オ別れを
自分が死んでしまったとき、あなたはどうしますか?
『――あれ? ここはどこ?』
川が流れる音が聞こえる。
僕はゆっくりと目を開けた。
――僕だ。
川に浮かんで、流されていく僕がいる。
『どうして? え? なんで?』
――僕…… 死んだの?
僕は流されていく“僕”を見つめながら、上へ引っ張られるように昇天していく。
『いやだ、待って……! 逝きたくない! 待って!!!』
――母さん! ――父さん!
助けて――
『――!!』
…………あれ?
いつの間にか地面に立っていた。
たくさんの人たちが行き交うこの場所は……、近所の商店街だ。
あれは何だったの? 僕は生きてるの?
商店街の雑踏の中、人々は僕の体をすり抜けていく。
……やっぱり、死んでるの……?
『――おい、お前』
耳元で男の声がした。
驚いて振り向くと、色黒の大男がすぐ後ろに立っていた。
目つきの悪い、殺人者のような顔の男。
『お前、なぜ残っている?』
……は? 何言ってるの?
この人…… 僕が見えるの?
そこで気がついた。そこに立つ大男の体もまた、人々がすり抜ける。
この人も、幽霊……。
『いくつだ?』
男が、上から僕をにらみつけるようにして訊く。
『じゅ…… 十三歳……』
僕が答えると、
『若いなぁ、若すぎる……』
――雑踏の中、その男の声だけが聞こえていた。
『いいか。すぐに“ムコウ”へ逝け。お前はもう死んだのだ』
『待ってよ! なんで……、あんただって死んでるじゃないか!』
『俺は、目的を果たすために“こっち”に残っている。お前とは違う』
『僕だって同じさ! 母さんや父さんにお別れを言うまでは逝けない!』
力強く言ったつもりだった。でも、まるで射殺すように僕を見下ろす大男を前に、動じてしまったのは僕のほうだった。
『俺はある男を殺すために残っている。お前みたいな“ぬるい”理由でこっちに残っていると後悔するぞ』
『人を殺すよりはマシだろ!?』
恐怖を見せないように、ぐっと歯を食いしばって男の目をにらんだ。
――しばらく僕と大男のにらみ合いは続いた。
そしてとうとう男は、
『まあいい、俺の忠告はここまでだ。だが忘れるな、俺もお前も普通の人間には見えない存在だということを』
それだけ言うと、僕をすり抜けて行った。振り返ったが、男の姿はなく、商店街のざわめきがもどっていた。
誰も見てくれなくてもいい。僕の声が届かなくてもいい。
でもせめて母さんや父さんに言いたいんだ。「ありがとう」「ごめん」って……。
――僕は自宅へと足を進めた。
家の前で、近所のおばさんが僕の話をしていた。
「息子さんが川で溺れて、病院へ運ばれたらしい」と。
溺れた……、いや僕はもう、死んでいるんだ……。
母さんたちは病院へ行っている。僕が助かると信じている……。
ごめん……。
僕は家の前で母さんたちが帰ってくるのを待った。
夜―― 深夜になって、母さんと父さんがタクシーで帰ってきた。
泣きじゃくる母さんは、親戚のおじさんに支えられて降りてきた。
『母さん!』
母さんに手を伸ばそうとしたとき、また僕を上から何かが引っ張った。
『待って! もう少しなんだ! あと少しだけだから!!』
僕は弾かれるように、家の中へ飛ばされた。――壁をすり抜けて、二階の母さんと父さんの部屋に。
父さんは玄関で、おじさんにお礼を言っている。涙はとっくに枯れているのだろう。その声に力はない。
おじさんはそのままタクシーで帰っていった。僕は母さんたちが上がってくるのを待った。
すぐに重い足取りで階段を上る音が聞こえ、母さんと父さんが、小声で話をしながら部屋に入ってきた。
ごめんね……。母さん……、父さん……。
霊は涙を流せない。悲しい気持ちは外に出ることなく、僕の中に溜まっていく。
父さんが暗い部屋の電気をつけた。
二人の泣き顔なんて見たくなかった。余計に悲しくなるから。
『母さん、父さ――』
……違った。
泣いてなどいなかった。
母さんと父さんの顔は―― 冷酷な人間のように無表情で―― いや、微かな笑み。
「で? あの子の保険金はいつもらえるの?」
「すぐに入る。それよりも、絶対に怪しい素振りを見せるなよ。誰かに疑われでもしたら――」
「わかってるわよ! 無計画にあの子を殺したわけじゃないんだから」
『……え……?』
僕は固まった。
なんだって? 殺した……、殺した……?
――僕を殺した!?
そんな……、嘘だ……。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!
『嘘だぁ!!!』
『――だから、早く逝っちまったほうがよかったんだ』
母さんと父さんの声は聞こえなくなっていた。
あの大男が、また僕の後ろに立って、耳元でささやいた。
『これがこいつらの本性だ。真実なんて知らずに逝っちまったほうが、ずっとよかったろ?』
『なんで……、父さん、母さん……』
僕は殺された……。母さんに川に突き落とされた……。僕は母さんと父さんに殺された……。
愛していたのは……、僕だけだった……。
男がまたささやく。どこか嬉しさのようなものが滲んでいるようだった。
『人の殺し方、教えてやろうか?』
誰にも、人の心の中はわからない。
(次話追加:8月9日予定)