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「怖くて声も出ないか」
髭の男が私の縛られた両手首を強く握り私を引きずるように小走りをしながら振り向き歯をむき出しにして笑う。
「安心しろ、大事な巫女様だ」
私が声を出さないのはそのようなことで体力が減らすのが無駄だからである。
考えればわかることなのにあたかも当たり前のように私に己の願望を投射するのは止めて欲しい。
「オレがお前をちゃんと可愛がってやるからな」
私という一人称すら放棄し下卑た笑い声の合間に言う。
「それは御免被る」
余りに馬鹿々々しいことばかり言うので思わず素で返してしまった。
「なに?!」
男の動きが止まった。
「貴公は、そこまで物事を考えずによく生きてこられたものだな」
私は感心して男に思わずつぶやいた。
それでも生きていけるというのが私の中では斬新な出来事だった。
男の顔に朱が走る。
「こ、こんなことを言う巫女などいるわけがない!騙したな!!」
大きなお世話である。
男がはじくように私の手首を離し周囲を見回した。
私はすでに切ってあった手縄を振って落とした。
「お前!!本物の巫女はどこだ!」
だから貴公の目の前だが。
「業務でもないのになぜ貴公の想像にあわせねばならぬのだ」
甚だ失礼な御仁だ。
「本物なのか?!」
「貴公に言う必要などなかろう」
巫女にどのような夢を抱いていたのかは知らぬが、
私を自分の夢に合わせようとするのはどうかと思う。
「あっちの女が本物か?!」
残念ながらあっちの女と呼んだものは巫 女以前に女ですら無い。
ヒューゴは私と一緒にいると言って侍女に扮し嫌がりながらも剣を隠せるよう嵩のある外套をはいていた。
その甲斐あってこの御仁には女性として認識されたようだ、ヒューゴの苦労が実ったようで良かった。
「お前が偽物だとしてもお前であの女に言うことを聞かせればいいだけだ…こい!」
あくまでも私が本物とは信じたくないらしい。
そう言いながら男が私の腕に手を伸ばしてきた。
「無礼者!!」
触られそうになった腕が総毛立ちつかまれる前に今まで握っていた手を開き伸ばしてきた男の腕の上腕に向かって滑らす。
「ギャーァ」
男が悲鳴を上げ私が当てた方の腕を押さえながら後ろに下がる。
なぜ私が無防備だと思いこんでいるのか理解できない。
そのようなわけなかろうに。
本当はヒューゴを待つ予定だったのだが生理的嫌悪が先に立ってしまった。
「貴様!キサマァガァーー!」
獣のような声を上げながら正面から血を滴らせた手が伸びてきたのでとっさに足を折りたたみ、その反動を使って踵を男に向かって突くように出した。
重い服の裾のせいで足が思ったより上がらず男のぐんにゃりとした気持ちの悪い感触の下腹部に当たったのだが男は股間を押さえ悶絶した。
運よく急所に当たったようなのだが起き上がられると困るので衣嚢から辛子の粉末の入った小袋を出して男の目の辺りに投げつけた。
ギャァァァー!
目を押さえて叫ぶ男の腰のあたりを私は息を止めてからまさぐったが鍵のようなものは見当たらなかった。
に、しても五月蠅い。
「きんちゃん!!」
上に来ていた女性用衣服を脱いで縄の端切れを手首に下げ剣を両手に持ったヒューゴが駆け込んできた。
嫌がっていた女性用の服を脱いでその下に着ていた薄手の上着と半 直垂になったので機嫌がいいようだ。
「ヒューゴ、私はそこそこ無事だ」
追手が来た場合、男を見つけたら信者はこの男に駆け寄るだろうと思い念のため衣嚢から木の実から作った軽量の撒菱を来た方向に頭を向け倒れている男の頭辺りに撒いた。
「行こう!」
そう声を掛けながらも仰向けのまま左右に体を揺らしながら唸り叫び悶絶している男をちらりと横目で見てからその男の腹に足で一撃を入れておとなしくなったのを確認してからヒューゴが私の手首をつかんで走り出した。
ヒューゴもあの御仁を五月蠅いと思ったようだ。
狭い通路なのであまり速度が出ないまでも小走りで声がする方に向かった。
「どっかケガとかしてない?」
「怪我はないが」
進むごとにそれは精霊への祈りを唱える声だとわかる。
「きんちゃんなにしたの?」
走りながらヒューゴが私に聞いてきた。
ヒューゴの問いに私はヒューゴの手から自分の手首をとり左右の手の内側をヒューゴの目の前で広げて両中指に嵌めた『角指』を見せた。
『角指』とは指輪に棘のついているもので棘の部分は手の内側に入れて手の表から見ただけではただの指輪のように見える物だ。
私のは棘というより三角錐のようなものが付いている。
それをあの男の腕の上に滑らせた。
よってあの男の腕は出血していたのだ。
手首の縄も祈るような手の形にして縄に隙間を作っておいたのであの男が朗々と話しているときに緩んでいる縄を動かして『角指』を使って切っておいた。
「クラウスにお願いして作ってもらった」
「ぁあ、そういうもんだったんだ!」
ヒューゴがクッと音をたてて吹き出しながら言った。
「私はヒューゴ達のように武芸に秀でているわけではないので自衛のために付けてきた」
もっとも、おめでたいことに向こうが私が無防備につれてこられてると思って油断していたおかげでもあるのだが。
「でも、僕がいないときに危ないことしないでね」
心配そうな声で言われた。
「…心配かけてすまない」