1話
アデルの箱
「はじめの闇
精霊の灯火
まばゆく輝き
闇を切り裂く
灯火は弾け
空を海を地を星を
人を獣を花を虫を魚を
讃えよ
讃えよ」
〈精霊歌 始めの歌〉
穴の奥で、大きな金色の瞳がぱちぱちと瞬いていた。
その横に刀の握りらしきものが光る。
刀剣は高値で流通し通貨に換金できると書いてあったのを思い出した。
「…それなら、あとで来ることにしよう」
私は踵を返して穴に背を向けた。
「タスケテ…」
穴の底からやや甲高い男というより少年のような声が聞こえる。
「歳は」
私は振り向く事なく穴の中に問い掛けた。
「歳?…うーんと、16…かな」
私と同年齢だ。
追っ手にしては若すぎる。
それにこの年で死に方が獣捕獲用落とし穴に落ちて餓死というのは少々可哀相かもしれない。
「縄を垂す。自分で上がるといい」
金色の瞳の光が見えなくなったので多分頷いたのだろうと判断して邪魔になる頭の頭巾を外し、持ってきたロープの片側を木に縛り穴に垂らしてすと背を向け穴の前から立ち去った。
サクサク
サクサク
サクサク
サクサク
同じ調子で後ろから下草を踏む音がする。
しかたないので私は後ろを振り向いた。
「………」
無言で後ろにピッタリついて来る少年を眺める。
少年の背丈は私より頭半分程高く、長い黒髪を腰の辺りでゆるく束ね、巻頭衣に直垂という軽装で腰には湾曲した細身の剣を左右の腰に刺している。
体に筋肉はあるもののまだ少年の身体だ。
騎士見習いと言ったところだろうか。
私が無言で観察していると大きな金色の瞳が潤んで上目づかいで私をひたりと見た。
「お腹へった…」
初めて会った見知らぬ者にこの様な事を平然と言えるということは‥
この少年は馬鹿なのかもしれない。
少年が罠にかかってしまっていたせいで遅い朝ごはんは昨日の残りの野草スープになってしまった。
もっとも、今のいままで獣捕獲用落とし穴に落ちたのはこの少年位なのだが。
「ふぉふぉはぁ…リデン?」
「食べながら話さない。」
少年は慌てて目の前の食事を掻き込んだ。
「掻き込まない」
少年の目が悲しげに揺らいだものの言われた通り先程よりはおとなしく食事をとるようになった
この年になるまで彼に食事の作法を教えるものはいなかったのだろうか。
もう一度、少年の身なりを良く見直す。
軽装なのだが素材はいいものを使っており身なりはきちんとしている。
「食器から直に飲まない」
何度目かの注意をしたあと口を拭くように促すと大人しくしたがってから顔をあげた。
「さっきの問いの答ならばここはリデンではない」
「え~じゃあ道間違えたんだ…こまったな~」
首を傾げる。
あまり困ってるようには見えない。
「リデンはここから二山越えたところだ」
しかも、ここのように森ではなく街である。
どうまちがえるとここに着くのかが疑問だ。
少年は食器を片したテーブルにポケットからがさがさと音を 立てながら地図を出して広げた。
「でも、僕、地図読めないんだよなぁ」
私は洗っていた食器を取り落としそうになった。
「読めない物を何故持っている」
「城を出るときにディーが持ってろっていうから」
『城』というからには本当に騎士見習いかもしれない。
騎士に見つかるのはあまりいい兆しではない。
読めない地図を眺めながら少年が言った。
「渡された時に何かいわれなかったか」
少年は思いだそうとしているのか斜め上に顔を向けた。
「わからなければ人に聞けっていわれた」
そうだろう。
この場合、地図は地図という名の迷子札らしい。
地図に視線を落とすとかなり精密な地図だ。
ただし、我が国のものではないらしい。
地図の中心が違う。
地図からは国力がでる。精密であればあるほど侮れない国である。
「地図を軽軽に人前でだすものではない」
地図は場所を指し示すだけのものではない。土地改良や軍事にも使うものなのだ。
他国の詳細な地図を持っているという事はそれだけの情報を握っているという事に外ならない。
「うん、人に見せちゃいけないっていわれたよ」
それでは迷子札にもならないではないか。
「でも、きんちゃんなら大丈夫だと思って」
「きんちゃん?誰の事だそれは」
私は人懐っこい笑みを浮かべ私を見ている少年を見据えた。
「え?」
少年は軽く小首をかしげると
「きんちゃん」
真っすぐ人差し指で私の顔を指差した。
「人を指差してはいけない」
少年が慌てて指を下げた。
「だって、まだ名前聞いてないし、金色のふわふわの髪が金魚の尻尾みたいにゆれてて、で、きれいな紅い目で、すっごく可愛いから」
お世辞なのだろうか、頭の留金が何本か抜けているのだろうか。多分、後者だろう。
金魚の尻尾とは普通言わない。
あれは帯びれというのだ。
ふわふわの髪というが今は邪魔にならないように後ろに束ねている。
しばし唖然としていた私をよそに少年は地図をパタパタと元の場所にしまうと立ち上がった。
「ごちそうさまでした!
もう、ぼくいかなくちゃ。」
少年は伸びをしたまま首だけをこちらに向けた。
「あ、そうだ、きんちゃんも一緒に行こうよ」
「何故」
少年は顔だけ戸口にむけると、
「さっき通った村の人がこの森に幽霊が出るって言ってたよ」
「幽霊?」
「うん、きんちゃん見たことある?」
少年が小首を傾げた。まるで栗鼠のようだ。
「いや、ないが」
「ふーん」
少年がなんだかがっかりしたように言った。
「それにさっき、森にはいるときに三人くらい男の人がいたよ…あれって幽霊退治の人かもしれないけど野盗かもしれないし、そんな危ないところにきんちゃん置いてけないよ」
危険なのは幽霊より人の方なのだ。
三人程という事は追っ手かもしれない。
一と月も過ぎて見つからなかったので油断していた。
リデンというのは隣国だからまだ追手をまきやすいかもしれない。
だが、この少年を巻き込む事にはならないだろうか。
私が黙考していると
「きんちゃん、もしかして、誰か悪い人にでも狙われてるの?」
わたしの仕種でそう判断したらしい。
当たらずとも遠からずなので私は黙って頷いた。
これでこの少年を巻き込む事になってしまった。
「大丈夫だよ。きんちゃんは僕が守ってあげるから」
屈んで私に目線を合わせながら少年はにこにこと笑った。
「わかったリデンまで行こう」
少年に告げると私は自分の荷物をまとめ、外套を羽織おり頭巾を目深に被った。
「僕は、ヒューゴ」
森から街道に向かう道を少年は私の前を歩きながら私のフードの奥の顔を覗き込むように言った。
覗きこんだままの体勢でヒューゴは私の名前を教えるように目で促す。
あそこにいた時の名前は使いたくない。
私が思いあぐねていると、中腰で下から覗き込むように見ていたヒューゴは身体をおこして頭の後ろに腕を組んだ。
「言いたくなければ別にいいよ」
私はヒューゴの方に顔を向けた。
「どうせ聞いても『きんちゃん』って呼ぶし」
それは、それで嫌なのだが。
「そういえば、この森って幽霊でるってさっき言ったけど音だけの幽霊なんだって、だから、見えるはずないよね」
ヒューゴは笑いながら天を見上げた。
「きんちゃん、変な音、聞いた事ない?」
警戒して、人前には出ないようにしていたのでこの森にそんな話があるのは知らなかった。
「いや、ないが。どのようなものなのだ」
私は首を横に振ったものの興味を引かれて聞いてみた。
「うーん、村の人が言ってたのは泣き声みたいな歌声みたいな声がするのと大きな音がするんだって」
「すまないが、聞き覚えがない」
あの小屋を見つけひと月程いるがヒューゴの言うような物音は聞いた覚えがない。
しばらく歩いているとヒューゴが耳元で、
「きんちゃん左、前の方に誰かいるよ。あ、立ち止まらないで」
と囁いた。
「きんちゃんを捕まえようとしてるの?」
私は無言で頷いた。
「わかった」
ヒューゴはにっこりと笑うと立ち止まり私の斜め前に立って剣を抜いた。
ヒューゴが抜刀したことで気づかれていることがわかったらしく繁みからばらばらと三人の男が出てきた。
やはり、私の関係者らしい男達の視線は私だけをみている。
ヒューゴを巻き込む形になってしまい、私は後悔した。
私は男達を見ようと顔をあげると右手前の木の枝に茶色の布の切れ端がゆれているのが目に入った。
これは賭けだがうまくすれば時間稼ぎができる。
私はヒューゴの後ろから小声をかけた。
「右にある布が見えるか」
ヒューゴは目だけを動かしたらしく同じ状態のまま頷いた。
「あの布の下に誘導してほしい」
三人の男は着ているものこそ村人のような簡素な服を着ているが目つきがそれを裏切っている。
私は捕まるだけだろうが、最悪ヒューゴは口を封じられてしまうかもしれない。
しかし、自国人を手にかけるわけにもいかない。
ヒューゴは他国人だ。
頼んで逃がしてくれるのだろうか。
とにかくなんとしても足止めだけでもしなければならない。
男達はフードを目深に被っている為、私の顔が見えないようで、探るような目でこちらを見ていた。
「顔をお見せいただけませんか」
三人のうちの長らしい男が近づきながら私に声をかけた。
丁寧だが威圧的である。しかも人違いだった時の為なのか言葉遣いを普通にしている。
私は男達に怯えたようにじりじりと右に動いた。
男は私の様子に優位を感じたのか緊張が緩んだようだった。
「坊や、今、ここから立ち去るならこちらも手は出さない」
目線だけをヒューゴに向けて男が言う。
彼らから見れば確かにヒューゴは子供だろう。
ヒューゴに目を向けると口角を上げ小さく笑いをもらしていた。
「さぁ、こちらにいらしてください。」
男たちが私に向かい悠然と歩いてきて後10数歩というところまで来た。
チンッ
ヒューゴが剣を鞘に戻した音がしたかと思うと黒い塊が男たちを左側から襲った。
男たちは悲鳴をあげながら黒い塊に追われるまま布のついた木の下に追い込まれ
バキッバキッバキッ!
小枝の折れる音と、
「わぁー」
「うぉっっ」
「ぐぁっ!」
と三者三様の悲鳴が聞こえ、
深々とした獣捕獲用落とし穴に落ちていった。
黒い塊は穴の側の木を体当たりをし、幹をへし折り穴の入口を塞いだ。
黒い塊はそこまでするとゆっくりと首を私に向けた。
そして漆黒の狼の大きな尾が『誉めて誉めて』と大きく振られていた。