下の階のジョニー
当たり前の事を言うようではあるが
異なる言語を介してコミュニケーションを
取るのは、極めて難しい事である。
何故かと言えば
日常会話において、人間は経験から
『会話パターン』や
『音声パターン』をインプットして
しまうからだ。
例えば
『朝』『その日初めての顔合わせ』
『お、から始まる』
と言えば?
そう、真っ先に
『おはよう』が出てくるだろう。
これは日本語の場合だ。
これが英語なら
『G』か『H』から始まる
『グッドモーニング』『ハーイ』
になるだろう。
これらは幼少期からの環境
即ち、言語文化から形成され
自然と身につくものであり
結論から言うと
『身に覚えのない音に対しては
対応出来ない』
無論、これは学習により
解消される些細な問題だ。
では何故
『こんな難しい話しを文頭に持ってきた?』
という疑問を抱くだろう?
そう、些細な問題だ。
些細な問題ゆえ、回避も容易。
だが人生は
『些細な問題から大きな事件を引き起こす』
それが原因で俺、『藤崎 亮二』は
『ジョニー』と
呼ばれるようになり
そんな俺の日課は
『毎朝の自己紹介』から
始まるのだ━━
━━その日はひどく疲れていた。
長きに渡る出張からようやく帰ってきて
報告書をまとめて退社したのが、
午後八時四十五分。
現在時刻は午後十時半を回ろうという所で
ようやく自宅の扉を潜った。
出張の前にある程度片付けをしたので
部屋は綺麗だが、唯一布団だけが敷いた
ままになっていた。
スーツの上着を脱ぎ捨て、布団に倒れ込む。
少し腹は減っていたが、食欲を睡眠欲が
押しつぶして瞼を閉ざそうとしてくる。
もうこのまま寝てしまおう。
そう決め込み、身を任せた。
ドタンッッ!!
大きな音に意識が起き上がる。
どうやら上の階のようである。
古いアパートのせいか、隣人の音が
よく漏れるのだ。
俺は上の階を一度睨み、再び
まどろみの世界へと身を落とそうと
試みるが
ドタンッッ!
ガタガタッッ…………
キキキキィッッッ
『こんな夜遅くになんだよ!…』
上着を持ち、部屋を出て2階へと足を運んだ。
『302号室……』
俺は眠気とイライラに歪んだ顔を
更に歪めて、インターフォンを押した。
しかし、出てくる様子はない。
耳を澄ますと、激しいロック調の
音楽が流れているようだ。
俺は部屋の主への怒りを拳に乗せ
今度はドアを叩いて声をかけた。
『すいませーん!すいませーん!!』
音楽が止まり、廊下を歩く音が
聴こえてきた。
ドアノブを回し、姿を表したのは
大柄のガタイのいい外国人だった。
『What's?』
俺は相手の姿に少しばかり
身を引いたが、すぐ強気に
相手に物申し始めた。
『下の階の住人だけど』
『Well...please secound?』
『!…したのかいのじゅーにんだけど!!!??』
『……アー! シダルガーノ・ジョニー!!』
『誰だ!!!!????』
シダルガーノジョニーってなんだ!
何人なんだ!
どこの国籍の人間だ!?
思わず突っ込んでしまったが
何を勘違いしたのか、相手は
ずいっと力強く握手をしてきて
カタコトの日本語で名乗り始めた。
『サンクス、ジョニー!
ワタシ、マクガイヤ!
ニホン、ワーキング!キマシタ!
ヨロシク!』
どうやら悪い人間ではないようだ。
俺は冷静に騒音の事を説明し
困っていると伝える事にする。
『えっと、ね。マクガイヤ?さん?
いま、みんな、寝る、おっけー?
マクガイヤ、ちょっとうるさい
……分かる?』
マクガイヤは首を傾げ、困ったような
ジェスチャーをするので
こちらもジェスチャー混じりに
もう一度説明をしたところ
ようやく納得いったのか、
外国人らしいとてもオーバーな
リアクションと満面の笑みで
こう返した。
『OK!!キサマ!ネレナイ!!』
馬鹿にしてんのかコイツ?
今にも怒りが爆発しそうな所で
騒ぎを聞きつけたのか、大家の山本さんが
やってきた。
『あら、おかりなさい藤崎さん。
どうしたの?』
『ああ、大家さん!ちょっと助けてください。 この人がうるさくて寝れないんです』
そう言うと山本さんが
拙い英語を使い、マクガイヤに
事情を説明してくれた。
マクガイヤは謝るようなリアクションを
して、部屋に戻っていった。
『ごめんなさいね、藤崎さん。
ここ、元々留学生や出稼ぎの方が
いてね?
マクガイヤさんは藤崎さんが
出張中にここにやってきたのよ』
『そうなんですか。
どうにも僕は英語は苦手でして…
マクガイヤさんにうまくお伝えください』
そう言って部屋に戻り
俺はようやく寝る頃には
間もなく日を跨ぐ頃となっていた━━
午前七時、目覚ましの音で目を覚ます。
昨日は散々な思いをした。
心なしか、眠り足りない気がする。
このまま仮病で休みたかったが
今日は大事な会議がある日だ。
悪い自分をはっ倒して、布団から這い出て
スーツに着替える。
朝食のトーストとコーヒーを
素早く平らげて外に出ると
睡眠不足の原因となった男
マクガイヤと出くわした。
なんとなく気まずさを感じて
本人だと気が付かないフリで
顔を見ずに軽くお辞儀をして
通り過ぎようとした所で
マクガイヤが声を掛けてきた。
『オハヨゥ!ジョニー!!
イイテンキ!!!』
『ジョニーじゃないです!
藤崎です!フ、ジ、サ、キ!!』
まだジョニーは続いてたのか!
一言言いたいところたが、ここで
貴重な1日の体力を使うのは勿体ないと
思い、俺は足早にその場を去った。
その日の夜も次の夜も上は騒がしかった。
その度に俺はマクガイヤの元へと出向き
その度に『俺はジョニーじゃない』と言い
寝て起きて『俺はジョニーじゃない』と
言う毎日がしばらく続いた。
そんなある日の事だ。
『ヘイ、マクガイヤ
俺はフ、ジ、サ、キね。
ジョニーじゃなくてリョージね?
いい加減覚えてくれよ。
あと、うるさいっての何度言ったら
分かってくれるんだ?
てか、本当にいつも何やってるんだよ』
いつもならここら辺で
山本さんが仲裁に入ってくれるのだが
マクガイヤはふと何かを考える素振りを
見せ、一人頷くと俺に尋ねてきた。
『ミル?』
『は?』
『Com'n!』
そう言うと俺の手を掴んで
強引に自分の部屋へと招き入れた。
『ちょ、引っ張るなって!なんだよ!?』
無理矢理招かれた部屋は
酷く質素な部屋…というよりは
作業部屋というような感じで
最低限の生活用品がポツポツと
配置されているばかりで
それ以外の殆どが画材だった。
『マクガイヤ、絵描くの?』
『Yes! ワタシ、家
ちょっとビンボー。
ダカラ、仕事シニキタ!
デモ、ワタシ、イラスト描キタイ!
ニホン、マンガ!スゴイ!』
その日はマクガイヤの事を
色々と聞いた。
家族の事。
家が貧乏で、自分が家族を
養わなければならないこと。
好きな事。
マクガイヤと話していて
俺は色々なことを思った。
社会人になったあの時、
俺はとてもワクワクしていたし
なんでもやれる気がした。
目に見える全てが新鮮で
輝きに満ちていた。
でも今は
やりたくもないことをやってて
でも、そんなものを利用して
自分に言い訳をして
都合の良い人生を送っている。
マクガイヤは俺よりもっと
大変な思いをしているはずなのに
毎日目をキラキラとさせて
日々を懸命に”生きている”
俺はこんな風に生きていただろうか?
俺は今、どんな風に生きてるのだろうか?
理由はどうあれ、マクガイヤを
一方的に悪者にしていた自分が
今更になって恥ずかしくなって
マクガイヤに謝った。
『マクガイヤ、その、ごめんな?』
『Don't matter. ジョニートワタシ!
トモダチ!!デショ!!
キサマ、気二シナイ!』
いつもならここで怒ってたけど
自然に笑みが零れてしまい
『ジョニーじゃな…まぁジョニーでいいよ』
そう言って、ジョニーの肩を小突いた。
それから俺たちは”トモダチ”になった━━
━━
━━その日もひどく疲れていた。
時刻は午後九時。
ちょっとしたミスをしてしまい、
残業ですっかり遅くなってしまった。
いつも以上に精神的に疲れてしまって
俺は家の扉潜ると、逃げいるように
布団に倒れ込む。
もうこのまま寝てしまおう。
そう決め込み、身を任せた。
コンコンコンッッ!!
玄関をノックする音で
目を覚ました。
居留守を決め込み、再び眠ろうと
瞼をきつく閉じた。
コンコンコンッッ!!
『ジョニー!ボク!マックダヨ!!』
マクガイヤ?
少々イライラしながらも
俺はマクガイヤの元へと向かった。
マクガイヤには悪いが、今日は帰って
もらおう。
今日くらいは眠りの中に逃げたい。
そう思い、玄関を開いた。
『なんだよ、マック
こんな時間に何のよ………』
パーンパーンパーン!!
クラッカーの音が鳴り響く。
そこには山本さんとマック
それと最近知り合って遊ぶように
なったマクガイヤの友だちが数人いたのだ。
『誕生日おめでとう!!』
驚いた。
クラッカーの音とかそういうのじゃなくて
自分でも蔑ろにしていた誕生日を
こんな風に祝ってくれる事に。
マクガイヤは笑顔でこう言ってくれた。
『ジョニー!いつもガンバッテル!
キョウハミンナデエンジョイしよ!!
ケーキカッテキタ!』
『ありがとう…!
みんなで食べようぜ!
みんな、狭い部屋だけど
上がってくれ』
こんな温かい誕生日は
久しぶりだった。
ギュウギュウ状態になりながらも
みんな文句ひとつも言わずに
笑顔を見せてくれてる。
『ジョニーハッピーバースデイ!』
マクガイヤがそう言うとみんな
一斉にお祝いの言葉をくれた。
名前の間違い、苦情から
始まった関係だけれど
そんなのは些細な問題じゃないんだ。
分かり合おうとすれば
こうやってきっと……
ケーキのフタを開けると
大きなイチゴのショートケーキが
入っていた。
素敵なデコレーションに
誕生日プレートが刺さっていた。
『Dear, My Friend!!
誕生日おめでとう”ジョージ”』
『なんでだよ!!!!?????』