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第十一回 見つめる記憶:親と子

仕様の関係でフリガナに不自然なところがあります。

 ハルピュイアの器となった女が、エリザベス転生のための母となる。エリザベスの魂を入れた蝶星(ちょうぼし)と彼女の頭部で通常型ホムンクルスを生成し、そのホムンクルスと肥大個体の蛇の尾を繋いだものを再度ホムンクルスすると、器からは脚の代わりに蛇の尾を持つ小さな女の赤ん坊が現れた。ヴィクターはその生まれ変わったエリザベスにLamia(ラミア)と名付けて大人に成長させた。

 ヴィクターは幸福だった。最愛の女性の知能は赤子程度にまで落ちてしまったが、それは自身で教えればいい。しかもラミアには、ヴィクターだけを愛するように刷り込ませることが出来、ヴィクター以外の全ての人間が彼女を忌み嫌う、彼女の敵だと教え込んだ。ヴィクター以外に知識の()り所を持たないラミアは、それらを素直に受け入れ信じ込んだ。ヴィクターもラミアのことを「我が妻」などと呼び、ラミアから自分の愛の報酬を求め続けた。


 クレメンティとかいう奴のせいで脱線してしまったが、ヴィクターは本来の研究目的を忘れていない。最大の目的は健全な体を手に入れることである。病魔に侵された部位の治療と、それが不可能だったときに備えた移植を想定していたが、エリザベスに使って生まれ変わりの技術を用いれば、こんな体を捨てて新しい健全な体を手に入れられるのではないかと踏んだのだが、「そのための協力者」を誰にするかという問題があった。魂を抜き取ると当然ながら意識不明になる。そのため信頼できる誰かに、自分の魂を新しい体に入れてもらう必要があった。最もいいのは、意識を継続したまま魂の移動が可能になる技術の確立であるが、その検証をするにも万一に備えた補佐がいる。だが、それを頼めるような奴はいない。

 ラミアにやってもらうか。

 いや、彼女を聡明にしたくない。聡明になれば狭い世界で生きるのを拒むようになるかも知れない。興味を持たせないようにするには、不要な知識を与えてはならない。ビーストは論外だ。文字すら分からない大馬鹿者などなんの価値もない。そもそもあんな奴は用済みになれば処分するつもりでいる。

 ラミアと常に居られる微睡(まどろ)みが覚めてきた頃には、ヴィクターは安全に魂を抜き取る手段だけを考えるようになっていた。


 ヘルモントから雑用を頼まれるたびに、泥棒のように彼の資料を盗み見たのだが、やはりエクリプス・タブレットに関わる資料を見つけることは出来なかった。あの二つだけだったのかとヴィクターは落ち込むのだが、だからとて諦める訳にはいかなかった。

 タブレットが無ければ自分で解決するだけである。

 体の部位の治療研究も続けるが、魂の移動の簡素化する研究も並行して続ける。しかし、結果は惨憺たる(ざま)で、どちらも一向に芽が出なかった。どれだけ実験を行っても、どんな条件を用意しても成功の手掛かりすら掴めない。ヘルモントの資料を参考にした研究で、ここまで見込みを感じないもの初めてだった。

 どうしても答えが欲しい。それだけではなく可能な限り安全に、可能な限り完璧な体が欲しい。

 膨張した欲求は、いつの間にか「普通の体」では満足しなくなっていた。その理想を叶える手掛かりは、やはりエクリプス・タブレットにある。そもそも、ヘルモントの資料には何度も「エクリプス・カードによると」だの「エクリプス・カードの通り」といった文言が出てくる。エクリプス・タブレットを書き写したとされるエクリプス・カードの入手。大昔の空想の産物でしかないとされたこれをどう探すか。やはり一人では不可能だし、正攻法だけで出来るとも思えない。仮に手に入ったとしても、ヴィクターが求めている「病変の完全なる治療法」や「意識を保ったままの魂魄の移動」に「理想に見合ったホムンクルスの生成」といったものが記されていないかも知れない。もしそうなら、今ある技術で対処しなければならない。

 それには信頼できる存在が必要だが、いったい誰が適任なのか。

 いや、自分が相手を信用できずとも、相手が僕を盲信すればいい。

 それ以外にも、裏切れない状況さえ作れれば問題はないのだが。

 パッと思いついたのは二つ。まずは、相手の命を任意で奪えるようにすること。次は相手の大切ななにかを人質にすること。まず前者は難しい。仮にヴィクターを、エリザベスをラミアにしたときと同様の手段で生まれ変わらせるのであれば、ヴィクターは魂が抜かれて意識が無くなるはずだ。魂を抜かれたあとは、なにをされようが抵抗できない。次は人質だ。ヴィクターが失いたくない存在として挙がったのがラミアである。ラミアに生まれ変わる以前のエリザベスも、かつては愚かにもクレメンティとかいう出来損ないのクズ以下のクソ野郎なんぞに熱を上げていた。ならば(つがい)の相手を人質にすればいいのではとも考えたのだが、熱が冷めれば意味をなさない。

 ほかにいいものはないだろうかと、自身の過去を辿って探してみる。

 居た。たった一人。

 一緒にいたときの幸福感。失ったときの絶望感。

 母親だ。これは生物としては恋人のように複数存在することは有り得ない。だから代用が効かない。最愛の母のもとに生まれたホムンクルスは、絶対に母を裏切らない。その母と共にいて、母が愛している自分には逆らえないはず。

 ラミアと共に胎内生成法を行う。そして僕らは真の夫婦となるのだ。


 自らの子供たちには、優れた能力を備えたかった。とはいっても、現在確立されている特殊な能力といえば、一応は星を埋め込めばウィザードになれること、体を別種に変身させることと、ほかの個体よりも大きくすることの三つである。もっと有益な能力も欲しいのだが、それでもヒトとしての機能と動物としての機能の二つがあれば十分だと、ヴィクターは考える。さらに変化(へんげ)させる動物に複数の種類の能力を備えさせれば面白いとまで考えた。ハルピュイアのように、ほかのホムンクルスで成功しているのだから問題ないはずだ。

 まずは子供になる個体を生成するために、自分の血とラミアの血を混ぜた通常型ホムンクルスを生成する。変身した姿として胎内生成法による、二つの頭を持つ犬の姿をしたゾンビ型ホムンクルスを複数生成し、その通常型とゾンビ型を使ってラミアと共に転生型ホムンクルスに生成させる。

 生成が終わる前から、ヴィクターは子供にオルトロスという名前を用意していたのだが、生成された個体には正直失望した。通常型ホムンクルスの段階から、なんだか情けない顔をしているとは思っていたのだが、教育して成長させてみると、やはり華奢で情けない顔をした惨めな男が現れた。一応、実験個体としての役割を担わせていたので、変化(へんげ)後の姿も頭が二つあるだけの黒い犬である。特別なことといえば、せいぜい化け物の姿でも言葉が話せる程度だった。一応は元が大型の犬種であり、かつ更に大きくなるようにしてはいるが、やはり心なしか間抜けな表情であり、力無げに垂れる耳も情けなく思えて愛嬌をまるで感じなかった。

 知能は決して良くはなかった。天才と才女との間に生まれたとはとても思えない。気付かないうちに失敗でもしたのかは分からないが、とにかく失望した。間引こうとも思ったが、似たような存在であるビーストがそれなりに役立った例もあったことから、殺すのは()めておいてやった。

 次の子供の生成を行う。自分とラミアの血を受け継いだ、三つの首を持った黒犬であり、実験として筋肉質の男の組織も入れて生成した通常型ホムンクルスが元になっている。ケルベロスと名付けられたこの個体は、失敗作のオルトロスとは違い、やや偉そうな口振りではあるが、なにも問題がないように思えた。第三者の組織も入れることで、生成されるホムンクルスが安定するのであれば、次の個体も同様に他人の組織を入れて生成する。第三子となったヒュドラ、第四子のエトンと続いて、最後にキマイラを生成する。上の兄弟たちとは異なり、このキマイラには獅子・山羊(やぎ)・蛇の三種類の形質を持つ姿に変身できるように整えた。ヴィクターは、もっと子供を増やそうとも思ったのだが、子供とはいえ数が増えればその管理に手間が掛かる。そのためしばらくはこの五人のままにしておく。

 この五兄弟に行った教育は洗脳と言ってよかった。幼い兄弟たちには、父親であるヴィクターに絶対的な忠誠を持つよう求め、母親のラミアに精神的に依存させようとした。ラミアには二人が儲けた子を大切にするよう命じたのもあって、彼女は五兄弟を可愛がった。だが、ヴィクターは出来損ないと他人の血が混ざった四兄弟を、自分の子供たちと言いつつも、内心ではただの使い捨ての道具としか思っていなかった。いろんな本を読み聞かせ、読み書きや算数、常識と呼べる知識を徹底的に記憶させる。ある程度、求めた水準に達すれば彼らを成長させて大人にする。ケルベロスは筋肉質で短い髪が撥ね上がっている男前に、ヒュドラは長髪で妖艶な印象を持つ細身の美人に、エトンは真面目で凛々しい優男(やさおとこ)になる。キマイラは末ッ子らしく兄弟たちよりは幼い印象を受け、巻いた癖のある髪が肩ほどまである女性となった。


 ヴィクターが健全な体を得るには「病魔に侵された部位を、健全な部位と入れ替える」ことと「魂を抜き取って、健全で理想的なホムンクルスとして生まれ変わる」の二点が、現段階において最も現実的である。だが、前者では治療のための外科手術を行ってくれる者が必要であり、後者に至っては長時間意識不明になる間は誰かに自分の魂と新たな肉体を管理してもらう必要が生じる。どちらであろうと、自分の生死を預けられるほど信頼できる人物が必須であり、そのために五兄弟を生成したのにも拘わらず、ヴィクターは子供たちを信用し切れなかった。

 健全な肉体を選べるのなら、異常な部位が治っただけの詰まらない体より、ホムンクルスのような多彩な能力を持つ体のほうがいい。それに、長時間も他人に自分の運命を委ねるよりは、一瞬しか意識が失わないであろう魂の入れ替えのほうが安全だ。そう考えてヘルモントから盗んだ資料を読むのだが、手掛かりになる記述はない。それに別の体になるとはいえ、自分の体であって欲しかった。つまり、新しい体の素材には、自分の血肉を使いたかったのだが、やはり異常な部位についての問題がある。自分の血だけで生成されたホムンクルスには、自分と同じところに問題があるのだが、ラミアと生成した五兄弟にはその傾向は見られない。第三者の血を持つ下の四人だけではなく、ラミアと二人で生成したオルトロスでもそうなのだから、やはり他人の血統を入れることで、自分の病は消え去るのだろうか。

 いや、ちょっと待て。それより解決すべき問題があった。恐らくは体を維持するためのマナの影響だと思われるが、ホムンクルスが死ねばその死骸は砂塵のように朽ちていく。死ぬときだけの現象なら構わないが、もしもこれが生きているときに発生すればどうなるのか。今のところ、生成したホムンクルスが生きている間に朽ちていくといった現象は起こってはいないのだが、原因が分からない以上いつ発生するか分からない。故に無視する訳にもいかなかった。それに高濃度のマナが体の中を巡っているというのも変な話である。普通ならまず気付かれることはないだろうが、ヴィクターが錬金術の学者である以上、なにが切ッ掛けで周囲に気づかれるか分かったものではない。

 亡骸の朽壊対策ないし歯車星を必要としない「完全なるホムンクルス」の生成法と、魂を安全確実に移植するための手段。この二つは絶対に達成しなければならない重大事案であった。


 ヴィクターは、オルトロス以外の子供たちにエクリプス・タブレットについての調査を命じる。その際に化け物の姿にならないようにも付け足した。外に放たれた子供たちは、監視役の鴉と隼が常に目を光らせているのは知ってはいるが、物理的に行動を制限するものはない。その余裕から兄弟それぞれの性格が表れる。エトンは真面目にタブレットの情報を調べ回るが、ケルベロスとキマイラは鳥たちの目を盗んで手を抜き、ヒュドラに至っては鴉を欺いて命令を無視した。子供たちだけではなく、ヴィクターも資料を探し続けたのだが、専門分野の学者たちすら空想の産物だと決めつけているもの容易に見つけ出せるはずもなく、努力が実ることはなかった。

 そもそも仮に完全なエクリプス・カードを手に入れたとしても、ヴィクターが望んでいる技術が都合よく書かれている確証はない。それにヴィクターは学者である。欲しい技術は自分で手に入れてやると言わんばかりに、研究に没頭した。毎日毎日、数限りない異形な生き物を作っては破棄し、魂を抜き取っては滅ぼした。その姿を長子であるオルトロスは毎日見つめていた。オルトロスがタブレットの調査を命令されなかったのは、ほかの兄弟と比べて明らかに知能が劣っていたからだ。お堅い文章など理解できるはずがないし、こんな馬鹿を野に放てば、必ずなにか問題を起こすに決まっている。そうなれば、自分が伝説の技術の断片を手掛かりに、こんな異常な研究を行って禁忌に触れていることが世間に知れ渡る。そうなれば身の破滅である。そんな危険がある以上、この馬鹿を外に出す訳にはいかなかった。殺処分も考えたのだが、ビーストと同様に自宅の警備くらいには使えるだろうとヴィクターは踏んでいた。だが、この判断が悪かった。


 ヴィクターはほぼ毎日オルトロスを無視し続けた。以前に命令したことは継続しているのだから、新たに命令する必要がないといった考えからなのだが、オルトロスは自分がヴィクターの力になれていないためだと思い込む。実際そうなのだが、その感情が父親から愛情を得られないという寂しさを増幅させて、父親に注目して欲しい褒めて欲しいと行動を起こさせる。

 愚かなオルトロスでも、不健康な体の父親が健康になるために、いろんな体を作っているということは、正確性に欠けるが一応は理解していた。だからそれを手伝ってあげようと考える。だが、オルトロスには錬金術の知識がない。母親のラミアに相談するが、彼女は教育をほとんど受けていない。最低限の会話とヴィクターに忠誠と信頼を強要する教義しか知識として存在しないのだ。だから愚かなオルトロスの言うことも、漠然としか理解できない。掛ける【×】や割る【÷】といった、算数の基本も知らない子供に体積の求めかたや因数分解のやりかたを一切咀嚼(そしゃく)せずに理解させるには無理がある。

 ラミアは、オルトロスが具体的になにをするつもりかは分からない。だが、ヴィクターのためならばと抵抗はしなかった。不運にもオルトロスは、ケルベロス達がどうやって産まれて来たのかを見ていた。だから、それをラミアと一緒に真似てみた。素材は生成予定で試作されながらも破棄された素材を使った。

 二度の生成の結果、鱗ようなの体毛を持つ雄ライオンと、「両腕が翼で、腰の辺りからは首のない獅子」といった女の子が生成された。ヴィクターは仕事と研究で、ラミアにもオルトロスにも目を向けていなかったために、このことを知らずにいた。

 ある日、ヴィクターが自宅で幼獣の鳴き声を耳にする。オルトロスとラミアが作ったホムンクルスであるが、ヴィクターは二人が内密にホムンクルスを生成したなどと夢にも思わない。オルトロスも報告し忘れていた。

 ヴィクターが、オルトロスを実験室に呼ぶ。オルトロスは人の姿で部屋にやって来たが、やはり惨めで情けない姿だった。

「庭に猫かなにかが入ったみたいだ。うるさいからサッサと殺せ」と背を向けたまま命令する。

「ねこじゃないよ、ぱぱ」とオルトロスが返す。

「猫でも犬でもなんでもいい。殺して持って来い。せっかくだから実験台に使う」

「ころしちゃ だめだよ。ぼくとままがつくった いきものなんだよ」

 一瞬、意味が分からなかった。

 ヴィクターがオルトロスの顔を見る。いつも通りの、見ているこっちが情けなくなるような惨めな顔をしている。

「勝手に、捨て猫かなにかを育ててたのか?」

「ちがうよ」

「じゃあ、研究設備の缶を勝手に使ったのか?」

「ううん。ぱぱがままと けるべろすたちを つくったように ぼくとままは いっしょに いきものを つくったんだよ」

 血の気が引いた。

「ぱぱと おなじようにして つくったんだ。ぱぱの おしごとの ちからになれると おもって」とオルトロスが続ける。

 こいつは何を言っているのか理解しているのか。

「本気で言ってるのか? 本当なのか?」

「うん」

 顔を(ゆが)ませて、オルトロスの表情や本意を読み解こうとするのだが、いつものように愚かで情けない無様な顔だ。自分の行動がなにを意味しているのか丸で理解していない。もしも理解して生成を行ったのであれば超一流の役者である。

 貧血と吐き気が同時に起こる。目の前が真ッ暗になり、今にも倒れそうだった。

 研究を中断してラミアの元に向かった。彼女は見慣れない(けだもの)を二体も抱きかかえている。まるで母親と子供である。ラミアにオルトロスから聞いた話が事実かと尋ねると、ラミアは頬笑んで(うなず)いた。

 オルトロスを殺そう。残酷な方法で。

 ヴィクターはラミアから幼獣らを分捕(ぶんど)って研究室に戻る。すぐに赤子らを殺そうとも思ったのだが、利用価値を見出して人間の六歳ほどに成長させる。これらの教育係にはエトンを選んだ。鴉たちの報告から、もっとも信用できる我が子がエトンであると考えていたからだ。

 やはりエトンは頼りになった。エトンは便宜上、雄ライオンにはネメア、女の子供にはSphinx(スフィンクス)と名づけて色んなことを教えた。基本的な読み書き計算や社会生活における知識、倫理や常識としてヴィクターとラミアへの絶対的忠誠もしっかりと刷り込んだ。エトンの活躍は教育だけではない。ヘルモントと連名で資料を作ったロバート・ホーエンハイムのことを調べ上げたのも彼だった。だが、オルトロスの一件から、ヴィクターはそんなエトンにすら強い疑念を持つようになる。

 ヴィクターからすればラミアは妻であり、五人の兄弟は子供たちである。つまり、兄弟の一人のオルトロスから見たラミアは母親にあたる。奴の相手がヒュドラやキマイラなら、もしかしたらここまで気を()まずに済んだかも知れないが、それが、まさかの、このような事態を起こしたのだから心情が穏やかであるはずがない。所詮はこの兄弟たちは化け物であり、しかもオルトロス以外は赤の他人の血が混ざっている。考えれば考えるほど気持ちが悪い。穢らわしい。ヴィクター自身も今までいろんな禁忌の果てに、本来なら存在しない異形な生物を作り出し、それに関して嫌悪感や罪悪感などといった感情は持たなかった。

 だが、オルトロスの行為だけでは生理的に耐えられない。

 忌々しく気持ち悪かった。

 オルトロス以外にも、雄の兄弟にはケルベロスやエトンがいる。ネメアだって雄である。そういえばビーストだって雄だ。これらが美しいラミアに間違いを起こす可能性は無いと思うが、絶対に有り得ないとも言い切れなかった。

 ヒュドラとキマイラの姉妹はともかく、雄の兄弟とオルトロスのガキ共は必ず根絶させないといけない。いや、いつ裏切るかも知れない姉妹だって、用済みになれば殺処分するのが聡明だ。

 ヴィクターからすれば、彼らのいつ起こるか分からない裏切りが、制限時間が分からない時限爆弾のように思えてならなかった。ならば一刻も早く研究を完成させて、一刻も早く健全な体を得なければならなかった。そのための近道としてエクリプス・タブレットの複製を見たであろう、ギュスターブ・ヘルモントとロバート・ホーエンハイムの二人から、複製の情報を聞けばいい。だが、ヘルモントは仕事で交流があるため、奇妙な事件に巻き込まれたと判断されれば、自分が疑われるかも知れない。ならば、一切縁のないホーエンハイムから聞くのが得策だ。そういう訳で、エトンとオルトロスの二人にホーエンハイムを拉致するように命じた。エトンには、機会があればオルトロスを暗殺すること、その協力者としてヒュドラを潜ませることも告げておく。


 ホーエンハイムを拉致する前に、ホーエンハイム宅にエクリプス・タブレットの資料がないかを調べさせる。ホーエンハイム親子が留守のあいだに、エトンとヒュドラが彼らの自宅に忍び込み、しかも数日もかけて徹底的に調べ尽くしたのだが、結局は成果がなかった。ホーエンハイムを拉致するためとして、オルトロスと合流する。役目を終えたとしてヒュドラと別れたのだが、彼女は帰らずにオルロトス暗殺のために一時的に身を潜めた。

 エトンとオルトロスは、チカプに目撃されるというヘマこそ犯したが、それ以外は問題なくホーエンハイムを拉致して、ガイアの丘に用意していた監禁用の屋敷に連れ去った。ヴィクターは、例の蛇の仮面を被ってホーエンハイムに会い、自らをバシリスクと名乗ってエクリプス・タブレットに関する情報を求めたのだが、ホーエンハイムは複製であるエクリプス・カードのことも、タブレットのことも知らないの一点張りで、ヘルモントとの連名の資料を見せても自分のものではないと否定した。

 散々問い詰めた結果、ようやくカードをとある人物から見せてもらったと認めたのだが、やはり「現代錬金術の基礎が書かれているか、見当違いの()れ言が書かれただけの粗悪な偽物だった」と証言する。苛立ったヴィクターは暴力に訴えたのだが、ホーエンハイムが屈することは無かった。

 ヴィクターが持っている資料が本物である以上、ヘルモントとホーエンハイムがカードを見たのはまず間違いない。ならば、ホーエンハイムが嘘をついているのは確実だが、どんな手段で情報を聞き出そうとしても、奴は一向に口を割らない。挙げ句には「私の名前がある封筒に入っていたからと言って、私のものとは限らない」などと言う始末だった。

 本当に死ぬまで懲らしめようとも思ったが、殺すわけにはいかないし、自殺される訳にもいかない。奴の口を割らせるには、奴ではなく息子のチカプとかいうガキを攫って目の前で苦痛を味わわせればいいのではとも考えたのだが、このジジイがそれだけで口を割るだろうかとも思える。やはりホーエンハイムに口を割らせるより、相手の意思を無視して記憶を盗み見る能力を持った存在を用意するほうが早いかも知れないとヴィクターは考えて、それについての研究を始める。

 ホムンクルスを生成する際に星を埋め込めば、そのホムンクルスはウィザードとなりマナが使える。ならば、その星を星座にしてしまえば、特定の効果を持つ能力を得られるのではないか。それが可能なら、星座に記憶を覗く能力を付与させることが出来れば、ホーエンハイムの記憶をなんなく確認できるはずだと考えたのだ。


 万が一に備えてチカプを攫うために、再度ホーエンハイムが住んでいたはぐれ村に、オルトロス達を向かわせるのだが、そこで鴉から緊急報告が入る。オルトロスがホライの森で二人のガキを襲ったというのだ。しかもどういう偶然か、そこに居合わせたチカプによって追い払われてしまったという。すでにオルトロスは化け物の姿をチカプに目撃されている。これはエトンらのヘマであり、もちろんその時にチカプを殺害しようと思ったのだが、オルトロスが不意にエクリプス・タブレットのことを喋ってしまったことと、チカプは気付かなかったが、エトンが遠くを歩いていた村人を数人確認したこと、そしてチカプのマナによって周囲が炎上でもすれば、目撃者が一人二人では済まなくなるといった複数の状況から、咄嗟(とっさ)に逃げ出したのだ。ガイアの屋敷で合流したときにエトンは、チカプに見られたことと、しかも殺さずに逃げ去るという悪手を差したことを土下座して詫びていた。オルトロスも自分の姿を他人に見られてはいけないことくらい知っているはずである。

「あの役立たずのクズが!」

 オルトロスの愚行を聞いたヴィクターは思わず怒鳴った。すぐに対策を練る。目撃者がチカプ一人のときは、大きな黒い犬を見間違えたと思われるだろうが、さらに目撃者を増やしてしまっては、双頭の黒犬などという化け物が存在するという噂に信憑性が増す。さらに隣村でも(にわとり)小屋を襲ったという報告も入ったのだから、どうしようもない。生きていること自体が罪にも拘わらず、更なる問題を起こさないためにもオルトロスは逸早く殺害しなければならない。

 オルトロスに襲われたガキ共の集落にいる猟師たちが化け物退治を始め、しかもそれにチカプも参加しているので利用する。チカプとオルトロスを戦わせて、チカプが勝てばそれに(まぎ)れてオルトロスを殺害、オルトロスが勝てばチカプを攫ってホーエンハイムの口を割らせるための道具にする。それに奴が人間に駆除されることで、この怪物騒動が静まるのも狙った。

 チカプが猟師の女と一緒にオルトロスと戦ったことから、エトンらはチカプの拉致を諦めてオルトロス暗殺だけを行った。暗殺ののちにチカプを攫っても良かったのだが、奴と一緒にいる猟師の女の属性が【()】であり、これは【水】のヒュドラが極めて不利な属性だったのと、チカプの【焔】を勢いづかせるための肥やしにも出来るために警戒したのだ。今回の最重要目的はオルトロスの暗殺であるし、怪物騒動の鎮静化のためにもオルトロスを駆除した誰かが必要である。ならば、無理をしてヒュドラや自分の存在を必要以上に知られて逃げられるよりは、オルトロスにトドメを刺して立ち去ったほうがいい。そのためエトンの応援のために待機していたヒュドラは、結局は戦うことなくガイアの丘にある屋敷に戻った。彼女が猟師の女やチカプに発見されなかったのは、オルトロスが彼女の存在を知らず、ヒュドラに視線を向けることが無かったからだろう。

 エトンの報告から、チカプのウィザードとしての技量は平均的であるといった具合であり、それならばいつでも拉致できるとヴィクターは判断した。それよりも奴を泳がせてヘルモントと会わせたほうが、今のチカプを攫うより、ヘルモントから情報を得たあとに攫ったほうが有益だと踏んだのだ。

 オルトロスによって、異形な化け物の存在がほぼ確実だと世間に知られてしまった。だが、それによってネクラーソフが怪物騒動に興味を持ったお陰で、エクリプス・カードの持ち主がヨハン・フラメルであり、ヘルモントらの資料はそのカードを参考にしたという推測が立った。ヨハンはすでに鬼籍に入っているが、息子のジュゼッペは存命しているので、彼の自宅を子供たちに襲わせてジュゼッペを拉致して情報を聞き出そうとするが、ジュゼッペは父親がカードを持っていたことすら知らなかった。


 ヘルモントが数日も帰宅しなかったうちに、彼の自宅は子供たちが徹底的に調べていたが、やはりエクリプス・タブレットに関する資料は無かった。そしてヘルモントが帰宅するので、ヴィクターは付いて行くことにする。これは急に決まったので準備は万端ではなかったが、この機を狙ってオルトロスの子であるネメアの殺害を企んだのだ。もちろん(つい)でにヘルモントとチカプを拉致できれば幸いである。ヴィクターも形の上では、化け物の襲撃を受けるので、自分をヘルモント拉致の容疑から取り除けるとも考えていた。

 この謀略のために急遽エトン、キマイラ、ネメア、そしてヒュドラをヘルモント宅に呼び寄せた。ネメアは殺すとしても、残りの三兄弟がいれば問題なくヘルモントとチカプの拉致は可能だろうと踏んでいたが、やはり準備不足は否めなかった。ヘルモントとチカプの二人だけならともかく、ヴィクターが無実であることを証明させるためにも、証言者としてネクラーソフとゴルジは生かした状態で、目的の二人を拉致しないといけないのだが、ヘルモントとゴルジが【風】のマナで大爆発を起こしてくれたせいで、その轟音が周囲に響き渡ってしまった。異状を察した近隣住民が、すぐさま警察に通報ないし様子を見に来る恐れもあって、そのときはネメア暗殺だけで終える。


 ガイアの丘にある屋敷に帰還したエトンとヒュドラが驚愕する。ケルベロスとスフィンクスが居ないのは不思議に思う程度だったが、まさかその二人が攫っていたホーエンハイムとジュゼッペと共に逃げ出していたからだ。オルトロスがホライの森でガキ共を喰い殺そうとした以上の緊急事態である。その報告を聞いたヴィクターは、兄弟以外のホムンクルスなどを投入してでも捜し出せとの命令が下す。そしてその指揮にエトンを任命した。ケルベロス達の脱出経路が地下通路だと気づくまで少し時間が掛かったこともあって、奴らの居場所をすぐには把握できなかったのだが、アイオロス渓谷を抜けてオケアノス湖に向かってから外国に脱すると踏んだエトンが、その経路を集中的に捜索するのだが、ここでまた問題が生じる。渓谷の東部を担当した、女の顔を持つ怪鳥であるハルピュイアと、馬と魚の形質を備えたヒッポカムポスが、あっさりと多くの人々に目撃されてしまったのだ。


 ホーエンハイム達の行方が分からないのであれば、ホーエンハイム達をこちらに(おび)き寄せる方法はないかと考える。ここでやはりチカプを利用することにする。奴は父親のホーエンハイムの居場所を探すために、その手掛かりであるエクリプス・タブレットのことを調べ回っている。しかもヴィクター達とは違ってコソコソ調べるのではなく、攫われた父親を救い出すために情報を集めているという大義名分もある。この点でも十分に利用価値がある。それに、チカプを攫うことでホーエンハイムが彼を救い出すために、再び自分のところにやって来るかも知れない。ならば、チカプから情報を奪い取り、拉致のときも素早く安全に行えるように、側近をチカプに付けるのがいいと考えた。

 人選だが、誰にするか。

 ヴィクターがそれなりに信用できて、かつチカプや周囲が不審に思わない人物。

 やはり兄弟たちしかいない。そのうちオルトロスは死に、ケルベロスは裏切った。エトンとヒュドラも仮面をしていたとはいえ人間の姿をチカプに見られているし、なによりヒュドラは十八歳前後の子供の傍にいる女性としては、余りにも大人であり(あで)やかすぎる。正直、その美貌で惑わしてくる魔女にしか見えない。消去法でキマイラが残った。彼女はほかの兄弟に比べれば幼い印象があり、見た感じは十七歳くらいである。ならばチカプとは年が近く思えることもあって、警戒される心配は少ないはずである。それに人の姿でいるキマイラの容姿には申し分ない。うまくいけば自然な形で、チカプを罠に掛けられるかも知れない。

 キマイラのウィザードとしての属性は【(ほのお)】であり、これはチカプと同じである。ヴィクターの理想としては、【焔】に対して有利な【(つち)】のウィザードをチカプの監視役にしたいのだが、今からそのホムンクルスを生成している時間もない。そのため、やはりキマイラには偽名を名乗らせてチカプに近づける。彼女はヴィクターが設定した出会いの場で、チカプの助太刀をすることで顔見知りになる。そこで彼女はメリッサ・フルーリーと名乗った。

 メリッサとチカプに、ハルピュイアの駆除をするよう仕向けた。これにも目的があり、この駆除に失敗すれば、そのままチカプを拉致することが出来る。ハルピュイアの駆除に成功すれば、メリッサは一緒に化け物を倒した仲間としてチカプから信頼を得て、さらには思った以上に馬鹿だったハルピュイアも処分できる。ハルピュイアはメリッサの顔を知っていたが、チカプを拉致する作戦であるために他人の振りをしろと告げていたので、一切問題なく三体のハルピュイアの駆除に成功した。


 既存のホムンクルスを動員してもケルベロス達やホーエンハイムらの居場所が掴めない。チカプに付き添わせているメリッサからも嬉しい報告が得られず、フラメル親子の親戚にあたるアーサー・クルツの元にも出向いても成果は無かった。

 出来ればやりたくはなかったが、最終手段に出る。ヘパイストス火山で、アーサーらが「黒トカゲ」と呼んだ火龍とハルピュイア・ケライノーの暴動も、その最終手段の一つだった。

 メリッサと火龍、ケライノーには、この機に乗じてチカプを拉致するように命じていたのだが、アーサーらとの共闘よって火龍たちは返り討ちにされた。だが、ヴィクターからすればチカプの拉致は成功しようが失敗しようが、もうどうでもよかった。チカプの拉致より重要なことが、新たに用意していたアジトで起こったのだ。研究の基礎は十分にあったことから、思った以上に早く、【樹】の属性を基軸とした、記憶を覗き見る能力を持つホムンクルスが生成できた。ヴィクターはこの女のホムンクルスにムネモシュネと名付けた。彼女を成長させてから、ある程度の学習を終えたところで、彼女の能力を確認する最も手ッ取り早い手段として自分の記憶を覗かせた。


 ………………。

 ムネモシュネに正体を明かさなかったヴィクターが、彼女に質問する。

 自分の名前はなにか。

 母親の名前は、妻の名前は。

 なんのために研究を続けているのか。なぜムネモシュネが生まれたのか。

 全ての問いに、彼女は正確に答えた。

 名前はヴィクター・シェリー。

 母親はキャロライン・シェリー。妻はラミア、かつてのエリザベス・グローグ。

 ヴィクターの不完全な体を、健全な体にするために錬金術の研究をしている。

 自分はホーエンハイムとヘルモントが(ひた)隠しにするエクリプス・タブレットの情報を覗き見るために自分は生まれた。

 ほかにもあらゆることを尋ね続け、彼女はどれも正確に答え続けた。

 彼女の完成によって、エクリプス・タブレットの情報奪取は確実だと、ヴィクターは確信した。仮にホーエンハイムに逃げ切られたとしても、まだヘルモントがいる。

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