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まろが飛ぶ

 時は、まひると八剣十櫂(やつるぎじっかい)が安達邸を訪れる日から少し遡る。


 細長い三日月が(おぼろ)に見える夜だった。反射の加減でやけに月が朱色にぼやけて怪しく見える日。

 その日の夜は、ひと月の中で一番、(いん)の強い日だった。


 常人には視えない(あやかし)は、人の心を糧にしている。妖は渦巻くように変わる人の心に巣食って、それを拠り所とするのだ。京に住むものたちは滅多なことがない限り夜に出歩くことはない。皆、妖に心を喰われることを恐れているからだ。


 大内裏から最も離れた九条通りのそのまた郊外に、八畳一間の廃屋があった。


 人が住まなくなってだいぶ久しいのだろう、脆弱な柱が今にも崩れ落ちそうだ。ぐるりと囲む小柴垣は残骸だけを侘しく残している。

 そこに、ひとりの少女がいた。

 がんぜないその少女の髪はよく梳かれて艶があった。白地にもえぎの胡蝶をあしらった単袴姿で、仕立てがよく品があり、その者が裕福な環境にいることがうかがえた。


 そんな少女が、人気のない真夜中の廃屋で何をしようというのだろうか。

 少女は暗がりの中ただ何をするでもなく呆然と立っている。


 それを、少し離れたところから雑鬼(ざっき)たちが面白そうに眺めていた。

 豆粒大の小鬼や、大人の背丈を越える巨大な赤ん坊、口のない人面犬などの雑鬼たちがひそひそと笑っている。

 誰が先にあの獲物を喰らうか、互いに視線を合わせ相談しているようだ。

 少女の唇が震えて小さく言葉を発しているようにも見えるが、何を言っているのかは聞き取れない。


 ふいに、ぽたりと水が滴る音がした。


 涙だった。

 ぽたりぽたりと溢れる涙を拭おうともせず少女は泣き続けた。


〈――悲しいのか?〉


 雑鬼のうちのひとつが問うと、少女はどこからか聞こえる声に応えた。

 暗い廃屋が音を立てて軋む。不吉な不協和音が響いた。


「……ええ。会いたいの」


 嗚咽をもらしながら言う。袖口で頬を伝う涙を拭った。


「どうかあの人を連れてきて」


 雑鬼がくつくつと笑う。


「私に手を差し伸べてくれたあの人に、もう一度会いたい」


 少女は白い指で口元を押さえた。背中を丸め、立っていられなくなったのか崩れるようにその場に蹲る。


「名前すら教えて頂けなかったけれど、せめて、あのときのお礼を言いたい」


 少女は嘆いた。


 廃屋の少女は、顔が似ているという理由で、とある少女の影として生きるよう定められた。

 星の定めだと言い聞かされ、ただ身代わりのために生かされた。身代わりとはすなわち、やんごとなき何事かが起こったときに、自分が似ているというその少女の代わりに死ぬということだ。命の危険が迫ったとき、その者の代わりに身を差し出せ、という。

 そして、影の存在として生かされているため、滅多に表に出ることを許されずに同じ年頃の子供たちと戯れることもなかった。

 退屈な時間を、いつも籠の中から外を見たり、あるいはひとり書物を読んだりして過ごしていた。


 ささやかな幸せは、庭で飼っている白猫だ。可愛い猫と戯れる時間だけが唯一の至福のときだった。


 ある日、白猫の姿が見えないので言いつけを破って家を飛び出し探してみると、怪我をして道の端に隠れているのを見つけた。

 毛が抜け、血にまみれ、片目がつぶれていた。悪餓鬼のいたずらにされたか、はたまた網代車にでも引かれたか。


 虫の息だった。


 胸のつぶれる思いで抱き寄せ名前を呼んでも、反応がなかった。

 ちょうどそのとき、陰陽師らしい男が通りかかった。少女の手の中の白猫を見やると、男は黙ったまま猫に手をかざし、何事かを唱えた。

 すると猫は、傷が治って規則正しい寝息をたてるようになっていた。


 目の前で起きた奇跡に驚き言葉を失うと、男は微笑んだまま踵を返して去っていく。

 あの、とようやく声を出したときにはもう男の姿は遠く、少女の声が届くことはなかった。

 少女はあの日を思うと、今なお涙が溢れて止まらない。


 あれから幾日も、もう一度会いたいと願っていた。会って、奇跡のお礼がしたい。だから、会いたい。会わなければ。会いたい。会いたい。

 祈り続け、ときには(まじな)いや占いで行方を捜すこともした。

 少女に許されているのは、部屋で書物を読むことだけだ。相変わらず外に出ることも、ほかの子らと戯れることもできなかった。だから少女はひたすらに書物を漁った。そして書物の通りに(まじな)いと占いを繰り返し、募る思いを胸に日々を過ごしていた。


 けれど、未だ願いは届かない。

 悲しみが深いほど美味であることを知っている雑鬼は喜びを隠せずに言った。


〈願いを叶えてやろう。力を貸してやる。会いたいのなら、殺せばいい〉


 雑鬼はくつくつと嗤った。ひちつの雑鬼が嗤うとそれにつられて他の雑鬼たちも嗤いだす。雑鬼たちの哄笑が重なって、廃屋を更に軋ませた。


〈――そうだな、お前を身代わりにしようとしている、あの女……。あれがいなくなれば、きっと会えるさ〉


 雑鬼は名案を思いついたといった表情で、少女に言葉を投げかける。


〈お前の名は?〉


 涙を落としながら、少女が小さく名をつぶやいた。


 すると、一気に廃屋が息苦しいほどの濃い瘴気に満たされた。

 雑鬼たちは歓喜して飛び上がり、合唱を始めた。音もなく響く不可思議な雑鬼の歌が廃屋に満ちていく。


 雑鬼の歌に合わせて少女の身体が左右にゆらゆらと揺れ始めた。少女は変わらず身を委ねている。

 

 ふいに少女が指揮者のように右手を挙げた。

 一匹の雑鬼がそれに合わせて空中に飛ぶ。次に、少女の右手が左右に振られる。すると、両隣にいた雑鬼が最初に飛んだ雑鬼へ引き寄せられるようにして吸い込まれた。さらに少女が手を振れば、それに合わせて雑鬼たちが次々にひとつ所へ集まられていく。


 ひとつ、またひとつと身を寄せ合って、雑鬼たちが一個の球体になった。


 両手を鳥の羽のように広げた少女は赤い唇を釣り上げて妖艶に嗤う。


「――私の願いを叶えてね。可愛い雑鬼たち」


 懐から取り出した短刀で、少女は自分の指先に小さく傷をつけると、傷口から滲んだ血で何かの紋様を描いた。

 雑鬼たちはこのときになってようやく自分たちに起こっている異変に気がついた。体が、緊縛されたように動かないのだ。

 雑鬼たちの歌が止み、代わりに驚愕と恐怖の波紋が広がる。


 口元を妖しく歪ませて笑う少女は、広げた両手をゆっくりと閉じてゆく。

 それに合わせて雑鬼たちが、徐々に圧縮されていった。万力を絞めるように、ゆっくりと。

 それは、母が眠る赤子を抱いて揺らすように、ゆったりとした動き。少女は、雑鬼たちの恐怖をじわじわとあぶりだしているのだった。

 少しずつ圧力が増していく中で、雑鬼たちの恐怖が色濃くなっていく。塊の中心部にいる雑鬼が、四方八方からの圧力に耐えきれずに目玉を飛び出させて絶命した。その雑鬼の体から流れる瘴気が、熱した鉄のようにどろりと流れて周囲の雑鬼をも溶かしていく。


 喰ってやろうとした少女に、逆に喰われていく雑鬼たち。


 少女の両手が、ついに完全に閉ざされた。ぴたりと合わさった手の平をそのままに、少女はその手の指先に軽く口づける。それはどこか祈りの姿に似ていた。

 廃屋にいた雑鬼たちは、あるいは頭を、あるいは胴体をもとの大きさの半分以下に圧縮され、残らず絶命した。


 少女はそれを見届けてから、再び手を振った。


 すると、どろりとした粘度の瘴気に覆われた塊となった元雑鬼たちであったものが、今度はおぼろげな目と口の輪郭を成していく。

 ついで鼻や頬骨、顎と形創ると、やがてひとつの大髑髏に成った。

 それは鼻の突き出た犬の骨格で、上下八本の鋭い犬歯が生えていた。幾多の雑鬼たちの邪念が織り交じった、新たな妖の誕生だ。


 三尺はあろうかという巨大さはこの廃屋では少々狭すぎるほどだ。生えそろった牙は大人の腕ほど太い。

 その牙を見せつけるようにして、大髑髏は口を開けて少女を丸呑みにした。

 少女は抵抗することもなく、それをすんなりと受け入れる。


 口もとが少し満足気だった。


 少女はそのまま失神し、糸の切れた人形のように床へ崩れ落ちる。

 瞳は虚ろに陰っていた。

 胸元に、一枚の呪符をしたためて。







************************







 人によくない影響を与える(あやかし)を調伏するのが、普段の陰陽師の仕事だ。

 そのため陰陽師は専ら妖が活動し始める黄昏時から真夜中の丑三つ時に行動する。必然的にひとびとが寝静まった頃が一番活動的になり、陰陽師は闇夜の中に身を置くことが日常だ。

 そんな日を浴びない土竜(もぐら)のような生活でも、まひるは少しも苦にしていない。

 わずかな月明かりで夜の街を歩くと、昼間とは違った、葉がこすれる音や草花の匂いを楽しむことができる。

 昼の顔と夜の顔。街の変化を見るのも大変面白く、まひるは未だ陰陽生でありながらも陰陽師を楽しんでいる。もしかしたら卒院したてのほやほや陰陽師よりも、楽しんでいるという点ではよほど陰陽師しているかもしれない。


 夜に満ちるやさしい匂いを胸に、まひるが天を仰ぐと、細い月が明るく空に浮かんでいた。

 もちろん、妖などを調伏させるために夜の街を歩くのだが、まひるは美しい曲線を夜空に描く月をただ眺めることも大好きだった。

 庭のあちこちから蝉が鳴き、耳をすませばその中に混じって鈴虫も鳴いている。平安京の夜は音と匂いと明かりがやさしさを含んでいる。

 平らに安らげる京。かつて桓武天皇が願ったその想いは今なお受け継がれ、ひとびとの手によって守られていた。

 ひとの住まうところ(あやかし)あり、されど妖の現るるところ陰陽師あり。そうしてこの平安京は守られている。 


「夜になると視えるっていうのは本当よね」


 ふいに縁側に腰かけてまひるたちと共に外を眺めていた藤宮がつぶやいた。


「妖たちがほら、集まってきてる」


 藤宮の指さす石造りの庭を見やると、確かに妖が集ってきている。額に黒い角を生やした黒兎(くろうさぎ)や手足の生えた手足箒(てあしぼうき)、豆粒ほどの煤煙(すすけむり)などの小妖たちが日向ぼっこならぬ月明りぼっこをしている。腹を見せて両手足を伸ばしている黒兎を視ると平和感満載で、とても悪霊退治中の警戒態勢とは思えない弛緩した空気になる。


「藤宮様は鬼見(けんき)の力があるんですね。常人には視えない妖も視えてるようですし」

「ええ。幼いころはね、視てはいけないものを視ているのだと思っていたの。ほかの人に視えていないものが自分だけ見えるのは恐ろしかった」


 昔を思い出すように遠くを見ている藤宮の姿は月明りに儚く照らされて、その身に背負う影を浮かび上がらせているようだった。


「父も母もそこに妖がいるのに全然気づかないのよ。私がそこに妖がいるんだよって言うと、異形のものを見るような目をしてこう言うの。近寄るな、妖が感染(うつ)る、って」


 苦笑して肩をすくめた。

 藤宮は庭の向こうに何を見ているのだろうか。


「それから私は視えるのに視えないふりをするようになった。気づいてるのに気づいてないふり、知っているのに知らないふり。そんなことをずっと続けているのには無理があったんでしょうね。私、とうとう眠れない体になってた」


 いつも朝であればいいと思っていた。

 日が沈んで夜がきて、妖たちが動き出す。その姿を視るたびに、自分を偽って嘘の上塗りをするのは、苦痛でしかなかった。

 自分の掌を眺める藤宮は儚げで今にも消え入りそうな雲のようだった。


「そんなときにね、ひとりの陰陽師に出会ったの」


 まひると八剣は静かに耳を傾けている。


「驚いたわ。彼は当たり前に妖と話していた。私は視界に入るのすら恐れていたのに、当然のように妖と会話してる人がいたのよ」


 左手を月にかざしながら言葉を続けた。指先の月はやさしく微笑んでいる。

 月は、暖かな光で藤宮を照らした。


「そのとき初めて陰陽師に会ったの。彼は、私が畏怖していたものをいとも容易く壊してみせた」


 胸にあてた手は愛しいものに触れる優しさがあった。


「それから陰陽師のことについて調べて……――」


 藤宮が言葉を止めた、その直後だった。庭先で寛いでいた小妖たちが一斉に姿を消した。

 そして、


 屋敷全体が、揺れた。


 きいいいいと、木材の軋む音が響き、屏風が倒れ、屋敷に風が吹き込んで松明が消えた。

 暗闇の中なお、揺れは収まらない。軋む音はいっそう激しくなっていくばかりだ。


「何!?」

「静かに」


 まひるが藤宮を制し、結界の一点を見つめた。


「おいでになりましたか」


 視線の先にはぼんやりと人形(ひとがた)をとった薄い霧があった。


〈……ああ、見つけた〉


 人形の霧が腕をあげると、藤宮が呻いた。


「うっ……」


 喉をおさえて床へ屈みこむ。


「藤宮様!」


 まひるは藤宮を後ろから抱えるようにし、霧から距離をとった。霧はゆっくりと部屋を移動して色を濃くし、やがて完全な人の形をとっていく。

 盛大に咳き込む藤宮を下ろしたまひるは裾から呪符を取り出して霧と対峙した。

 相手は、実体があるようにはっきりと見えるが、まぎれもない妖だ。

 年のころ十を少しすぎたところだろうか。肩のあたりで髪を短く切りそろえた少女の形をしていた。

 頬こそ落ちているが、どことなく藤宮に面差しが似ている。霧の少女の手には、赤い鞠があった。打掛を腰に巻いてはいるがかなり着崩れていて、裾が破けているうえに帯は結ぶというより縛ってあるだけだ。手にした赤い鞠をぽーん、ぽーんとついている。


「私と遊んでちょうだい。私も仲間に入れてちょうだい」


 幼い少女は鞠をつきながら笑っている。


「私と一緒に遊ぼう」


 少女は歩くことなく近づいてきた。音を立てずに、床の上を滑るようにして近づいてくる。

 結界のほつれから庭へ入り、中ほどまで進んだところで鞠をついていた手をとめ、能面を思わせる顔を藤宮に向けた。

 瞳はどこまでも暗く、紅を差したように赤い口元だけが笑っている。端整な顔立ちであるがゆえに不気味さもひとしおだ。


 霧の少女は首をかしげて鞠を両手で差し出した。

 藤宮が身を硬くして硬直していると、肩を落とした少女は俯いて言った。


「そう。遊んでくれないの。あなたも皆と同じなのね」


 そう言った途端、少女が両手で鞠をつぶした。

 破裂した鞠の中から黒い霧が溢れて藤宮の首に巻きついていく。


「お前が、藤宮だろう」


 少女のものとは思えない、低く、邪念の籠った声が響いた。

 藤宮の体がゆっくりと宙に浮いていく。同時に、首を支点に体を持ち上げられているため、自身の重みがよりいっそう首を絞めていく。藤宮が必死に首に巻き付いた黒い霧を振り払うも、呼吸ができずに手は宙を掻くだけだ。


「ぅ、ぐっ……!」


 藤宮は苦しそうに少女を見下ろした。少女の痩せこけた頬。目の下には隈ができている。虚ろな目が自分を見返してくる。闇の深さに呑まれそうで、これ以上は見ていられないと藤宮はきつく瞼を閉じた。

 藤宮の白い肌がいっそう白くなっていき、指先は紙のように真白くなっていく。


「急急如律令!」


 まひるが真言を唱えると藤宮の首を締め付けていた霧が緩み、呼吸を取り戻した藤宮は盛大に咳き込んだ。酸素を求めていた肺が急に空気で満たされ、呼吸が乱れた。肩で息をする藤宮の背中をそっとさするまひる。


「邪魔をするなぁっ!」


 ぶわりと髪を揺らめかせた少女が吼えた。

 今度は、肩でそろっていたはずの髪が伸びて、床を這うようにうねりながらまひるに襲い掛かってくる。

 まひるの足にからみつき、髪を引き戻すようにしてまひるを引きずり、一気に間合いを詰めた。

 少女が奇声とともに長い爪をふりかぶると同時に、手の平には青白い刃が出現していた。

 まひるは空いた両手を頭の上で交差させ、一撃を受けとめる。

 手の甲からひじにかけて勢いよく切り裂かれ、血しぶきで衣が赤く染まった。まひるの返り血がぴしゃりと少女の顔にかかる。

 すると、少女は目を丸くし大きく後ろへ跳躍した。


「ああああああっ」


 顔についた血を拭うと、少女は踵を返して外へ飛び出していった。

 内側から結界を破り、そのまま少女は姿をくらませたようだ。


「逃げた……?」


 まひるが、敗れた結界を見ながらつぶやいた。

 ようやく呼吸を整えた藤宮が、まひるを見てはっとする。腕から血がぽたぽたと流れて、白狩衣が赤く染まっていた。


「あなた、血が!」


 藤宮は、裂いた布で手早く止血をし、手馴れた手つきで傷の手当をすませた。


「ありがとうございます」

「いいえ。私のほうこそ、助けてくれてありがとう」


 お互いに目を合わせて微笑むと、今まで見るに徹していた八剣が口を開いた。


「まひる。減点だ」

「はい?」

「万年ひよこでいたいのか? 標的をみすみすただで逃してどうする。せめて目印くらいつけておけ」

「あ」


 あははと笑うまひる。

 その手があったかと、とぼけたことを言う。


「さて」


 表情を引き締めて、まひるがあたりを見回して息を吐いた。


「いつまでも隠形(おんぎょう)してないで、こっちに来なさい」


 そこに何もなかったはずが、まひるの声に応じて雑鬼たちが姿を現した。

 雑鬼に気が付いた藤宮が驚いた顔をした。


「さっきの鞠の少女の妖が現れた頃からずっとそこにいましたよ。妖気を隠して顕現(けんげん)していなかっただけで」


 陰陽院で修行をしてきたまひるにとって、たとえ隠形している妖でもわずかに漏れる妖気で存在を知ることができる。

 八剣の眉がわずかに上下した。


「君達に聞きたいんだけど、さっきいた鞠の少女について何か知らない?」


 まひるが雑鬼たちを手招くと、数匹の雑鬼たちがぴょんぴょんと跳ねながら傍に寄ってきた。

 それを見た藤宮も、真似しておいでおいでと手招く。

 雑鬼は招かれたほうへと近づいていき、藤宮のまわりを雑鬼たちが取り囲む形になった。


「おいらは知らねぇよ」

「おいらも知らねぇよ」


 首から下のない物の怪二匹が答えた。くりっとした丸い目が特徴の双子の雑鬼だ。

 その傍らにいた小鳥を模した妖が、ちゅんと鳴いて藤宮の膝に乗った。藤宮はそれをすくうようにして手の平に乗せ、不思議そうに眺めた。

 雀と目白をあわせたような小鳥で、特徴なのは頭部から伸びる羽。鬼であるならば本来は角が生えているだろうそこからは、兎の耳のように羽が2枚生えている。

 ちゅんちゅんと鳴きながら、手の上で小首をかしげる小鳥の妖。

 その目は、藤宮の体を心配しているように思えた。小鳥の妖は、双子の物の怪二匹のように言葉は離せないらしい。


「一昨日大蛇をやっつけたのはあんちゃんか」

「あんちゃんか」


 物の怪たちが跳ねながら聞いてくるので、まひるは近くにあった文台を寄せて、その上に物の怪たちを座らせた。

 対面にまひるが腰を下ろすと、ちょうど視線の高さが合う。


「私だけど、どうかしたの」


 まひるの答えに物の怪たちはわはははと嬉しそうに文台の上を転がっていく。


「ついにやったか」

「ついにやったぞ」


 藤宮は指先で小鳥と戯れている。

 小鳥の妖も羽を広げて体を揺らし、長く伸びた尾の先までをゆらゆらと揺らせて楽しんでいるようだ。藤宮の肩に乗ったり、頭の上を旋回して飛んだりしている。

 そのうちに、再び藤宮の肩に止まると、今度は藤宮の頬に頭をすりよせてきた。指先でその小さな頭を撫でてやると、くるるるる、と嬉しそうに鳴く。

 可愛らしい仕草に、藤宮の顔が綻んだ。


「あの蛇、みんな嫌いだったもんよ」

「だったもんよ」

「だっておっかねえ気配がしたもんよ」

「したもんよ」

「そんなもんには近づきたくねえしよ」

「ねえしよ」


 周囲にいた雑鬼たちも口々に同じことを言った。

 どうやら雑鬼たちの間であの紫斑の大蛇は嫌われ者だったらしい。


「仲間意識のかけらもねえ。見かけるやつをかたっぱしから喰っちまうしよ」

「喰っちまうしよ」


 雑鬼社会でも悩みがあるようだ。


「あんちゃんがあいつを追っ払ってくれたおかげで、皆が安心して街を夜行(やこう)できるってもんよ!」

「もんよー!」


 心底嬉しそうな雑鬼を見てまひるは少し戸惑った。

 人から感謝されることはあっても、雑鬼から感謝されるとは思ってもみなかった。

 陰陽師は奥が深い、と妙なところで感じ入るまひるだ。


「あんちゃんよー。困ったことがあったら言ってくれよ、力になるぜおいらたちー」

「力になるぜおいらたちー」


 雑鬼たちの合唱が響いた。それは陽気で、歓喜に満ちた合唱だ。


「あ、ありがとう」


 ちゅん、と藤宮の手の上で遊んでいた小鳥の妖も返事をした。ぱたぱたと羽を広げて精一杯の主張をしている。


「ね、この子かわいいね。小鳥に似ているのに眉毛があるよ」


 小鳥の頭をなでながら言う藤宮はごく普通の女の子に見えた。全身を呪術の痣で覆われているなどとは思えないほど、楽しそうに笑っている。

 そして藤宮の言う眉毛はきっと眉毛ではなく角の変化したものだと思うまひるだったが、眉毛と言われれば眉毛にも見えてくるので、あえて訂正はせずに黙っていることにした。


「眉毛が麻呂みたいだから、まろって名前にしようか。ね、まろ」


 どうやら相当気に入ったらしい藤宮に、八剣は少しばかり驚きを表す。


「名を与えるということは、それを式に下すということになるぞ」


 八剣の言葉に首をかしげる藤宮。


「式?」

「式っていうのは、簡単に言うと友達みたいなものです。助けを求めたら、力を貸してくれる」


 陰陽師によっては、神の眷属を式に下すものもいる。

 まがりなりにも神と称されるものを友達の一言で片付けるのはどうかと思う八剣だったが、わかりやすく手短に、何かに例えるとしたら友達が妥当だろうとこの場は黙っていることにした。

 大雑把すぎるまひるの説明に藤宮は、ふうん、と鼻を鳴らすと悪戯な笑みを浮かべる。


「じゃあ、まろ、さっきの少女の妖がどこにいるのか教えてもらうことは出来る?」

「さすがにそれはちょっと無謀な頼みじゃ……」


 言いかけたまひるを尻目に、まろは屋敷の外に飛んでいった。羽を広げて屋敷の上を大きく旋回してから、目標を定めたように一直線に飛んでいく。


「……嘘ぉ」

「まさか本当に行くとは」


 まひるは目を丸くして驚き、八剣が感嘆の声をもらす。


「下手したらあの妖にとりこまれちゃいますよっ」

「まろは空を飛べるから大丈夫じゃない?」


 焦るまひるを尻目に藤宮は淡々としている。そんな楽観的な。

 しかし現在は手がかりがほぼ皆無に等しい状態だ。まろが探してくれるとういうのなら、手伝いを頼むほうがいい。

 ううぅむと唸りつつも承諾したまひるに、八剣の厳しい一言が飛ばされた。


「まひる、減点だ」

「また!?」

「依頼人の式に頼ってどうする。ひよこはひよこなりに頭を使いなさい」


 ううぅむと小さく呻いて肩を落とすまひるを見下ろした八剣の瞳に剣呑な色はなく、むしろ興味の対象を見るような目だった。

 また減点かぁと頭を抱えたまひるの狩衣の袖口から、先ほど手当した腕の傷がちらりとのぞく。


「まひる。さっきの少女の攻撃、なぜ避けなかった? 避けられない程度のものではなかったはずだ」


 蹲って反省していたまひるは八剣のほうへ向き直り、真面目な返事をする。


「避ければその力が他にいくからです」

「他とは?」

「あのとき私の傍にいた雑鬼たち。私が避けた攻撃が傍にいた雑鬼に当たる可能性があった」


 その言葉を聞いた雑鬼が肩を震わせ涙目になり、まひるに飛びついた。


「あんちゃーん」

「ごめんよーおいらたちのせいで怪我しちまったんかー」

「いや、というのは建前で、本当は避ける余裕がなかっただけだから」


 まひるはにっこり笑って雑鬼たちの頭を撫でた。


「おいらたち物の怪にとって陰陽師は天敵みたいなもんだけどよ、あんちゃんは違うなー」

「違うなー」


 ひよっこ陰陽師と雑鬼たちの長閑な光景を見て、八剣は昔を思い出していた。

 かつて、仕事柄よく二人一組を組んでいた男もまた、まひるのように雑鬼に好かれていた。

 <百日悪夢>で浄化の光を顕現させるために八剣と対をなした、あの男である。

 その男とまひるがどことなく似たものを持っている気がする。

 昔のように振り回されそうな予感がした八剣は狸の式神をもう一度踏み潰したくなった。


 その夜、まひるたちは屋敷の外で待機することにした。

 いつまたあの鞠の少女が襲ってくるとも限らない。

 あちらの居所が知れぬ以上、こちらからしかけることもできない。

 となればできることはひとつ。


 出方を待つのみだった。

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