【コミカライズ】緋色の悪役令嬢は呂色の薔薇を染め上げる
数多くある作品の中から、こちらへお越しいただき誠にありがとうございます。皆様はじめまして、お初にお目にかかります。葉椀メギと申します。
こちら初投稿となっております。初めて書かせていただいたお話になりますので拙い部分や至らぬ点等、あるかと思いますが、温かく見守っていただけますと幸いです。
それでは、こちらどうか楽しんでいただけますように。
心を込めまして。
《追記》
この度、一迅社様のZERO-SUMコミックス様から2024年1月31日(水)発売の『悪役令嬢ですが、幸せになってみせますわ!』アンソロジー11巻にてコミカライズ化していただきました!
携わってくださった全ての方々に心から感謝致します。
本当に幸せな気持ちでいっぱいです。ありがとうございました…!!
詳しくは活動報告にてご報告させていただいております。
よろしくお願い致します!
サラントナ王国には誰もの目を奪う、それはそれは美しい令嬢がいる。その名もスカーレット・マルコーニ。公爵家の令嬢で18歳。胸元まで伸びる緋色の髪にアンバーの瞳。婚約者がいるのにもかかわらず、彼女を妻にしたいと望む男達が大勢いるほどの美貌の持ち主であった。
そんな美しき令嬢スカーレット・マルコーニは現在、卒業パーティーの会場で婚約者であるサラントナ王国の第一王子アイル・トーン・サラントナを真っ直ぐと見据えていた。
「スカーレット・マルコーニ!貴様との婚約を今、この時をもって破棄させてもらう!」
豪華絢爛の広々としたパーティー会場に集まった多くの人々は、高らかに響くアイル王子の言葉に驚いて目を見張り、あまりの出来事に声を出せずにいた。
静まり返った会場のなかで、スカーレットはその愛らしく艶やかな唇を開く。
「…殿下、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
長いまつげから覗くアンバーの瞳には、アイル王子の侮辱するような笑みが映し出されていた。
「何を分かりきったことを…!今更、シラを切るつもりか!」
自らが正しいと信じて疑わない、そんな性格のアイル王子はさらに強く言い返す。
「貴様は俺の最も信頼している令嬢、ラベンダー・ブルーリアを迫害した罪に問われている。証拠も出揃っているのだ、言い逃れはできない」
つらつらとアイル王子の口からスカーレットのこれまで犯した罪とやらが告げられていく。
会場に訪れていた貴族達はラベンダーに対して行ってきたとされている内容に眉根を寄せ、非難の目を次々とスカーレットに向けていった。
多くの人々の軽蔑の眼差し、愛していたはずの婚約者からの突然の糾弾に世の令嬢であれば、卒倒していてもおかしくないところである。
もう一度言おう。ごくごく普通の令嬢であれば、悲しみに心を押し潰されていても、おかしくないはずなのである。
…しかし美しき令嬢、スカーレット・マルコーニの心内は全くもって違っていた。
(ああ…周りからの冷たい眼差し、絶対的権力を持つ婚約者からのわたしを否定する声と顰められた顔)
広げていた扇子のうちから、ゆっくりと会場を見渡し、そして段差の少し上から強く自分を罵倒する王子を見て、スカーレットは耐えられないとばかりに口元を綻ばせた。
(この時を…ずっと、待っていたわ)
そう、これはすべて彼女が仕組んでいたことだったのである。
♦︎♢♦︎♢♦︎
ガシャンッ!
何かが激しく落ちる音がした。
「お嬢様、お怪我はございませんか?今、片付けさせますので」
俯くスカーレットにメイドは、ひとつも温度のない声音でそう告げた。
誰もがスカーレットをマルコーニ家の令嬢として接していた。誰も私を"スカーレット"として見てくれない。
今だってそう、美しい花の模様が入った高価なティーカップを割ったって誰も咎めはしない。
「わかっていたわ…」
少女のつぶやきが煌びやかな部屋に、開け放たれた窓から覗く晴れやかな空に、寂しく響いた。
スカーレットは恵まれた子だった。公爵家という生まれからか、望んだものは何でも与えられ、その美貌からたくさんの好意を向けられていた。
そしてスカーレットはただ美しいだけではなく、頭脳明晰で身体能力も高く、まさに理想の令嬢として幼い頃から多くの人々に期待されて育った。
しかし、彼女はいつも孤独だった。
スカーレットの母は義務として子供を産んだだけにすぎず、豪遊するばかりでスカーレットに興味関心を示さなかった。
乳母や使用人たちはスカーレットを大切にしてくれたが、それは『仕事』であり『家族』とまでにはいかず、叱ることや諭すことをしてはくれなかった。
スカーレットの父は、スカーレットが何一つ不自由のないようにしてくれていた。
けれど、それも愛している娘のことを想っての言動というよりは、権力を手に入れるうえで王家へと嫁がせる為の『マルコーニ家の娘』として育てていた。
聡い彼女はそれがわかっていた。自分は飢えることもなく、むしろ贅沢な暮らしをして恵まれている。それを理解していたからこそ、寂しいだなんて言えなかったのだ。
夕暮れのなか、鳴いているカラスにだって寄り添ってくれる相手がいるのに、自分には寄り添ってくれる人が誰もいない。
彼女の孤独に気づく者は誰一人としていなかった。
そんな愛情に飢えたスカーレットが大好きだったのは、数々の薔薇の花が咲いた美しい庭園で愛の物語が綴られた本を読むことだった。
「なんて素敵なのかしら…」
自分もこの物語たちのように心から愛する人と結婚したい、そう強く望んでいた。
しかし、スカーレットが八歳になったある日のこと。自分の将来の結婚相手を父の口から告げられる。
「おまえはこの国、サラントナ王国の第一王子であるアイル様と婚約するのだ。未来の王太子妃として十分に励むように」
結婚する相手が自分の意思と関係なく決められる。それは貴族の運命であり、仕方のないこと。それを頭で理解してはいてもスカーレットは内心、『物語のように心から好きな相手と結ばれたい』とそう願っていた。だが、どうすることもできないことだと幼いながらに理解していたスカーレットは、父の言葉を半ば諦めた気持ちで受け入れた。
顔合わせということで、父から婚約のことを告げられた翌日にスカーレットは王城へと招かれていた。
そこで未来の夫となる相手を目にしたのである。スカーレットが一目で恋に落ちてしまうような人物であれば良かったのだが、そう上手くはいかなかった。
金髪の少々クセのある髪に水色の淡い瞳。女王陛下から受け継いだ優しそうな外見とは裏腹にアイル王子は横暴な性格だった。幼いが故の気性の荒さと年齢を理由にすることもできるが、彼は王太子である。スカーレットはあまりの子供っぽさに彼に魅力を感じることができなかったのだ。
「お前が俺の婚約者か!美しい…!実に気に入ったぞ!俺様に気に入られたことを喜ぶがいい!」
頬を染めて、ふんぞり返った幼きアイル王子はスカーレットにそう言い放った。
後にサラントナ王国でも一、二を争う美女へと育つスカーレットであるから幼い時分であっても、それはそれは美しい。アイル王子が気に入ってしまうのも仕方のない話だ。
けれど、スカーレットはあまりにもその品の無い物言いにアイル王子への少なからずあった好感度は著しく地の底へと落ちていった。『この人と結婚をするのか…』と絶望的な気持ちで一杯になったのである。
そんな絶望的な婚約者との顔合わせを境に、王太子妃教育が始まった。ダンスや作法、魔法学や読心術…王太子妃として求められるものは全て学ぶことになった。
厳しく辛いものであったが、彼女は優秀が故に教えられた全てを身につけていく。スカーレットの望む『心から愛する相手』を手に入れることができないのにもかかわらず、だ。
スカーレットは虚しさを抱えながらも懸命に王太子妃教育に励んでいた、そんな…ある日のこと。
「すごい場所に連れてってやる…!」
突然アイル王子はスカーレットにそう言った。人払いを済まされていた部屋から使用人の目を盗み、手を引かれ、スカーレットは暗く深い場所へと連れて行かれた。
少し湿ったような空気の薄暗い、石で作られた地下通路。アイル王子は、まるで冒険をしているかのように力強く歩いていく。
手を引かれているのと身分的に逆らうことのできないスカーレットはこの状況に内心不安になりながらも共に歩いた。
暗く狭い石造りの通路から、やがて開けた場所へと辿り着く。
そこは洞窟のような姿をしていた。四、五人の大人が寝転んでも余裕のありそうな広さがある。どこか不気味で、けれどもどこか幻想的であった。
古く、いつ描かれたのかわからない魔法陣がなにかを閉じ込めていた。まるで檻のようだ、とスカーレットはぼんやりと思う。
スカーレットは導かれるように、歩き出した。
そんな様子のスカーレットにアイル王子も慌てて動き出す。
───そして、辿り着いたそこには。多くの鎖によって雁字搦めにされた、宙に浮く一輪の黒い薔薇があった。
(…黒い薔薇?)
生まれて初めて見る、黒色の薔薇。
おそらくこの世に存在することのない、気高く凛と美しい薔薇がそこにはあった。
「ここには、かつて人間を滅ぼそうとした魔王が封印されているのだ…!俺の先祖がこの魔王を封印したんだぞ!どうだ、すごいだろう…!」
自分の手柄ではないのに偉ぶるアイル王子の言葉など耳に入らず、スカーレットは薔薇に見惚れていた。
花びらは艶々とした光沢があり、醸し出される雰囲気は強そうでありながらも、どこか繊細さがある。
アイル王子が目を瞑り、熱く語っている声などスカーレットには届かなかった。そこにあるのは静寂のみで、ひたすらに燃えるような黒い薔薇がスカーレットの心を焼いていた。
スカーレットは、無性にその薔薇に触れたくなった。
きちんと教育を施されている彼女が得体の知れないものに触るなど、普段ならばあり得ないことだ。けれど彼女はそれすらも気が付かない。
スカーレットは害のない人間だからだろうか、それとも魔法陣が古びていたからだろうか。スカーレットは何事もなく薔薇へと近づいていく。
細く可憐なしろい指を伸ばし、黒い薔薇の花びらの先へ。
指先が触れた、その瞬間。
強く風が吹いたかと思うと薔薇から黒い霧のようなものがスカーレットの周りに立ち込める。
「なっなんだ…!?」
アイル王子はその突然出現した黒い霧に怯え、スカーレットを置いて走り出してしまう。
スカーレットは動揺から身体を動かせず、咄嗟に魔法を使うがどうすることもできない。得体の知れない恐怖に怯え、目を瞑るが何も状況は変わらず、スカーレットの身体は黒い霧に包まれていった。
スカーレットは夢を見た。
いや、夢ではない、一種の現実であった。
それは魔王の儚くも悲しい半生であった。
とある村の平民の家に突然、神の気まぐれか、類い稀なる魔力を持った男の子が生まれた。
「なんということ…」
出産に立ち会った、誰かが思わずそんな風につぶやいた。
誕生した男の子は強力な魔力により、髪も瞳も真っ黒だったのだ。
髪や瞳の色は魔力の度合いを示すものであり、強ければ強いほど黒に近いとされていた。黒に近い髪や瞳の色はサラントナ王国では、空想上に出てくる魔王のようだと畏怖の対象として恐れられていた。
母親はこれから起こるであろう、未来を思いながらもその赤子をしっかりと抱きしめていた。
生まれた男の子は髪や瞳の色が物語るとおり、魔力量が人並み外れて多かった。
けれど能力や容姿に関係なく、彼は優しくそして脆い、ただの人であった。
萎れた花や怪我をした鳥を魔法で癒してやり、人々が飢えることのないよう作物がよく育つように魔法をかけ、村人たちへ被害が及ばぬよう魔物を討伐していた。
しかし、村の人々は彼のことを決して認めはしなかった。真っ黒な髪や瞳を異色として忌み嫌い、彼の存在を否定した。関わりを持ったことがないのにもかかわらず、誰も彼のことを受け入れなかったのだ。
いつか誰かに受け入れてもらえるはず、彼はそんな希望を胸に懸命に人々の為に努めていた。
予期せぬことに、やがて彼の存在の噂はとうとう王都へ、そしてついには王城へと流れ着いた。
噂は大変不確かで、王都で彼のことは力を誇示し横暴に振る舞っている人物であると認識されていた。
ある者はその力を恐れ、またある者は彼の能力を渇望し、彼を『魔王』と呼び、悪行をしているという名目で捕らえることにした。
彼はその日も迷惑をかけてしまっている家族の為にも何としてでも村の人々に受け入れて貰うべく、山へ魔物を退治しに出かけていた。
家では容姿など関係なく、心から息子を愛する両親が畑作業を営みながらも彼の帰りを待っていたのだ。
両親の待つ家に、数名の足音が容赦なく忍び寄っていた。それは王命により魔王の捕獲を依頼された冒険者達だった。
勇者を気取った冒険者達は彼の家に辿り着くなり、彼のことを庇う両親を慈悲もなく殺してしまったのである。
"醜き魔王を捕まえろ"とそう叫んで。
彼が家へと帰った時には、それはもう無惨な光景が広がっていた。血溜まりの先には自分を愛してくれていた両親の亡骸が横たわっていたのだ。
「あ…あ、あぁ…」
目の前が真っ白になり、喉が異常に乾いていく。
捕まえろ。男達の怒号が響いた。
自分が何をしたというのだろうか。誰かを傷つけた訳でも殺めたわけでもないのに。
どうして大切な両親を殺されて、自分は捕らえられようとしているのか。
そんなことを飛びかかってくる冒険者達を見つめながら考えていた。
まるで時計の秒針を指で塞き止めているかのように、自分を捕らえようと走ってくる者達がとてもゆっくりに見えた。
「なんて馬鹿げているんだろう」
気がつけば、辺りが血で染まっていた。
亡骸も残らない、何もかもが消し飛んでいた。
そこからみるみるうちに炎が広がっていく。
「そんなに、僕に化け物になってほしいなら…癪だけれど望み通りになってあげるよ」
少年の震えるつぶやきが燃えゆく地に、茜の空に虚しく響いた。
スカーレットは泣いていた。
胸が痛くて、堪らなかったのだ。
なぜならば魔王の人生を悲嘆すると同時にまるで自分を見ているようだったからだ。
環境が恵まれている自らと勝手に重ねてしまうのは傲慢であるかもしれない。
けれど、"自分"という存在を外見や立場で決めつけられ本当の姿を見てもらえない様が、その孤独が。あまりにも理解できてしまったのだ。
【なんと、愚かな人間だ】
声がした。そう、彼だ。
この世界を滅ぼそうとした、人間たちによって生み出されてしまった魔王様の声だった。
【こんなところにやってきて、置き去りにされるとは、なんとも哀れな人間だ】
ひどく耳に残る、低く艶のある声。
スカーレットにまとわりついていた霧はいつの間にか晴れていた。スカーレットは黒い霧に覆われていた間、閉じていた瞳をゆっくりと開けた。
【っ、何故このようなところへ来たんだ】
「…っ!」
どくん。
ひとつ、またひとつと鼓動が鳴った。
それは今まで味わったことのない高揚感だった。
黒い薔薇があったはずの場所には朧げではあるが、人が立っていたのだ。
艶やかな黒髪に夜空をそのまま映し出したような瞳。眉根を寄せた冷ややかな表情のなかにはどこかスカーレットを憐れむような様子が窺えた。
スカーレットは涙を流しながらも、掠れた声でぽつりと答えた。
「…だって、逆らえなかったんです。無断で足を踏み入れて、本当にごめんなさい」
アイル王子はあんな横暴な人物であっても王族である。たとえスカーレットが嫌だと思ってもそう易々と逆らうことはできない。
【だからといってこのような場所にやってくるとは…危ないだろう、死にたいのか…!】
呂色の瞳がスカーレットを射抜いていた。その瞳に吸い込まれるように、スカーレットは目を離すことができなかった。
二人は黙ったまま、暫く見つめ合う。
初めて誰かに怒られた。初めて誰かに感情を向けられた。
…私を見てくれた。
【君はこのような場所に来る人間ではない、早く帰るといい】
冷たく言い放つ声には、聡いスカーレットでしか気づかないであろう優しさが滲んでいた。
「ふふっ…」
スカーレットは笑った。
久しぶりに心から笑っていた。
【恐るるべき魔王を見て笑っているとは、恐怖のあまり気が狂ってしまったか】
皮肉げに魔王はそう言った。
スカーレットはかぶりを振って答えた。
「いいえ、魔王様。私は嬉しいのです。尊き貴方様と巡り会えたことが、心から嬉しいのです」
スカーレットにとって本心からの言葉だった。
じっと真意を測るかのようにスカーレットを暫く見つめた魔王は、やがてどこか照れたように【そうか…】とつぶやいた。
…ズキュン。
スカーレットは心臓を撃ち抜かれた。物理的にではない。精神的に撃ち抜かれたのだ。
うっすらと頬を染めてそっけなくそう言った美丈夫に、魔力は強いけれど繊細で優しく、だが多くの人々に裏切られてきた孤独な彼に。スカーレットは完全に恋に落ちてしまったのである。
「魔王様、またここへ来てもいいですか…?」
伺うように、弱々しくスカーレットは尋ねた。
【なっ何を馬鹿なことを…!君はここに来るような人間ではないと…】
「私が…!ここに来たいのです。貴方様とお話がしたいのです」
遮るように、切実にスカーレットは告げた。魔王の目が見開かれ、そして最後には諦めたようにひとつ息をつく。
【いいだろう…だが、決して他の者には言うでないぞ】
「っ…!はい、心得ております」
スカーレットはまだ教育途中であるが、幼いにしては上品なカーテシーをすると、それはそれは美しく微笑んだのであった。
♦︎♢♦︎♢♦︎
「スカーレット・マルコーニ!聞いているのか!」
(あら、いけないわ。わたしとしたことが愛する魔王様との出会いを思い出してついつい上の空に)
あれから十年。スカーレットはあの後も魔王との逢瀬を重ねていた。
そんな簡単にできることではないだろう、と思われるかもしれないが実に簡単なことだった。
スカーレットは八歳であった時点で既に魔力量が多く、王太子妃教育の一つとして魔法も学んでいた。
魔王と出会い、話をしたあの日。魔王が封印されている洞窟に素早くスカーレットは転移用の魔法陣を描いた。アイル王子が逃げたのをいいことに、やりたい放題である。
魔王ともっと話したい気持ちをグッと堪え、頭の良い彼女は記憶を頼りに地下通路を抜けてアイル王子の部屋まで戻ったのだった。
逃げたアイル王子は、怒られることを覚悟でスカーレットが王城の地下にいることを打ち明けるべきかずっと自室で考えていたらしい。
スカーレットが戻った時には、汗びっしょりのアイル王子がソファに座って貧乏ゆすりをしていたから。
戻ったスカーレットを見たアイル王子は、まるでお化けでも見たかのようにソファから転げ落ちて大きな声を上げていた。
人払いが済まされていた部屋に使用人がなだれ込むように駆け込んでアイル王子の様子を伺う。
「洞窟が…」「黒い霧が…」などと訳の分からないことを言うアイル王子に、使用人達は困惑した様子だった。
そこでスカーレットはしおらしく使用人達にこう言ったのだ。
「アイル王子と楽しくお話をしていたところ急に慌てふためいて…きっとお疲れなのですわ。ゆっくり休ませてあげてくださいまし」
アイル王子がもしも魔王が封印されている洞窟へなどと口走っても、疲れでおかしなことを言っているのだと判断されるように仕向けた。
汗でびっしょりな状態だったのがまた、信憑性を増したのだろう。使用人たちはスカーレットの言葉を信じてアイル王子を寝室へと連れて行った。
そして普段使うことのない頭を使ったからだろう。アイル王子は本当に熱を出し記憶が混濁した為に魔王が封印された地下の洞窟に行ったことを綺麗さっぱり忘れてしまったのだった。
そういった経緯から今日までバレることなくスカーレットは魔王と逢瀬を重ねることができた。スカーレットは魔王を自由にするべく、封印を解く方法を尋ねたが魔王本人は知らなかった。
スカーレットは魔法を解くため、アイル王子の婚約者という立場から王城の図書館を利用し、調べ続けた。やがて古い文献から魔王にかけた魔法の封印を解く方法を知ったのである。
───そう、それは。
【どんな魔法かも解く方法も知らないが、…そういえば、当時の王は暴れ狂う僕を何十人もの魔法使いを使って捕らえ、拘束された僕を見て顔を歪めて笑いこう言ったんだ。醜いお前は誰にも愛されることなどないだろう。だからこそ、この"魔法"が一番良いものであると】
古い文献には、意地悪く皮肉げに書かれていた。
───醜き魔王は二度と世に出ることはないだろう。なぜなら、魔王の"魔法"を解く方法は実に難解であるのだから。その方法はただひとつ。将来の約束をしておらず、誰のものでもない清らかな乙女に心から愛され、名を呼ばれ、そしてその乙女から口付けをされること。
(これが彼の、魔王様の封印を解く方法)
スカーレットは、ゆっくりと閉じていた瞼を開き、もう一度アイル王子を見据えた。
何の将来の約束をしていない乙女。スカーレットには、アイル王子という婚約者がいた。自分は当てはまらない。事実を知った当初の彼女にとって、それがとても悲しいことだった。
彼を助けてあげられない。自分はこんなにも彼を愛しているのに。
だが、スカーレットは諦めなかった。
スカーレットは気がついた。
そうだ、約束をなくせばいいのだ。
婚約を破棄すればいい。
身分的にスカーレットから婚約を破棄することはできない。ならば、と彼女は行動に移した。
アイル王子に婚約破棄をさせるため、スカーレットは用意周到に幼いうちから準備をし始めた。
プライドが高く、注意をされるのが大嫌いなアイル王子にわざと口煩くマナーについて何度も何度も注意をしたり、他の女性に目が向くようにアイル王子の好みではない服装や化粧をあえてするようにした。
スカーレットの努力の末に、アイル王子は別の女性に目を向け始め、ラベンダーという運命の相手をみつけてこうして婚約破棄を言い渡してきた。
(でも、予想外だったわ。ブルーリア様は迫害されたなどと嘘をつくほど何をそんなに焦っていたのかしら。わたしが彼を愛したことなど一度もないのに)
けれどそれで婚約破棄に至ったのなら好都合だ、と誰も味方のいない状況のなかで彼女は優雅に微笑む。
アイル王子も思わず、ぐっと言葉を詰まらせて頬を熱くするほどに。
「アイル殿下。その婚約破棄、謹んでお受け致します。ですが、ひとつ言わせてください」
スカーレットの言葉を聞き、アイル王子は歪んだ笑みをより深くした。
「ようやく自らの悪事を認めたか…!いいだろう。お前の最後の言葉くらい、聞いてやろうじゃないか」
スカーレットは、勢いよく扇子を閉じるとアイル王子に言い放った。
「私、ずっとアイル殿下のことが大嫌いでしたの。貴方と一緒になれないこと心から喜ばしく思うわ」
「なっ…!!!」
アイル王子の顔が怒りと憎しみに染まった。どこからか、悲鳴のような驚きの声が上がる。そして会場は更に凍りついたように音がしなくなった。
「だから、私はブルーリア様を迫害などしていないし、それを行う理由もございません」
第一、ブルーリア様とは二人で話をしたことさえありませんし、とスカーレットは苦笑した。
「き、貴様はっ…!なんと無礼な…!!ラベンダーのことを迫害していないと嘘をつくだけでは飽き足らず、この俺まで愚弄するとは…!」
「あら、ラベンダーですって…?婚約相手のあろう者が他の女性の方を呼び捨てするほど仲がよろしいだなんて。先程、最も信頼している令嬢だなんて仰っていたけれど、浮気相手の間違いではなくて?」
笑顔だけれど、どこか迫力のあるスカーレットの言葉に皆がハッとアイル王子の方を向いた。
アイル王子はどこかしまったという顔をして、言い返そうと思案している。
だが、反撃をさせる前にスカーレットは王太子妃教育の賜物である磨き上げられた優雅なカーテシーをした。
「もう何も言うことはございませんわ。どうぞ、ご自由に婚約破棄なさってくださいな。お好きに私を悪者にしてください。私にはアイル殿下よりも公爵家という身分よりも、もっと大切なものがございますので」
言い終わるより早く、スカーレットの身体が光り出した。
アイル王子が慌てたように手を伸ばす。
淡い光の粒たちに覆われてスカーレットは最後の挨拶をした。
「それでは、ごきげんよう」
光に消えゆくスカーレットの姿は、まるで女神のようにそれはそれは美しかった。
【ん、スカーレットじゃないか】
魔王がスカーレットに気づいて声を出した。
そう、スカーレットはパーティー会場から魔王の封印されている王城の地下へと魔法で転移していたのだ。
「魔王様…」
スカーレットは、アンバーの瞳を魔王へと向けた。その瞳はうっすらと潤んでいた。
【今日は、学園の卒業パーティーではなかったのか?まだ夜は明けていないだろう】
黒い薔薇は語りかけていた。二人は十年という月日から、こんなにも気軽に話が出来るほどに打ち解けていたのだ。
「魔王様、わたしね婚約破棄されたのよ」
ぽつりと、スカーレットはつぶやいた。
【…それは、正気か?】
スカーレットほどの令嬢を婚約破棄するなど、と魔王はアイル王子の正気を疑わずにはいられなかった。
「わたし、ブルーリア様っていう令嬢を迫害したんですって。ほとんど王太子妃教育で忙しかったし、暇さえあればここに来ていたからそんな女性一人をいじめる時間なんてなかったのだけれど」
おかしな話よね、自嘲気味に苦笑してスカーレットは独り言のように続けた。
「わたし、きっと公爵家からも勘当されて路頭に迷うことになると思うわ。今はとりあえず、心の整理がしたくてここに来たのだけれど…こんなにも落ち着かないものなのね。わたし、これからどうやって生きていけば良いのかしら」
スカーレットは、心細さから一筋の涙を流していた。
【スカーレット…】
優しく、どこか寄り添うような声でスカーレットの名を呼ぶ。
スカーレットは俯いていた顔をゆっくりと上げ、魔王に問いかけた。
「魔王様、わたしのことはお嫌いですか?」
スカーレットは、今まで誰にも見せたことのないほど真剣な顔をしていた。
【きっ…嫌いなわけがないだろう】
魔王はいつものように朧げな人型の姿を現さず、薔薇の姿のままで言葉を返していた。
「では、好きですか…?」
【そっ、それは…】
魔王は黙り込んだ。恐れられ、忌み嫌われてきたうえにこんな姿の自分が続けて良い言葉でないと知っていたから。
「ふふっ…」
スカーレットは出会った頃のように笑った。
心から笑っていた。
「魔王様、いえ…ロイロ様、そこはそうだって言うところですよ?」
息を呑む気配がした。震えるような声で魔王は続ける。
【何故、僕の名前を…】
一度も教えたことがないのに。
「最初にここに連れて来られて、黒い霧に包まれた時に知ったのです。あの黒い霧はきっと、わたしが薔薇に触れたことによって、遠い昔にはられた結界魔法の効果が弱まってロイロ様の魔力が漏れ出てしまったのでしょう。わたしは恐怖のあまり状況を把握する為に"調査"の魔法を使ったんです。あれは、その場に起きた過去や現状を調べるもの。魔法のせいなのか定かではありませんが、ロイロ様の過去を知ることとなりました。最初はとても怖かったけれど、でも大切なものをみつけることができた」
呂色の薔薇と少女は見つめ合った。
スカーレットはその愛らしく艶やかな唇を開く。
「ロイロ様。わたし、スカーレット・マルコーニ。…いえ、ただのスカーレットは貴方様を心からお慕いしています。どんな姿であっても、どんな過去があっても…貴方様であればなんだっていいのです。わたしは、そんなロイロ様を心から愛しています」
細く可憐なしろい指を伸ばし、薔薇の花びらの先へ。
優しく触れたかと思うと愛しい薔薇にゆっくりと、くちづけを落とした。
唇が触れたその瞬間。
目の眩むような閃光が辺りを満たした。
薔薇に繋がれていた鎖がボロボロと崩れ落ちていく。そして、美しき呂色の薔薇は様々な色の光と共にゆっくりと人型を形作る。
まるで蛹から羽化する蝶のような光景を、スカーレットはうっとりとみつめていた。
薔薇があった場所には男が立っていた。
そう、彼だ。この世界を滅ぼそうとした、人間たちによって生み出されてしまった魔王様。
儚くて、脆くて。けれど、優しくて…とても愛しいひと。
「っ…!ロイロ様!」
スカーレットは思わず抱きついていた。ぬくもりのある彼に、スカーレットはロイロが実体を持った存在であるのだと心から嬉しく思った。
「スカーレット…」
呆然と名を呼ぶロイロに、スカーレットは笑いかけた。
「魔法、解けましたね」
ロイロを見上げて、きらめくアンバーの瞳を細める。
「あ、ああ…そうだな」
ロイロはどこか、嬉しそうなそして泣きそうな少し困った顔で笑うのだ。
「ありがとう、スカーレット」
スカーレットは夜空の瞳から流れるそれに、気がつかないふりをしてロイロを思い切り抱きしめるのだった。
「おのれ…!スカーレットめ、よくも俺を侮辱しやがって!おい、スカーレットが何処へ転移したか誰か調べられる者をここへ…」
言い終わらないうちに、パーティー会場から悲鳴が上がった。
やがて会場の話し声が大きくなっていく。大きさが増していくにつれて皆がアイル王子を見て顔を顰めていた。
「なっ、なんだ…!?どうした!何故、皆そのような目で見る…!一体、なにが…」
ふと、アイル王子は額にかかる自らの前髪の色に気がついた。そう、金の髪や水色の瞳はアイル王子の心のように濁った醜い色に染まっていたのである。
「なっ…なんだこれは!!!」
これは、"魔法返し"と呼ばれるものだった。魔法には代償が伴うもの。この魔法の特徴は、魔法が解けるまで絶大な効力を発揮する代わりにもしも魔法が解けた場合、魔法をかけた者またはその者がこの世にいなかった場合はその関係者へと代償が伴うものであった。
そして、今回は皮肉にも魔力量の象徴である髪や瞳の色がその代償に選ばれた。魔法をかけた当事者たちはもうこの世にはいないのだから、その関係者である血縁者に魔法返しがやってくるのは必然だった。
まるで、ドブのような色だ。どこからか、そんな声が聞こえた気がした。
「さぁ、ロイロ様。行きましょう」
スカーレットは自らの手を、差し出されていたロイロの手のひらへのせた。
「そうだな。こんなところさっさと出よう」
気恥ずかしさに歩き出そうとしたものの。あ、とロイロは声を上げた。
「出ようと言ってはみたが、僕たちには行く宛などないな。どうしたものか…」
自分が不甲斐ないとばかりに、しょんぼりとするロイロへスカーレットは安心させるように明るく告げた。
「それなら問題ありませんよ。わたし、代理人を立てて自分の名前とは違う、別名義でとある街に投資していたんです。もちろん家には内緒で。ここより東にある国で移民の受け入れも積極的に行っている国なんですよ。こことは違って、様々な考えや人種の方が伸び伸びと暮らしています。そこにわたしの別荘があるので、ひとまずそちらに行きましょう?」
輝かんばかりの笑顔で答えるスカーレットに、ロイロは呆然とした。
「先程、路頭に迷うだとか何とか言っていなかったか…?」
「あら、ロイロ様?乙女は涙のひとつやふたつ流すものですよ」
そんなことを宣う彼女に、ロイロは観念したように息をつき、愛しいひとの手を強く握った。
「スカーレット、僕は────」
「いけないひと。」
スカーレットは、繋いでいないもう片方の手でロイロのくちびるの前に人差し指を立てた。
「こんな場所で、その言葉は言わないで。もっと特別な場所でお聴かせください」
ロイロの顔が、赤く染まっていく。
「かっ、覚悟しておけよ…」
ロイロは絞り出すように、そう言った。
「はい、心得ております」
スカーレットは、自分の髪の色と同じに染まっていくロイロの頬を愛おしげに撫でると、二人の姿はまばゆい転移魔法陣の光と共に消えていった。
皆様、ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございました!
7月3日15時にロイロ視点のお話を投稿する予定でございます。次回もぜひお越しいただけたなら、とても嬉しいです…!
お手数おかけ致しますが、ご感想や評価を受け付けておりますのでお手隙の際にでも、ぜひよろしくお願い致します。
また、どこかでお会いできることを願いまして。
葉椀メギ