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「しかし、探すのに苦労したぞ。何せ、誰も───の事を覚えていないのだからな。だが、この場所が分かったのは、お前の部下達のおかげだ。誰も訪れない、秘密の場所があると、教えてくれた。それが何故秘密で、誰も訪れないのか、理由は分かっていなかったようだが、それは間違いなく、お前がいた証だ」
「ふ……。わしがいた、証か」
誰も、わしの事は覚えていない。だが、わしがいた証が、僅かでも残っていたというのなら、それは喜ばしい事だ。
皆がわしの存在を忘れ、わしの存在を認識せず、それなのに、わしのいた痕跡は、消せない。世界にまた一つ、一矢報いてやった気がして、気分が良い。
「わしは、じきに死ぬ。後の事は、任せたぞ。お前になら、全てを任せられる」
「……分かっている。でも、私が何かするまでもなく、貴女が望んだように、全てが順調に進んでいる。世界は少しずつ、平和に向かって動いて、変わりつつある。皆が手を取り合って、世界を再建しようとしている。全て、貴女のおかげだ」
「……ああ。最後に、そちと話ができて、良かった。魔王の種による、人に対する憎悪を封じ込めるためこの場所を選んだのだが、そちに出会っても、不思議と憎悪が湧いてこない。むしろ、救われた気持ちだ。……ありがとう。わしに、会いにきてくれて」
また、嗚咽が聞こえた。それを指摘しても、どうせ否定されるだけだろうから、わしは指摘する事はない。
「──もう、行け。このような場所で、わしの死ぬ様を見届ける必要はない」
「……残念だが、そういう訳にはいかない。私は、貴女を救いに来たのだから」
「……救う、だと?」
「その通りだ。世界は、貴女が魔王の役割を果たさなかったことに対し、怒っている。ならば、魔王の役割を、果たせば良い。私は貴女に、魔王に戻ってもらうために、やってきた」
「わしに、再び憎しみに囚われろと言うのか……?」
まるで、わしのした事が間違っているかのように言われた気がして、わしはついつい、語気を強めてしまった。
とはいえ、こんな死にぞこないの声に、力は感じないだろうがな。
「違う。魔王の役割は、戦う事。世界を恐怖に陥れ、人間を支配しようとする。それが、魔王。その魔王が最期を迎えるとしたら、どんな最期になると思う?」
「……見た通りだ」
「違う。今の貴女は、世界から魔王である事を否定され、存在すらもない。そんな、魔王ではない貴女の最期ではなく、もしもの話をしている。とある物語の中で、魔王は勇者に敗けた。勇者と戦い……最期は──」
例えば、勇者の言う通り、魔王が勇者に破れるという、とある物語があるとする。魔王が破れ、最期は勇者の手によって、殺されたという物語だ。そして、人間目線で世界には平和が訪れ、めでたしだ。
その最期は、どういう形であれ、納得のいかない物であったとしても、非常に魔王らしい最期だと言える。
「──最期は、勇者に殺された」
勇者に殺されたという事以上に、魔王らしい最期はない。
「くくく。なるほど。そちは、わしを殺しに来たのか……!」
「その通りだ。───。いや、魔王。その命を、魔王として全うするため、私に殺されて欲しい」
「しかし、それでわしが、魔王として存在できる訳ではあるまい。わしは勇者に殺され、どのみちこの命は終わる。その後に、何が残ると言うのだ。そちの手を、無駄に汚す事にはならぬのか?」
「世界は……人と魔族が、手を取り合って生きていける世界へと、姿を変えた。そんな世界を実現した魔王の名は、きっと後世まで語り継がれる。世界中の人たちが、貴女を尊敬する。私が望むのは、そんな世界だ。誰も、魔王の事を覚えていないのに、世界に平和をもたらした者の名も、存在すらも覚えていない世界など、私は望まない」
「そちに殺された所で、そちの望み通りになるとは限らん。魔王の殺し損になるかもしれぬぞ」
「それでもいい。だがそうなった場合、そんな世界が気に入らなくて、私が新たな魔王になってしまうかもしれないな」
冗談なのか、本気なのかは分からぬ。
だが、わしは笑った。嬉しくて、笑った。勇者が、最期に会いに来てくれた。勇者が、わしを救うために来てくれた。もう誰も、わしの事を覚えていなくて、存在すらも認識してもらえないと思っていたのに、これほどにまで嬉しい事はない。
「──良い。殺してくれ。いや、コレでは魔王らしくないな。こほん。……勇者よ。貴様の思い描く世界が欲しければ、わしを殺してみるが良い。見事にこの命をとった暁には、描いた世界を手に入れる事ができるであろう」
「……魔王。覚悟するがいい。この聖なる剣で、お前の命をとってみせる」
台詞は、茶番だ。わしは、抵抗する力も残っていない。だが、魔王らしくあるために、魔王を演じてみたのだ。それに勇者ものっかり、そんな台詞を聞かせてくれた。
「魔王……いつかきっと、また会おう。私が命をまっとうし、生まれ変わるとしたら、貴女と共に生きていきたい。笑って、手を取り合って、今度は剣を交えなくていい。そんな関係にありたいと思う」
「それは、楽しそうであるな」
わしは、そう言いながら、立ち上がった。足元がおぼつかず、すぐに倒れてしまいそうだが、しかし、勇者がわしを殺してくれると言うのだ。座ったままというのは、どう考えても格好がつかんからな。
「やってくれ。勇者、セフィリア──」
「っ……!」
次の瞬間、わしの胸に、聖剣が突き刺さった。わしは倒れ、己の、ただでさえ小さかった命が、更に小さくなったのを感じた。体中から、更に力が抜け落ち、最早立ち上がる力はない。痛みは、不思議と感じない。嗚咽が、聞こえる。すぐ近く。冷たく、凍えるような寒さを感じる中で、わしを抱きしめているその者の体温だけが、とても暖かく感じる。頬に、水が垂れてくる。温かい。
「泣くな……勇者よ……」
「泣いて、ないっ」
わしの手を掴み、頬に触れさせる勇者の目からは、どう考えても涙があふれ出ている。
「……ああ……死ぬ前に、もう一度だけ……名前を呼んでくれ……」
わしは、勇者に敗れた。魔王として、魔王らしく、死に行こうとしているのだ。先ほどは聞こえなかったわしの名前を、今なら聞くことができるはずである。
わし自身、最早自分の名を思い出す事ができんのだ。死ぬ前に、自らの名くらい思い出さねばな。
「ヴァラクオメガ。貴女の名は……魔王、ヴァラクオメガ」
「そうだ……そんな名だったな。ヴァラクオメガか……我ながら……良き名だ……」
聞くことが、できた。失われたと思った、自分の名を、しかと思い出した。暗闇だった世界が、真っ白に染まったような気分だ。我が名は、ヴァラクオメガ。ヴァラクオメガだ。
「──ありがとう」
最後に、わしは呟いた。意識が途切れる、直前だった。わしは、勇者に礼を言った。その礼を呟くのに、最期の体力を使い果たした。
わしを救ってくれた勇者は、真の勇者である。この先、この者に、多大な幸せがあるように、願おう。平和に暮らす人々にも、魔族にも、世界中の者が、笑って暮らせるように願う。
我が名は、魔王ヴァラクオメガ。この世界に、平和をもたらした魔王である。