天孫族と移住
天孫族とはなんなんだ?となると、遠賀川式土器と夜臼式土器の話からになる。この2つ何が違うか?で板付で発見された土器で稲作の発展と縄文弥生の絡み合いが分かる。夜臼式土器はおそらく渡来人が作ったものをみようみまねで縄文人が真似したものとされている。所どころに縄文的作為があるかららしい。
ただここで注意だが、この点妙に縄文人のオリジナリティとか持ち上げる人がいるが、実際はこれ韓国の研究で最初から全く違う土器がありそれが日本では知られて無いので縄文人の創意工夫のようになってしまってる点。みようみまねで創った証拠は別にもあるのでそれは疑う余地が無いが、独創的なアレンジってのは嘘だから。
まだ韓国の学者の説は日本では定説にはなってないが、私はかなり説得力があると思っている。ネット民はものすごく朝鮮嫌いでこういうの無視するからうんざりする。確かに韓国のアホななんでも韓国起源って話しは話しにならないが、韓国がノベル朝鮮も遼河文明の一部って考えは正しいと思う。ただそれは日本もそれに入るわけだが。
これを韓国が起源と言うからおかしくなるのだが、流れは全く逆だが…。たとえ遼河人が東からやってきてもそれは満州からで、半島から北上したわけじゃない。人の流れが明らかに南下であり日本もその流れに沿っている。アホな事も確かに言うが、まともな研究もちゃんとあるから。
この違いが以前話した初期少数集団の渡来人と縄文人が合体して稲作文化を創っていった話しに繋がる。これも韓国の調査で事実のようだと見られている。ドルメンの日本での少なさを調査して、おそらく社会的下位階層のあぶれものが日本に行ったからドルメンを創る習慣が無かったからだと指摘している。
その間に新規の多数の渡来集団が来る頃にはドルメンが廃れてしまったとすればすっきりする。この混血理論はかなり説得力がある。そして天皇家の集団がやっていただろう高木神信仰は正直言えば後の多数派渡来と関係している。遠賀川式土器がちょうどニギハヤヒの拡散と重なる部分が多いから。ニギハヤヒが渡来系の多数派集団の子孫だと分かる部分になる。
このニギハヤヒとほぼ近縁な天皇家が何故縄文土着のD系なのか?これはかなりややこしい問題になる。本来なら新しい多数派集団の渡来として片付けられてすっきりする話しになる。この集団が青銅器ももってくるので理想的な集団になる。
やっぱ天皇家がD系ってのが違うんじゃない?となるが、私はコレ面白いと見てるんだ。どこからどうみてもベタ渡来集団である天皇家が何故D系なのか?これをやっぱ胡散臭いで片付けるより、そこにストーリーがあると見ている。
2つのケースが考えられる。1つは、初期集団の生き残りだとなる。男性祖先神であるニギハヤヒはこの初期集団の男系渡来人血統になるのじゃないか?と見ている。もう1つのケースは後発渡来系集団が周辺地に移動する時別の縄文集団と合流した可能性になる。
このもう1つのケースもありうる。天皇家とかかわりが深い信仰の系統を辿っていくと、板付がある福岡市とはずれる北九州市の遠賀川流域になる。ここから大分との県境になる英彦山に向かって流れていき、ここに弓削村というのがある。河内物部氏の忌部氏系の流れを組む村じゃないのか?と考えてしまう。
この後大分の宇佐と天皇家は密接に関係する。そして日向=宮崎だ。天皇家は北九州氏の遠賀川流域集団であったが、そこから移動した形跡が見える。これによってニギハヤヒとアマテラスに分かれたんじゃないか?と見ている。縄文のそれなりに有力な首長の居る集団と混血して、女系で繋がったほうが天皇家で、そのまま男子系で残ったのがニギハヤヒじゃないか?と。
ニギハヤヒのハプロが分かれば面白いのだが、忌部氏疑惑があるためどうにも。今分かってるD1B1はどうも胡散臭い。物部の部民である可能性が否定できない。大内さんと言う名字の人なのだが、越智氏の系統で大内氏がいる。真実は分からないけど海外の調査なのでその辺り良く分からない。
渡来系の多々良氏が有名な大内氏の本流になる。それゆえ本流ならD系はありえない。越智氏だろうなと思うが、何せ少ない調査なのでなんともかんとも。越智氏であるなら結構無視が出来ない。ニギハヤヒも土着民の系統だったとなるからだ。そのまま男性神として、祖先神としては、あまり性別は重要じゃない可能性もある。
天皇家は何か別の意味で女神だった可能性もある。初期集団である可能性は考えにくい。何故なら高木神信仰が新しい渡来が多い集団の地域で発生したからになる。
ただ元々の高木神は縄文の神様なので、初期の縄文との混血集団が土器を変えて新しい文化に混じっていった可能性もある。
どうやってD系が入り込んだか?でニギハヤヒも無視できなくなったので、いろいろなケースが考えられる。大きくはこの2つのケースになる。
福岡市の板付集団とは別の集団が北九州の遠賀川流域にはいた可能性がある。ただし、何故遠賀式土器が有名になったか?は板付水田の広がりと関係してるからになる。稲作と土器のセットって視点では同一文化圏であると考えられる。安曇氏の本拠地がある糸島などの福岡市の集団とは確かに違う系統になる気がする。
邪馬台国はおそらく、佐賀の吉野ヶ里の筑紫平野か、伊都国があっただろう安曇氏の本拠地の近くになる所かと見ている。伊都国と邪馬台国はかなり仲が良かったと思うので距離が近かったとは見ている。
なんとなく天皇家は邪馬台国と関係が無い気がする。それと言うのも、この系統おそらく火山だが思うが、大分にはまとまった集団がなかったと書かれていて、記紀の捏造だとも言えるが、私もそう思う。噴火によって一時期稲作には向かない地になってしまった可能性がある。これによって四方に散らばっていったニギハヤヒ+天孫族の集団の流れが理解できる。
北九州市から遠賀川流域に広がった高木神を信仰する集団は、大分まで広がった後火山噴火で四散した。こんな風に見てる。案外天皇家の日向=宮崎説は出鱈目じゃないかもしれない。邪馬台国と関係ない集団の可能性がある。当時の勢力の中心が瀬戸内にあったとすると、邪馬台国より北にある様々な国は詳細割愛とされた国である可能性がある。後に邪馬台国として連合に入った国かと。
ただ神武東征の時期はまだ狗奴国とは違い敵対的じゃない程度のつながりかと。
アマテラス=卑弥呼は連想ゲーム程度であんまり意味が無いと思う。何故ニギハヤヒと女神に分かれたのか?でそこは本当に神話のミステリーだと思う。
こうやって書くと偽書、ウガヤフキアエズ王朝そのままになる。ウガヤフキアエズ王朝では第3勢力として大分勢力があるとされている。狗奴国=熊襲集団。邪馬台国=渡来系集団。その間の混血集団みたいのが、大分勢力になる。私もこれ偽書とあるので詳しくは無いし、全く信じてない。だが魏志倭人伝にはない、もう1つの大分勢力を付け加えて九州を3つの勢力で分割するって考えはあながち間違ってない。