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第三回 好奇心

仕様の関係でフリガナに不自然なところがあります。

 |Francis Nekrasovフランシス・ネクラーソフは、早い話がオカルト・マニアだった。ゆえに怪奇な事柄に興味があり、特に心霊現象に強い関心を示していた。ただ、好みには(うるさ)く、創作であることが明白な怪談や怪奇小説などには一切見向きもせず、もっぱら胡散臭い心霊現象や民間信仰のようなものを好んだ。要は遊園地のお化け屋敷には興味はなく、かつて恐ろしい事件が起こった心霊スポットが好きなのだ。他人からすれば信じる信じないを問わず不気味なものでしかないので、当然ながら周囲から避けられたのだが、本人は気にする様子も見せず、心霊好きであることを隠そうともしなかった。

 彼はキミア大学で、|Gustave Helmontギュスターブ・ヘルモントの部下の研究員として働いている。このヘルモント氏は、チカプの養父であるホーエンハイムの旧友であり、かつては共に錬金術の研究をしていた。そして現在は錬金術研究の第一人者である。ネクラーソフがヘルモントの下に就いたのには理由がある。まず、ネクラーソフはゾンビに強い関心を持っていた。彼からすれば死んだはずの肉体が動き出すといった(おぞま)ましい現象も、壊れた体が再起動する神々しい現象に思えたのだ。魔法や錬金術とは縁のない医学でも「仮死状態から復活した現象」などと説明でき、伝承にあるゾンビに見られる凶暴性や知能の低さは「酸素不足による脳障害」と言えるのだが、それはネクラーソフからすれば魅力や面白みが一切なかった。彼がゾンビに求めたのは、彼の理想にある神々しい復活である。そのため「たまたま死にかけた」とか「障害者になった」という説は、彼も学者である以上は「そういう場合もある」とは納得できるのだが、やはり全てがそうであるというのはオカルト・マニアとしては幻滅ものだった。それ故まだ学術的に未知の領域が広い魔法や錬金術を研究すれば、彼が求めている理想のゾンビの正体を知ることが出来、かつほかの心霊現象……つまり幽霊や騒霊現象(ポルターガイスト)【Poltergeist】の正体も、自分の理想に収まる原因を知ることが出来るのではないかと考えたのだ。

 つまりは生粋の変人である。

 年は四十代前半だが、結婚しておらず子供もいないし、友人や恋人と時間を過ごすなんてこともしない。仕事中に周囲と交わす会話は、仕事に関わることが中心で、私的なことは話さないし、聞かされることもない。休みの日は好きな心霊関係の書物や研究に(ふけ)っている。オタク気質のせいなのか、一人でいる時間が長いせいなのか分からないが、ネクラーソフは天才とは言えないものの、それでも同年代の学者と比べれば優秀だった。周囲には優秀だが人嫌いの変わり者という目でネクラーソフを見る者もいたが、変わり者であることは本人も否定しないものの、彼自身は人嫌いとか他人との交流が苦手という認識はなかった。ただ、他人と話したり異性と接するよりかは心霊関係の資料を見たり、趣味に基づく気楽な研究をするほうが何倍も好きなだけなのだ。


 ある日の昼間に、研究員のミゲール・ゴルジに会いたいという人物が訪れたと、大学職員がヘルモントの研究室に取り次ぎにやって来たのだが、このときゴルジは留守にしていた。たまたま職員に話しかけられたネクラーソフが「どういう奴なんだ」と、その職員に尋ねると、二十歳(はたち)前後の青年だと返された。

「ゴルジの知り合いか?」

「いえ。ゴルジさんのお父さんの知り合いの知り合いの、そのまた知り合いだとか」

「それって、赤の他人じゃないか」

「それで、そのゴルジさんに教授に取り次ぎをお願いしたいとか」と職員は言って、ネクラーソフにゴルジ宛の手紙を渡した。

「なんて言うか、怪しい奴だな」

 少し考えてから「ゴルジと教授には伝えておくが、今日はサッサと引き取ってもらえ」とネクラーソフは言った。

「わかりました」と職員が振り返ったところで、「ちょっと待て。聞くのを忘れていたが、そいつの名前はなんだ?」と尋ねる。

「えっと」と、職員がメモを見て答える。

「チカプ・ホーエンハイムさんです。昔、この大学に勤めていたロバート・ホーエンハイムさんの息子さんだそうで、エクリプス・タブレットについて聞きたいことがあるとかで」

「そうかい」と、この話はこれで終わった。

 ネクラーソフはゴルジ宛の手紙を自分のデスクの引き出しに入れたのだが、結局はゴルジに渡すのも、チカプのことをヘルモント教授らに伝えるのも忘れたまま、その日を終えた。


 翌朝、職場の研究室に来ると、今日の朝刊に載っていた事件が話題になっていたのだが、人付き合いの悪いネクラーソフに、その話題を振る者はいなかった。それでも、聞き取れるほどの声で話しているのだから、断片的に内容が入ってくる。どうやらホライの森と『壁』と呼ばれる山脈の向こうにある小さな村に化け物が現れたらしい。それが新種の生き物なのか、いわゆる未確認生物なのか、もしかしたら錬金術で生成した生物であるHomunculus(ホムンクルス)なのかと好き勝手に話しているのだ。双頭の黒犬といった奇妙な姿の化け物ではあるけれど、現れた化け物はすでに駆除されたと記事にあるから、不安などを覚えることはなく面白話の一つになっていた。

 ネクラーソフは自分の椅子に座って、コーヒーを飲みながら研究資料に目を通す。何気なく引き出しを開けたとき、きのう預かった手紙を見つけて思わず軽い溜め息をついた。

「忘れてた……」と呟いて、部屋を見回しゴルジを捜す。

 化け物談話で盛り上がっている群れの中にいた。

 こちらから行くのも面倒と「おい、ゴルジ。ちょっと来てくれ」と呼ぶ。

「なんですか?」と来たので、サッと手紙を渡した。さらに「なんですか? これは」と聞いてきたので昨日のことを話した。

「父の知り合いの知り合いの……。ずいぶん遠いな」

 そう零しながらも手紙を読んだゴルジは少し驚いた。父の(つたな)い字と偉そうな口調の手紙には、ホライの森に現れた化け物を退治した人物を、ヘルモント教授に会わせろと書かれているのだ。

「なんて書いてるんだ?」とネクラーソフは尋ねた。

「ホライの森で化け物が出たのは御存じですか?」

「らしいな」

「昨日の人が、その化け物を駆除した人だそうです」

「そんな御方が、わざわざ錬金術の大家に会いに来るってことは、その化け物は本当にホムンクルスなのか?」

「だったら一大事だ」とゴルジが呟く。

 魔法や錬金術による人工生命体の生成および研究は禁忌だったからだ。

 ゴルジは手紙を持ってヘルモントの元に行った。しばらくするとヘルモントのほうからネクラーソフのところにやって来る。ヘルモントは五十代半ばの男である。

「ネクラーソフくん。きのう私に会いに来たという人物について聞きたいんだが……」と尋ねて来たので、億劫ではあったが「ああ。彼の親父さんが、昔この大学に勤めていたらしく、親父さんの名前はなんだったかな。ロバート? ホーン……ハム? そんな感じの人の息子さんだとか」と答えた。

「ロバート・ホーエンハイムか?」

「ええ。それです。ロバート・ホーエンハイムさんの息子さんです、確か。息子さんの名前は変わっていたので忘れましたが」

「ほかには?」

「え?」

「ほかになにか言ってなかったか?」

「なんとかタブレットがどうこう言ってたような……」

 ヘルモントは「そうか」と息をつくように言うと、「また彼が来たら、私の部屋に通してくれ」とだけ告げて去って行った。

「オレは受付職員じゃねえよ」とネクラーソフは、誰にも聞こえない声で愚痴を吐いた。


 昼になる。研究員は昼食のため研究室を空けていたが、ネクラーソフは仕事をしていた。もう少しで一段落するため、そのあとで食事を取ろうと思ったところに、昨日の職員が訪れた。

「すいません。昨日お話したロバート・ホーエンハイムさんの息子さんが――」と言って来たので、ぶっきら棒に「ヘルモント教授の部屋に案内してやれ」と返すと、職員は「わかりました」と去って行った。

 ようやく一通りの仕事を終える。食事に行こうと部屋から出たとき、出会い頭に華奢な男とぶつかりそうになる。お互い「お!」と声を漏らすが、当たっていないので問題はない。

「やあ、ネクラーソフさん。まだ食べてなかったんですか?」とその男、|Victor Shelleyヴィクター・シェリーが言った。三十代前半で目の下に隈がある男で、明らかに不健康な痩せかたをしていた。

「ああ」

「そう言えば、さっき教授室の前を通ったんだけど、誰か来てるんですか?」

「今朝の新聞に載ってた、化け物退治の英雄が来たんだと」

「化け物? ホライの森の怪物のこと?」

「ああ、そうらしいな。オレはまだ新聞を読んでないから、詳しくは知らないけどな。じゃあ、オレはもう行くぞ。昼休みが終わっちまう」と、ネクラーソフはそそくさと立ち去った。

 ゆっくりと食事をしている暇はないと、売店にあったサンドイッチとコーヒー、そして新聞を買ってすぐに研究室に戻ったころには、研究員がチラホラと戻っていて仲のいい者同士が集まってお喋りしたり、読書をしたり、仕事を早めに始めたりしている。ネクラーソフは、食事を取りながらホライの森の怪物の記事に目を通した。黒い犬の化け物が、森と辺鄙(へんぴ)な村に現れて人を襲ったことが書かれていて、名こそ伏せられていたが、エトンなる怪物の飼い主らしき人物と、そのエトンと化け物の犬によって攫われたロバート・ホーエンハイムのことも書かれていた。ネクラーソフは、この化け物と戦った被害者の息子に興味が湧いた。奴は教授のもとを訪れたとき、ネクラーソフは昼休憩に入る少し前だった。それから食事を買って研究室にすぐ戻ったから、まだそれほど時間は経っていないはずだ。まだヘルモントのところにいるかも知れないと、さっそく教授室へと向かった。

 扉の向こうからヘルモントの笑い声がする。ノックをして「失礼します」と部屋を見た。

 向かい合ったソファーに座るヘルモントと、やはり見知らぬ少年。ミゲール・ゴルジよりは年下のようなので、恐らくは十代の後半ごろだろうと勝手に推測した。

「なんだ? ネクラーソフくん」とヘルモントだ。

「いえ。朝刊に載っていた英雄に、怪物事件について伺いたいことがあって」と正直に話す。

「彼に話しても構わないか?」とヘルモントが少年に尋ねると、彼は小さく(うなず)き返した。

「まあ、入り給え」の言葉で、部屋に入る。

 誘導されるままに、教授の隣に座った。

「チカプくん。彼はうちの研究室のネクラーソフくんだ。ネクラーソフくん、彼を知っているかも知れないが、彼は私の古い友人のロバート・ホーエンハイムの息子さんの、チカプ・ホーエンハイムくんだ」と紹介してくれた。

「初めまして」とネクラーソフ。

 ゆっくりと雑談しながら話を引き出すのは苦手なので、単刀直入に尋ねる。

「君が倒したっていう、ホライの森の怪物はどんな化け物だったんだ?」

 あまりに唐突だったので、チカプはきょとんとして声が出なかった。

 結局ネクラーソフは、新聞にあった化け物の飼い主らしき人物の名前がエトンであるということと、飼い主のほかに『パパ』なる人物がいることくらいしか、新しい情報がなく幻滅した。と、ふと思い出した。

「そういえば教授。なんとかタブレットとはなんですか?」

 それを聞いたヘルモントは笑い出した。

「エクリプス・タブレットのことか? チカプくんにも聞かれたが、他愛もないものだ。大昔からの都市伝説みたいなものでな、なんでも錬金術における『神の(ごと)き英知【Godlike(ゴッドライク) Science(サイエンス)】』が書かれたものだ。それを真似て作った小さなものが|Eclipse Cardエクリプス・カードだ。私も昔、そのカードのほうを当時の教授に見せてもらったことがあるが、別段面白いことなど何もない。現代錬金術における初歩を虫食いみたいに書かれただけのものだったよ。例えば、基本五属性における『生成循環』と『滅却循環』みたいなものだな」

 『生成循環』とは、属性を得たマナが異なる属性に転化する循環である。基本属性である【()】・【(ほのお)】・【(つち)】・【風】・【水】の五つは、この順に沿ってマナの属性が変化する。つまり【樹】から【焔】が生み出され、【焔】から【地】と続いて、【水】が【樹】に転化することで一回りする。図案に起こせば正五角形になり、この循環によってウィザード達は、自分の本来の属性以外のマナも使えるのだが、通常は次の属性しか転化できない。【焔】属性のチカプの場合は、【地】にしか転化させられず、その【地】から【風】へと続けて転化できないのだ。さらに注意すべきは、属性を持つマナに対して、生成循環の一つ前の属性のマナを使った場合、具体的には【焔】を【地】に向けて放ったときは、相手の【地】はその【焔】を取り込んで強くなるのだ。

 『滅却循環』とは、属性を持つマナが異なる属性のマナを打ち消す組み合わせの循環であり、図案では五本線で星を()いた形になる。これは【樹】・【地】・【水】・【焔】・【風】・【樹】と巡り、双頭の黒犬との戦いのときに、チカプの【焔】がエトンの【風】を掻き消せたのも、この滅却循環による現象である。

 話を戻す。

 ヘルモントが、小さく笑いながら言う。

「当時、ホーエンハイムも教授からエクリプス・カードを見せてもらったかも知れないが、本当に子供じみた馬鹿馬鹿しいものだ。しかもエクリプス・タブレットだの、エクリプス・カードだののエクリプスは、金の碑に銀の字を書いていたかららしいが、私が見たのは厚紙に、さっき言った子供向けの参考書の内容を小難しく書いただけの、名前負けも甚だしい代物だったよ。まあ、確かに黄色の生地に白い字であったがね。目がチカチカしたのを覚えているよ」と結んだ。

 なるほど。錬金術において、太陽【Sol(ソル)】は「金」を表し、月【Luna(ルナ)】は「銀」を示している。金の生地に銀の字を書くのだから、太陽を月で覆うということになるので、すなわち「日蝕」と表現したのか。つまらん。

 いや、仮の森の化け物が、エクリプス・タブレットの内容の一部を元にした錬金術で生み出されたホムンクルスなら、そのホムンクルスを生成したであろう『パパ』やエトンは、伝承にあるような本物のエクリプス・タブレットの内容を断片的にでも知り得たということになる。現代錬金術においてホムンクルスは「理論上は可能だと思われるが、実際に生成するのは不可能」とされている。これは技術的に困難な要素が多いこと以上に、一番の問題は倫理的問題である。そんな危険な研究をしている周囲に知られれば、まず間違いなく学者生命は永遠に絶たれるはずだ。

 ろくに研究が進んでいないホムンクルスの生成に成功したのであれば、相当な知識と技術を持った者に間違いはないが、その知識と技術がエクリプス・タブレットに由来して、また中途半端にしか知り得なかったのなら、その内容を完全な形で知りたいと思うのが自然だろう。そして、そのタブレットにある情報を使って、より完成度の高いホムンクルスを生み出そうとしているのではないか。その完全なホムンクルスの生成が『パパ』やエトンの目的であるのなら、タブレットの内容を知るもっとも簡単な方法が、実際にタブレットかその複製を手に入れること、またはそれらを見た者を攫って内容を聞くことの二つ。エクリプス・タブレットの複製たるカードを見たというのが、ヘルモント教授とホーエンハイム……そしてそのカードの持ち主だったかつての教授の三人。ヘルモントとチカプの話から、そのカードの内容自体は相当下らないものらしいが、そう嘘をついている可能性はあるし、証言が事実だったとしてもそれを『パパ』達が信じないかも知れない。

 カードの中身の確認にあたり一番確実なのが、その持ち主であるかつての教授からカードを奪うことだが、かつての教授と言っても、具体的に誰を指しているのか分からない。ヘルモントは「当時の教授」とか「かつての教授」といった具合に、見せた相手の名を言わないから、具体的に誰なのかは分からない。錬金術といっても複数の学科に分類されているのだから、当然ながら教授は複数人いるし、退職などによる入れ替わりもある。標的が分からない以上、カードを奪うのも、その教授から情報を聞き出すのも難しい。

 次にヘルモントとホーエンハイムの二人からタブレットの情報を聞き出すという手なんだが、カードの中身が陳腐だったと嘘をついている仮定すれば、素直に従い真面目に答えてくれるとは思えない。ならば拷問をするという事になるだろうから、拉致と監禁をする必要がある。その中で錬金術から距離を置いていたホーエンハイムを選んだのは何故(なぜ)か。チカプや報道によると彼はド田舎の医者らしいが、この拉致事件が警察に伝わるのを遅らせるのが狙いか。現に警察がホーエンハイムの拉致を認知するまでに数日掛かっているが、ヘルモントのように大都市にある名門大学の教授が攫われたとなると、その日のうちに警察に知れ渡るだろうからな。それを嫌ってヘルモントの旧友であり、エクリプス・カードを見たであろうホーエンハイムを拉致し、秘法が記されたとされるエクリプス・タブレットの内容を知ろうとしたのならば辻褄が合う。

 いや、待てよ。なんで犯人はヘルモントとホーエンハイムが、エクリプス・タブレットの複製を見たのを知っているんだ? ヘルモントの身近にいる人物が『パパ』またはエトンだとすると……お(あつら)え向きな容疑者が一人いる。

 ネクラーソフは部屋の隅に置かれたサイドボードに立てられている写真に目を向けた。数年前に職員たちと撮った写真である。そこにはヘルモントを中心に、まだ学生だったゴルジこそ居ないが、ネクラーソフら研究員たちが並んでいて、どことなくでれついた笑みを浮かべるヴィクター・シェリーの隣にいる|Elizabeth Gloagエリザベス・グローグと、彼女から少し離れた位置で立っている|Isak Clementiイサーク・クレメンティ。この二人は婚約した仲だったが、夫になるはずのクレメンティは数年前に暴漢に襲われて亡くなり、それを追うようにエリザベス・グローグも行方不明になってしまっていた。

 もし、エリザベス・グローグがなんらかの理由でエクリプス・タブレットの内容を知り、その技術でクレメンティを生き返らせようとしているのではないか。ヘルモントのかつての部下なのだから、昔の笑い話の一つとしてエクリプス・カードのことをヘルモントから聞いた可能性は十分にある。それに、この大学や研究室と縁の深い彼女なら、大学の名簿なんかを無断で調べれば、ホーエンハイムの存在を知り得るだろう。そして怪物騒動でヘルモントに万が一が起これば、部下であるオレ達も警察に多少は目を付けられる恐れがあるし、今どこで何をしているのか分からない、しかもホムンクルス生成の動機があるエリザベス・グローグも捜査の対象になるかも知れない。だから、辺鄙なド田舎の医者という地味なホーエンハイムを狙って攫ったのか。『パパ』という呼称も、その正体が女だと悟られないようにするためとも考えられるし、グローグ自身じゃなくてもホムンクルス達を纏めるボスみたいなホムンクルスの呼称かも知れない。


 ネクラーソフは仕事に戻ったが、仕事のことよりエリザベス・グローグを首謀者として仮定した怪物事件のことが頭から離れなかった。クレメンティをゾンビのように復活させるとしたら、奴の墓を掘り起こして、その死体や遺骨をもとに復元するのだろうか。その肉体に宿るであろう魂とやらは、死ぬ前のイサーク・クレメンティのものなのだろうか。

 ふと、あの華奢なヴィクターを見た。あいつは優秀だが、生まれながらに病弱らしく、ガリガリな見た目通り体の中もボロボロらしい。現に飛び級で大学に入ったのにも拘わらず、卒業は普通に入学した同い年の奴らより遅かった。それに昔からしょっちゅう病欠で仕事を休んでいる。あいつのボロボロの体を健康することが錬金術で可能であれば、死んだ肉体を生き返らせる技術に繋がるのではないか。それならば、もしもエリザベス・グローグが一連の怪物騒動の首謀者だとすると、クレメンティを生き返らせるための技術開発において、ヴィクター・シェリーは格好の実験台なのではないか。

 あれこれ空想を巡らせていると、ふと冷静な心が現れて飛躍しすぎだと冷笑した。デスクに置いていたコーヒーを飲む。すでに冷たくなっていた。

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