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桜の花が咲くまでは

作者: 山野 さち


『サクちゃん久しぶり!

東京の方凄い暑いみたいだけど元気?

こちらは元気だよ‼

そうだ、来月に一週間くらい授業がない期間があるんだ!ゆっくり電話できると思う!

大学のこととか東京のこととかいろいろ聞かせてほしい!

ではでは身体に気を付けて!

また連絡しまーす』


やたらびっくりマークの多いメッセージ。

送り主の美陽は地元の予備校で医学部を目指して浪人中だ。


美陽とは小学生からの付き合いで、何かあるとすぐに話を聞いてほしくなる。


だけど、東京の私大で気楽に過ごしている私から気軽に連絡できるはずもなく。


こうして月一くらいのペースで送られてくる美陽からのメッセージを心待ちにしている。



カフェのカウンターでコーヒーを飲んでいてメッセージを受信したのは午後10時30分。

美陽のメッセージは毎回必ずこの時間だ。

予備校が閉まるのが10時で、それから電車に乗って一息ついて…という頃だろう。


妥協を許さない性格で、最後の時間まで残って勉強しているのであろう美陽の姿が目に浮かぶ。

だから返信にはとても気を遣う。

元気が出るような…だけど、もう返信しなくてすむような…。

こんなもんか?と、送信ボタンを押すと、同時に美陽からのメッセージを受信した。


『追記

若槻君も元気に頑張ってるよー

この前の模試凄く良かったみたい!負けた!

あれはきっとA判定だよ、第一志望

じゃ、おやすみー』


大地、頑張ってるんだ。

けど今はその名前にも、嬉しい報告にも気分が上がらない。


既読をつけてしまったから、慌てて返信する。



『そっか!二人とも頑張ってるねぇ

大地にもよろしく、おやすみー』


どうしても曖昧な返事になってしまうのは、今日の昼の出来事を思い出してしまったからだ。

大学で知り合った友達のリサと雪乃と3人でランチを食べていた。

きっかけは、リサが紺野君の話を出したこと。


「紺野君、結構落ち込んでるみたいだよ。本気っぽいしさ、デートくらいならしてみるのもアリかもよ。いいヤツだし」


紺野君は3日前に告白されてお断りした人。


「いい人なのは知ってるけど、私彼氏いるし」


「その彼氏だけど…。大地君、だっけ?」


そう、大地は私の彼氏で、美陽と同じ予備校で同じ地元の医学部を目指して頑張ってる。


「いくら浪人してるからって、5ヶ月も連絡してこないんでしょ?正直、向こうはもう別れたつもりってのもあり得る」


いや、と明るく否定しようとした声は喉の奥の方に引っ掛かる。普通の感覚では、大地の態度はそう受け取れるってこと?


隣に座っている雪乃も、うん、と頷いて口を開く。


「待たせてる方なんだし、普通はもうちょい気を遣うっていうか。とりあえず、桜をこんな寂しそうな顔にさせないと思う」


むにっと、雪乃に頬を摘ままれる。


寂しそうな顔…してるかな。

もしそうなら、それは連絡が無いのが寂しいんじゃない。

リサに「もう別れてるつもりかも」

って言われて否定できなかった自分が、不安になってる自分が寂しいんだ、きっと。


「連絡しないでって言われてるの?」


「いや…。最後に会ったときは、浪人始める直前だけど、いつでも連絡してって」


「しないの?」


「うん…」


俯いた私の肩に、少し焦った様子の雪乃がポンと手を置く。


「まあ、桜が一生懸命大地君のこと考えてるのは知ってるし。ごめんごめん、言い過ぎた」


リサも慌てたようにグラスを置いてぐっと近づいてくる。


「ごめん。紺野君なら桜とお似合いだって思っちゃって。まぁ1つの考えとして聞いてほしいけど、なんていうか、そんなに重く恋愛しなくってもいいんじゃない?」


「そうそう、待ってあげられるのは凄いステキだし、いいと思うんだけどね」


笑顔で締め括った二人に、私もつられてありがとって笑ったけど、この会話は私に、思ったよりも大きなダメージを与えたらしい。



気づいてしまった。

いつの間にか、私の中で大地がどんどん足りなくなって。こんなに不安になるくらいに、会いたいと思うくらいになっていた。


大地が好き。

だから、一年くらい我慢できると思ってた。

けど、苦しい。

新しい恋なんていらない。会いたい。

大地に、会いたい。


けど、そんな自分が嫌になる。

大地が幸せになるためには必要なことなのに。

好きな人が頑張ってるのに応援できないなんて。

今は何もかもを諦めて、がむしゃらになってるはずなのに。

そんな時に、私をほったらかしにしないで、構ってよ、って。そんな彼女だったんだ、私。


こんなんじゃ、待ってるなんて言えないよ。


そんな筈はないのに。

私の大地への気持ちがちっぽけで薄っぺらなものに思えてきて、手の中のスマートフォンを握りしめた。


気づいたら、カフェを出て、すぐ近くにある予備校の前に立っていた。

校舎の灯りは消えて真っ暗だ。

もちろんここに大地はいない。

ここは東京にある第一校舎で、大地と美陽が通うのは同じ予備校の、九州にある第三校舎。

だけど、ほんの少しでも大地を感じたくて、いつの間にかここに来ていた。


もちろんこんな場所で大地を感じられるわけもなく、だけど立ち去ることも出来ずにじっと予備校の門を見つめていた。


不意にドアが開いて一人の男性が出てきた。

うわ、人いたんだ。慌てて踵を返して歩き出す。


「あ、待って。忘れ物?」


話しかけられて焦る。けど、無視したらそれこそ不審者だよね!?


「い、いえ!違います!」


とりあえず振り返ってそう言う。

もういいかな、けど、生徒のストーカーとか思われても…!

どうしよう、と前方と男性を交互に見て挙動不審になってしまう。


ドアに鍵を掛け終えた男性がクスッと笑ながら近づいてくる。

先生かな?綺麗な人。

大きな鞄を提げている。今から帰るところだったみたいだ。


男性の茶色い髪の毛が、夜風にふわりと揺れる。


「あ、うちの生徒やないんや。茶髪やもん」


「はい、違います」


正面に来て覗きこむ目が優しい。焦りがすっと薄れていく。


「ほんなら、友達に会いに来た?それやったら10時までに来な」


「いえ、いないんです。ここには」


「ここには?」


不思議そうに首をかしげられる。


「えっ、と…」


説明しようとして言葉につまる。

改めて考えると自分の行動が謎過ぎる。

ここにいない人に会いに来たなんて、やっぱり不審者だと思われる!



「さっき、中からちょっと見えててんけど。えらい切ない顔で校舎見てたなぁ。…会いたいけど、会われへん人?」


ゆったりした声に緊張が溶かされて、するすると言葉が零れていた。


「はい、彼氏が第三校舎にいるんですけど、全然連絡できなくて。応援してるのに、会いたいって思っちゃって。…会いたいけど、会えない人、です」


「そうかぁー」


特に呆れる様子もなく、全部分かったみたいな穏やかな声でそう言って、振り返って校舎を見上げている。



「分かるわ。応援したい気持ちと、もっと一緒にいたいって気持ち。どっちも本当の自分の気持ちやけど、互いに邪魔しあう気持ち」


ね、とこちらを振り向く。


「俺も同じかも。っていうか、頑張る人を想う人間の気持ちってさ、案外どれも似たようなものかもね」


この人も…?


「だからその感情は否定されるものやないよ。俺も仕事柄、いろいろ見てきたけど。誰かを大切に想う気持ちが、相手の負担になることなんて、案外ないんだよ、本当の意味では」


やっと、男性の言いたいことを理解して笑みが零れる。

何もかもを感じとって、励ましてくれてるんですね。


「それだと、ステキですね」


「うん…。てかさ、第三校舎のヤツを想って第一校舎に来てまう君の方が頑張りすぎ」


突然おかしそうに笑われる。やっぱり変だと思われてた…!


「第三校舎なら俺も出講してるから、もしかしたら教えてるかもね、君の彼氏」


え!大地に会えるなんてずるい!


「今、羨ましいとか思ったやろ」


「いえ!ズルいと思いました!大地に会えるなんてズルすぎです。」


ズルくはねぇよ、とやっぱりおかしそうに笑われる。

そしてふわりと優しく笑って続けた。


「うちの予備校の人間はみんな努力の天才やから。応援してくれる人の言葉なら、どんなものでも追い風にできる。ちょっと間違えたって大丈夫だよ。君がこんなに気を遣ってることも、有り難いって思うよきっと。…若槻も」



え、今、若槻って…!


「そんなら、遅いし、気を付けてなー」


言いながらもう歩き出していて。

背中を押す言葉が何度も頭の中に響いた。


「ありがとうございます」


遠く離れた背中に向かって、口の中で呟きながら、頭の中はキラキラした大地の笑顔で満たされていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






「……んー。よし」


何度も読み返して書き直した文面をから目を逸らさないまま、呟いて息をついた。


あと一回だけ読み直して今度こそ送信しよう。



美陽からメールを受け取って予備校の校舎を見つめ、講師らしき男性と話をした日から、7日がたっていた。


あれから私は、これまでの葛藤が何だったのか不思議になるくらい前向きな気持ちで大地と向き合う準備をしていた。


スマホの画面から視線をそらした机の上には、綺麗に見えるようラッピングした小さな包みが置いてある。


まずは応援したいという気持ちを形にしようと考えて、大学の勉強を若干おろそかにしつつお守りを作った。


お裁縫は高校1年の家庭科の授業以来だし、もともと手先が器用というわけでもないから、予想より時間がかかり、何枚かの布切れを無駄にしてしまった。


だけど、あとちょっとというところで糸が玉のように絡まり手に負えなくなった時も、

お守り袋の口が狭すぎてどうにもこうにもひっくりかえせなかった時も、

予定では内側に隠れるはずのガタガタの縫い目が端っこにちらりと顔をだした時も、不思議と妥協しようとは思わなかった。


何度でもやり直して完成させようと思えた。


そうすれば、大地の苦しさをほんのちょっとでも感じられるような気がして。


頑張る大地に持ってもらうお守りは、前向きでひたむきな気持ちからできていないといけない。



完成したお守りは自分が作ったとは思えないくらいの出来栄えだった。これなら大地に渡せる。



合格、

必勝、

大丈夫……



表の刺繍はいろいろと考えて悩んだ結果、一輪の桜の花を描いた。


込めた思いは桜咲け。


…ちなみに私の名前は桜だ。正直めちゃくちゃ恥ずかしい。


思いついた時は、「さすがに、無い無い」と選択肢から外したが、一度お守りに重ねて桜の花を想像してみたら、かなり素敵に見えてしまった。他のどんな文字をイメージしても、私の「待ってるよ」の思いには桃色の5枚の花びらのほうがふさわしく思えた。


悩みに悩み、さらに悩みに悩んで覚悟を決め、私は桜の花のイラストを集めて何種類かの桃色の糸を購入した。


多分文字の刺繍よりも難しくなってしまったと思う。しかしインターネットの情報にも頼りながら仕上げた桜の花は予想よりもずっとそれらしくて可愛らしかった。


かなり満足している。



で、まずはメールだ。


お守りを郵便で送るのと一緒に手紙を書こうかとも思ったが、手紙を送れば返事も手紙でないといけないと気を遣わせてしまいそうなのでやめた。気持ちは伝えたいけど、大地に必要以上の時間を取らせるのは本意じゃない。






大地

お久しぶり。毎日お疲れ様です。

体調崩してないかな。

突然メールしてごめんね。伝えたいことがあったの。

私、大地のことを待っててもいいかな。

何も力にはなれないけど、応援したい。声に出して大地頑張って、って伝えたい。

風邪ひいてないかなって、辛くて泣いてないかなって心配したい。

待っててって言われてないけど、私は待っていたいです。

大地の目標が叶った日に、よく頑張ったねって抱きしめたい。

大地に迷惑かけたくないから、煩わしかったら言ってほしい。

応援してます。

大好きです。         桜





最後の一回、目を通す。


正直なところ、自分でも何を伝えたいのかあまりよく分からないのだけど、これが私の気持ちだった。応援したいっていう気持ちを知ってほしい。私が待ってるって思ってほしい。


私は浪人の経験がないからどんな言葉が負担になるのか分からない。もっと当たり障りのないメッセージの方がいいかも、とも考えた。だけど、やっぱり伝えたいことをただ書いた。



……誰かを大切に想う気持ちが、相手の負担になることなんて案外ない、本当の意味では



そう言い切ったあの人の言葉に何度も背中を押してもらった。


「よし、送信っと」




むくむくと湧き上がってくる不安な気持ちを無理やり押し込んで、最近おざなりだった講義の復習に手をつけた。





講義が終わり、徒歩で大学の正門を出たころ、手提げ鞄の中でスマホが振動しているのに気付いた。慌てて画面を確認して思わず息をのむ。急いで通話ボタンに触れ耳に当てた。



「…だい、ち?」


『うん、桜?』


5か月間焦がれていた優しい声がとんでもなく心を震わせた。


「どう、したの?」


声も震えた。



『今日の朝、届いたんだ。お守り。ありがとう。…めちゃめちゃ、嬉しい、ほんとに。』


「うん、気に入ってくれたんなら、よかった」



止めていた足を動かしながら、答える。



『もしかして、手作り?』


「うん、そう。結構頑張ったでしょう?」


『すごいよ本当に。まじで嬉しい。ありがとう』



何度もありがとうと繰り返す大地。


心が震えるような感覚も、だらしなく上がる口角も抑えられない。けど、



「大丈夫なの?こんな時間に電話なんて」



迷惑だけはかけたくないのだ。



『うん、大丈夫。休憩時間にちょっと外出てるから』


「そう、ならよかった」



休憩時間なんてきっとほんの少しだろう。私から、話をやめる方向にもっていった方がいいのだろうか。声がきけて、名前を呼んでもらえて、もう十分すぎる。



『あのさ、こないだメールくれたときも、本当は桜の声が聞きたくて仕方なかったんだ。けど、嬉しすぎて、声聞いちゃったら、何もかも投げ出して会いに行きたくなっちゃうような気がして』


「えぇ?」



大地がそんなことを言うなんて。いつも割と落ち着いているのに。



『だから、メールで我慢した。けど今朝、お守り見て、我慢できなくなって大学終わりそうな時間に電話したんだ』



結果として迷惑をかけたのだろうか。



「えっと、気を遣わないでね」


『違うよ。ただ我慢できなかっただけ。それに、桜の声が聞けて、この後の自習すごい頑張れる。ありがとう』


「うん、頑張ってね」


『ありがとう。…けど、こうして声が聞けるの、癖になっちゃいそうだから、今後は我慢する。』



そんなことを言ってもらえて、単純に嬉しい。大地も、声が聞けて嬉しいって思ってくれるんだ。



「ふふ、そうだね」


『また、メールしていいかな。桜に頑張ってって言ってもらえたら、俺、何よりも誰よりも頑張れる』


「もちろんだよ。頑張って」


『頑張るから、待ってて欲しい。……桜』


「うん」




『大好きだよ』




「っ……」


『じゃあ、切るね。お守りありがとう』


「うん!大好き」




通話を切っても、大好きだという気持ちが溢れて止まらない。いつの間にか、いつかのカフェの前まで歩いていた。





甘いカフェラテをカウンターテーブルに置いて、もう何度目か分からないほど読み返している大地からのメールの画面を開いた。あの日私がメールを送って数時間後に大地から届いたものだ。



ガラス越しに見える街路樹の葉は、まだまだ夏の色を纏い、これから迎える寂しい季節に向けて太陽の光を溜め込むように、精いっぱい枝を広げていた。






久しぶり。メールありがとう。嬉しかったよ。それとごめん、今まで何も連絡しなくて。

忙しかったっていうのもあるけど、ちょっと怖かったんだ。

俺は、桜の大学生としての時間を縛るのが申し訳なくて、待ってて欲しいって言えなかった。けど、やっぱり待っていてほしいと思ってた。もし桜が俺のことなんてとっくに忘れてしまってたら、

連絡してそんな現実を知ってしまえばもう頑張れないと思った。

だから、桜は俺を待っててくれてるって思い込んで、現実を確かめるのは全部終わってからにしよう、と。

それが桜を不安にさせてしまったみたいだね。

先に言わせてごめんね。俺の弱さのせいで、いらない勇気を出させた。

待っていてほしい。頑張れって、桜に応援してほしい。

死ぬ気で頑張って、合格して、桜の笑顔を咲かせるから。

それまで、待ってて。

大好きだよ。           大地





end.


最後まで読んでいただきありがとうございました。



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