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水に沈んだビル街


これは夢だ。とても幼いころの。

そう思考する彼の視界は霞みがかったようにぼやけている。

それでもぼやけた視界の中でそう理解できるのは、音だけがはっきりと聞こえるからだろう。

「醒ちゃん。これを肌身離さず持っておくのよ」

 それは彼の母の大切な約束の言葉。渡されたソレを常に持ち歩くこと。

 ソレの意味を彼はよく知っていた。母が丁寧に教えてくれたこともあったが、なによりも自身がソレなしでの苦労を幼い身ながらに味わってきたからだ。

 だから彼はソレを握りしめ、強くうなずいた。


×××


 ピピピと電子音が室内に響く。

 お世辞にも広いとは言えない一室で鳴り響く電子音は、特にその音の間近で寝ていた彼に良く響く。

「うるせえ……」

 彼――御堂醒人みどうせいとは気の抜けた声と共に頭上にあるであろう発信源を探すが……無い。

 具体的に言うのであれば叩く場所がである。

「目覚ましはスマホで鳴らすようにしたんだった」

 と、言いながらタブレット端末を手探り取り、停止ボタンを押して腰を浮かせる。

 頭をボリボリと書きながら欠伸をし、怠そうな顔で洗面所に向かう。

 そうして顔を洗い、歯を磨き、それが終わるとテーブルに適当に放っておいたビニールから菓子パンを一つ取り出して頬張りながら制服姿に着替える。

 一応の進学校である県立東雲高等学校の指定制服はブレザータイプのそこそこ洒落た格好だ。

 そして、最後に紐に通したお守りを首にぶら下げる。

「ん、紐はそろそろ変えとくか」

 醒人はお守り通している紐の劣化を確認しながら呟く。

 そして、教科書やらノートやらを詰め込んだリュックを背負いながら家を出る。

「あら、おはよう御堂さん。今日は早いわね」

「おはようございます角田さん。今日から学校ですからね」

「そう、それじゃあ行ってらっしゃい」

「はい行ってきます」

 出くわしたお隣さんに挨拶を交えながら歩いていく。

 学校までの道のりは歩いて15分程度の道のりだ。

 途中の道に並木道を挟むのだが、季節は春もあって満開の桜が咲いている。

 割と早くに家を出たせいなのか、醒人以外の学生は見当たらない。代わりに、ジョギングをしている老人をよく見かける程度である。

 そのために人の声のしない並木道の光景は幻想的に見える。

 何気なく綺麗だなと醒人は思いながら歩いていると、ふと桜の木の一角に、同じ学校の女生徒がいることに気が付く。

その生徒はタブレット端末を取り出して何かを調べているようだったが、見ていた醒人に気付くと手を振り上げて醒人を呼んだ。

「きみきみ! ちょっといいかな?」

 仕方なしに醒人は女生徒に近付く。

「どうした?」

「いやーちょっと道に迷っててさ、東雲高校まで案内してくれないかな?」

 と道に迷っていることを告げる女生徒。

 しかし、この並木道から真っ直ぐに行けば直ぐに学校に着く。

 特にタブレットを見れば一目瞭然だろう。

 だからこそ、新入生や転入生にしても醒人は少し疑問に感じた。

「? どうしてまた」

「私ここに来たばっかりだからさ、道があんまりわからないの」

「って言っても迷う程複雑じゃないぞ」

「私ってかなり方向音痴だからさ、真っ直ぐ行ってるつもりがあらぬ方向にいってたりするのよ」

 とにへらと笑いながら失敗談を語る女生徒。

 それを聞いた醒人は、まあそれなら仕方ないかと承諾する。

「そうか、まあ丁度向かってたところだから大丈夫だ」

「ありがと! あ、自己紹介が遅れたね。私は宮古優希みやこゆき。今年から二年の転入生だからよろしくね」

「ああ、俺は御堂醒人。同じ二年だよろしくな」

 と、お互いの簡潔な自己紹介を終え、いざ学校へと歩き出そうとした時だった。

 なんの気まぐれだったか、強い風が木立の中を通り抜けた。

 そして、その風は醒人の首にぶら下がっていたお守りを揺らし、それだけに留まらず、ぷちりと糸が限界を迎えて切れ、地に落ちた。

「あっ……」

 それに気が付いてすぐさま拾おうとした時には遅かった。

「お守り落としたよ。はい」

 醒人の目の前には優希がいる。それもお守りを身に着けてない状態でだ。

 そして――

「ごぼッ……!!」

 気が付けば水の中にいた。

 醒人は驚きに声を出そうとするが、漏れ出すのは空気だけで、泡として水面へと浮き上がる。しかし、不思議に息は苦しくはな感じていなかった。

 息を吸わずとも、水を吸い込もうとも、水がまるで水でないかのように醒人は苦しさを覚えなかった。

あまりに唐突な現象に、常人であれば理解できないだろう。

 だが、この感覚、この唐突な現象を醒人は見知っていた。

 数は多くないが、その多くない体験は醒人自身の記憶に刻み込まれたトラウマを呼び起こさせる。

 人の誰しもが持つ物。人の一番見えない内側。

 最大の個人領域である『心』を心象風景として投影した世界に迷い込む。

 醒人が人ではなく妖である『さとり』の血を引く者としての力。

 この力にオンオフは無く、見た対象の世界へと無差別に迷い込んでしまう。

 故に現在、間違いが無ければ彼がいるこの世界は、優希のものであることが分かる。

「ごぼ……」

 そうして、久しい感覚にも慣れてくると、周りを見渡す余裕が出てくる。

 ――ビル街……

 水の中にビル街と酷く不釣り合いな世界が広がっていた。

 更に水底である為か、ビルの姿ははっきりと見えているのにかなりの暗がりになっている。それは敷かれたアスファルトの先がほとんど見えないくらいに。

 酷く不気味な世界だった。人の心とは思えないくらいに欲望らしきものを感じない。

 むしろ心の内でさえ何も漏らしたくないかのように静かだった。

 そんな風に醒人が感じているところで、世界はまた唐突に醒人を締め出した。

「ねえ、聞いてる?」

「え? あ、おう」

「ぼーっとしてたよ。ほら、お守り」

 戻ってきた桜並木道で、優希は醒人のお守りを差し出している。

 それを素早く受け取ると「ありがとう」と礼を言って今度こそ学校の案内を始めた。


 それからは特筆すべきことも何も起こらず、少し早い到着で学校にたどり着いた。

 醒人は優希を職員室に送ると、すぐに教室へと向かう。

 一年時に使っていた教室から二年時に変わった時への教室は予め連絡が行き届いており、その点でも抜かりは無い。

 そして、決まっていた2年1組の教室に入ると、やはり早い到着だった為か人はいない。

 それを醒人は好都合と思いながら机に貼り出された名前を見ていく。

 席の順番は左から五十音順の並びなので、必然的に右下あたりを見ていく。

「宮古優希……あいつもこの教室なのか」

 そうして机を見ていくと、醒人は優希の名前を見つける。

 丁度醒人の真後ろの席だ。

 それを確認すると、醒人は少し、否かなり複雑な気持ちになる。

 事故とは言え、人の心を覗き見してしまったからだ。

 それも得体の知れない物を。

 不気味なほど静かな水に沈んだビル街。

 例え醒人が数多くの世界を見てきたわけではないと言っても、あまりに異質過ぎた。

 心とは隠すものだ。だからどれだけ憎しみ、どれだけ欲望を持ち合わせようと表面は分厚い皮の仮面に覆われている。

 そう言ったギャップを醒人自身は理解していたし、幼少期から今になってみれば悪意や欲望は人並みの感情だと整理がつけられる。

 だが、悪意も欲望も感じられず、ただ静かに揺蕩うあの世界は、あまりに静かすぎた。

「まるで感情が無いみたいだ……」

 醒人は自分自身に確認するように呟く。

 しかし、現実で見た優希は何処にでもいるような、何の違和感のない女の子だ。

 と、醒人は思う。それが故に人間らしくない心と人間らしい表面に尚不気味さを感じていた。

 ただ、これは故意ではなく、飽くまでも事故で覗いてしまったに過ぎないのだから、醒人はもう覗くこともなく、関わりも無ければ別段気にすることもないだろうと断じた。

 そう断じることで、もう気にする必要はなく、考えることもないと蓋を閉めることが出来るからだ。

 そう考えてからは醒人の体は軽くなった、何を背負い込んでいたのかと馬鹿らしくなり、醒人は自分の席で突っ伏す。

 目を瞑り、暫く何も考えずにぼーっとしていると、微睡がやってくる。

 考えることが無くなったせいか、考えないように無心になっていたせいか、醒人は微睡に落ちて行った。

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