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大蛇退治

 夜の(とばり)が降りる頃、白狩衣(しろかりぎぬ)を纏った影が平安京の中心を颯爽と駆けていた。

 朱雀大路を南へと音もなく走り抜ける白狩衣は、その前方にふわりと浮かぶ大蛇ただ一点を追っている。

 禍々しい毒を含んでいそうな紫色の斑模様をした大蛇は、生きているならば本来目玉があるはずの眼窩に何も写すことのない闇をぽっかりと浮かべていた。


 常人には()ることさえできない、異形のもの、(あやかし)


 白狩衣は紫斑の大蛇に気付かれないように、しかし確実に距離を詰めていく。

 足音もなく呼吸を潜めしっかりと標的へと近づけるのは、その者がよく訓練されたことの証だ。

 静寂(しじま)の夜を纏った影は懐から呪符を取り出して片手で五芒星を描き、地面を強く蹴った。そのまま大きく真上へ跳躍する。


 そこでようやく自らを狙う気配に気付いた紫斑の大蛇は大樹のように太い体をくねらせた。そして霞を纏った一拍の後に細胞分裂のごとく身をふたつに分けると、慌てた様子で逃げてゆく。

 二匹に分かれて惑う大蛇を追いかけ見据える瞳は、高まった神通力で蒼く一瞬驚いたように目を見開いたもの、標的の分散にもさして動じることなく冷静さを取り戻した。


「――急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう


 白狩衣が冷ややかな声で真言(マントラ)を唱え、仄かに光る呪符を手前にいた一方の紫斑の大蛇へと真っ直ぐ飛ばす。

 青白い炎が紫斑の大蛇の巨体を丸ごと包み込み、勢いよくごうと燃え上がった。身を焼かれた紫斑の大蛇がたまらず咆哮を上げる。

 その巨体を壁に打ち付けもがきながら必死に抗うが、炎は一向に消える気配を見せない。

 やがて白炎は徐々にその色を変え、闇の中でもわかるほどの尚いっそう深い闇色へと変化し、蠢く紫斑の大蛇の骨までをも焼き尽くした。骨は最期には塵芥となって、京の夜風にさらさらと溶けていく。


 まずは一匹目の調伏の成功を見届け、すぐに視線をもう二匹目へと転じる。神通力で蒼く光る瞳が残りの紫斑を捉えた。


 白狩衣は着地しつつ流れるような動作で小袖から更にもう一枚の五芒星が描かれた呪符を取り出し、それを強い思念で具現化した弓矢の先に貼り付けた。

 竹を刺したようにまっすぐ体幹を伸ばし、弓を引き絞る。狙うは、頭部。

 呼吸を整え、逃げ惑う大蛇へと矢先を合わせる。


 しゅんっと風を切る音とともに呪符矢が放たれた。


 紫斑の大蛇は背後から迫りくる一矢をかわすべく身をよじらせるが、呪符の効力を持った矢は意志があるようにその跡を追跡。通りの角を曲がろうとしたところで紫斑の大蛇の胴体を射抜き、完全に動きを封じた。

 地面に縫い止められた紫斑の大蛇が、射られた矢を抜こうともがく。

 しかし矢には沈化の霊力が込められている為、紫斑の大蛇の力は削がれる一方だ。紫斑の大蛇が矢を抜こうともがけばもがくほど、沈化の霊力によってその力は失われていく。


(りん)(とう)(びょう)(しゃ)(かい)(ちん)(れつ)(ざい)(ぜん)


 神通力を込めた言の葉である真言は、妖にとって呪縛となる。


 最後に放たれた真言とともに紫斑の大蛇は霧散し、薄い紫色の霧となってゆっくりと風に溶けて消えていった。

 あとには何も残らず、京の街はただ静寂に眠っている。二匹目も無事に調伏できたようだ。

 白狩衣は紫斑の大蛇がすっかりなくなったのを確認すると、踵を返してもと来たほうへ歩き出した。


 その一部始終を、暗闇に紛れて木の上から見ている男がいた。


 長く伸ばした銀髪をひとつに結び、烏帽子のない漆黒無地の狩衣姿で、首から数珠をさげている。わずかな月明かりでもはっきりとわかる端正な顔立ちで、鋭い双眸が闇によく似合っていた。

 しかしその眼光には不穏な空気を滲ませている。片目を眇めて白狩衣のほうに視線を向けながら、じり、とわずかに身じろぎをした。


 銀髪の男の視線の先には、つい先ほど紫斑の大蛇を滅したばかりの白狩衣の者が歩いている。後頭部で束ねた長い黒髪を風に揺らし、軽快な足取りだ。 

 銀髪の男に見られていることに気付かぬまま、白狩衣は歩みを進めていく。よほど夜目(よめ)が効くらしく、街頭のない暗い街中を進む足取りは軽やかだ。


 ふいにその背後で陽炎のように景色がぐにゃりと歪んだ。


 それを見た銀髪の男は気配を殺したまま(いん)を組んだ左手で空中に素早く文字を描いた。

 次の瞬間、通りに突風が吹き込み、周囲の木々を大きく軋ませた。強風にはためく狩衣の袖を抑えながら、急な突風に思わず振り返る白狩衣。その目が、驚愕に大きく見開かれた。

 振り返った目の前に、落ち窪んだ眼窩に剣呑な殺意を宿した紫斑の大蛇がいたのだ。斑模様の胴体を怒りにうねらせ、全身から瘴気を噴き出している。


「!?」


 今にも喰いかかろうと、うねる大蛇は鋭い牙の生え揃ったあぎとをくわりと開いた。

 驚きながらも慌てて後方へ飛び退る白狩衣。距離を取ろうとその勢いのまま二度三度後方へ飛ぶ。

 大口を開けた大蛇の初撃をなんとか避わすが、直後に紫斑の大蛇の尾が白狩衣の足を狙ってきた。軸足に巻き付き、強引に引きずりこまれて態勢を崩してしまう。

 地面を転がるように引き寄せられ、砂埃が舞い上がった。


 たまらず地面に手を付いて上体を起こすと、紫斑の大蛇の顎が目前に迫っていた。手をついたため印が組めない。

 背中に、冷たい戦慄が走った。態勢を立て直す時間も、呪符を使って真言を唱える時間もない。瞳に焦燥の色が浮かんだ。


 大口を開き、追撃を仕掛かる紫斑の大蛇の目が貰ったとばかりに嗤ったように見えた。


 しかし、焦燥の色もほんの一瞬のこと。

 その目はすぐに冷静さを取り戻し、口元を引き締めた。

 そして白狩衣は地面に手をついたまま腕を支点に身を支え、猫のようにしなやかな動きで紫斑の大蛇の頭をつま先で蹴り上げた。


 ゴグフゥゥっと呻き声をあげる紫斑の大蛇。先程よりも怒りの色を滲ませ、相手を睨み付けている。

 攻撃の矛先はそらせたが、怒りを力に転化させた紫斑の大蛇が、全身をぐるぐると絡ませて締めあげてきた。

 白狩衣の華奢な体ががっちりと捕縛され、全身を簀巻のように締め上げられた。

 その圧力で肺が潰され、かはっと強制的に呼気がもれる。


 身動きが取れないまま片目を眇めて紫斑の大蛇を見ると、頭部をこちらに向け、舌をちろちろと出していた。完全に捕縛した獲物を舐るように牙を剥く大蛇。

 舌の先端が鼻先に触れ、再び紫斑の大蛇があぎとを開く。今にも鋭くとがった牙が自分の肩口にめり込もうとした、その瞬間。


 闇の風に乗って、声が響いた。


「oṃ budhaśri svāhā!」


 天を衝く光の柱が大蛇を貫き、悶えた大蛇がグゴォォォォと低く咆哮を上げた。

 光の柱は紫斑の大蛇もろとも白狩衣まで飲み込んでいるが、光の熱に焼かれているのは紫斑の大蛇だけだ。突然の極光に苦悶しながら、紫斑の大蛇はその身の斑模様を焼かれ、胴体、尾、頭部、そして最後に眼窩を焼かれその残滓を土に溶かしていく。


 やがて、一片の塵すら残さずにすべてを土に溶かして消えていった。


 紫斑の大蛇から解放された白狩衣は、地面にへたりと座り込んだ。


 その傍らを、一陣の風が吹き抜けた。

 再び、街に静寂が戻る。

 あたりは、風に揺れる微かな葉擦れの音だけ。通り一辺を見渡しても、いつもの平穏な京の夜だった。

 その様子にほっと胸を撫で下ろした白狩衣は、しかしすぐにまた表情を引き締めた。


 一瞬のできごとに、言葉を失う。

 一体、何が起きた?

 調伏(ちょうぶく)したはずの紫斑の大蛇が再生し、自分を襲ってきた。

 分裂した二体を完全に滅したとうのに、なぜ?


 妖力の高い妖ならばできるかもしれない芸当だが、対峙していたのは妖としてはわりとありふれた紫斑の大蛇だ。ただの大蛇にそんな力などないはず。

 事実、先ほど使った白炎の陰陽術もそう高度なものでもなく、それなりの陰陽の知識があれば簡単に扱うことができるものだった。

 その程度の陰陽術で調伏される妖が、短時間での再生などできるはずもない。けれども調伏後にすぐに姿を現せて、自分が窮地に追い込まれたこともまた事実。


 しかし、どうやら自分は助かったらしいことは確かだった。

 再生した紫斑の大蛇は再び調伏された。未だ事態を把握できずに、まばたきを繰り返す白狩衣。


 そこへ、銀髪の男がため息をつきながら通りへと姿を現した。


「俺はこんなのの面倒を見なきゃならないわけか?」


 男は表情を変えず、明らかに不機嫌そうな声音で言い放った。

 白狩衣が男を見上げる。


「貴方は?」

「陰陽師」


 見ればわかることだけを答える男。烏帽子を被らず漆黒無地の狩衣姿に、首に下げた勾玉の数珠。

 今どき、稚児でもこの男の格好を見て坊主と見間違えることはない。

 ずいぶんとつっけんどんな人らしいが、おそらくこの人が大蛇を滅してくれたことに違いない。


「貴方が助けてくださったのですか?」

「ああ」

「ありがとうございました」

「頼むから、やっかいごとになるのだけはめてくれよ」

「? やっかいごと?」


 面倒を見るだとか、やっかいごとにするなだとか、初対面人に対する台詞ではない。

 人違いでもしているのだろうか。


山吹(やまぶき)まひる。陰陽頭(おんみょうのかみ)から通達があったはずだが」


 名前を呼ばれたまひるはしばらく黙考したのち、思い当たることがあり、……ああ! と手を叩いた。


「……もしかして、貴方が八剣十櫂(やつるぎじっかい)さん?」

「ああ。珍しく指名されたからどんな優れた相方なのかと思ったが……。陰陽頭は何を考えているんだ」

「お話は伺っています。卒院試験を見てくださる方ですね。お会いできて嬉しいです……本当に」


 まひるは陰陽院(おんみょういん)に通っていて、卒院を間近に控えていた。陰陽院とは、陰陽師になるための育成機関だ。

 先日、陰陽院の統括である陰陽頭から直々に試験の内容を知らされたばかりだった。内容は、悪霊にとりつかれた安達(あだち)家の姫を救うこと。監察官として、陰陽師・八剣十櫂を同行させると言われていた。

 八剣十櫂という名に初めは耳を疑った。陰陽頭が何か冗談でもいっているのかと思ったほどに信じられない。それもそのはず、八剣十櫂は訳あって生死不明とされる陰陽師のひとりだったからだ。

 しかし大事な卒院に関わる、しかも陰陽頭から直々の言葉である。全くの嘘でもなかろうと思うも、陰陽頭の日頃の行いから半信半疑のままとりあえず了承したまひるだった。

 それがこうして八剣十櫂と名乗る男が目の前にいる。一時は死亡説を囁かれた陰陽師である男が、目の前に。

 まひるの視線は自然と男の足元へ向く。足は、ある。亡霊の類ではないようだと安心するまひる。


「さっきの大蛇だが」


 まひるの若干失礼でもある視線にやや憮然として八剣は腕を組んで斜に構えた。


「分裂したときに三体に分かれていたんだ。二体だけ姿を現せて、残りの一体は身を潜めて隙をうかがっていた。つまり、姿を見せた二体は囮だったってわけだ。物の怪にしては知恵が働くほうだったようだな」

「……あらまぁ」

「それにしても」


 じろりとまひるを睥睨(へいげい)する八剣。


「雑魚相手にあのざまとは先が思いやられるわ。卒院する気あるのか」

「ありますよ~もちろん! さっきはちょっと下手を踏んだだけです」


 胸に手を当てえっへんと決め姿勢をとるまひる。


「このひよこが」


 八剣の低い声。呆れを含んだ声音の中に、心配の色も含まれていることを、まひるはしっかりと聞き分けていた。


「八剣さんが一緒にいてくださるのなら心強いです」

「言っとくが俺は監察官。言わばお前の試験監督だ。基本的に二人一組で行動するが、主力はお前だからな」


 一人前の陰陽師ともなれば自らの神通力のみで調伏することもできるが、陰陽師のたまごであるまひるにはまだまだ経験と実力が不足している。

 試験と言っても、それは陰陽院に寄せられた一般からの依頼である。何か間違いの起こらぬよう、助力者として実力のある陰陽師が陰陽生に付き添うのが通例だ。


「試験内容は覚えているな。明日発つ。しっかり準備しておけよ」

「はい」


 まひるは短く返事をし、頭を下げてからその場を離れた。


 まひるは、主に符を使う類の陰陽術を得意としている。ひとくちに陰陽術といっても、吉凶に干渉する占暦術、大気を動かす星占術、死者を呼ぶ霊降術、式神を使役する式術など多岐にわたる。

 数ある陰陽術はそれぞれに呪符や真言、印、または五芒星陣などを介してその効果を発揮する。


 陰陽術を使うにはそのいずれかが必要であり、それは個人によって変化するものだ。例えば吉凶を占うのに、あるひとは呪符を五枚使うのに対し、呪符を得意とするまひるは一枚で済むこともある。逆に、あるひとは真言だけで占うことができるものを、まひるが呪符なしで占うには真言と印と五芒星陣が必要になる、といった具合に。


 自分の適性と得手不得手をしっかりと理解し、状況に応じて陰陽術を使いわけることができるようになることが、一人前の陰陽師の最低限の必須条件とされる。

 卒院試験を控えたまひるは現在、目下得意分野である符術を鍛錬中だ。

 故にこうして先ほど紫斑の大蛇を調伏していたように、魑魅魍魎の跋扈する京の街を夜な夜な徘徊し、符術の行使に励んでいるのである。


 符術は調伏の相手によって使用する紙を変えなければならない。高等な術を駆使するためには相応の上質な紙が必要になる。

 万物において陰と陽が等価であること、これが陰陽の基本で、陰陽二元という。


 一度八剣と別れたまひるは、陰陽寮で自分にあてがわれた個室に戻った。日当たりと風通しはいいが、文机と本棚があるだけの質素な部屋だ。

 障子を開けて一息つくと、唐櫃に入れて大事にしまっておいた符を取り出した。まひるが最も尊敬する陰陽師のひとり、陰陽頭から直々に授けられた呪符だ。

 通常の呪符より丈夫で、邪念の炎にも燃えることはない高価な呪符。

 やがて必要になるときがくるから大事に持っておきなさいと渡されたその呪符を、まひるは狩衣の懐に入れる布袋にしまった。


 胸が高鳴っているのを感じた。

 試験の日が近づいてきただけではない、緊張感に包まれていた。


「あの人が、八剣十櫂さん、か……」


 思いを馳せた相手の名を口にするまひる。


 ――陰陽頭から聞いていた、八剣十櫂という人物。噂通りの、いやそれ以上の実力があるようにも思えたし、陰陽頭の言うような情に厚く世話焼きという感じからは少し離れているようにも思えた。

 陰陽頭からのやっかいごとを嫌がるそぶりや、逆にまひるを気遣う声。八剣十櫂という男はどこか不思議な魅力のある男だった。

 しかし何にしてもまだほんの少ししか話せていないのでわからないことだらけだ。だいたい見た目からして年齢不詳の男である。

 十代と言われればそうも見えるが、十年前の事件に関わった人物であることは確かなので十代はありえない。


 ……そうだ、八剣さんも十年前のあの事件の当事者だったんだ――。


 まひるは陰陽寮生ということもあり、手荷物はごく少ない。いつも着ている白の狩衣の替えが数着と、陰陽学を学ぶのに必要な教書が本棚にしまわれているだけだ。そんな質素を極めたような部屋に、ひとつだけ飾り気のある箱がある。まひるが大事なものを入れている唐櫃だ。

 艶のある蓋をそっと撫でて、まひるは十年前のあの事件のことを思い出した。

 自然と、ため息が漏れた。




 ――かつて、平安京に突如現れた百鬼夜行があった。


 ひとびとは、百鬼夜行を見たら息を潜めろ、ただただ通り過ぎるのを待てと言い伝えられている。下手に刺激をして妖たちが暴れだそうものなら、一夜にして京の街全体が亡霊の闇に堕ちると言われているからだ。


 百鬼夜行とは、魑魅魍魎の大名行列のようなもの。数多の妖たちが列を成して辺りを練り歩く。

 もしも妖たちが滂沱のごとく街に押し寄せてきたら、いくら京中の陰陽師を集結させたとて太刀打ちはできない。京に住むひとびとは妖にとりこまれ、もれなく亡霊悪霊と成り果てるだろう、と。

 故にひとびとは百鬼夜行をみかけても、手を出さずただただ何事もなく通り過ぎるのを願って見守るしかなかった。


 されど、見守ると言っても、基本的に百鬼夜行は無害だ。単に妖たちは散歩しているだけと言っても過言ではないほどに。妖たちからすればきっと、「あーなんかにんげんおびえてかくれてるー。おもしろー」といった程度のことだろう。そもそも常人には妖が視えないので、一部の視える人間が何もしなければ、百鬼夜行は本当に無害だった。


 しかしあるとき、その百鬼夜行は違った。京の街中に突如現れ、まるで意思を持つかのようにそこに住まうひとびと目がけて襲撃してきたのだ。


 それは、真に凄絶であった。


 妖の視えない常人は不可視の恐怖に怯え、憑りつかれたひとは憎悪や怨嗟に駆られて暴徒と化し、加害者となってさらに被害者を生む。被害者は悪霊となってやがて加害者になり替わる。新たな加害者は新たな被害者を生む。その被害者は暴徒化し加害者となりまた新たな被害者が出る。

 止まることを知らない、最悪の負の連鎖。

 芋蔓を引くように次から次へと堕ちていくひとびと。


 まるで悪夢のようなそれは日夜問わず七日間続いたという。京の街が時を追うごとに血と怨念と呪縛に塗り上げられていく。

 そんな悪夢の現実が百日は続くかと思われるほど凄絶で、悲惨だった。


 すぐに京中から陰陽師や祈祷師たちが集められ、事態の収束に傾注した。その数、およそ一千人。しかし、ひとびとが危惧し謡い継いできた通りに、百鬼夜行は止まらなかった。その勢いは留まるどころか、台風のように勢力を増しているかのようにも思えた。

 京が、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。


 そして事態は熾烈を極める。


 その一因ともいえるのは、総指揮を執るはずの京の朝廷が真っ先に壊滅したことだ。もともと政治的争いから激しい怨嗟の温床であった朝廷は、狙いすましたように百鬼夜行の餌食となった。


 指揮系統の上層部が瓦解すれば、陰陽師たちは蜘蛛の子を散らすように散開していった。

 陰陽院に属するごく一部の陰陽師たちはその場に留まり、なんとか収集させようと尽力したが、とても太刀打ちできるものではなかった。

 このままでは、京の街全体が目覚めることのない悪夢の中を亡霊のように彷徨い続けることになるだろうと、誰もが絶望した。


 そんな状態を聞きつけた、当時遠方へ出ていたとある陰陽師がかけつけたのは、京が混沌に堕ちてからさらに三日後だった。


 街はすでに荒廃していた。わずかに残ったいくばくかの陰陽師たちが、かろうじて正気のまま命を長らえている、そんな状態にまで追い詰められていた。


 遠方より戻ったその男は、御神(みかみ)顕現(けんげん)と呼ばれたひとりの陰陽師。


 それが、安倍晴明(あべのせいめい)、現在の陰陽頭である。そして、その右腕とも言うべき陰陽師が、八剣十櫂そのひとだ。


 安倍晴明と八剣十櫂は、結果として京の街を救った。


 長寿により霊力の高まった妖・九尾の血を引いているとも言われる安倍晴明の神通力と、晴明によって認められた天性の才のある八剣。このふたりによって、京を襲った百鬼夜行の悪夢は幕を閉じた。

 体制が崩れたとはいえ、京中の陰陽師たちでも太刀打ちできなかった百鬼夜行を相手に、たったふたりの陰陽師が事を終わらせたのだ。


 のちのひとびとはこう語る。


「ふたりが呼吸を合わせると、神の御業(みわざ)を見ているように、たちまち街を浄化していった。憑りつかれたひとは正気を戻し、折れた木々は元に戻り、壊れた家や壁さえもが元に戻った。なにもかもが、元の姿を取り戻していく。まるで、世界が逆再生されているようだった」と。


 このときの百鬼夜行の一連のできごとを、<京の百日悪夢(ひゃくにちあくむ)>という。

 あれから十年経った今でも安倍晴明と八剣十櫂は京を救った<対斎(ついのいわい)>としてその名を知らしめている。


 御伽話のような逸話を持つ安倍晴明と八剣十櫂。

 そのうちのひとりが、自分の卒院試験の監察官を務めるという。陰陽師を目指すまひるにとって、憧れの存在である八剣十櫂が。

 陰陽院で陰陽頭を務める安倍晴明と違い、八剣十櫂はあまり世間の表に出ることはない。<京の百日悪夢(ひゃくにちあくむ)>以来、表沙汰になるようなことは一切していなかった。

 世間からすれば時の人であった八剣が突然ぱたりと消えてしまったことになる。

 八剣の姿を見た者も久しくいなかったために、一時は八剣死亡説まで浮上したほどだ。しかし<対斎>である安倍晴明がそれを否定したことでかろうじて生存扱いされている稀な陰陽師である。


「……父さん、八剣さんに会えたよ。私も早く、陰陽師になりたい」


 まひるは、唐櫃から取り出した遺影に語りかける。

 試験はいよいよ明日だ。入念に呪符の手入れをし、枕元に父の遺影を置いて敷布に入った。


「八剣さん、想像していたよりはずっと若かったなあ。陰陽頭と同じくらいのひとかと思ってたけど。……なんだか少し、父さんに似ている気がする……。……ふふ、そんなこと言ったら、……八剣さんに、…………怒られそ、う…………」


 小さな呟きは遠くで鳴いている蝉の声に紛れ、初夏の風がさらりと流れ木々を揺らした。

 大蛇との闘いは、思ったよりも神通力を消耗していたらしい。瞼を閉じると、すぐに睡魔に襲われてそのまま眠りに落ちた。


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