守リの人形
更新遅れて申し訳ない。
わたしの家、応接間の隅の小テーブルに『肋蔵人形』という人形が置いてある。
いつからかわからないが、我が家の家宝として大切にされている人形だ。
『助蔵人形』は、男の子を模した可愛らしい御所人形で、江戸末期の人形師「助蔵」によって作られたというのが名前の由来だ。
言い伝えによれば、この人形は助蔵の最後の作品らしい。
助蔵は腕の良い人形師だったが、引きこもりで、生涯の半分を作業場から一度も出ることなく人形作りに費やしたという。
助蔵は本当に、人形が―― 人形作りが好きだったのだな。とわたしは思った。
その人形の笑顔には、男のわたしでも、いつも癒されていた。
しかし、家宝にしては雑な扱いで、ガラスケースに収められるでもなく、いつもそのままの状態で応接間に飾られていた。
昔、祖母に言われたことがある。
「へたに動かさず、絶対にそのままにしておきなさい。大切な人形だから、蔵にしまったり、押入れや戸棚に入れたりしてはいけない」
「その場から動かしてはいけない」と。
守り神みたいなものだろう。
そのときはそう思った。
わたしが生まれて40年。助蔵人形はずっと、応接間の隅の、その場所から動かされてはいない。
不思議なのは、百数十年経っているにも関わらず、色あせや、虫食いなどがない。代々こまめに手入れされていたからかもしれないが……。
――祖母が亡くなって20年。
今では人形の手入れをする人はいない。
だが、「しまってはいけない」という祖母との約束だけはずっと守っていた。その言葉は当時幼かったわたしの恐怖心に刻み込まれ、消えることはなかった。
きっと助蔵人形は、代々の家族を守り続けてきたのだろう。
笑顔の人形を見るたびにそう思っていた。
その日が来るまでは……。
ある日、わたしは猫を飼うことにした。
父は数年前に没し、それ以来、母は老人ホームに。今だ独身のわたしは、家に独りになった。なので寂しさを紛わすため、友人から子猫を一匹譲り受けたのだ。
子猫は飼い始めて数日経ったころから、好奇心で家中のいろいろな物をいじりまわすようになった。
だからわたしは、家宝の助蔵人形に被害が及ばないよう、ガラスケースを買ってきて人形をその中に保管した。
祖母の言いつけを破ることにもなるが、可愛い顔に傷が付けられるよりはマシだ。人形のために……。
そう思った。
だが――
翌日深夜。
わたしは妙な物音で目を覚ました。
ガン! ガン! ガン!
――何かを叩く音。
わたしは懐中電灯を持って家の中を見回った。
――音は応接間から聞こえていた。
そのとき、ふと思い出したのは、助蔵人形を保管したガラスケース。
猫が部屋に忍び込み、悪戯をしているに違いない。
ゆっくりとドアを開け、暗闇に耳を向けた。
音はガラスケースのほうから絶えず聞こえる。
やはり猫の仕業だ。
暗闇に明かりを向けようとしたその時、わたしの足にフサフサしたものが触れた。
「にゃー」
――猫だ。
猫がわたしの足元にすり寄ってきた。
しかし――
ガン! ガン! ガン!
音は聞こえてくる。
丸い明かりを移動させ、床から部屋の隅―― そこに置かれた小テーブル―― その上のガラスケースへ――。
わたしは自分の目を疑った。
その中では……、あの笑顔だった助蔵人形が、憤怒の表情でケースを壊さん勢いで叩いていた。
青白い顔に血走った眼、むき出しの歯……。
『ここから出せ!!!』
そう叫んでいるようだった。
なぜ助蔵人形をしまったりしてはいけないのか。
それは、この人形が呪われていたせいなのだと、その瞬間確信した。
人形には作り手の思いがこもるという。
人形師の助蔵は……、
本当に自らの意思で人形を作っていたのだろうか?
朝にはもう、人形は静かになり、もとの笑顔の状態にもどっていた。
わたしはすぐに人形をガラスケースから取り出し、小テーブルに置いた。
祖母もこの人形の秘密を知っていたのだろう。
それなのに代々家宝として守り続け、手放さなかったのは――?
そう考えると恐ろしくなる。
今では応接間は閉め切り、誰も中に入れないようにしている。
それは人形を閉じ込めたことになるのだが、人形はそれには気付いていないようだ。
少なくとも、現在は……。
人形は大切に、ね?
(次話追加:8月21日くらい)