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(7) 7/3 PM 2:45

「くそ!くそくそくそくそ! 何でなんだよ! 何で今日に限ってこんな事になんだよ!」


 電車が止まってもう二十分は経つだろうか。しかし寺谷の怒りはいまだ全く鎮まらず、それどころか更にひどくなっていた。

 復旧の連絡はまだない。停止した列車が動く気配は微塵たりともない。


 ――泉。


 寺谷を除いて車内はある程度落ち着きを取り戻していた。いや、落ち着きというよりも騒いだ所で何も解決しない事を悟って途方に暮れている者がほとんどだ。

 迷惑な人身事故。きっとここにいる人達はその程度にしか思っていないだろう。

 どうして飛び込んだのか。どうして死を選んだのか。投げうたれた命の理由について考え、同情するものなどいない。人の命よりも会社や学校に間に合うかのほうか重要だ。

 

 でももし、もし全てを自分が知っていたとしたら。

 今ここに飛び込んだ人間が、何故そんな事をしたのか知っていたとしたら。

 それでもそんなふうに思えるだろうか。

 身体は震え、冷たく粘ついた汗が次から次へと噴き出してくる。

 本当に、こんな事が起こってしまうだなんて。


「マジでなんなんだよ! 俺が何したってんだよ!」


 クソが。

 お前のせいだよ。全部お前のせいなんだよ。

 お前が泉を追い込んだからこんな事になったんだ。


「……なんでだ」


 急に寺谷の声が低くすごんだものになった。目を向けると寺谷が僕をぎっと睨んでいた。


「なあ、なんでだ?」

「何が、ですか?」

「なんでこんな事が起きんだよ」

「はい?」

「なんでこの電車で、こんなタイミングで人身事故なんて起きんだよ」


 すっと血の気が引いた。

 寺谷の言葉は一聴すれば僕と泉の全てを見抜いているようにも聞こえた。だがもちろんそんな事まで分かるはずがない。あの日あの場所には僕と泉しかいなかった。盗聴器でも仕込んでなければ分かりえない事だ。


「なあ。なんでこの時間なんだよ」


 ただ確かにこの時間を寺谷に伝えたのは僕だ。

 決めたのは泉だが、寺谷からしてみればこの時間に電車に乗せられた原因は僕にある。

 一時間前には現地について余裕をもって調整しましょう。そう言った僕に最初寺谷はそんなに早くに行く必要はないと僕の提案を却下しようとした。だがなんとか粘って最終的に寺谷の了承を得たのだ。


「答えろよ。お前しつこくこの時間にしようって言ったよな」

「はい……」


 寺谷の顔が鬼の形相に変貌しだした。血管が浮き上がり呼吸が乱れ、今にも暴れ出しそうな勢いだ。


「おま、お前の、せいで……!」


 ぐっと寺谷の右手が僕の胸倉をつかんだ。


「お前のせいだ! なんとかしろよ!」


 静かになりつつあった車内に、寺谷の大声が轟いた。


「なんとかって……」

「お前の責任だろうがよぉ!」


 胸倉をつかまれ、僕の身体は前後にぶんぶんと揺さぶられた。強烈な腕力に僕は成す術もなかった。殴られる。そう思った。殴るなら殴れ。そんな事で何も解決しない。

 

 ――泉。お前の勝ちだよ。


 きっと今頃お前は寺谷を見て腹を抱えて笑っているんだろう。

 自分を追いつめた寺谷が今、自分の復讐によって狂乱している様はさぞ滑稽な眺めだろう。


「くそがあああ!」


 拳が振るわれるのを覚悟し、僕はぎゅっと目を瞑った。


「おいやめろ!」


 しかしその時、近くから若い男性の声が聞こえた。それと同時に掴まれていた胸倉がぱっと解放された。


「んだよ! 離せ! 離せよ!」


 寺谷の声だ。目を開けると寺谷の周りを大学生らしき男数人が取り囲み、僕から寺谷を引き剥がしてくれていた。

 寺谷は喚きながら暴れていたが、「お前さっきからぎゃーぎゃーうるせえんだよ!」と逆に恫喝されるとすぐに大人しくなった。学校ではあんなに横暴に振舞っていた男も案外この程度であっけないものだなと、自分が今まで恐れてきた存在がなんだか急にとても小さく見えた。


「君、大丈夫?」


 隣にいたスーツを着た男性が僕に声をかけてくれた。


「あ、はい……」


 とは言ったものの正直腰が抜けて僕はその場に座り込んでしまった。あんな風に人に詰め寄られたのは初めてだった。とりあえず、寺谷は彼らに任せておこう。

 

 ――お前のせいだ!


 座りながら思考を巡らせる。

 そうだ。寺谷の言葉は間違ってはいない。

 僕があの時ちゃんと泉を止めていれば、防げた事かもしれない。でも僕はそれを止められなかった。これは僕の責任でもあるのだ。

 寺谷が乗る電車に泉が飛び込む。電車は止まり、寺谷の最後の舞台はおじゃんになる。

 今一度泉が考えていたであろう復讐の思考を辿っていく。


 ――……ん?


 しかし冷静になって考えると、途端にその考えがひどくおかしなものであるように思えた。

 寺谷の舞台を壊す為に泉が電車に飛び込む。そこまでは分からなくもない。

 だが、なんで時間まで指定したんだ。


「ん?」


 ポケットの中で携帯が震えていた。僕は携帯を取り出し画面を確認する。いくつかのLINEの通知と不在着信が入っていたが、その数が普段のものとは比べないものにならない程多い。今の状況と合わせて、けっしてその内容が良いものではない事は想像に難くなかった。

 見る気になれなかった。見れば真実を突きつけられる。いろいろ勝手に解釈を進めていたが、僕はまだ本当にこの事故が泉によるものかどうかは確認出来ていないのだ。これを開けば、そこに真実がある。まだ、真実を見る勇気がない。


「あ? もしもし?」


 ふいに寺谷の声が耳に入ってきた。

 見ると先程まで抑えつけられていた寺谷が電話で誰かと話している。どうやら少しは落ち着いた様子だった。


「ああ、徳永。大変だよ。電車止まってんだよ。もう間に合わねえよ俺」


 電話の相手は徳永先輩のようだった。寺谷の声は疲れ果て、怒りは鎮まった代わりに全てを諦めてしまった無気力に満ちていた。


「……は? おいマジかそれ。んだそれ……じゃあどっちにしたって無理じゃねえかよ…」


 何を話しているんだろう。どっちにしたって無理とはどういう事だ。

 

「わかった。もうどうでもいい。文化祭どころじゃなくてそっちも大変だろうが、任せたわ」


 そう言うと寺谷は電話を切り、僕の方へと歩み寄ってきた。

 

 ――だめだ。来るな。


 きっと今寺谷は徳永先輩から真実を聞いた。僕が目を背けようとしている真実を。

 まだ僕は聞きたくない。認めたくない。


「ハイジン」


 寺谷が僕の前に屈みこんだ。覚悟を決めるしかなさそうだ。


「泉が死んだらしい」


 宣告。

 やっぱり、泉は死んでいた。

 宣言した通り、泉は本当に実行したのだ。


「今大変な事になってる。あいつ、文化祭真っ只中で学校の屋上から飛び降りて、とんでもねえ事になってるらしい。全く、なんでそんな事を……」

「……え?」


 今寺谷は何と言った?

 学校の屋上から飛び降りた?

 ガタガタと自分の中で何かが崩れ始めた。

 そうだ。さっき感じた強烈な違和感を思い出した。

 

 これが寺谷の邪魔をする為だけのものであれば、そもそもこの復讐はおかしいのだ。

 何故なら、メンバーが一人欠けた時点で演奏そのものが出来なくなる。だったらわざわざこの時間のこの電車に飛び込む必要など全くない。死んでしまえばそれだけで十分なのだ。

 なのに、泉はそれを指定してきた。そこに何か別の意味が含まれている気がする。


 ――泉、お前何を考えてたんだ。


「泉……」


 はっとなり、慌てて携帯を取り出す。

 LINEのメッセージ。ない。泉のメッセージはない。

 じゃあ電話は?

 着信履歴。

 

 ……ある。泉の不在着信。


 ――14:45?


 泉の着信履歴は14:45に一度あり、そして同時刻に一件留守番電話も残されていた。

 14:45。人身事故が起きた時間はもっと前だ。

 という事はこの着信は、おそらく泉が学校から飛び降りる前にかけてきたもの、という事か。

 途端に吐き気がこみ上げた。

 死ぬ前に泉が僕にあてたメッセージ。そこには一体何が遺されているんだ。


「なあ……ハイジン」


 寺谷が僕を呼んだ。だがそれは、遠慮しているような、今まで聴いたことのない戸惑いをはらんだものだった。そしてそこにもう一つ、嫌悪感という感情が混じっているように聞こえた。


「徳永が言ってたことを、どう解釈したらいいのか分からんが……一つ教えてくれ」

「……なんですか?」

「お前、瑞枝に何かしたか?」

「は?」


 何故ここで瑞枝先輩の名前が出て来る。


「どういう、事ですか?」

「いや……」


 寺谷は言葉を渋っていた。よほど言いにくい事なのか、口にしたくない事なのか。


「なんですか。瑞枝さんがどうしたんですか?」

「瑞枝さん?」

「あ、いや、すみません。平先輩が何なんですか?」

「……泉が飛び降りて死ぬ前に、あいつ、大量の写真を屋上からばら撒いたそうなんだ。いろんな写真があったそうなんだが、共通しているのは、全ての写真にお前が映っていたらしい」

「……僕が?」


 鼓動が一気に速くなる。

 

 ――まさか、まさか。


「瑞枝もまだ学校に来てないそうだ。連絡を取ってみてるが誰も繋がらないそうだ。俺の連絡もスルーされてる」


 瑞枝さんも、まだ来ていない。


「なあハイジン。教えてくれ」


 自分の中で、全てが繋がった。


 ――ああ……一人じゃなくて、二人か。


「お前、瑞枝に何をした?」


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