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恋する乙女は成りたがり
「うそよ! これはきっと間違いに違いありませんわ!!」
わたくしは紙束を握りしめ、そう叫びました。力を入れすぎてくしゃくしゃとなったそれには、婚約者との関係を解消とする旨が書かれていました。
これはドッキリで、紙に仕掛けがされている可能性を試します。
怪文書を逆さから読んでも駄目で、熱を加えても新たな文字はあぶりだされないし、暗号として読み解くことも不可能でした。
「お嬢様、現実逃避はいけません」
侍女がわたくしから握りつぶした紙を取り上げ、広げました。そこには我が国の公式な文書印が押してありました。
婚約解消に至った理由がつらつらと書いてありましたが、そんなのは関係ありません。
万が一、この文書が本物だったとしても、こんな馬鹿馬鹿しい内容を書いてくるなんて、その人頭がおかしいに決まっています。
「これは絶対抗議すべき事案ですわ!」
理不尽な命令に怒り心頭で、無駄な時間を過ごしてしまいました。
こんなことをしている場合ではありません。
即行でお城に乗り込みます。現在はもう夜ですが、そんなのは関係ありません。恋する乙女はノンストップなのです。
どなたが文書を書いたか担当者か分からないので、とりあえず偉そうな人のいた豪華な部屋に乗り込み、本日出した命令書の撤回を嘆願しました。
「命だけは助けてくれ」なんてとんちんかんなことを言っていましたが、最終的にはその偉そうな人はわたくしの熱意に快く了解してくれました。
翌日、婚約解消の撤回の文書を待っていたのですけれど、来ません。待てど暮らせど来ません。
城で働いているお兄さまは「昨晩、王様の部屋で暗殺未遂があった」などと言っていましたが、無関係で下らない話なので聞き流します。
そんな、どうでも良い時事ネタを仕入れる暇があったら、可愛い妹の恋のために奔走してほしいですわ。
次の日も、その次の日もお城からの知らせはなしのつぶてです。
仕方ないのでお兄さまに進捗を確認してきてくれるようお願いします。
それで駄目なら、もう一度お城に乗り込むしかありません。
「頼むから、城に行くのは止めてくれ。今城はゴタゴタしているんだ。しかし、未確認ながら彼は王子じゃなくなったらしいんだが・・・」
それは密偵からの報告ですでに確認済みです。現在傷心なあの方は田舎で療養してるらしいですわ。
「何で密偵なんか・・・」
愛する人の情報は常に知っておきたいという、繊細な乙女心が分かりませんか?
「一応、聞いておくけれど他の条件の良い良人ではどうかな?」
「王子かどうかなんて些細な問題です。わたくしはあの方が例え乞食だったとしても結婚をためらいません。
あの方以外と結婚でもさせようものなら、死にますわよ!」
わたくしの脅しにも似た懇願に兄さまも折れ、引き下がりました。ですが、あの様子だと期待できそうにありません。
こうなったら、本人に直接直談判しましょう。あの方にとっても不本意なお話に違いなのだから、事情を聴いてみましょう。
やむにやまれぬ事情ならば、最悪二人で逃避行すれば良いですわ。もちろん頭の固いお兄さまにはナイショです。
「拉致とか止めてくださいよ」
侍女が寝言をほざきやがりましたが、無視します。愛するあの方の意思を曲げることをするはずがありません。
監禁調教のような次案はまだ早すぎます。
さて、手土産は何が良いかしら? 聞いた話だと少々困窮しているらしいから金塊とか、どう?
「お嬢様、常識で考えてください」
ああ、確かに。金塊はそのままだと買い物に扱いにくいですわね。いちいち買い物のたびに換金する手間が面倒です。
あれこれ悩みましたが、侍女の助言でよそゆきを一式贈ることとしました。
侍女が雇った護衛を連れて、隣国の検問を抜けます。国境で少々ごたつきましたが、無事あの方の元へたどり着きました。
宿を求めましたが、一ヶ月貸切りされているとかで、上手い具合に断られました。なので彼と一つ屋根の下で泊まるのは合法的になのです。
スー、ハァー、クンクン。
さすが、田舎。空気が美味しいですわ。夢にまで見たあの方の部屋で下を向いて深呼吸します。
久しく顔を合わせていませんでしたが、こっそり盗み見たお顔は相も変わらず素敵すぎます。
わたくしは恥ずかしくて目を合わせられません。侍女の後ろで黙って控えます。
令嬢自ら本人が来るなんてはしたないことなので、わたくしは来てない態です。
一緒に連れてきた侍女を前面に出して、後ろでこっそり指示するとにしていますた。
「お嬢様を前面に出して暴走されるよりはマシでしょうか?」
そんなことを侍女は言っていましたが、恋愛小説でも恋する乙女が暴走するのは仕方のないこととなのです。もっとも、わたくしは淑女なのであいにく暴走したことはありません。
貴族的な回りくどい話を侍女とやり取りする彼は経済的理由で悩んでいるようですが、そんなのは障害になりえません。
ヒモで一向に構いませんわよ。わたくしが一生養ってさしあげすこともやぶさかではありません。
侍女が彼を言いくるめ、いえ、説得しようとしますが、色よい返事は頂くことはできませんでした。
仕方ありません。彼も漢としての矜持があうのでしょう。
でも、気が変わるのを何分でも何時間でも待ちますわよ。わたくしは健気な女ので。
代わりと言ってはなんですが・・・
「それでしたら、身につけているものを頂きたいです。その、でき
れば・・・、いえ、何でもありません」
彼女は何故言葉を濁すのかしら? 身につけているもの一式、駄目なら下着だけでも欲しい。もっと、プッシュしなさい。
お守りにして肌身離さず持っていたいだけですわよ。何、邪推ししていますの?
えっ? 自分で言えですって?
わたくしからは言えませんわよ。だって恥ずかしいですもの。
短い逗留でしたが、報告書だけでは分からない現状を把握することが出来ました。
けれども、あの雇い人の態度はいただけません。あの方に対する敬意が全く感じられません。
どうせ無能でしょうし、機を見計らって、辞めてもらうことにします。
密偵は追加の指令を出して、そのまま残します。
平和でスローライフを送るには良い環境です。老後は二人きりであそこに住むのも良いかもしれません。
家に帰ってお土産の布地を抱きしめ、うっとりしていると、お兄さまが小言を言ってきますが、益体もない内容なのでいつものように聞き流します。
改めて結婚の意思を固めました。今度はひとりで行くことにしましょう。それならもっと早く来れます。
わたくし幼い頃護身術をかじっていたので実は護衛がいなくても自分の身くらいは守れるのです。
素早く行き来するには国境の関所が邪魔ですわね。迂回するのも面倒ですし、後でなくしておくことを心に留めておきます。
ある日、あの方の洗濯物をこっそり交換して差し上げようと最短ルートで彼の土地へ向かっていると、いつか見た無能な雇い人を見つけました。
何故、こんな所にいるのでしょう?
気になったので後をつけていると、見覚えのある箱を持っていることに気づきます。
確認してみると、見覚えのあるデザインの布地が見えます。
わたくしが贈った服を持ち逃げしているに違いありません。善悪を判断する必要もなくギルティです。
お兄さまにまた小言を言われると面倒なので、痕跡を残さぬようにこっそり処理しておきます。
影から内々に愛する人のアシストするするなんで、正に内助の功、妻として相応しいといっても過言ではありません。
関所が消えて最短ルートの構築が終わって間もなく、彼の国とその隣国で戦争状態となったとの知らせを受けました。
どちらもわたくしの国から見れば小国同士の小競り合いですが、長引けば我が国も仲介と言う名の武力行使に乗り出すでしょう。
ぶっちゃけ国同士の思惑など、果てしなくどうでも良いですが、あの方はどうなるのでしょうか。
最悪の事態を考慮してあの方を保護を指示します。
本当は自ら動きたかったのですが、兄さまと侍女に必死の形相で止められました。
不本意ながらも刃物を持ち出して命を懸けて止めるとまで言われては、思いとどまるしかありません。
彼の地へ向かう者たちを笑顔で激励します。
「わたくしがいないからって、失敗は許されません。成功するためならば、手段は問いませんわよ」
わたくしの励ましの甲斐あって、彼は安全な場所へ匿うことが出来たようです。
余談ですが、戦争の結果として二国とも我が国の支配下になることが決まりました。開戦してから数日のスピード解決です。
戦争が終結するのを見計らって、会いに行きます。
待ち構えていた彼の世話役が丸めた布を差し出してきました。
彼の服ですって? わたくし、もう本体を手に入れたので今さら不要ですわよ。
侍女から聞いたのですか? 古い話を蒸し返すなんて、嫌らしいですわね。
でも、せっかく持ってきたのですから、一応もらっておきますわ。
久しぶりに盗み見る彼の姿は少しやつれているようです。度重なる心労で弱っているのでしょう。
なんということでしょう。
彼の姿に心痛めたわたくしは自ら服を仕立て、高級な食材をかき集めました。滋養強壮に良い料理をふんだんに詰め込んだ愛の手料理を毎日彼に差し入れます。
ああ、あの方に手料理を振る舞う時が来るなんて・・・ 夢? いえ、想定通りですわね。
涙を浮かべ喜んでいる彼をこっそり盗み見ます。
この時点ではまだあの方の前には姿を見せていません。結婚が決まってから劇的な再会を演出するためです。
お兄さまが性懲りもなく小言を言ってきましたが、侍女を身代りにして黙らせます。全く、シスコンで困りますわ。
例え何人たりとも邪魔はさせません。
わたくしの根気強い説得に兄さまも渋々折れてくれたので、晴れて結婚・花嫁・新妻となりました。
誰はばかることなく、これからはずっと一緒です。
愛する人を囲って生活。なんて素晴らしいのかしら? わたくし人生の勝ち組ですわ。