれば、今度はキミの物語を聞かせておくれ。つまらなくても結構。暇潰しには十分さ。約束だよ、ふふ……。