p5 神に与えられた原罪
かつて神は人と共に過ごしていた。そして、その栄光と平和が続く緑溢れ、生命が活気づいていた世界で大きな戦いが起きた。共に平和を享受していたはずの「人」の裏切り、本来起こる訳のなかった戦いに、当然、勝利を収めた神は悲しみ、そして怒った。神は自分たちの姿を模して創った「人」に対してとてもとても後悔した。ただ、それでも捨てきれぬ愛があった。死をまき散らした人にも慈悲深い心を持って再生と更正を願った。神は死が訪れた大地の世界を離れ、天へ登った。そして、いとも容易く消し去ることのできる人を、その御技を持って、清廉で清浄なゲットーと呼ぶ死の世界に唯一、人が生きられる八つの区域を創造した。
罪の代償として、人を多様な特徴を持つ様々な種族に変化させ人の姿に戻ることを禁じた。また、罪の深さを忘れないようにと、死の世界に囲まれた区域に人を残した。最後に人と名乗ることを禁じ、代わりに神と異なる者、亜種と名乗るように命じた。
そして、いつか罰が赦されるようにと、正しき心と強き力を持った、亜種を選び神に仕えられるように機会を設けた。それが幾千年にも幾万年にも及ぶ”神迎え”だ。やがて、多くの、全ての亜種が再び、神と共にあれるように、神の厳しくも愛に溢れた庇護の下で研鑽を積むよう命じた。
そうして、亜種は、かつての先祖が犯した罪を贖うために、いつか神の下に帰るために今日も生きている。僕もその罪の象徴、亜種だ。
「……と清く正しく健やかに生活して、神への信仰を深めましょう、という話だね。皆もお父さん、お母さんからよく言われていると思うから、改めて言うことでもないけどね」
と、そこで、区切りを示す鐘が学校内に響いた。教本を閉じて、皆に視線を向ける。
「それじゃ、休憩したら数学だから遅れないようにね」
「げ、数学かあ」
次の科目を告げるとあからさまにルルが嫌な顔をする。ルルはその反応で察せるように数学が得意ではない。もちろん足し引きやかけ算わり算などの基本的な計算はできるものの、複雑になってくると真っ白になるらしかった。かといって一般教養としてはクリアしてもらわないと、神迎えの入り口にも立てないだろう。
各々、休憩に入る中、セラはすぐに眠りに落ち、遠慮もせずに机に突っ伏している。
「ルルちゃん。がんばろう!」
ルルを元気づけようと声をかけるラナではあったが、ルルは目を細めてラナを見つめる。
「いいよなあ、ラナは優秀だし」
「そ、そんなことないよ。予習復習してるだけだよ」
「それができるのが優秀なの」
両手を振って否定するラナではあったが、ルルにとってはそういった準備からできないようで、そこに差を感じているみたいだ。その差を埋める気がないのも知っている。
そんなやりとりを微笑ましく眺めてから、潮風がふと気になり僕は外を眺めた。海は穏やかだ。沖には陸上の壁のような、景色を阻害する壁はないが、ほぼ透明な壁ががそこにあるのだ。陽炎のように揺らぐそれが、存在を主張している。海底には陸と同じく壁が阻んでいるとのことだが、そこまで近づくものはいない。現に昼間にも関わらず夕日に照らされているように真っ赤な死の海が青を隔て、水平線まで満たしていた。夕方にはその境目が曖昧になることから、夕日が出ている時は、恐れから近づくものは少ない。ただ、僕に至ってはその限りではなく砂浜に近づいて眺めていることもあり、見つかっては怒られることがしばしばだった。
「なにか見えるんですか?」
しばらく眺めていたからか、クインが隣で同じようにして海を眺めていた。
「ん、相変わらず赤いなあって。そういえば、クインもちょくちょく見てたけど、なにか気になるのかい?」
授業中、時折、視線を海に移していることには気付いていた。クインを見れば、少し言いにくそうに迷っているのか、目を泳がせていた。わかりやすい。
「う……それは」
「言いにくいことなら聞かないよ」
余りにも様子がおかしいので、そこまでのことならばと無理矢理聞くこともないと思い、そう声をかけた。
「……きっと怒られるから」
小さな声でおずおずと告げた言葉に、ぴんと来た。
「外が気になるの?」
クインははっとして、焦ったように後ろを振り向く。誰もこちらを気にしていないようで、クインは胸をなで下ろしていた。
「ちょ、ちょっと先生」
「あ、ごめん……」
これもタブーだったことを思いだし、声のトーンを落とす。
「……なんで分かったんですか?」
どうやら当たっていたらしい。本当なら止めておいたほうがいい話だが、当てられたためか、声を小さくしながら理由を求めてくる。
「内緒だけど、僕も同じだからね」
クインの淡い瞳孔が開く。それは驚きと嬉しさがあるようで、頬が染まる。その様子に自分で気付いたのか取り繕うように咳払いをして、平静を取り戻した後、決心したのかより距離を近づけてくる。
「実は、先生に見て欲しいものがあるんです。誰にも言うわけにもいかなくて」
「なにをだい?」
「それは――」
クインが告白しようと口を開いた所で、休憩の終わりを告げる鐘が鳴った。
「ありゃ、ごめん。夕方家にこれるならそこで話を聞くよ」
ここで話を続けているわけにも行かず、その場を離れる。クインは頷いただけだったが、何か肩の荷が下りたのか、数学の授業も積極的に参加してくれていた。ただ、獣生族のラナとルルの耳の良さを侮っていたことを、後に知ることになるとは、思いもしなかった。
なんとかルルをやる気にさせつつ、予定の範囲を終えると、鐘が鳴った。
「じゃあ、今日はここまで。また次回ね」
「はーやっと終わった」
ルルは1日分の集中力を使い果たしたようで、背伸びすると耳までピンと延ばす。
「ふぁー、良く寝……じゃなかった。勉強したあ」
器用に僕の目を盗んで眠っていたセラは、僕の視線に気づき言葉を直した。次は徹底しようと心に決めたが、それも何度目かの決心だ。正直、彼女の将来が心配だ。親御さんと相談……いや、失礼な話、あの親にしてこの子どもなので、それはすぐに却下した。
「じゃあ、先生またね」
ラナが笑顔で挨拶して出ていくと、その後にルルが続いた。
「じゃ、まったねー」
含み笑いをするルルの意図が分からず、その背中を首を傾げながら見送った。
「夕方に行きますね」
「え? あ、うん。待ってるよ」
クインが足取り軽く教室を後にした。夕方には家に戻らなきゃな。といっても今日は他にすることないし、ラクタ爺のとこで神迎えの準備を手伝うか。
気付けばセラは既に姿を消しており、誰も残っていないことを確認すると僕も外へ向かった。